我らの正義
今、一人の男が獄舎の窓から外を眺めている。男の顔に生気はなく、剃り残したひげがうっすらと顎を覆っている。男は強盗の罪で七年の懲役に服している最中であった。男は今年、27になる年で、結婚はしていない。なぜ、この男は刑務所に服役することになったのか。彼はどのような人生を歩んできたのか。この物語はすべての人間に共通する一つのテーマを提示するものである。
男の名前は高宮拓真、大阪のとある地方で三人兄弟の末っ子として生まれた。彼には年の離れた兄が二人おり、一番上が昭仁、真ん中は治樹といった。父は地元で診療所を開いている内科医であった。母は専業主婦で、三人の子供を大層可愛がって育ててきた。なかでも末っ子だった拓真は特に可愛がられ、幼いころの彼は周りから叱られるという経験がほとんどなかった。それでも三人の兄弟は仲が良かった。もっとも拓真がいたずらをしては、代わりに兄が監督不足で母に叱られるという場面が度々ありはしたが。
そんな中で愛情を惜しみなく受けて育てられた拓真は、物心つく頃には自分にはしつけというものが足りていないと自覚することがあった。しかし彼はそんな時、それを自覚することこそあれ、自分ではどうすることもできない歯がゆさに苦しめられた。自分では周りの大人たちの対応を変えることはできないし、自分の方でもどうすればもっと責任感というものが持てるようになるかと苦悶する日々が続いた。しかしそれでも彼はとにかく日々を生きていかなければならなかったし、その事を誰かに相談することも出来ずにいた。
この時から、彼の中である一つの漠然とした考えが浮かんできた。それは自分は将来きっと立派な大人になるだろうという想念である。この予知にも近いような感覚は、何の根拠もなかったけれど、彼の中で確かな根を張っていた。
彼は小学校に通っている間は比較的、真面目な生徒だった。宿題もそつなくこなしたし、テストでもいつも上位を占める成績を修めていた。しかし、小学四年生の頃、算数の授業で彼はどうしても解けない公式と出会った。彼はその公式を解くために十二時間以上の時間をかけたが、結局解くことはできなかった。彼はいわゆる完璧主義者だった。その解けない一問のために、彼の勉強に対する熱意はすっかり冷めてしまった。なぜこれほど苦しい思いをしてまで勉学に励まなければならないのか。勉強をしたからといって、必ず幸せになれる保障など、どこにもない。病気や事故で若くして夭折するかもしれない。周りの生徒を見ていても、どうして彼らがこれほど一生懸命なのか、彼には理解できなかった。
それ以来、彼は勉強をしない子になってしまった。学校の宿題は答えを丸写しし、テストの成績も目に見えて下がっていった。友達と遊ぶ約束だけは守るが、それ以外のことはすべてうっちゃってしまうようになった。この頃も母は特に拓真を叱りつけることはしなかった。ただ時々、思い出したように勉強をしなさいよと小言をいうだけであった。
そんなある日、彼が小学五年の頃、クラスで一つ上の上級生たちと体育館でドッジボールをするというイベントがあった。このイベントは上級生たちとの交流を促すという目的ではあったが、実際、拓真の目には上級生たちが一方的に下級生をいじめているようにしか映らなかった。この公開処刑にも似た状況から抜け出すために、試合の途中にも関わらず、拓真は体育館の裏の倉庫に隠れてしまった。この時、彼の脳裏にはふたつの主張が対立していた。一つは自分だけ逃げるのは卑怯で、女子も戦っているのだから、早く皆のもとへ帰るべきだというものである。もう一つは一人ぐらいいなくても皆気付かないから、やはりこのまま試合が終わるまで隠れていようという気持ちである。彼は臆病風に吹かれていた。結局、悩んでいる間に試合は終わり、彼はこそっとばれないように皆の列に加わった。
この頃から彼は徐々に卑怯な行動をとるようになった。それは彼自身も自覚していることではあったが、彼にはどうすれば自分の良心に従えるのか分からなかった。教育とはこの意味において偉大である。人に為すべき道を授け、正しく生きることを教えてくれるからだ。
彼も完全な馬鹿ではなかったから、自分が権利を獲得するためには、社会に対して義務を果たさなくてはならないと分かっていた。しかしこの頃の彼はほとんど道楽に耽っていたし、努力することを忘れていた。
ある時、小学校で同級生の知的障害のある女の子と会った時である。この子は重度の知的障害で話すことが出来なかった。それでも拓真は同席した別の子と話しながら、ちらちらとその子のことを気にかけていた。その時である。突如、その女の子が拒絶の態度を拓真に見せたのだ。はじめ、彼はなぜ自分がこの子に嫌われているのか、理解できなかった。ずいぶんあとになって、彼はなぜ自分がこの時、その子に拒絶されたのか理解した。彼女は知的障害こそあれど、高貴な人間とそうでないものとを見分ける能力があったのである。
拓真の生活は徐々に、だが確実に混沌としたものになっていった。それは目にははっきり見えないが、確実に十二歳の少年の心を蝕んでいった。この時の彼には友達というものは存在してはいた。しかし極度に周りの目を気にするようになっていた彼は、心から友と付き合うことは出来ずにいた。
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勝俣久常は二人兄弟の兄として生まれた。静岡のとある地方に生まれた彼は、幼いころに両親が離婚して、母が女手一つで二人の息子を育ててきた。小さい頃の彼はいたずら好きで腕白な少年だったが、母と弟のことを気にかける優しい子だった。母親は息子たちを立派な大人に育てたかったので、小さい頃から二人に剣道を習わせていた。久常もかなり真面目に練習に励んでいたし、楽しんでもいた。
