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ep.7 - 刺す、黙る(4)語らない家の中

 カフェ・リュールの午後、曇天の光が窓越しに落ちていた。

 閉店にはまだ少し早い時間だったが、客足は途切れ、カウンターの照明がほんの少しだけ優しく落とされていた。


 桐島は、いつもの隅の席に座り、手帳と数枚の資料を広げている。そこには澄子の展示案内の切れ端、ギャラリーでの写真、そして近所で聞き込んだ簡単な住民の話がメモされていた。



 ──(たに) 誠二(せいじ)、広告代理店勤務。社内では温厚かつ面倒見がよく、家庭のことを語ることはほとんどない。

 ──ご近所の評判も良好。「優しいご主人」と「しっかり者の奥さん」。ときどき子供の送り迎えもしているらしい。

 ──穂乃花の弟、蒼太そうたは中学二年生。成績優秀で、父に似て冷静という声。

 ──澄子は、ほとんど家を出ない。展示以外の外出記録もなく、近所付き合いも最小限。

 ──刺繍の材料は、毎月オンラインでまとめ買い。宅配以外の接触がほとんど見られない。



 桐島は、コーヒーに口をつけながら、付箋の貼られたキャプションコピーに目を落とした。


《ここにあると思い込むために、私はそれを縫いとめている》


 澄子の作品に添えられていた言葉だ。日常を描いているのに、どこかが欠けている。それが意図的なのか、無意識なのか──。



 カウンターの端では、怜が画用紙にペンを走らせていた。

スケッチブックには新しい季節向けのメニューカードの下書き。鉛筆で書いた「はちみつジンジャーと林檎のトースト」の文字の上を、丁寧にペンでなぞっていく。


「……“言えない”じゃなく、“言っても意味がない”と、思ってるのか」


 桐島の声に、怜が一瞬だけ手を止めた。


「何がです?」


「谷 澄子。──あの展示は、そういうものに見えた」


 怜はしばらく黙り、手元のペンを傾けた。


「……じゃあ、言葉じゃなく、“縫う”ことで、何かを表してる?」


 桐島は頷かず、否定もせず、再びキャプションのコピーに視線を戻した。


「“在る”と信じたいものが、誰にも信じてもらえないとき、人はどうやって、自分の存在を証明するんだろうな」


 紙の上に置かれた指先が、ふっと止まる。


「……沈黙って、強い意思で選ぶこともあるけど、長く続くと、“自分には何も言えないんだ”って感覚になってしまうことがあるんです」


 怜の声は静かだったが、少しだけ言葉を探すようだった。


「……心理学では、家庭内で繰り返される否定や軽視も、一種の抑圧とされることがあって……でもそれは、見た目には“仲のいい家族”でしかなかったりするから、余計に分かりにくくて」


 桐島は怜を見やらず、コーヒーの表面に視線を落としたまま、わずかにうなずいた。


「依頼人の少女──穂乃花は、たしかに“母が消えてしまいそう”と言った」


「でも、誰が“母を消そうとしていたのか”を、彼女自身はまだ知らない」


 ファイルを閉じながら、桐島は小さく呟いた。


「……家庭は、密室よりやっかいだ」


 怜は一瞬、表情を和らげて苦笑する。


「でも、あなたは探偵でしょう」


「……探偵だから、踏み込みすぎると壊すこともある」



 次に進むべきは、澄子本人との接触か、あるいは、もう少し外側からの“観察”か。

 どちらにせよ、問いかけるべきは「事件」ではない。「この沈黙の意味は何か」。ただ、それだけだった。

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