ep.5 - 探す人(4)塀の隙間と、小さな毛
桐島は、ココが「いそうな場所」ではなく、“見落とされやすい場所”と“見落とされがちな声”を探すことにした。
すぐ隣のクッキーの家──青い自転車のある家は、まず確認した。
そこにココの姿はなく、「一昨日は留守だった」という返答。こはるの証言にあった“クッキーをくれた”というのは数日前の話で、失踪当日は家にいなかった。
それが逆に、ココがこの家を訪れなかった証拠にもなった。
(なら、ココは“ここにいなかった”理由がある)
道を歩きながら、桐島は地面と庭木の下を目で掃いていく。犬の毛、足跡、落ち葉のかき分け──
ほんのわずか、塀の隙間に白っぽい毛が絡まっていた。
「……ここ、通ったな」
その塀は、ちょうど隣家との境界。低くて足の短い犬でも通れそうな隙間。
その先にあるのは、取り壊し予定の空き家だった。
ガスメーターには古いカバー、ポストにはチラシの束。だが、裏手に回ると、プランターに新しい土が盛られている。
不自然だ。放置された空き家に、新しいプランターの土などあるはずがない。
桐島は、向かいの家を訪ねた。インターホン越しに出てきた主婦が「ああ、あそこなら」と話し出す。
「最近越してきたばっかりよ。でもまだ前のお家の処分とかで、工事は入れてないみたい。島田さんって女性の方なんだけど」
「島田さん……子どもとか、犬を飼っていたり?」
「ええ、保護犬だったかしら。小さい犬、飼ってるって言ってたけど……あ、そうそう! 一昨日の夕方、小さい白い犬を抱えて帰ってくるの、窓から見えましたよ。島田さんが」
(ココだ)
「抱えて……散歩じゃなく?」
「ええ、リードしてなくて。大人しくしてたから、保護したのかなって」
礼を言って通りを戻る。
途中、桐島はこはるが帰る道には入らない脇道を確認した。工事のトラックがしばしば停まるため、子どもには避けられる小道。
その道が、空き家の裏手に通じていることに気づく。
(……死角だな。親子には見えなかったわけだ)
あとは、島田という人物が「犬を拾った認識」でいるかどうか。そして、保護したつもりでいたココを返してくれるかどうか。
桐島は携帯を取り出し、依頼人の住所を確認したあと、名刺を握りしめて空き家の玄関前に立った。
チャイムを押してから数秒、内側で足音が止まり、慎重にドアが少しだけ開かれた。
「……はい?」
現れたのは、四十代半ばの女性。淡い色のスウェットと膝までのエプロン。頬に疲れが残っているが、どこか張り詰めた空気をまとっていた。
「失礼します。桐島といいます。近所で、犬を探している方の依頼で伺いました。もしかすると、そちらで“保護”されたかもしれないと思いまして」
「……犬?」
女性の眉がわずかに動いた。
「白いトイプードルです。名はココ。体重はおよそ3キロ。失踪したのは一昨日の朝。門が開いていて、そのまま出て行ってしまったようです」
桐島は、鞄からスマートフォンを取り出し、こはるが描いたココのイラストを静かに見せた。
「この子に、見覚えはありませんか」
島田と名乗ることなく、女は一瞬だけ目を伏せた。その仕草に“嘘をつく準備”の気配があった。
「……似てる子なら。庭に迷い込んでて。捨てられたのかと思って……」
「首輪は?」
「なかったです。たぶん、落ちたんじゃ……」
「そうですね。リードごと外れて、そのまま……。でも、首の毛に食い込んだ跡は残っていたはずです」
桐島の言葉が、静かに温度を落としていく。
女性の表情が、わずかにこわばった。
「……私、ただ放っておけなくて。あの子、見つけた時、震えてたんです」
「助けてくれたことは、感謝されるべきです。けれど、飼い主が探しています。娘さんが、毎朝世話をして、夜には“おやすみ”と言っていた子です」
女は俯いたまま、手元の床をじっと見つめていた。
「……“拾った”ってのは、その子のためにやることです。でも、“もらったことにする”のは、自分のため。
あなたが優しい人なら、きっと、その違いはわかるはずだ」
女は、沈黙していた。
呼吸の音すら小さくなって、空気の密度が変わった気がした。
数秒、数十秒か、時間が静止したかのように流れ、やがて──
「……家の中にいます。静かにしてて。すごく、いい子なんです」
桐島は軽く頭を下げた。
「娘さんに会わせてあげてください。それだけで十分です」