表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/59

ep.8 - ログは残っている(4)見ないようにしていたもの

 ショッピングセンターのフードコートは、午後の買い物客でほどよく賑わっていた。周囲には、子連れの家族や、制服姿の学生たちの姿もある。


 中川瑞貴は、紙コップのストローに口をつけている三歳の娘の横で、どこかそわそわと落ち着かない様子だった。視線は周囲を警戒するように泳ぎ、ときおり近くのママ友グループをちらりと気にするような目つきで見やる。


 テーブルの上には、子ども用のぶどうジュースと、半分残ったパンケーキの皿。中川はナプキンを指先で細かく折りながら、桐島と怜の前に座っていた。


「……井出くんから、“隠しリンク”のことは聞いてます。ちょっとだけ」


 桐島が小さくうなずいた。


「リンクの先は、十年くらい前まで使われていたQ高校の裏サイトでした。中川さんたちが在学していた頃の投稿が中心で──いわば、当時の空気がそのまま残ってるような場所です」


 一拍置いて、桐島は続ける。


「その中に、一件だけ、ごく最近になって書き込まれた投稿がありました」


「……ああ」


 中川の口から、わずかに息が漏れる。顔はうつむいたまま、ナプキンをきつく握りしめていた。


「“記録は終了しました。更新はされません”という内容でした。あれは、どういう意味なんでしょうか」


 桐島が穏やかに問いかけると、中川は一瞬、目を閉じた。その表情は、何かを思い出している人間のものだった。


「……ごめんなさい。知りません」


 そう言いながらも、ナプキンの端をさらに折りたたむ。くしゃりと潰れた紙の感触に、指先だけが忙しく動いていた。


 怜は、その動きに目を留めた。感情を押し込めたまま、手だけが動いている。言葉よりも、指先のほうがずっと正直だった。


「私、今、こうして子どももいて……いまさら昔のことで誰かに責められるのは……」


 そこで、ためらうように視線を上げる。ようやく、中川は桐島を見た。


「……誰かが、終わらせてあげたかったんだと思います。あの子のこと、ずっと気にしてた人がいて──今になって、区切りをつけようとしたんじゃないかって。……そういうのって、いけないこと、ですか?」


 声はかすかに震えていたが、口調はあくまで落ち着いていた。そうしようと、必死に保っているような静けさだった。握りしめたナプキンに、うっすらと爪が食い込んでいる。


 桐島は答えなかった。ただ、その視線をまっすぐに受け止める。


「私たちは、責めに来たわけじゃありません。誰かが、昔のことを“今”に引きずってきた。その誰かが、何を見せたくて、何を見せたくなかったのか。知りたいと思っているだけです」


 その言葉に、中川の肩がほんのわずかに揺れた。

 それでも、彼女は首を横に振った。


 


 エンジンを切った車内に、缶コーヒーのプルタブを引く小さな音が響いた。

 桐島はふたつ買ったうちの一本を自分の方に、もう一本を怜に手渡す。


「ありがとうございます……」


 ショッピングセンターの立体駐車場の隅。車の往来もまばらで、ぼんやりした空気だけが静かに漂っている。


 缶の縁に視線を落としたまま、怜がぽつりと言った。


「中川さん、他の四人と……なんか違いましたね」


「……ああ」


 桐島は応えながら、フロントガラス越しに目をやる。

 数列先の駐車スペースでは、サラリーマン風の男が車のトランクを閉めていた。何度も同じ動作を繰り返す様子が、どこか所在なげだった。


「前原は、完全に“知らなかった”顔だった。そもそも、過去に触れる理由がない、っていう」


「それから大村は、“間違えたくない”って反応だった。正直に話そうとしているようで──実際には、何も言ってなかった」


 桐島は少し息を吐き、最後のひとりを思い出すように言った。


「岸は、話さない。最初から、そう決めてる人間の態度だったな」


 怜も静かに言葉を継いだ。


「井出さんも……たぶん、悪意ではなかったと思います。ただ、自分にとっては小さな出来事だった。それだけなんじゃないかって」


 短い沈黙のあと、桐島が口を開く。


「四人も、中川も、“知らない”って言った。でも──」


「“知らない”の質が、違った」


 怜が、静かな口調で重ねる。


「中川さんは……“見ないようにしてた”って顔をしてたと思います。井出さんたちは、そもそも見てないか、もう見えないところに置いてる。でも中川さんは、まだ、手元にあるものを──見ないようにしてた」


 視線を逸らす動きと、唇にかかるわずかな緊張。怜にはそれが、思い出したくないものに触れたときの反応に、近いように見えた。


「それでいて、終わらせようとしてた」


 桐島は手元の缶を親指で軽く回しながら言った。


「“もう終わったこと”にしたい、って逃げる感じじゃない。“終わらせなきゃいけない”って──自分に言い聞かせるような口ぶりだった」


「だから、書いたんでしょうか。“あの子の記録は終了しました”って」


「たぶんな」


 助手席の怜はふとスマートフォンを手に取り、裏サイトの画面を再び開いた。

 そのページには、在学当時の匿名投稿と並んで、ごく最近──数週間前に書かれた一文が表示されている。


「あの子の記録は終了しました。更新はされません」


 静かな言葉が、ディスプレイの奥で凍りついたように貼りついていた。


 それが、“誰かの罪悪感”から書かれたものなのか。それとも、“誰かをなかったことにするため”に書かれたのか。


 まだ、判断はつかない。


 二人は、それ以上、確かなことは言わなかった。

 ただ、缶を持ったまま沈黙し、空を仰ぐように、時間が過ぎていく。


 何も解けてはいないが、何かが、わずかに姿を見せたような、そんな午後だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