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ep.8 - ログは残っている(9)名前が残る場所

 桐島は、怜が持参したコピーの最後のページ──杏奈と、その兄と思しき人物のSNS投稿を並べた資料──の角を、指先でじっと押さえたまま、しばらく動かなかった。


 やがて、低い声で口を開く。


「この“@user4192abcd”……投稿は、これで全部か?」


 怜は手元のメモを見ながら答える。


「はい、公開されているものは十五件。更新の間隔はバラバラで……三ヶ月前から止まってます。リプライも反応も一切なし。プロフィールも空欄で、アイコンは初期設定のままです」


 桐島はわずかに頷いた。その目は、言葉よりも先に“輪郭”を掴もうとしているようだった。


「怒っているような、責めているような……でも、誰かに届くように書いてるというより、自分の中に向かってる感じでした」


 桐島はページをもう一度めくり、杏奈の投稿と並べて置く。


「文脈とタイミング、それに“いいね”の付き方。状況的に見て、杏奈の兄の可能性は高い。だが──」


 言葉を切り、桐島は指先で紙の端を軽く叩いた。


「確証はまだない。こちらから接触を図るには、材料が足りない。……それに」


 少しだけ間を置いて、続けた。


「この投稿内容を見る限り、相手は、心のどこかがまだ剥き出しのままになっている。もし不用意に踏み込めば、警戒されて閉じられる。それだけじゃ済まないかもしれない」


 怜は静かに頷いた。


 桐島の視線が、ふたたび杏奈のアカウントのコピーへと移る。


「“@mofumofu13”──こっちは、投稿の雰囲気がまったく違うな」


 桐島は一枚を指で押さえた。


「……この“みずきちゃん”、名前が出てくるのはこれだけか」


 怜がうなずく。


「はい。他の投稿には、実名が出てくるようなものはありません。ただ……この一文だけ、少し雰囲気が違う気がして」


「くまの名前はモフ吉とましゅまる、か」


 桐島はそう呟き、わずかに視線を上へ向けた。宙を見ているようでいて、実際には思考を深く潜らせるときの癖だった。


「“モフ吉は、みずきちゃんがつけてくれた名前”──もし、このアカウントが杏奈のもので、“みずきちゃん”が実在する誰かだとしたら」


 言葉を切り、短く息を吐く。


「偶然、という可能性もある。だが、“みずき”という名前……中川瑞貴。符合しすぎている気がする」


 怜も静かに頷いた。


「投稿自体は、ごく日常的なものばかりです。でも、“誰かとの関係”を、ちゃんと記録しようとする気配がありました。名前を添えたのも、本人にとって意味があったはずです」


 桐島は視線を落とし、再びコピーに目を通す。


「前回、中川は“知らない”と言った。ただ、“知らない”と“見ないようにしていた”は別の話だ」


 怜もまた、穏やかに続ける。


「……あのとき、中川さん、自分の中で折り合いをつけようとしてるように見えました。“終わらせるために目を伏せていた”っていうか」


 ふと、怜の指がプリントの端をそっと押さえる。


「この“みずきちゃん”が本当に中川さんなら──きっと、あの人は……記憶を“しまい直そう”としてたのかもしれません。ちゃんと、正しい場所に」


 怜は一拍置いてから、視線をまっすぐ桐島へ向けた。


「……もう一度、会いますか?」


 しばらくの沈黙。桐島はほんのわずかに目を伏せ、それからゆっくりと頷いた。


「“知ってるはずだ”って押しつけるつもりはない。ただ──“この名前に見覚えはあるか”。それだけでも、聞いてみる価値はある」


 抑えた声音の奥にある確かな決意が、怜の胸にも静かに届いた。



 話がひと段落し、室内に静けさが戻った。


 桐島は手元のコピーを整え、クリアファイルに戻しながらぽつりと呟いた。


「……このあと、予定あるか」


 怜は顔を上げる。


「いえ。ないですけど……どうしてです?」


 桐島は椅子を引いて立ち上がり、上着を手に取った。


「飯、行くぞ。出す」


「……え?」


「……ついてこいって言ってんだよ」


 桐島の声には、どこかしら妙なそっけなさがあった。感謝も理由も言葉にせず、ただそういう行動を取る、という感じ。


 怜は軽く目を細めた。


「もしかして、労ってくれてるんですか?」


「違う。お前が変な顔してたから、気分転換だ。……行くぞ」


「変な顔、ですか?失礼ですね、それ」


 そう言いつつも、怜は席を立った。小さく笑いを含んだ声で続ける。


「……ま、誘ってくれるなら、断る理由はないですけど」


 その言葉に、桐島は何も返さず、ドアを開けて先に出ていく。だがその背中には、どこかほんのわずかに、柔らかな気配があった。

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