小学校の頃の彼はごく普通の少年だった。勉強は得意ではなかったが、武道に懸命に励んでいた。地元の剣道大会でもそこそこの成績を収めていた。友達もそれなりにいたし、特に生活に不自由するということもなかったので、幸せだった。久常の母は子供のしつけに特に厳しい方だったので、小さい頃から二人には贅沢をさせないで、家での勉強も厳しく管理した。久常はそんな母を疎ましく思うこともあったが、働きながら家事に子育てもこなす母を尊敬してもいた。
ある時、学校から五人組で下校している途中、ちょっとした事件が起こった。ある生徒が先日盗まれた自分のゲームソフトを知らないかと言い出したのだ。久常はこの時、本当に知らなかったので知らないと答えた。他の生徒も同じように答えた。しかしその盗まれた生徒はいや違う、この中に犯人はいると主張したのだ。その子によると先日、そのゲームソフトを持って遊びに行ったとき、この五人が揃っていたが、その遊びから帰ってきた後にゲームソフトがなくなっていることに気付いたというのだ。だからこの中の誰かが盗んだに違いないという。その盗まれた子は四人の内、特にリーダー格の生徒を疑っているようだった。そのリーダーの子は最初は単に知らないと答えていたが、段々自分が疑われていることに腹を立て始めた。ついには「知らないって言ってるだろ」と言ったきり、口を利かなくなってしまった。
それ以降、その盗まれた子はグループから外されるようになっていった。久常も本当のことは分からなかったが、そのリーダー格の子が相手の子を嫌うようになっていったので、なんとなく周りの空気に従って、盗まれた子と話さなくなっていった。
この時、久常は将来、自分はこういう弱い立場にいる人たちの味方になれる人間になろうと思った。彼にははっきりした善悪の区別はなかったが、それでもこのゲームソフトを盗まれた生徒を気の毒に思った。こういう人たちが報われるような社会でなければならないと思った。
そんな久常も中学生になった。中学で彼は迷わず剣道部に入部した。剣道部には男子しかいなかったが、その分、気をつかわなくてよかったから良かった。中学に入っても勉強の方はあまり良くなかったが、部活には熱心に取り組んでいたので、先生からの信頼も厚かった。また元々、面倒見のいい性格だったのもあって、他の部員からの信頼も厚く、三年を迎える頃には部長に選ばれるまでになった。
この頃の彼は実に青春を謳歌していた。部活の合宿では、仲間と馬鹿なことをやって夜を明かしたし、実に充実した学生生活を送っていた。彼は自分がこの部に必要とされていると感じていた。また漠然とではあるが、自分は将来も人の役に立つ人間になりたいと思うようになった。
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高宮拓真は受験を経験し、家から少し離れた所にある中学校に入学した。中学校に入ってからも拓真の生活が変わることはなかった。彼はこの頃、とにかく強い男に憧れていたので、柔道部に入部することにした。柔道部での練習はしんどかったけれども、やりがいのあるものだった。実際、彼は地区大会で三位に入賞するほど、柔道に熱中していた。だが、勉強の方は相変わらずで、まったくといっていいほど、手をつけていなかった。
そのためか彼は事あるごとに自分に不利な立場になると逃げだす癖がついていた。ある時、柔道部の出稽古で一人だけ集合時間に遅れてしまった彼は、顧問の先生に叱られるのが嫌で稽古には参加せず、とんずらをこいて帰ってしまった。そんな時、母は叱ることはなく、ただ心配するばかりで怪我はないかとか色々聞いてくるだけだった。そんなことが一度や二度あった。その度に彼は良心の呵責に苦しめられ、勇気が持てない自分を情けなく思った。
そんな時でも、彼を支えてくれる友は存在した。先生に叱られるのが怖くて、一人逃げ帰った彼を励ましながら、一緒に帰ってくれたものもいた。彼はこの友に感謝していた。彼は自分の弱さが嫌で仕様がなかった。嫌で嫌でたまらない自分を変えられない自分がさらに嫌だった。そんな弱い自分を支えてくれる友のなんと慈悲深いことか。彼は感謝してもしきれなかった。
そんな弱い人間だったので、彼は心底わがままになっていった。家では内弁慶で親に対して横柄な態度を取り、外では周りの顔色ばかり窺うようになった。彼はそんな自分が大嫌いだった。だがどうすれば自分がそこから脱することができるのか分からなかった。
中学にもなると周りの友達の中でも、いじめが見受けられるようになった。彼はいじめる側にもなったし、いじめられる側にもなった。特に中学二年からはいじめられることが多くなった。勉強はしないで、部活にばかり精を出していた彼は、いじめによって溜まった鬱憤を部活で吐き出した。特に同じ部に所属していた同期にいじめられていた彼は、その相手を練習で徹底的に痛めつけた。そんな時、彼は心がすっとするのを感じるのであった。
そんな彼も高校生になった。高校は中高一貫だったので、受験はせずに済んだ。しかし、相変わらず完璧主義者だった彼は、中学の勉強を疎かにしたまま、高校で学びたくないとまた勉強に手を付けることがなかった。高校に入ってからも彼は柔道部に所属していた。この頃には府外から優秀な選手が多数入学していたので、練習も中学の頃のように優しくはなかった。それでも拓真は練習に熱心に取り組んでいたし、やりがいを感じていた。一方で高校に入ると練習時間が伸びたこともあり、ますます勉強しなくなっていたので、成績は下から数えた方が早かった。
そんなある日、彼は柔道部の練習中に膝を大きく故障する怪我をした。後に医者にかかって判明した診断は、右膝の前十字靭帯断裂であった。これはスポーツをするものにとっては致命的な怪我で、彼は医者から腱を移植する手術をするか、それとも放置するか選択を迫られた。彼は医者からリハビリで補強できるとも聞いていたので、手術をしない方向で話はまとまった。
