3. 魔法と脅威
ヴェルディス王国。
ユーステリア大陸——この世界の全陸地の6割を占める巨大な大陸——の海に面した僻地に存在する小国。
大陸側は巨大な森林が広がっており、他国との交流はないものの、この世界で唯一魔法の適正を持つ人種によってできた国のため、魔法により繁栄をしてきた。
カイル・ヴェルディスは、ヴェルディス王国の王太子である。
紫が混じった黒髪と瞳。首と顔の輪郭の境がクッキリとしており、彫刻のような美形。その端正な顔立ちと、細身であることが相まって遠目からは髪の短い女性にも見えるが、首から下はしっかりと鍛えられているため筋肉質である。
この日の公務を終えたカイルは、従者であるダリウスに自室で休むと伝えたいが、肝心のダリウスの姿が見当たらない。
カイルが幼少の頃から、ダリウスは側付きとして仕えており、何かあればすぐに対応できるように、常にカイルの側をついて回る彼が、この数時間は姿を見せていない。
(どこで、なにをしているんだ••••••。まあ、いい)
休息を邪魔されないよう、事前に伝えておきたかったが、こちらから探すのも手間だ。自室に戻る道中でダリウスに会えるだろうと思い、カイルは王宮内にある執務室を後にした。
執務室からカイルの自室までは歩いて15分ほど。
王宮は4棟から構成されており、東西南北で分かれている。西棟には主に魔法師部隊の宿舎と訓練場などがあり、魔法師部隊を率いているカイルの執務室も西棟にある。その西棟から、謁見の間や王族の私邸がある北棟に向かう。
西棟から北棟へ移動し、自室前まで辿り着くその間、 魔法師部隊隊員とはすれ違ったものの、ダリウスが姿を見せることはなかった。
(結局、会えずか••••••。仕方ない)
カイルは自室の扉に向けて、そっと手をかざす。かざしたその手の輪郭に沿って、黒紫色の光が浮かび上がる。そのまま手をゆっくり右へ動かしていくと、手の動きに合わせて、禍々しい黒い文字が宙に浮かび上がる。
邪魔されたくない気持ちが、その文字には込められていた。
<もう休む>
(これでいいか。——消える前に、ダリウスは気がつくだろう)
この世界の魔法は強い想念と魔力量で決まる。頭の中で思い描いたものに、体内の魔力が反応し具現化する。
どれだけ豊かな想像力があっても魔力が少なければ具現化できず、有り余る魔力を保持していても想像できなければ魔法は発動しない。
魔法を思い描き続ける集中力が途切れれば、具現化した魔法は消滅する。そして当然、魔力が尽きれば魔法は消滅する。体内を血管と同じように巡る魔力を宿す彼らにとって、魔力が尽きるということは命も尽きるに等しい。そのため、通常は魔力が尽きる前に自ら魔法を断つ。
金色の細かな刺繍や装飾が施された、カイルにとって堅苦しいジャケットをベッドに投げ捨てる。そのまま、シャツの首元を緩め、窓際のソファに腰掛ける。
窓を開けると、澄んだ冷たい夜風が、紫がかったやわらかい黒髪を揺らす。
(——静かだ)
夜も更け、多くの者は寝静まっている。穏やかな夜風によって揺らされる枝葉が互いに擦れ合い、その音だけがカイルの鼓膜を刺激する。
ダッ! ダッ! ダッ! ダッ!
足音が王宮内の廊下から聞こえてくる。カイルの部屋の方へどんどん近づくその足音の主によって、カイルの安息は終わりを迎えることになる。
バンッ!!!
勢いよく扉を変えたのはダリウスだった。墨を薄めたような色の髪と瞳。背丈はカイルと大差はない。
扉前に立つダリウスの顔には、働き疲れではなく、別の何かが乗っていた。
「扉の前の文字は見なかったのか」カイルが顔を見ることもなく言う。
「カイル様。陛下がお呼びです。至急、お支度願います」
(こんな時間に……?)
