ep.5 - 探す人(1)小さな依頼
桐島は、秋の光に包まれたカフェの一席で、誰にも気づかれないように、小さく息をついた。
窓際の街路樹は、葉の先をほんのり朱に染め、風に揺れるたびにカサリと音を立てる。店内には、焼きたてのスコーンの香ばしさがふんわりと漂っていた。
彼の前には、革の手帳と、一通の封筒。
封筒から取り出した便箋には、子どもらしい小さな丸い字で、「おねがいします」と一言だけ添えられていた。その下に、母親の代筆で詳しい事情が丁寧に綴られている。
依頼内容は──迷子になった子犬の捜索。
名前はココ。トイプードルの女の子。
子どもが庭に出していたが、目を離した隙に逃げ出してしまったらしい。
「……これは……捜査とは、言えないな」
低くつぶやかれた声は、苦笑と戸惑いを含んで、木目のカウンターに沈んでいく。
怜は奥でガラスのドリッパーに湯をゆっくりと注いでいた。熱い湯がコーヒー豆を通り抜けると、『ポコッ、ポコッ』と音を立てながら、香りを含んだ雫がポットに落ちていく。静かな店内に、その音だけが心地よく響いていた。
「……犬ですか?」
湯気越しにそう尋ねると、桐島が軽く頷いた。
「小さなトイプードル。どうやら、目を離した隙に庭から逃げたらしい」
「そうですか……」
コーヒーの香りが立ち上る間、怜はしばし黙った。
カップを差し出すとき、そのままふと呟くように言った。
「でも、そういうのって、“誰が探すか”で、ずいぶん意味が変わりますよね」
桐島の視線が、書類からそっと離れた。
怜は少しだけ微笑んで続ける。
「たとえば桐島さんが見つけてくれたってなったら……たぶんその子、すごく誇らしくなると思います。“あの人に探してもらった”って」
「きっと、“思い出”になる気がします」
カウンターの中の怜に、窓の光が差していた。
言葉も動きも控えめなのに、不思議と、そこに“人の温度”がある。そんなふうに見えた。
桐島は視線を落とし、便箋の小さな丸い字を見つめたまま、ほとんど呟くように言った。
「……犬より子どもに気を遣う仕事かもしれんな」
怜は静かに、だが穏やかな声音で答えた。
「ええ。でも、きっと桐島さん、向いてますよ。
“ちゃんと気を遣ってるふりをしない人”ですから」
木の椅子が、わずかに音を立てた。それは立ち上がるための音というより、迷いを脱いだ身体が重さを移した音だった。
桐島は、湯気の立つコーヒーに口をつけ、しばし目を閉じた。
決めたというより、すでに受け入れていた。それは、静かな肯定だった。
ココ──その名を、もう一度、心の中で呼んだ。
依頼としては小さなもの。けれど、見つけるべきものが「誰かの安心」だということを、桐島は知っていた。
窓のガラス越しに、落ち葉が風に舞っているのが見えた。くるり、と一枚、回転しながら歩道に着地する。
秋は深まっている。探しものをするには、ちょうどいい季節かもしれなかった。