しかし、この怪我が後の彼の選手生命を大きく損ねることになる。この怪我以降、彼は他の部員との練習には参加せず、もっぱらウェイトトレーニングをすることになった。それはそれで筋力が付いたから良かったのだが、肝心の膝は一向に良くなる気配がなかった。それどころか膝が抜ける感覚が日に日に強くなってきた。ついには部活の先輩から、いいかげん練習に参加しろと催促を受けるまでになった。彼は自分でもまだ怪我が治っていないのを感じていたが、先輩に言われたのもあり、無理に練習に参加した。その結果、五分もしない内に彼は膝の抜ける感覚のせいで、練習を離れなければならなかった。
この頃から、彼の唯一の心の拠り所だった柔道への情熱が徐々に冷めていった。彼は練習に参加したいのに参加できない自分を腹立たしく思ったし、他に打ち込めるものもなかったので、荒んだ心情になっていった。一度は柔道部を辞めることを考えたこともあったが、先輩にどう思われるか心配で辞めれなかった。それに辞めた後に、学校で先輩と会った時にどういう顔をすればいいか分からなかった。その後、彼は徐々に学校の問題児と深く関わるようになった。部活に熱心に取り組んでいたかつての彼は消え、もっぱら道楽ばかりに耽るようになった。
この頃の彼は人を笑わせることをなによりの楽しみとしていた。周りにいた悪友たちもおどけたことをする彼を大層おもしろがってくれたし、彼自身、人を笑わせることに快感を覚えていた。この悪友の中でも特に仲が良かった一人と、彼はよく皆の前で漫才をするようになった。一度、地元のお笑い大会に参加したことがあった。この大会には芸能事務所と契約しているプロの漫才師も参加しており、審査員もテレビ番組のプロデューサーだった。彼とその友人は大会の前日から徹夜で練習を重ねていたが、いざ本番となるとその友人が緊張のあまり、セリフを忘れてしまった。彼らはなんとかその場を繕ったものの、結果は散々だった。この結果を受けて、彼の友人は立ち直ることができないほど、ひどい鬱状態になった。一方、彼の方は一度くらいの失敗は何とも思っていなかった。しかし予想以上にその友人がへこんでいたので、彼ももう一度やろうと声を掛けることはできなかった。結局それ以降、彼らが再び漫才をすることはなかった。
そんなある日、学校の行事で音楽鑑賞会が行われることになった。この鑑賞会は毎年恒例の行事で、プロの交響楽団の演奏をコンサートホールで聴くというもので、保護者も入場料を払って参加できるものだ。その鑑賞会の中で一通りの演奏が終わった後、指揮者体験コーナーというのが設けられた。これは実際に在校生の中から数名を選び、指揮者台に立ってもらって皆の前で指揮を体験するというものだった。拓真はこの指揮者体験コーナーがあるのを事前に知っていたので、そこで皆を笑わせるひょうきんなことをやってのけようと計画した。この頃には彼も高校三年になっていて、もう先輩の顔色を窺う必要もなかった。そこで彼が考えたのが、皆の前で指揮棒の代わりにバナナを振るというものだった。さきに断わっておくが、彼は決して皆に迷惑をかけようと思ってやったわけではない。ただ純粋に皆に喜んでもらいたかっただけなのだ。しかし、結果はそうはならなかった。
彼は総数六百名近い保護者や生徒の前で壮大にバナナを振った。始めは小さな笑い声も生まれていたが、徐々に空気は震撼としてきた。彼は自分がしたことの意味を十分に理解していなかった。
鑑賞会が終わった後、彼は生活指導の先生に呼び出された。「なぜ、あんなことをしたんだ?」最初に聞かれたのはこの言葉だった。彼は何か答えようとしたが、答えは口からは出てこなかった。言い訳の仕様がないからだ。自分で納得してやったことだし、自分に責任がある。強いて言えば、鑑賞会前に一緒に計画を練った友達に責任転嫁できるかもしれない。しかし、それも潔癖だった彼にとって、許されるものではなかった。彼はただ押し黙った。それだけだった。
この後、柔道部の顧問にも呼び出されそうになったが、彼は例のごとく殴られるのが怖くて逃げ出した。結局、この日は練習に参加することも許されなかった。
彼は内心、すぐに交響楽団に謝りたくて仕様がなかった。家に帰った後もそのことばかり考えていた。しかし、ここで彼の悪い癖が出てしまった。臆病である。皆に謝ればすぐに済むものを、彼は皆から何と言われるかが怖くて謝ることから逃げてしまった。今、思えばこれが彼の没落の決定的な一打となった。
その後、学校には音楽鑑賞会に参加した保護者から多数の苦情が寄せられた。彼はそれを生活指導の先生を通じて知らされた。さらに最悪なことに彼が振ったバナナから飛び散った汁がなんと楽団の演奏者の楽器にかかっていたのだ。この結果、彼の学校の校長が直接、交響楽団に謝りに行くことになった。この時、驚くことに彼は涙を流して詫びた。自分がやったことを本当に後悔しているようだった。それを見た生活指導の先生は溜飲を下げざるおえなかった。しかし、彼は自分でも気づいていた。本当の反省を示すためには、やはり直接、交響楽団に謝りに行かなくてはならないと。しかし彼にはその勇気がなかった。友達に相談しようかとも迷ったが、彼の頑なポリシーで自分のことは自分一人で謝りたいという強情が邪魔をした。結局、彼は交響楽団には謝りに行けなかった。
これ以降、彼の性格はどんどん陋劣なものになっていった。彼は小さな事にすぐに腹を立てるようになった。友達に後ろから何度も靴を踏まれたので激昂したりした。彼の視野はどんどん狭くなり、自分の世界に閉じこもることが多くなった。
