2. 日常と異変
時は、すこし遡る——。
講義の終わりを告げるチャイムがキャンパス内に響く。
(よし、おしまい! バイトもないし、さっさと帰ろう)
教科書類をそそくさとカバンに詰め込むと、足早に講義室を立ち去ろうとする。
大学進学を機に上京して丸1年が経ったものの、講義終わりに一緒に出かけるような仲の人は未だにいない。
「真璃那ちゃん、もう帰るの?」
「今日もバイト?」
「いつも、なんか急いで帰るよね」
後ろの席に座っていた女子3人組が、真璃那に話しかける。彼女たちは、進級した日を境に、ここ2週間ほど真璃那が座る席の真後ろを陣取っている。講義の合間、休憩中は、特に話しかける素振りがないが、真璃那が帰る支度をすると、こうして声をかけてくる。
彼女たちは講義中にも関わらず口は止まらないグループだ。コンパがなんだ、あのドラマがどうだ、今度ここに行こう、彼氏とは最近こうだ、例の先輩から連絡が来た、など延々小声で喋り続けている。
真面目に講義を受ける真璃那にとって雑音ではあることは確かだが、たまに聞き耳を立ててみることもある。全く知らない単語が次々と耳に入ってくる。ただ、真璃那にとって一般的な女子大生を知る術でもあった。時には、聞くに耐えない破廉恥な内容が流れてくることもあり、聞いている真璃那が恥ずかしくなり、咄嗟に後ろを睨んで黙らせてしまうこともある。
女子大生を謳歌する彼女たちとは相容れないと人種と思い、真璃那は一線を引いている。
「そう、ごめん。またね」
(今日も声掛けられた••••••。実は友達だと思って話しかけてくれていたりして••••••)
彼女たちの方を横目で振り返る。先ほどと変わらず、席に座って談笑し、特に自分を追いかける様子もないことを確認する。
(帰ろ、帰ろ! 家でアニメ『闇堕ちヒロインの救い方!?』を見なきゃいけないんだから! )
真璃那はカバンの持ち手をギュッと強く握り直して、講義室を逃げるように出て行った。
他人に話しかけることが苦手な真璃那は、友達作りが苦手だ。話したい相手がいても、声をかけてもらうことを待ってしまう。ただ、いざ声をかけられると、慌ててしまい何と返せばいいのかわからない。故に、素っ気ない言葉を返してしまうのだ。
そのため、いつも機嫌が悪い人、真璃那に嫌われている、怖い人、などと思われていたり、直接言われたこともあった。そのうち、人とのやり取りを減らすようになり、短い業務連絡のようなやり取りだけとなった。
今となっては、声をかけてもらることは喜ばしいが、それ以上に真璃那はさっさと篭りたいのだ。自宅という楽園に。
キャンパスを出てからは、バスで移動する。
車中では、シャンプーとトリートメント、ヘアオイルの予備をネットで注文した。
(これで、必要なストックは揃った——)
真璃那は満足気な顔で、続けてコスメ関連のレビューサイトを開き、慣れた手つきで画面をスクロールし、ヘアケア商品のページを開く。
母親のこだわりで、真璃那は幼い頃から髪の手入れには力を入れられていた。
「真璃那の髪は、翠の髪なの。だから、ちゃんとお手入れを欠かさないように、大切にするのよ。お友達にも羨ましがられると思うわ。あとは、この髪を綺麗だと言って、同じくらい大切にしてくれる男の子を好きになりなさい」
母親がよく口にし、綺麗になるようにおまじないをかけながら、幼い真璃那の髪を櫛でやさしく梳かしてくれていた。その甲斐あって、真璃那の髪は、絹のようにしなやかで、光を反射し帯のように太く真っ直ぐに揃ったツヤのある髪に仕上がっていた。
(あれ、この商品の評価、前見たときより上がってるじゃん! やっぱり、いいのかな••••••)
レビュー画面から慣れた手つきで購入画面へ遷移させ、ものの数秒で新しいヘアオイルを購入する。
(よし、オッケー。今日は帰ったら、溜まってるアニメを数本見なきゃ。何から見ようかな••••••。惰性で見ちゃってるものは、ご飯の支度しながら流すとして)
帰宅後のアニメ鑑賞スケジュールを頭の中で描きながら、バスを降車。バス停から5分のところにある自宅マンションまで足早に向かう。
マンションに着くと、エントランスにあるオートロックのドアを素早く解錠。エレベーターを待つ時間はもったいないと思い、階段で3階まで登る。自宅の玄関扉まで駆け寄り、なめらかな動作で家に入る。
(ただいま!)
玄関で脱いだ靴を揃え、リビングへ向かう。
手に持っていたカバンは定位置であるベッド横のカゴの中に置く。着替えようと、ベッドの上に畳んで置いておいた部屋着に手を伸ばす。
その瞬間、突然何かが目覚めたように床が脈打つと、体が浮いたような感覚に合わせて、足元の床が金色に発光し始める。
「ひゃっ! なに!?」
次第に、魔法陣のようなものが、金色に輝きながら床に浮かび上がる。魔法陣は次々と神々しい光を放ち続け、あっという間に部屋ごと真璃那を飲み込む。ぱちぱち、と瞬きをした間に、視界は黄金色に塗りつぶされた。
「——えぇぇえ!」
どんどん強まっていく光の中、この後見に起こるであろう展開を頭の中で描き始める。
(これって、まさか! 私が!?)
ドッ、ドッ、ドッ。
痛いくらいに、胸が鳴り響く。
異世界転生や転移する作品をいくつか見たことがある真璃那にとって、まさにアニメや漫画で見たものが、現実と化そうとしていることに興奮していた。
(まさか、私が異世界に!? 聖女や勇者とか、なっちゃう!?)
視線の奥から徐々に光が弱まっていくのを感じ、緊張から思わず全身に力が入る。光が薄まり、もうすぐ視界が開けると思ったそのとき、真璃那は何かに気づく。
(••••••あれは、なに?)
黄金に輝く光の中で、かすかに揺れ動く何かをとらえた。
(あれは、人••••••? こっちに••••••向かってる••••••?)
真理那が見つけたのは、黒と紫の色の靄で、人間の女性を模した影となっている。大きさは真璃那の背丈と同じくらい。顔の部分に表情は見受けられないが、瞳が真璃那をじっと見つめている。
その瞳は穏やかで、真璃那が気づいてくれたことを喜んでいるかのようだった。
影が真璃那に近づくにつれて、軌跡を辿るように真璃那を包んでいた光が黒と紫に変色していく。
真璃那が腕を前方へ伸ばせば影を貫通しそうな距離まで、近づいたところで止まった。そして、真璃那を迎え入れるかのように影は腕を広げたあと、そのまま抱きしめるような身振りをして、光が消滅する前に姿を消した。
(誰だったの、いまの? 女の人だったと思うけど。それに、なんだか体が••••••)
言葉にし難い、第六感を刺激するような電撃が身体を駆け巡ると、頭と両瞳が妙な熱さを帯び、視界が霞む。
黄金と黒紫色の光が消滅する。
光の消滅に合わせて、真理那の霞んでいた視界も回復する。すると、真璃那の瞳に飛び込んできたのは、先ほどまでリビングではなく、見知らぬ場所で、見知らぬ人たちに囲まれている光景だった。
瞳孔が開く。真璃那の胸に、興奮と動揺が交錯した。
ここまで、読んでいただきありがとうございます。
まだまだ拙い文章ですが、このまま次章も読んでいただけると嬉しいです。
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