ep.0 - はじめに
商店街の一角、少し奥まった路地にある小さなカフェ── Café Lueur。
名前の通り、「ほのかな光」に照らされたようなその店は、通りすがりには気づかれにくいが、どこか足を止めたくなる不思議な空気をまとっている。
古い平屋を改装した店内には、カップとスプーンの音、低く流れるジャズ、誰かのささやかな話し声。
騒がしくはないが、完全な沈黙でもない。
ちょうど良い温度で、誰かの記憶や、まだ名前のない感情を受けとめてくれる。
そんな場所に、ある年の冬、一人の男が通いはじめた。
黙ってコーヒーを飲み、なにかを見て、なにかを考えている。誰にも話しかけず、誰とも交わらず──けれど、その沈黙には、言葉以上の“視線”があった。
カウンターの奥から、その背を見つめる青年がいた。
ふたりは、名前より先に、“見る”という感覚でつながっていく。
季節がめぐるごとに、人々の心の奥にあるものが浮かびあがる。
それは時に、誰かの視線の話であり、誰かの消えた心の話でもある。なかには、血と記憶の交錯する事件や、古い家に残された謎めいたしきたりさえ──
そんな“影”のひとつひとつに、ふたりは寄り添い、そっと踏み込んでいく。
けれど、すべての始まりと終わりには、いつもこのカフェがある。ブレンドコーヒーの香りと、ひとときの沈黙と、まだ言葉にならない想いを乗せて──
やがて、見つめた先に残るものは、消えかけた火ではなく、誰かのための灯であるように。
登場人物
・桐島 修司
元刑事。40代前半。
静かで、無駄な言葉を嫌う。
過去のある事件をきっかけに警察を辞め、今は小さな探偵事務所をひっそりと構えている。
喧騒を避けるようにして、ある日ふらりと「カフェ・リュール」を訪れた。
誰かを裁くより、誰かを“見る”ことを選ぶ人。
その目は、静かな焚き火のように、何かを燃やしながらも、じっと灯っている。
・白川 怜
カフェ・リュールの店員。20代前半。
心理学を学んだ経験があり、人を観察する癖がある。
けれど、相手を決めつけることを恐れ、いつも「そうかもしれない」のまま、言葉を胸に留めてしまう。
他人から貼られるレッテルの中で生きてきたが、桐島の「語らずに、ただ在る」姿に、少しずつ惹かれていく。
見抜こうとはしない。
ただ、知りたいと思ってしまう。
そんな人。
※本作は恋愛作品ではありませんが、登場人物同士の深い心理的な結びつきを描いています。