そんな状態だったので、自分でも意識しない内に周りの迷惑になる行動を取ることが多くなっていった。体育祭で障害物リレーの時に、皆の笑いをとろうと、わざと粉入りのトレーをぶちまけたりもした。そんな時も生活指導の先生は「なぜ、あんな事をしたんだ?」とお決まりのセリフを吐くのだった。
そうこうしている内に彼も高校を卒業する時期が近付いてきた。彼は本当はもっと勉強がしたかった。自分には教養というものが足りていないと自覚していたからだ。しかし、その事を親に相談しても、彼らは真面目に受取ろうとはしなかった。結局、彼は内部進学で付属の大学に進むことになった。
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勝俣久常は中学時代とはまったく違う高校生活に内心困惑していた。彼は中高一貫校で内部進学したものの、部活の剣道部では高校からスポーツ推薦で入ってきた生徒が大勢おり、久常の立場は一変してしまった。それまで彼は部の中でもそれなりに実力のある方だったが、高校からはまったく底辺の一人になってしまった。部長だった彼も今では中学生相手に練習をさせられる選手の一人になっていた。
そんな状況だったので、彼の部活に注いでいた情熱は昔ほど燃えていなかった。彼はなんとなく惰性で練習に参加するようになっていたし、本気で剣道に取り組んでいなかった。しかしその分、勉強に割く時間が増えた。彼はちょくちょくと勉強して、テストの成績でも中学時代は下から数えた方が早かったのが、今ではクラスの上位十人に入るようになっていた。
昔とは違い、勉強に熱を入れていた彼はある特別な自信のようなものを感じるようになった。中学の頃はまだまだ子供っぽい遊びに興味を示していたが、高校になってちゃんと勉強をするようになってからは、そういった遊びにも自然と興味を示さなくなっていった。この頃、彼は恋愛もするようになった。ネット上で知り合った同い年の彼女と付き合うようになった。彼は勉強も部活も恋愛もそこそこ満足していたので、幸せな日々を過ごしていた。
その後、彼は無事、優秀な成績で高校を卒業し、地元の大学に通うようになった。大学時代の彼はとにかく色んなことに挑戦した。サークルもいくつか掛け持ちしたし、一度アメフト部に入部したこともあった。同じサークルの彼女と付き合ったりもした。勉強は高校時代ほど力を入れていなかったが、それなりの成績は修めていた。
そんな充実した日々を過ごす中で、彼は自分の進路について真剣に考え始めた。彼は自分がまだ幼かった時、思い描いていた人の役に立つ仕事に就きたいという夢を思い出していた。彼は考え抜いた結果、警察官を目指すことに決めた。それは彼、勝俣久常が大学3年の時のことである。
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卒業の日、高宮拓真は校長から卒業証書を受け取った。この時、校長は小声で「大丈夫か?」と聞いてきた。彼は自分が何を言われているのかよく理解しないまま、「はい」と答えた。そして彼は地元の大阪を離れ、静岡の付属の大学に進むことになった。
大学での最初の生活は新鮮なものだった。親元から解放されて自分の自由に出来る時間が増えたからだ。彼はそれまで自分が出来なかった勉強を大学で取り戻すつもりだった。彼は熱心に講義に参加し、教授たちからも良い印象を持たれていた。またそれまでの運動部とは違い、演劇部に入部し、文化的教養を高めようともした。
そんな中で彼にも仲の良い女友達が何人かできるようになった。しかし彼は過去の自分に囚われていた。あの音楽鑑賞会でバナナを振ったことを、いまだに謝れていない自分を許せないでいた。だから彼は恋愛を経験する機会もなかったし、ただ我を忘れたように知識を求めて本を読み漁った。
彼はこの間、様々な種類の本を読んだ。シェイクスピアを初めとする外国文学や環境政策、国際政治に関する本など、その興味は多岐に渡った。彼は自分が周りよりもよく本を読んでいることで間違った優越感を味わっていた。彼はしばしば周りの人間に対して傲慢な態度を取るようになり、その器はどんどん小さくなっていった。彼は自分でも気づかぬ間に自分の独断に囚われるようになっていった。
ある夜の事である。彼は漠然と自分の将来のことを考えていた。彼は自分には客観性というものが足りていないから、このままでは周りの人間に大変な迷惑をかけることになると薄々感じていた。だから彼は必死でそこから逃れようとした。親に相談して、もう一度受験をやり直させてほしいと懇願した。しかし、この時も両親は真面目に受取ろうとはしなかった。
彼は自分が破滅へと近づいていることに気づいていた。自分を客観視できないということがいかに危険なことか、彼にも分かっていた。特に弱い人間を切り捨てるこの国ではなおさらだ。しかしいくら説得しようとしても、ついに両親を納得させることはできなかった。
この時も彼の周りにいる友人たちは彼にメッセージを送っていた。「お前は阿保すぎる。」と彼の友人の一人は忠告していた。実際、彼にもそのことは理解できていた。彼は自分の状況が理解できないほど、完璧な馬鹿ではなかったからだ。しかし、自分の思い通りにいかない現状に彼は不満を抱き続けていた。
彼は大学の教授にも傲慢な態度を取った。それを彼は意識していなかったが、しかし教授の方ではしっかりと感じていた。例えば、教授の論文を読んだ彼はそのことを教授に伝えた。教授はそのことを喜んでくれたが、その時に彼が言った一言が「結構、短い論文でしたね」だった。論文の長さのことを指摘されるとは思っていなかった教授は、面食らって黙り込んでしまった。
