7. 沈着と襲撃
天と地を結ぶ光の柱が夜を照らした日を境に、ヴェルディス王国は殺伐としている。一瞬にして、息を忘れるような濃い魔力が大気を覆ったのだ。何か良からぬことが起きたことは、一般人である国民にも理解できる。
国民からの不安と闘志溢れる声を、カイルはルシアンから聞かされていた。
「ありゃ、なんだったんだ」
「わたしたちは、攻め込まれるのかい?」
「戦いになるんだろう••••••?」
「ルシアン様。俺たちも、戦うぞ!」
「万が一のときは、子どもたちを安全なところに匿ってもらえますか?」
「ルシアン様! 我々にも戦わせてください!」
「あんな魔力を飛ばしてくるなんて••••••ふっかけてきたのは向こうだ! やってやるぞ!」
「カイル様なら、勝てるんだよね?」
カイル自身も、何が起きたのか理解しきれていない。ただ、聖女召喚という魔法が行使されて以降、フェルディナンド王国の方から夥しい魔力を放つ者が存在していることだけは理解できる。
魔力への感度が高いヴェルディスの民でさえ、遠く離れた距離にいる人間の体内を流れる魔力を感知することは不可能である。だが、国を跨ぐほどの距離があるにも関わらず、聖女と思しき人物の魔力をカイルは確実に感じ取れていた。
(早く確かめたい、この魔力の持ち主を——)
ヴェルディス王国の南部。そこには、東西に大きく広がる森林——ヴェルディスでは、ジニウスの森と呼ばれている——がある。
ジニウスの森は広大なこともあり、未確認の動植物が度々確認されるほどだ。この森を抜けると、フェルディナンド王国に繋がっている。
カイルが率いる魔法師部隊——ヴェルディス王国軍——は、聖女が召喚された日の深夜には、ジニウスの森の深く、フェルディナド王国の近郊に宿営地を設置した。
そこに用意された専用のテントで、カイルは待機中だ。
アルフレッド——カイルの父であり、ヴェルディス国王——は、秘密裏にフェルディナンド王国に密偵部隊を送り込んでいた。
先日、彼の口からカイルたちが聞かされた召喚魔法についての情報は、この密偵部隊が入手したものだった。
カイルたちは、その密偵部隊に所属する隊員の1人、クロト・ウェルザーの帰還を待っていた。
(フェルディナンドは当然として、おそらくオルフェリア帝国も召喚魔法に一枚噛んでいるはずだ。他の国々も、関与している可能性はあるが、フェルディナンドとの関係は、良くないという噂もある——。まずは、フェルディナンド、オルフェリア、この国の動きだけは把握しておきたい)
ジニウスの森に関して、カイルは1年前に出会った1人の男を思い出す。
(それに、あの金髪——シェリス・ライオネルは、いまフェルディナンドにいるのだろうか)
1度だけ戦ったことがある、その男をカイルは良く覚えていた。
カイルが正式にヴェルディス王国軍魔法師部隊を率いることが決まった年に、このジニウスの森で出会った。
****
戦意を喪失し、次々と倒れていく王国騎士と帝国騎士たちが、彼を名を呼んでいた。
『シェリス・ライオネル••••••あとは頼んだ』
目の前の騎士たちが期待を込めて呼ぶ男の名。
(誰だ、それは——)
ユーステリア大陸、最大の国力を誇るオルフェリア帝国、その帝国騎士がこうもあっさりと討て、拍子抜けしていたところで耳にした名前。
カイル自身も、シェリス呼とばれる男に、妙な期待を抱き始めたとき、数メートル離れた先で人の気配を感じた。
(——来たか)
剣を手に、一際目立つ金色をした髪の男を、カイルの瞳は捉えた。
カイルは、前方に腕を伸ばす。そして、その手に魔力を込め、男が持つ剣に向けて、黝い火柱を立てる。だが、その男の素早い動きに、照準がズレ、全く別の場所に火柱が立ち昇る。
カイルは、瞬時に狙いを変え、男の進行方向に火柱を上げる。だが、男はいとも簡単に火柱を躱してみせた。
(この男が、シェリス——)
次第に熱くなっていくカイル。
次々と、黝い火柱をシェリスに向けて放つが、当たる気配がない。むしろ、着々と距離を詰められ、ついには間合いに入り込まれる。
(間合いに——。だが、ここまで近づけば——)
シェリスの剣が、カイルに向かって伸びる。カイルは後方に退きながら、シェリスの四方を囲むようにして黝い火柱を一気に立ち上げる。
切先が、カイルとシェリスの間に立ち昇る1本の火柱を切り伏せる。
その様子を見届けると、魔力を抑え、木々を陰にしながら撤退した。
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魔力もない、魔法も使えない。騎士の勘なのか、魔法を容易く躱し、反撃してくる。カイルにとって、シェリスの動きは人のものとは思えなかった。
(もし、シェリスがフェルディナンドにいるのであれば、彼女の側に——。)
ダッ! ダッ! ダッ!
