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ep.9 - 本日、リュールお休みです(3)お助けロボットの返し方

 倉庫の扉が軽くノックされた。

 続いて聞こえたのは、詩織の声だった。


「お待たせ。お昼できたから、手洗ってきて」


 怜と桐島が並んでリュールの店内に戻ると、午後の光に照らされたカウンター席には、すでに三つのプレートが並んでいた。

 カトラリーはナプキンの上に、さりげなく揃えて置かれている。整いすぎず、けれど心配りが滲む配置だった。


 白い皿の上には、こんがり焼いたバゲットのスライスが数枚。その脇には、粗く崩したゆで卵のサラダと、しっとりした鶏ハムが少し。シンプルだが、食欲をくすぐる見た目だ。

 ガラスのボウルには、赤いトマトとパプリカの冷製スープ。表面にはオリーブオイルと細かく刻んだバジルが浮いている。

 気負わず整った一皿だった。


「……わ、カフェっぽい」


 怜が思わず口にする。


「カフェよ。うち」


 詩織はさらりと返し、ピッチャーから冷たい麦茶をグラスに注ぐ。


 怜の席には、すでにミントティーが用意されている。涼しげなグラスの中で、レモンバームの葉が静かに揺れていた。


「怜はミントティーね。まだ日差し強いし、さっぱりするでしょ。桐島くんは、こっち」


 桐島には麦茶のグラスが差し出される。


「……気が効きますね」


 桐島が麦茶に手を伸ばしながら、ぽつりとつぶやいた。


「貴重な労働力に、せめてもの感謝ってことで」


 詩織は冗談めかして笑い、布巾で手を拭いた。


 怜はスプーンでスープをすくって口に運ぶと、少し目を丸くした。


「……これ、お店で出せますよ」


「そう? 作業員ランチのつもりなんだけど」


 詩織は悪びれずに笑う。


「ローストして煮て、冷やしただけよ。朝のうちに」


 桐島は静かにバゲットをちぎり、スープに軽く浸して口に運ぶ。

 その仕草には、どこか丁寧さがにじんでいた。


「おれの知ってる現場メシじゃない」


「あら、そんな世界にいたのね」


 詩織は肩をすくめながら、少しだけ視線を向けた。


「労働環境は悪くないってことで。それなら午後も、ちゃんと働いてもらわなきゃ」


 詩織がそう付け加えると、三人の間にふっと笑いが流れた。



 夕方の陽射しが倉庫の壁を斜めに照らしていた。

 壁一面に塗られた白が、やわらかい光を受けて、ほんのりと温度を帯びている。

 一通りの塗装は終わり、今は後片付けの時間だった。塗料の匂いも少しずつ和らぎ、静かな余韻が空間を満たしていく。


 怜は使い終わった道具を流しまで運びに行っていた。倉庫には、詩織と桐島の二人だけが残っている。


 桐島は黙々と刷毛を洗っていた。水の張られたバケツの中で、白く濁った塗料が揺れている。

 隣でローラーを片付けていた詩織が、ふと口を開いた。


「……ねえ、今日は私から依頼ってことでいい? こういう場合、相場ってどれくらいなの?」


 手を止めず、でもその声音には遠慮のようなものがにじんでいる。詩織がそういう言い方をするのは、ほんの少しだけ“礼儀”を重ねる時だ。


 桐島は刷毛をすすぎ終えると、それを静かに傍に置いた。


「いらないです」


「……いいの?」


「備品の借りを返しただけで、大したことじゃないんで」


 詩織は少しだけ目を細めて、「……そう」とだけ返す。


「……そもそも、俺は便利屋じゃないし」


 桐島はバケツを持ち上げながら、ぼそっと付け足す。


「お助けロボットには、かなり助けられましたから」



 倉庫の外。

 扉のほんの手前、まだ陽の残る軒下に怜が立っていた。


 タオルを首にかけたまま、手にしていた軍手を眺めている。


(……お助け、ロボット)


 あのとき詩織がからかい半分で言い出した呼び名だ。桐島はそれに倣っただけ。でも、わざわざその言葉を選んだのは、たぶん、照れ隠しだった。

 きっと、言葉にしづらい何かを、間接的に渡そうとしたんだ。


 そう思ったとたん、胸の奥がすこしだけ温かくなる。


 怜はしばらく、倉庫の扉の前に立ったままだった。

 それから、何でもない顔で扉を開ける。


「バケツ、もう流しに持っていきますよ」


 桐島は一瞬だけ視線をやると、黙ってバケツを渡した。


 詩織は何も言わず、口元にだけ、静かな笑みを浮かべていた。

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