ep.5 - 探す人(5)肉球のぷにぷに
門の前で待っていたこはるが、桐島の姿を見つけた瞬間、目を見開いた。
「……!」
白くて、小さな毛玉。その鼻先が、ぴくぴくと動いたかと思うと──
「ココっ!!」
こはるは駆け出した。
足音も、声も、涙も、全部いっぺんにこぼれ出る。
ココは桐島の腕から跳ねるように飛び降り、こはるの胸に飛び込んだ。
「ココ、ココ、ココっ……!」
ぎゅうっと抱きしめながら、こはるは泣きながら笑っていた。
「帰ってきた」「会いたかった」「ごめんね」──いろんな言葉がぐちゃぐちゃになって、声にならないまま、頬を伝っていく。
玄関口で、結子がハッと口を押さえた。その顔にも、母親としての安堵があふれていた。
桐島は、少しだけ距離を取りながら、それを見ていた。
その目に、表情は浮かばない。ただ、微かに息をついて空を見上げた。
(……いい再会だった)
誰かが、誰かを大切に思っていて、その気持ちが、ちゃんと届くことがあるなら。
この仕事も、まだやっていける。
そんなふうに思える夕暮れだった。
翌日のカフェ・リュール。
店内は客がまばらで、静かなジャズが空気をなだめている。
桐島は、いつもの奥の席に腰を下ろし、ブラックのカップに口をつけた。
カウンターの中で手を拭いていた怜が、軽やかな足取りでやってくる。
「……ココ、無事だったんですね。よかった」
「運が良かったよ。小さな足跡と、抜け毛一本。あれがなかったら見つけられなかった」
「足跡と毛……なんか、物理的だなあ。いかにも、って感じです」
桐島は小さく笑った。
「“いかにも”の世界でしか、生きてこなかったからな」
怜は、対面に座り、ふと表情をやわらげる。
「でも、それ、“ちゃんと見る人の言葉”ですよ」
「……どういう意味だ?」
「“当たり前”や“些細”なものほど、人はすぐに見過ごす。でも、桐島さんは、ちゃんと拾うじゃないですか。目立たないもの、静かなものを」
桐島は一瞬、視線を外してから、また怜を見た。
「……買い被りすぎだ。見てたけど、言わなかったこともある。たとえば、家族の疲れた顔とか、声をかけてほしかった目とか」
怜は静かにまばたきし、ほんの少し目を伏せた。
「気づくことと、向き合うことは、別ですからね」
沈黙の間に、窓の外で風が一枚の葉を揺らした。
桐島がぽつりと口を開く。
「今回、助けられたのは“見る目”じゃない。……あの子が、ちゃんと見てたからだ。門の音、ココの目線、いつもと違う朝のこと。俺は、それを繋いだだけだよ」
「でも、それを繋げる人がいなかったら、“見る”も“気づく”もバラバラのままでしょ」
怜の言葉に、桐島は少し目を細めた。
「……お前、変にやさしいな」
「褒めたんですけど。伝わらなかったですか」
「伝わったよ。だから、ほら」
桐島は、小さな紙袋をテーブルに置いた。
白地にピンクの丸いシールが貼られていて、「ありがとう」と子どもの字で書いてある。
「……?」
怜が首を傾げると、桐島は視線を袋の上に落としたまま、ぼそりと口を開いた。
「苗村さんから。ココの件での礼だとさ。……中身は、クッキー」
「へえ。で、それを僕に?」
「ああ。お前の言葉がなかったら、たぶん途中で“犬が自分で帰ってくるかも”なんて、安易に考えてたと思う。……火がついたんだ。だから、お前の手柄でもある」
照れ隠しのように言い添えて、桐島は視線を逸らした。
「……俺は、甘いの、あんまり食わないし」
怜は袋を開け、ふっと笑う。
「これ……肉球?」
中には、まるい肉球型に型抜きされたクッキーが五枚。
小さなピンクのアイシングで肉球のぷにぷに部分が描かれている。アイシングはところどころ線がゆがみ、厚みにムラがある。
「たぶん、こはるちゃんが手伝ったんですね。不器用で、でも可愛い」
「そりゃそうだ。あの子、ココの肉球もよく触ってた。似せたんだろうな」
怜はそっと一枚取り、袋を閉じた。
「……じゃあ、ありがたくいただきます。ちゃんと、いただきますよ」
「うん」
ふたりの間に、それ以上の言葉はなかった。けれど、それは埋める必要のない沈黙だった。