そういうことが度々あったので、彼は周囲の人間からは変わった存在と見られるようになっていった。この時も彼は自分がもっとも必要としているものを理解していた。彼には中高の系統的教育が圧倒的に不足していた。彼はそのことを親には相談しても、自分から行動に移すことはついぞなかった。
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勝俣久常は無事、警察官採用試験に合格し、安堵していた。彼は来年の春から巡査として採用され、警察学校に入学することが決まっていた。それまでの間、彼は最後の大学生活をおもいっきり楽しむことにした。もちろん大学の卒業研究もあったので、四六時中遊ぶことはできなかったが、久常の彼女も無事、地元の広告代理店に就職が決まっていたし、すべて順調に運んでいた。
彼は彼女と卒業までの間、なるべく多くのデートを重ねるようにした。それは大学生活の思い出づくりの意味もあった。彼と彼女は卒業後、同棲することが決まっていた。だが、久常は卒業後、半年間警察学校に入らなければならないので、その間、二人の接触は制限されてしまう。だから今の内に少しでも多くの思い出を作りたかったのだ。
久常はその後、大学を卒業し、警察学校に入学した。警察学校で彼は憲法や刑法、刑事訴訟法などの法を学んだ。他にも警察行政法や犯罪捜査の心得、事件、事故の対応方法や、書類作成、写真撮影、鑑識技術など警察活動に関する様々なことを学んだ。また彼は剣道の有段者でもあったので、積極的に剣道の授業にも参加した。警察学校の教官は厳しく、生活も制限されていたので大変ではあったが、同時に良い仲間にも恵まれ、楽しく乗り切ることが出来た。
こうして半年間はあっという間に過ぎ去り、警察学校を卒業する日が訪れた。学校を卒業後、彼は地元の交番に配属された。交番での勤務を通じて、彼は警察という組織がどういうものかについて、おぼろげながら理解し始めた。まず警察の中では上意下達が徹底されている。基本的に各警察官が行う業務というのは、上司に報告するために行われている。だから組織から外れることをすれば、周りから白い目で見られたり、出世に響いたりする。警察が公共の秩序の維持をその最大の任務としていることは建前上は確かにそうだが、実際にはかなり際どい活動が行われていることもある。むしろ公共の秩序の維持というよりも、もっぱら組織のメンツの維持のために公務が行われることが多い。その思いは彼が交番勤務を離れ、刑事講習を受けて刑事になってからも続いた。
刑事課での勤務はかなり体力のいるものだった。まず扱う書類の数が違う。刑事になってからは捜査報告書などの書類が三百近くに上り、その作成のために一日を費やすこともあった。また各事件はそれぞれに特色が異なり、比較的単純な暴行や万引きなどの事件もあれば、殺人未遂や強盗などの凶悪事件もあった。事件の合間に彼は上司に飲みに誘われたので、酒にもかなり強くなった。
中でも彼が刑事になって大いに驚いたことは、警察と検察に与えられた絶大な捜査権限である。例えば、盗撮事件が発生したとする。犯人は分かっているが、証拠が弱く、逮捕できそうもない。この時点で警察は捜査を打ち切ることも出来る。だが、それは裏を返せば、捜査を継続することも出来るということなのだ。つまりその盗撮事件が悪質なものだと警察が判断すれば、時効が成立するまでの三年間、強制追尾などの捜査を継続することが出来る。しかもその間、被疑者にそのことを伝える必要もない。実際、久常が関わった万引き事件で、犯行態様が「幼稚かつ悪質で更生の余地は低い。厳罰に処す必要あり。」と報告書に書かれたことがある。その後、この事件は公訴時効が成立するまでの七年間、被疑者には一切、何も知らせずに尾行や聞き込みなどの内偵捜査が行われた。これなどははっきり言って、警察権力の暴走であるが、それでも誰もそのことを責められることはなかった。
このように警察の一存だけで、人の一生を台無しに出来てしまうことに久常自身、疑問を抱くことはあった。だがそれでも彼は自分は上司に言われたことを忠実にこなしているだけだと自分に言い聞かせた。こうして少しずつ、だが確実に久常の正義に対する考え方は歪んでいった。
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そしてあの日が訪れた。高宮拓真は大学の近くのスーパーに通い詰めていた。そのスーパーは田舎にある普通のスーパーだが、彼はそこで妙な行動を取るようになった。始めに断わっておくが、このときも彼に悪気があったわけではない。彼はそのスーパーで挙動不審な行動を取るようになった。具体的には周りの目をじろじろ見たり、突然走り出したりなどである。特に彼は店の万引きジーメンの行動を気にかけていた。彼は自分が挙動不審な行動を取るにしたがって、店側が警戒していることを感じていたし、そのことに不快感も覚えていた。そこで万引きジーメンの行動を観察してやろうと、店の中を敢えて徘徊するようになったのだ。
彼は自分に自信がなかった。このまま大学を卒業して、自分のやりたい事とは別の道に進むのが嫌で仕様がなかった。何より彼は彼自身のことを好きになれなかった。彼はもっと勉強をして、自分に自信が欲しかったし、そのことで社会的にも自立できると確信していた。彼は無知な自分を陥れる恐ろしい存在に恐怖していた。この国の社会では弱いものは淘汰される。自分は弱者であるがゆえに、周りの人間からも忌み嫌われるのだと思うと彼は絶望するしかなかった。
結局、彼の挙動不審な行動を誰も注意するものはなかった。この時、彼はすでに成年に達していたし、周りから見ても大人だった。一方でスーパーの人たちはそんな彼をますます警戒するようになっていったし、一種の恐怖心すら抱くようになった。スーパーの店長は彼の行動が理解できないだけでなく、そのことでスーパーの経営に支障が出ることに憎悪を感じていた。