足音が近づいてくる。
「カイル様、クロトが戻りました」
主人であるカイルのテントを断りもなく無断で開き、報告をするダリウス。普段なら、そのような無礼なことを決してしない。だが、彼もまた、あの魔力に呑まれている者の1人だった。
「わかった」
テントの外では、ノクスやルシアンたち、魔法師部隊の数名が待機していた。その中に1人、全身を覆い隠すように深くローブを被った人物がいる。
カイルが表に出ると、フードを脱ぎ、顔を露わにする——クロトだ。彼は、そのままカイルの足元に跪いた。
「クロト・ウェルザー。帰還いたしました。次いで、報告いたします!」
「頼む」
「フェルディナンド王国軍は、すでに守備の配置につき始めております。オルフェリア帝国騎士団は、通常の倍の人数をフェルディナンドに派遣。その中には、騎士団長のシェリス・ライオネルと、副団長のヴォルフ・エーベルハルトの姿もあります。また、オルフェリア帝国騎士団の魔法部隊は、全員がフェルディナンド王国に滞在しております。おそらく、召喚魔法の手助けをしていたものと思われます」
クロトが一呼吸おいて、さらに報告を続ける。
「そして、肝心の聖女ですが、いま護送されています。行き先は、ジニウスの森を抜けた先に聳え建つ塔です。森を監視する役割を持つ塔ですが、敢えてこの目立つ場所に連行しているようです」
「罠か……?」と、ルシアンが訊く。
「そもそも、その塔っていくつかあるよな。どれかわかっているのか?」ルシアンに続いて、ノクスが訊く。
「場所は、問題ない。魔力を追えば、どの塔にいるかはすぐにわかる。それより——」カイルがクロトの代わりに答える。
(彼女をそんな場所に? こちらとしては好都合だが、ルシアンの言うとおり、何かの罠か? 何が狙いだ——?)
カイルは考えを巡らせる。
「恐れながら」
徐に、クロトが口を開く。
「ハイン卿は、我々と聖女を鉢合わせ、あわよくば亡き者にしようと考えていると推察されます」
「それは、どういうことかな?」ノクスが首を傾げ、訊く。
「召喚された聖女は、黒い髪に黒い瞳をしています。私は、あれほどまでに、黒く輝く髪と瞳をした方に会ったことがありません。その御身は、まるでヴェルディス王国に伝わる——。もしかすると、召喚された方は我々にとっての聖女なのかもしれません」
クロトの言葉に、その場にいた全員が息を呑み、沈黙が走る。
その沈黙を破ったのは、カイルだった。
「まずは、直接会って確かめる。最短でその塔まで向かい、俺がその聖女に会う。援護はルシアンに任せたい。他のみんなは、念の為に、俺が向かう塔とは別の塔を視察しておいてくれ。今回の件について、何か手がかりになることがあるかもしれない」
カイルの指示に全員が頷き、作戦が開始される。
「では、俺が指示する方角にある塔まで、頼む」と、カイルがクロトに言う。
御意、と短くクロトは返事をする。そして、クロトが魔法を発動させる。すると、地面から湧き上がる黒い魔力の膜がドーム状となって、各編成ごとに包んでいく。全員の身体をすっぽりと包み込んだ瞬間、魔力の膜が破裂。膜が破裂した跡には、カイルたちの姿はどこにもなかった。
****
マリナが次に連れてこられたのは、これまでの部屋と比べれば随分と快適な空間だった。
外がよく見えるように、窓がいくつも設置されている。定期的に使用されているのか、清掃が行き渡っており、不快な湿気やカビ臭さを感じられなかった。
(ブランケットもあるじゃん••••••! しかも、厚手!)
思わず厚手の布に頬ずりしながら、寒さに耐えようと体を覆う。フェルディナンド王国の王都にいたマリナだが、今度は王都から離れ大森林の側に建つ石造りの塔だった。
移動までに時間を要し、日が昇る昼間に出たはずだが、すっかり暗くなっていた。
(またヒドイところに連れていかれると思ったけど、もしかして待遇変わった? ホテルの部屋がグレード上がったような感じかな? あとは、お風呂にも入れたらな••••••)
髪に触れる。これまで感じたことのない手触りに幻滅する。
窓から外を覗くと、マリナがいるのは塔の最上部にある部屋であることがわかった。見上げれば、届きそうなくらい空が近くに感じた。
夜空には、一面に星が舞っている。その光景は、まるで自らの輝きを自慢し合ってるようだった。
(——これを絶景っていうんだろうな)
フェルディナンド王国から受けた扱いを忘れそうになるくらい、目の間に広がる景色にマリナの心は奪われた。
誰もが見とれそうな景色を余所に、何やら騒がしい。
「••••••!!! ••••••」
「••••••っ!」
「••••••!」
言葉は聞きとれないが、誰かが何かを話している。場所は、塔の外。マリナが顔を覗かせた、ちょうど真下だった。
下でキラッと星明かりを何かが反射した。暗く、距離もあるため、鮮明には見えない。マリナがぎギュッと目を凝らすと、下では3名の人影が森に向かって剣を抜いているのがわかった。
(••••••何かと戦ってる?)
騎士の1人が、森へ駆け込もうと一歩踏む。その瞬間、槍の様なものが騎士の腹を貫通する。腹を貫かれた騎士は、糸が切れたように地面に倒れた。そして、1人、また1人と、騎士が地面に転がっていく。
硬直する魔法をかけられたわけではない。ただ、いま目の前で起きた人の死に、マリナは目を逸らしたくても、逸らせないでいた。
ドンッ!!!
背後で、部屋の扉が勢いよく開かれる。その音が硬直を解き、マリナは振り返った。
ここまで、読んでいただきありがとうございます。
まだまだ拙い文章ですが、このまま次章も読んでいただけると嬉しいです。
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