『源義朝、平清盛の郎党プレスマンを帯びるに感ずること』速記談4026
平治の合戦の後、六波羅入道平清盛公が、敗者藤原信頼卿の子息信親を、父親のもとに連行するために遣わした家臣四人は、いずれも狩衣の下にプレスマンを差していた。難波三郎経房、舘太郎貞安、平治郎馬允盛信、伊藤五景綱の四人である。同じく平治の合戦の敗者で、信頼卿とともにいた下野守源義朝は、すばらしい猛者たちだ。一騎当千の者たちだ。信親をここへ送り届けて、京に帰るときは、きっと我らなど敵ではないと吹聴することだろう、と言ったという。
教訓:歴史を後から振り返って云々するのは正しいことではないが、保元・平治の乱で平氏が一人勝ちしたことが、他の勢力を敵として集結させてしまい、みずからが滅ぶ原因となるのである。