そしてその時が来た。ある朝、彼はいつものように大学へ行く準備をしていた。そんないつもと変わりのない朝だった。だがこの日、彼の下に二人の刑事が訪れた。彼は二人に逮捕状を突き付けられた。罪状は強盗であった。「詳しい話は署で聞くから」とだけ告げられて、彼はわけの分からぬまま、パトカーに乗せられた。
警察署では勝俣久常という名の刑事が彼の取り調べに当たった。この勝俣という男は一見温厚そうに見える細い顔をしていた。しかしその眼には冷酷さと残忍さが宿っているように見えた。彼はそこで自分があのスーパーで強盗を働いたという嫌疑を持たれていることを知らされた。詳しく話すとおよそ1週間前に某スーパーで万引きをしようとした男がいた。その男は逃走時、店員が止めようとしたのを振り切って逃げ、店員に全治1週間の軽い怪我を負わせたというのである。そしてその男が自分に似ているというのだ。
彼は警察に自分はそんなことはやっていないということを必死に説得した。しかし勝俣の態度は硬直的だった。彼が言うには店からは以前から不審者の情報が寄せられており、それが彼、高宮拓真であることを警察は承知しているというのだ。また彼が店員を振り切って逃げようとしたという目撃証言もあるという。警察は彼が強盗の犯人であると完全に信じきっているかのようだった。彼は何度も自分の無実を主張した。それこそ必死の態度で言葉巧みに説得しようとした。このとき彼の読書の成果が幾分か発揮されたことは書き記しておく。しかし何を言っても勝俣の表情は変わらなかった。「なぜそんな事をしたんだ」「正直に言った方がいい」「罪を償ってやり直せ」「俺たちはお前にチャンスを与えてやってるんだぞ」こういった心ない言葉が拓真の心を苛んだ。
最初は比較的穏やかだった警察の態度も、彼が一切自分の罪を認めないことが分かるとだんだん攻撃的になってきた。彼は検察官にも無実を主張したが、彼は聞いているようで聞いていない態度を取るだけで、まともに取り合ってくれなかった。彼は合計で18日間、留置所に勾留された。その間、彼は警察官から信じられない扱いを受けた。「お前のやったことは犯罪行為なんだよ」「お前ごときにチャンスを与えてやってんだからな」「はい、分かりました、以外言うな」「犯罪を犯しといて、社会でのうのうと生きられると思ったら大間違いだ、馬鹿野郎」「犯罪者は一生、結婚して子供作ることなんかできねえよ」「てめえみたいな野獣を刑務所に入れるのが俺たちの仕事なんだよ」彼は自分がやってもいない罪を自白させられるのに必死に抗おうとした。しかし勝俣は彼の髪をひっつかんで地面に叩きつけ、足で顔を踏みつけた。他にも眠ろうとしている彼の顔に冷水を浴びせかけ、唾を吐きかけたり、顔や体を数百発に渡り、殴り、蹴られた。平手打ちも何発もくらわされた。就寝時もわざと泥酔者の隣の房に入れられ、わめき声で眠られないようにされた。
ある時など、昨日の朝から何も食べていなかった拓真の目の前で、勝俣はうまそうに親子丼を食べ始めた。拓真が「一口でいいので、くれませんか」と言うと、勝俣は「お前が罪を認めたら、食わしてやるよ」といじわるく笑いながら言うのだった。彼は便所にも行かせてもらえなかった。だから彼は取り調べ中、自分の糞尿にまみれた状態で勝俣の怒号に耐えねばならなかった。それは人間としての尊厳が完全に失われた扱いだった。彼はそこら辺にいる害虫となんら変わらなかった。
「お前は自分で自分の首を絞めてるんだぞ」と拓真は勝俣に言われた。彼は刑事にとっては真実などどうでもよく、自分たちの主張だけが正義なのだと確信した。彼は刑事による、非人間的な扱いの中で精神的、肉体的に疲弊していった。それは有形無形のすさまじい暴力だった。いや拷問だった。彼はこのままでは自分は警察に殺されると思った。実際、彼らは「お前ごとき、殺しても何も問題にもならないんだよ」と拓真を脅してきた。彼はここは本当に民主国家なのかと思った。これでは中国や北朝鮮とやっていることは何一つ変わらないではないか。こんな拷問を受け続けた彼は自分でも自分を保っていることができなくなっていった。
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勝俣久常は中々口を割らない被疑者に苛立ちを募らせていた。彼が取り調べているこの二十一歳の高宮拓真という男は、スーパーで強盗を犯した容疑を持たれている。防犯カメラにも彼らしき人物が写っているし、スーパーの店長の目撃証言もある。捜査本部の方針はなんとしてもこの被疑者に犯行を自供させることであった。久常も上司からそのように指示を受けていたので、あらゆる手段を使ってこの犯罪者を追い詰めようとした。
姑息にもこの高宮拓真は自分は犯行を行っていない、人違いだと主張している。だが、そんな甘ったれた言い訳は警察には通用しないことを、この男に骨身に沁みる程、分からせる必要がある。だから彼は拓真が無実を主張すればするほど、彼に対する攻撃を苛烈なものにしていった。おかげでこの男はすっかり魂を失った蝋人形のようになり、こちらの問いかけにもあまり反応を示さなくなっていった。久常は高宮拓真を死なせてしまってはさすがにまずいと思っていたが、死なない程度であれば、何をやっても許されると思っていた。こうして久常の取り調べは拓真が自供するまで続けられた。
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拓真は勾留11日目にして自白した。彼は自分が生きるために自白した。やってもいない罪を認めることよりも、彼には命の危機から逃れることの方が重要だった。自白をした後の勝俣の態度は不思議と穏やかなものになっていった。拓真自身もこの空気を壊したくなかったので、拷問から逃げるため、警察の言いなりになった。こうして彼は嘘の供述調書にサインをさせられ、罪を認めることになった。
