8. 援軍と乱心
フェルディナンド王国からの要請を受けて、オルフェリア帝国騎士団すでに動き出していた。
召喚魔法が発動されてからというもの、胸騒ぎが止まらなかったシェリスは、一報が届き次第、すぐに出られるように騎士団員を待機させていた。
(王都まで、そんなに距離はない••••••。魔族たちが現れる前に、辿り着けるはず。だが、それ以上に気になるのは、アンナからの報告書だ——)
駐屯地を出て、フェルディナンド王国の王都へ向かうべく、馬を走らせ、隊列を成し、その先頭で風を切りながら走るシェリスは、アンナからの報告書を思い返していた。
『召喚魔法は問題なく発動いたしました。ですが、正直、私自身も事態をどう受け止めたらよいのかわかりません。なので、私の目の前で起きていることをここに記します。あとは、シェリス様ご自身で、確かめていただければと••••••』
良からぬことが起きている、と十分に伝わる書き出しだった。
『召喚魔法によって、異世界から呼び出した聖女様は、我々人類には存在しない黒髪と黒瞳を持つ少女です。その姿は、かつて魔族を先導し、世界を滅ぼしかけたとされる翠髪の魔姫と同じ特徴です。それに、彼女が保有する魔力量は膨大で、身体から外に溢れ出し、周囲が歪んで見えるように感じます(••••••これ以上は文字で記し難いです)。ハイン卿は彼女を一目見て、魔姫の再来と考えたようで、聖女様を拘束し幽閉しております』
アンナの報告は、さらに続いた。
『聖女様に接触するため、食事の配膳役を担いました。正直、会うのは怖かったです。ですが、彼女は魔姫と同じ特徴を持つ以外、普通の女の子です。むしろ、彼女の振る舞いは、魔力を持たない一般人のそれと変わりません。熟したフラグラの果実を、美味しいと嬉しそうに囓るのです。それに、去り際には手を振ってくれました。友達になりたいくらいです。フェルディナンド王国は魔姫に対して強い忌避を抱く国ですが、勝手に召喚しておいて、何の躊躇いもなく、行って良い待遇ではないと考えてます。シェリス様。どうか、彼女を。マリナ・アヤツキを保護していただけませんでしょうか』
普段は丁寧な字で、日報や報告書をまとめるアンナだが、この報告書の筆跡は荒く、殴り書きされていた。マリナ・アヤツキを案じる想いと、助けてくれと懇願する気持ち、が共存しているように思えた。
他国であること、マリナという存在、いまのアンナにとって、手に負えない状況なのだろうとシェリスは、そう考えていた。
(周囲を歪ませるほどの魔力を放つのであれば、魔族が何も感じないはずはない。それに——王都とは離れた位置——あの森の方から妙な気配を感じる)
「シェリスよぉ。すでに、敵は動いてるんだろ? 出遅れてんじゃねえのか? あいつら、行きたい場所に移動しようと思えばできるだろうよ」
背後から、ヴォルフが言う。確かに、魔法を駆使すれば、瞬時に行きたい場所へ移動することも可能だろう。
「分かっている。だが、アンナからの連絡にあったが、聖女様は相当な魔力を放っている。であれば、魔族もかなり警戒しているはず。その隙に、我々は到着する」
「さて、どうだろうね……。あの黝魔が動いてるとすれば、悠長なことしてないと思うが。まあ、俺としては、斬れるやつを斬るだけなのは変わりない。俺たちは、そのために存在してるんだからな」
1年前にシェリスが対峙して以降、黝魔の存在、そしてその強さは、帝国騎士団内では常識となっている。
「その通りだ、我々は民を守るために剣を振るう」
(そう。たとえ翠髪の魔姫の特徴と同じものを持とうとも、アンナの言う通り『ただの女の子』であるならば、我々が守るべき民だ)
シェリス率いる隊列が進む前方の彼方に、フードを被った人物が馬に乗り走っている。その人物は、帝国騎士団の隊列に並走するように、徐々に馬の足を緩めさせ、隊列の先頭を走るシェリスの横に並ぶ。
その人物は、フードを外し顔を露わにする。帝国騎士団、魔法師部隊に所属する男だ。
「シェリス様、アンナさんからの言伝です」男が言う。
「聞こう」と、シェリスは馬の足音にかき消されぬよう、声を張って答える。
「『ハイン卿の仕業によって、聖女様の行方を掴めなくなりました。今回に限っては、ハイン卿への礼節なんか気にせず、シェリス様が持つ直感に頼らせてください』とのことです」
(まさか、あの気配の正体は聖女様なのか——? だったら、なぜあの森の方へ——)
「わかった。君は王国兵に悟られぬよう、元の配置に戻りたまえ」
男は馬を失速させ、隊列から外れていく。
シェリスは、後方を走る団員たちに向かって背中越しに指示を出す。
