雑貨店で起きたこと・6
午後の光が、少し傾きかけていた。
カフェ・リュールの窓から射し込む陽射しが、静かにカウンターの木目をなぞっている。
桐島は、いつもの席にいた。
何も言わず、ただブレンドの湯気を目で追いながら、耳を澄ますように店内の音を拾っている。
怜は、カウンターの奥でグラスを拭きながら、ふとその背中に声をかけた。
「……えりかさん、昨日来ましたよ」
桐島は少しだけ視線を動かした。けれど、何も言わない。
「ブルーのワンピースを着てて……たぶん、新しいやつです。
いつもより少し明るい色で、夏らしくて、似合ってました」
怜は手を止めずに、昨日のえりかの言葉を桐島へ伝える。
「“何かされたわけじゃない”って、自分に言い聞かせてた。でも、桐島さんがちゃんと記録してくれて……“感じていいもの”だったんだって、やっと思えた」
「──そう言ってました」
少しのあいだ、二人のあいだに静かな沈黙が流れた。
窓の外では、風にあおられた木の葉がかすかに鳴っている。
怜はその音を聞きながら、もう少しだけ続けた。
「……誰かがちゃんと“見てた”って、それだけで、人は救われるんだと思います。
証拠にならなくても、否定されなかったことが。
“気のせい”じゃなくて、“ちゃんと誰かが受け取ってくれた”ってことが」
語調は穏やかだった。けれど、その奥には、確かな敬意がにじんでいた。
「ありがとうございます。……桐島さんが“見た”ことに、意味があったって、僕は思ってます」
桐島はカップに口をつけたまま、微かにうなずいた。
それが、唯一の返答だった。
怜は、それ以上言葉を重ねなかった。
ただ静かに、昨日の午後の情景を思い返していた。
えりかが店を出たとき──
淡いブルーのワンピースの裾が、陽射しを透かして揺れていた。
その背中が、光を受け止めるように歩いていく様子を見て、怜は心の中でそっと思った。
きっとこの人は、これからも「フレーケン」と一緒にあるんだ。
誰かからもらった“好き”を、今度は誰かに渡す人として。
視線ひとつで、人は少しだけ変われる。
そう思えたのは──目の前にいる、この無口な男のせいだった。
怜は、最後にそっと言った。
「……桐島さんの“見る”って、強いですね」
返事はなかった。
けれど、カップを置く音が、いつもより少しだけ柔らかかった。