それでも拓真は裁判になれば無実を証明できると信じていた。裁判官は公正だし、警察の虚偽の供述調書など信じるはずがないと思っていた。彼は起訴され、裁判を受けることになった。
裁判の最中、証人尋問が行われた。その証人尋問に出てきたのが、あのスーパーの店長だった。店長は検察官の質問に答えていった。「この方があなたに怪我を負わせ、商品を奪い取った犯人で間違いないですか。」「はい。間違いありません。」彼はその店長を引っ掴んで、殴り倒したい衝動に駆られた。なぜこの男は平然と嘘をつくのか。嘘をつけば偽証罪に問われることを理解していないのか。確かに自分はあの店で不審な行動を取った。その自覚はある。しかし、だからといって無実の人間を罪に陥れていいはずなどない。彼は腹の底から煮えたぎってくる怒りを抑えるのに必死だった。
裁判でも彼は必死に無実を主張した。自分は強盗など一切働いていないし、誰かを傷つけたりなどしていない。この彼の訴えを聞いて、裁判官は納得したような顔をしていた。彼は少しばかり希望を持ちかけていた。
そして判決の時。「主文。被告人を懲役7年に処する。」彼は体が急に重くなるのを感じた。なんだか東大寺南大門の金剛力士像に睨まれた時のような、そんな厳粛な心持になった。
しばらくすると頭の中の整理がつきはじめた。彼の警察や検察、裁判所に対する認識はすべてひっくり返された。彼は警察が正義の味方だと思っていた。しかし、それは違った。彼らはテロリストである。人の皮を被った悪魔である。自分たちが犯人だと決めた人間はどんな手段を使ってでも、徹底的に弾圧、拷問する。それが虚偽の自白であろうが、なかろうが彼らには関係ない。自分たちの言い分以外は一切受け入れない。彼らにとって真実など、どうでもいい。自分たちのやっていることだけが正義なのである。裁判所も彼らの言い分を追認するだけだ。
彼はこの日本の封建主義、権威主義がもたらす病理をまざまざと見せつけられた。彼のこの国に対する信頼、つまり悪をくじき、弱きを助けるという警察の正義に対する信頼は完全に消失した。むしろ弱きをくじき、悪を助けるというのが、この国の真理である。正義の堂宇はもろくも崩れ去り、あとに残ったのはただ荒廃した情緒だけだった。
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久常は大きな一仕事を終えて、ほっと息をついていた。彼の功績は上司からも大いに褒められて、彼は有頂天になっていた。署長からも今回の一連の捜査を褒め称えられたし、自分のやってきたことは間違ってなかったのだと確信した。
あの男、高宮拓真は人の皮を被った獣である。自分が何の罪もない人々を傷つけたにも関わらず、そのことを反省するどころか自分はやっていないなどとほざき出した。そんな甘ったれたことは警察には通用しないと何度も言い聞かせたが、結局自白するまで11日もかかってしまった。この事件はある意味、警察としての威信をかけた捜査だった。ある犯罪者を一人逃せば、社会は不安と恐怖におびえ続けなければならない。だから犯罪者は一人残らず撲滅しなければならないし、そのことによって社会の多くの人も自分は犯罪を犯さないでおこうと思うはずである。またこのことは犯罪者のためにもなると久常は考えた。つまり彼らも警察に徹底的に痛めつけられることで、二度と犯罪を犯そうという気は起らないだろうからだ。だからこの事件はより大きな意味で正義にかなう事件だったと久常は解釈していた。
実際、彼の認識は多くの警察官が共有しているものだった。彼らは皆、犯罪者は一人残らず一掃しなければならないと思っていた。だから今回、久常が行った捜査も県警で高く評価されたし、彼自身も評価されて当然だと感じていた。
この頃には久常は大学時代の彼女と結婚し、彼女は久常の子供を身ごもっていた。県警での活躍と、この妊娠の朗報で彼は幸せの頂点にいた。彼は自分に守るべき存在が出来たことで、これまで以上に捜査に注力するようになった。そんな彼を周りの同僚たちも応援していた。
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高宮拓真は千葉刑務所に送られることになった。刑務所では彼は真面目に作業に励んだ。その傍らでなぜ自分がこのような境遇に追いやられたのか、彼なりに考えてみた。彼は自分が物事から逃げる癖があったことを思い出した。様々な困難にぶつかった時、彼は逃げる方ばかりを選択してきた。その結果、もうこれ以上逃げることができない場所に自分をいざなったのではないか。彼はそんな風に思案した。
そこから彼は自分に今、出来ることを考え始めた。彼は刑務所に送られた時、二十一歳だった。自分には嫌という程、時間がある。それならば、かつて出来なかった勉強をやり直そう。そう考えた。そして余暇時間を見つけては、勉強に打ち込むようになった。彼は中学の勉強からやり直し始めた。そこでは実に多くの学びがあった。彼は国、数、社、理、英すべての科目に取り組んだ。そこで特に公民の科目に強く惹かれた。この国が法治国家であること、法の下の平等が憲法で保障されていること、法律の手続き以外に自由や財産を奪われることがないこと。これらすべてを学習して彼が下した結論は、この国は非常に不公平な国であるということだった。特に国語で習った那須与一宗高の話などは、この国の野蛮性を象徴しているように感じられた。