「私は一時離脱し、聖女様がいるであろう場所に直接向かう。ヴォルフとその小隊は私に続け。それ以外は、このまま王都に向かい、私の代わりにハイン卿の相手をしておいてくれ」
シェリスの指示を聞き、揃っていた馬の足並みが、徐々に二手に分かれていく。シェリスを含む小隊6名は、進路を変え、森の方角へ駈歩で進む。
「騎士長、向かう先に魔族らがいると••••••?」先ほどとは違い、冷静な面持ちでヴォルフが訊く。
「わからない。だが、そこに行けば必ず現れる。そして、我々が守らねばならない存在も、そこにいる」
(まだ見ぬ聖女様、どうかご無事で••••••。シェリス・ライオネルが、いま貴女様の元へ向かいます)
****
突然開く扉に、振り向くマリナ。扉の前に立っていたのは、アンナだった。
「ア••••••アンナさん••••••?」
マリナは、知った顔の人物が姿を現し、驚愕と安堵から腰が抜ける。先ほど目撃したものが、マリナの脳裏にあったため、アンナの姿を見た途端、その心配がないと感じ、急に体の力が抜けたのだ。
崩れ落ちるマリナを見て、アンナがすぐさま駆け寄る。
「マリナさん!!! お怪我はないですか!?」
「だ、大丈夫です••••••」
(こ、腰抜けちゃった••••••。恥ずかしい••••••)
不意に、マリナは紅潮する。
「よかった••••••。さすが、シェリス様。進路を変えた方角の先に、本当にいた!」
そう口にしながら、アンナはマリナに向けて手をかざす。手を模るように金色に光る線が浮き上がる。時を同じくして、アンナの手を覆う光と同じものがマリナを包む。
「シェ••••••え? だれですか••••••? あと、これ何を••••••」
(この世界の人たち、毎回、何の説明もなしに何かしようとするの、どうにかなんないの!?)
集中している様子のアンナに向けて声にはしないものの、心の中では不満が煮えたぎっていた。
(文句を言えない、わたしも悪いんだけど——!)
「ごめんなさい! ひとまず、これで多少の怪我は防げます。細かいことは、あとでちゃんと説明しますから! いま、ここは最も危険な場所です。早く出ましょう!!!」
アンナがマリナの手を引く。先ほどまで、腰に力が入らなかったが、アンナに施された魔法のおかげか、マリナはすんなり立ち上がり、アンナについて行く。
(危険って••••••。やっぱり、さっき人が倒れていったのって——)
不安を噛み締める暇もなく、今度は背後から凄まじい音が響く。
ドドォォォォン!!!
2人が部屋を出るあと一歩というところで、塔を揺らすほどの大きな衝撃が走った。マリナが振り返ると、先ほど顔を覗かせた窓があった壁は破壊されており、部屋中に砂塵が舞っていた。
そして、舞う砂塵の奥に、人影が浮かび上がる。
アンナは、マリナの手を強く引き、自身の背後にマリナを匿う。アンナの背後から、マリナは顔を覗かせ、周囲を観察する。
砂塵が夜空に吸い込まれるように、次第に引く。室内に散らばった瓦礫には、黝い炎を灯っている。
黒装束に身を包み、黒紫色の髪が穏やかに揺れていた。
空に浮かぶ星たちは、彼のために輝いているように見えた。
カイル・ヴェルディスが満天の星空を背に、マリナの前に姿を現した。
(綺麗な顔——! それに——この人——)
マリナは、その黒い瞳でカイルの顔じっと見つめる。カイルもまた、黒紫色の瞳で、マリナを見つめ返していた。彼の瞳は、まるでやっと会えたと、マリナに伝えているかのように穏やかだった。
互いに見つめ合う時間を遮るように、アンナが2人の間に割って入る。
(嘘でしょ——。よりによって、黝魔が——)アンナの背筋に緊張が走る。
「マリナさんのことは、死んでもお守りしますから!」
アンナが血相を変えて言う。
だが、そんなアンナの姿に、マリナは違和感を抱いた。
「な、何からですか••••••?」マリナが訊く。
「何からって••••••。目の前にいるじゃないですか!」
「目の前って••••••まさか••••••」
マリナは息を呑んだ。マリナの目線の先は——カイル・ヴェルディス——彼しかいない。
「そうです! あれが••••••魔族です」
マリナは、再びカイルの方に瞳を向ける。星夜を纏い、わずかに紫を感じさせる黒髪を靡かせ、彫刻のように整った顔に飾られた黒紫の瞳を持つ、見目好い1人の男性。
(彼が——魔族?)
アンナの放った言葉の意味が、マリナには分からなかった。
ここまで、読んでいただきありがとうございます。
まだまだ拙い文章ですが、このまま次章も読んでいただけると嬉しいです。
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