ep.7 - 刺す、黙る(1)JK現る
カフェ・リュールから少し離れた路地裏の一角。その古びた雑居ビルの二階にある探偵事務所に、場違いな声が響いた。
「……こんにちは! あの、依頼、お願いしたくて──」
不意に開いたドア。
制服に黒のピーコート、足元は少しだけ擦れたローファー。赤いマフラーをきゅっと結んだその女子高生は、場違いな場所に踏み込んだ自覚があるのか、妙に背筋を伸ばしていた。
「……子供が来るとこじゃないんだけどな」
座っていた椅子をゆっくり引きながら、桐島は手にしたマグを置いた。
視線だけで“用件を言え”と促すが、目元にはほんの少しの困惑。
「子供扱いしないでください。高校生ですけど、大人の真似事がしたいわけじゃありません」
「それにしちゃ、制服とマフラーでずいぶん“JK”をアピールしてるようだが」
「……それ、セクハラですよ」
一瞬、桐島が鼻で笑った。
「で、どうして来た?」
「依頼、受けてくれるんですね」
「内容による」
少女は、カバンから折りたたんだ紙を取り出した。
刺繍のような図案が描かれた展示パンフレットの切れ端には、《谷 澄子》とある。
少女は言う。
「……母のことなんです。たぶん、何かおかしい。でも、私にも説明できない」
「だったら、俺にもできないな」
「っ、でも──家族なのに、なんで、私、全然わからないのかって……思っちゃって」
言葉の最後が少し震えた。
桐島は手帳を閉じて立ち上がる。
「それは“探偵の仕事”じゃない。
俺が出る幕じゃないことも、世の中にはある。悪いな」
「……はい」
断ったはずだった。けれど、「家族なのに、わからない」──その言葉だけが、妙に残った。
その数日後。カフェ・リュールの入り口前、午後四時すぎ。
「……いた」
桐島が店の前で立ち止まると、電柱の影から顔を覗かせたのは、例の少女だった。
制服にピーコート。髪を二つに結び、手には小さな紙袋。
「……待ってたのか?」
「ちがいます。偶然通りかかっただけです」
「……つくなら、もうちょっとマシな嘘にしろ。
数日前からこの時間に後つけてたの、気づかないとでも思ったか? 」
「っ……それ、ストーカー扱いじゃないですか」
「嫌ならもう少し隠れ方を学べ。振り返るたびに背中が見えてたぞ」
そう言いながらも、桐島は扉を開ける。
「中、ついて来い。コーヒー飲むくらいなら付き合う」
カフェ・リュールの奥、桐島のほぼ指定席。
女子高生が椅子にちょこんと座り、ケーキセットを前にして手を合わせた。
「いただきます……」
彼女──谷 穂乃花は、遠慮なくフォークを動かしながらも、目線だけはちらちらと桐島を観察していた。
「探偵って、もっと……胡散臭いのかと思ってました」
「そういうのは向こう三軒先のビルにいる。俺はまともなほうだ」
「……そうなんですか?」
「知らん」
桐島がぼそりと返すと、穂乃花はわずかに口を緩めた。
けれど、その笑みは一瞬。すぐに緊張が戻る。
「──母のこと、なんです」
桐島は手元のコーヒーカップに目を落とす。
一方、カウンターの中では、コーヒーを淹れていた詩織が、さりげなく視線を動かしていた。
「……女子高生。コート脱がないってことは、まだ完全には懐いてないわね」
「……なんですか、その観察」
ポットを拭いていた怜が呆れたように言う。
「でも確かに、なんか、こう……見慣れない組み合わせですね。年齢差っていうか、雰囲気?」
「ふふ。怜、気になるの?」
「別に。気になるっていうか……いや、まぁちょっと気になりますけど」
「……その“ちょっと”が一番あやしいんだけど」
詩織は悪戯っぽく笑って、スチームミルクをカップに注いだ。白い泡がふわりと膨らむその先、窓辺の桐島は何も語らず、ただ、少女の言葉を聞いていた。
その日、リュールの午後には、いつもより少しだけ、空気の層が厚かった。