徐にダリウスの表情を伺う。
その顔は、『1秒でも早く立ち上がって、向かってくれ』と、今にも言いたそうであり、首から下もそわそわとしている。
カイルは立ち上がると、そのまま部屋を出る。開け放しの窓を閉め、ベッドに投げられた上着を手に、ダリウスは慌てて先に部屋を出たカイルを追いかけていく。
「何があった?」
追いついたダリウスからジャケットを受け取り、羽織りながら要件を訊く。
「実は、私も詳しく知らされておりません。ただ、急ぎカイル様を、と。余程、お急ぎなのか陛下ご自身も慌てていらっしゃいました。ノクス様やルシアン様も、お声がかかっており、すでに謁見の間へ向かっているかと思います」
(••••••その様子だと、ルシアンが何かしでかしたわけではなさそうだな)
カイルは、気を引き締めた。
ルシアン・フォルティス。
カイルと同じ歳の青年。陽気な性格で、よく街に出ては酒場で知り合った人たちと朝まで酒を交わす。女遊びも目に余ることが多々あり、女性をめぐって問題を起こした際には、何度も王太子であるカイルが仲裁に入ったことまである。
それでいて、魔力量を多く有する家系である王国貴族のフェルティス家の長子なのだから、宮廷内も困りものである。
ただ、悪いことばかりではない。それだけ民との距離が近いことで、民意を最も理解している貴族はルシアンだ。加えて彼は、魔力量が多く魔法の行使に長けるためカイルの右腕でもある。
「カイルッ!」
謁見の間を前に、ルシアンがお声と共にカイルに手を振りながら立っている。
カイルよりも紫色が映える髪と瞳。長い襟足を紐で結び、両耳にはピアスをつけ、背丈はカイルより5センチほど低い。
そして、ルシアンの横に、1人の男が立っている。ノクス・レインハルトだ。
カイルやルシアンよりも薄い黒色の髪と瞳の長身。カイルよりも背が高いため、ルシアンと並ぶと尚大きく見える。人と会話をする際には、切れ長の目を見下すような形で向けてしまうため、威圧感があると度々言われている。
ノクスもルシアンと同様に王国貴族であり、カイルやルシアンよりも1つ年が上で、2人の兄のような存在だ。温厚な性格で、平和主義の人物だ。
カイルたちは、同世代ということもあり、幼い頃から3人で過ごす事が多く、王太子であるカイルが立場を忘れて接する事ができるのが、ノクスとルシアンである。
カイルが2人の前に立つ。
「期待に添えず悪いが、俺は何もしてないぜ。さっき、ノクスにも問いただされたが、何もしちゃいない」ルシアンが不服そうに、ノクスを見上げる。
「自覚がないだけの可能性もあるだろう?」と、ノクス。
ノクスは、まだルシアン絡みで呼び出しを受けたと疑っている。
「行けば、分かる」
場を諫めるようにカイルが言い、謁見の間の扉を開く。
部屋の奥には、ヴェルディス王国の国王であり、カイルの父であるアルフレッド・ヴェルディスが玉座に腰掛けている。
アルフレッドとカイルは顔がよく似ている。カイルからが順調に歳を重ね、20年後にはアルフレッドのような顔立ちにるのだろうと、2人を見た者には思わせる。
アルフレッドの横には、王女でありカイルの母であるエレノア・ヴェルディス。背中を覆うほどに綺麗に伸ばされた髪と、カイルと同じ色の瞳。おっとりとした気品のある佇まいをしている。
カイルに向けるその瞳は、慈悲深い母性から生まれる愛情が灯っている。
そして、2人を見守る形で護衛が5人立っている。
カイルたちは、アルフレッドの前で跪く。
「カイル・ヴェルディス、ノクス・レインハルト、ルシアン・フォルティス、ダリウス・フォード。以上、4名。ここに参上致しました」カイルが口を開く。
「楽にして良い」
アルフレッドの言葉に、4人が立ち上がる。
「フェルディナンド王国で、大規模な動きがあった。オルフェリア帝国の魔法兵も召集されている」アルフレッドが言う。
「魔法兵のみですか? 帝国の騎士たちは——?」カイルが問う。
「魔法兵のみだ。おそらく、帝国内の魔法兵は全員が呼ばれている。これは推測だが、召喚魔法を使おうとしているのではないかと考えている」と、頭を抱えるように、額に手を添えながらアルフレッドが言う。
それを聞いた、ノクスが口を開く。
「恐れながら、陛下。彼らが何人集まろうと、それを発動させるほどの魔力は保有してないはずですが……。ありえるのでしょうか」
「召喚魔法は、彼らが伝承によって維持している魔法だ。人から人へ伝えられるその言葉に魔力が反応し続けている。つまり、長い時間をかけ、多くの人に伝えていくほど、魔力は蓄積され、やがて発動できるようになる。だが、その内容や何を召喚できるのかまでは、過去からこれまで情報を得ることができなかったが••••••」
アルフレッドが続ける。
「今回の大規模な人の移動に乗じて、我々の密偵も忍び込ませることに成功した。おかげで、召喚魔法についてようやく情報を得られた。彼らが召喚するのは、異世界からの『聖女』という存在だ。どうやら、我々に対抗すべく、魔法に長けた存在である聖女を召喚しようとしている」
アルフレッドは王座に浅く座りなおし、王としての視線をカイルに向ける。
「カイルよ。ノクスとルシアンを連れ、お前は——」
カイルに勅命を下す直前、アルフレッドは喉を突き刺されたような感覚に陥った。
その異変は、その場にいた全員。いや、ヴェルディス王国の民全員が感じるほどのものだった。
息が止まるほどの夥しい魔力が大気を一気に呑み込んだ。
夜の静寂に包まれていたヴェルディス王国内は、夥しい魔力によって騒然とし始めた。ある者は家の窓から身を乗り出し、ある者は咄嗟に身を守る魔法を展開。ある者は、魔力にあてられ体調を崩している。
王宮内に待機していた魔法師部隊も宿舎から飛び出し、隊列を組み始めている。
そして、飛び起きた民たちは、一点を見つめていた。それは、謁見の間にいるカイルたちも同様だった。窓越しに、全員の瞳に映るのは、天と地を結ぶ大きな黄金色に輝く光の柱だった。
(こんな魔力を持った奴が召喚されたってのか••••••!?)
柱を見つめるルシアンの両手は武者震いをしていた。震える手に気づいたルシアンは、気を落ち着かせようと強く拳を握る。
(夥しい魔力••••••、我々は、いまから何と戦うのだ••••••)
ノクスは、ゆっくりと固唾を呑んだ。
その黒紫色の瞳に光の柱を映した瞬間、カイルの中で眠っていた何かが目醒め、ある想いがカイルを突き動かそうとしていた。
(••••••彼女に会わなければ。今すぐにでも)
一同が光の柱に瞳を奪われている中で、カイルが徐に口を開く。
「陛下」
謁見の間にいた全員がカイルに注目する。
そして、カイルは続けた。
「我々の脅威となる聖女——。私が殺して参ります」
ここまで、読んでいただきありがとうございます。
まだまだ拙い文章ですが、このまま次章も読んでいただけると嬉しいです。
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