まず法の支配、法の下の平等と謳っているものの、実際には警察と検察による独裁政治が現実で、法の下の不平等というべき状況であるということだ。またこの国が中国と同じ、人治国家だということも考えられる。2015年の安保法案の時も問題になったが、この国の憲法は実質的に意味をなしていない。平和主義はすでに崩壊している。国民主権も名ばかりで、実際にはすべて霞が関の役人が政治を決めている。基本的人権の尊重もお上に逆らわなければという留保付きで、明治時代の時から本質的に何一つ変わっていない。さらに警察官は被疑者を殺してもほとんど罪に問われないにも関わらず、一般人はごく小さな微罪でも起訴され、有罪判決を受ける。時の為政者の都合で法を盾にいかようにも権力を行使することが出来るのなら、それは民主主義の国ではなく独裁国家である。これでは法治国家だと言う方が無理があり、法の下の平等など機能していないに等しい。
またこの国の刑訴法にも深刻な問題がある。例えば万引きは窃盗罪だから時効は7年である。だが実際には万引き事件の多くは微罪処分で済まされるか、そもそも捜査自体しない場合も多い。しかし一方で警察がその気になれば、被疑者には何も知らせずに、7年間捜査し続けてもいいことになる。これは大変な不公平である。かたや万引きしても平然と暮らしている人間がいる一方で、7年間、自由も権利も奪われて、犯罪者のレッテルを張られたまま、一人孤軍奮闘しなければならない人間がいる。すべては警察、つまりお上のさじ加減で決まるのだ。しかも警察が捜査をしていることを本人に知らせる必要はないから、その7年捜査された人はその後も警察に捜査されていないか、自分の周りの人間に悪い情報を流していないか、証拠が捏造されていないかとおびえ続けながら、一生暮らさなくてはならない。これはそもそも捜査自体に刑罰の意味を含んでいるということによるのだが、その不当な捜査を受ける身からすれば不公平極まりなく、たまったものではない。ほとんど狂気じみた状況だ。
これも実は在宅捜査に関して、刑事訴訟法に一切、規定がないことが原因なのだ。確かに過去に最高裁の判例で任意捜査、つまり在宅捜査は必要性と緊急性を考慮したうえで、相当な範囲で行わなければならないと決まっている。しかしこれも捜査する側が、いかようにも恣意的に解釈できる以上、実質的に意味をなしていない。ではなぜ在宅捜査の規定は法律にないのか。それは刑事訴訟法を発案している法務省の刑事局が、ほとんど検察官で占められているからである。つまり犯罪を取り締まる側の捜査機関が自分たちの都合のいいように法律を作り、自分たちのやりたいように捜査しているのだ。自分たちを取り締まる法律を自分たちで作っている時点で、十分異常である。例えるなら、犯罪者が自分たちを罰する法律を自分たちで作っているようなものだ。これでは公平、公正な捜査など行われるはずはなく、中国や北朝鮮と似た状況にあったとしても何ら不思議ではない。最近、ニュースになった再審法の改正も元を辿れば、ここに原因がある。
こういう議論をすると、よく警察は「我々は法律に基づいて行動しているだけだ。」と言う。しかし今見たように、その法律自体も捜査機関の都合に合うように作られたものだし、そもそも戦後発達した「基本的人権」の考えは法律によっても犯されない権利だったはずだ。確かに刑訴法の冒頭にも「基本的人権」という言葉は出てくる。だがそれは絵に描いた餅というべきもので、実際はほとんど意味を成していないし、その理念を理解していない今の警察、検察は戦前の時と何ら変わらない権力装置だと言える。
法律や憲法とは本来、政府にとって都合の悪いものであり、そうやって国家権力に枷をかけることで国民の自由や権利が守られるのである。しかし欧米ではこの考えは広く共有されているが、日本や中国、北朝鮮といった国々は政府が国民を都合よく支配する手段として、法律や憲法が利用されている。だから統治者にとって都合の悪いことは法律に書かないし、曖昧なままにしているのである。そのせいで一体、今までどれほどの人間の命、人生が奪われてきたか。そのことを考えると、拓真はほとんど恐怖と怒りで気が狂いそうになった。
拓真は勉強を進めると共に、古今東西の本や法律、政治の本も片っ端から読み漁った。そのおかげで彼は一般人よりもはるかにその方面に詳しくなった。なぜ日本は欧米の国と比べて集団的だと言われるのか。日本は本当に民主主義の国なのか。彼はその答えを見つけるために必死で勉強した。そして大体、次のような結論を得た。
まず先程も述べたが、日本は民主主義の国ではないと拓真は考えた。そもそも一般にはあまり知られていないが、民主主義とは選挙を行うことだけで認められるものではない。民主主義に欠かせないものは基本的人権であり、選挙とはその内の参政権を保障するものでしかない。つまり選挙を行うというのは民主主義の必要条件ではあるが、十分条件ではないのだ。だから、その他の基本的人権である自由権や、平等権、社会権などが保障されていなければ、その国は民主主義とは呼べないのである。
日本は福祉国家と言われる程、社会福祉が発展しているから、国民の社会権は保障されている。しかし前述の通り、日本の刑事司法には深刻な瑕疵があり、被疑者の人権はないに等しい状況にある。つまり国民の平等権が保障されていないから、結果として民主主義の国だとは言えないのである。日本は江戸、明治の時代からお上による権威主義の国であり、それは現代にも当てはまる。
また先程も述べた通り、日本は人治国家である。ほとんどすべての国家権力を警察と検察が掌握しており、国民は鼻から抵抗する手段を持たないからだ。政治家も自分たちの不正を取り締まられるのが怖くて、警察や検察に口出しできずにいる。いわば捜査機関の一存だけで国民の一生を決めているようなもので、常人なら到底受け入れられるようなものではない。これが武士道だと言うならば、そんな旧時代の狂った価値観は今すぐ捨て去るべきだ。欧米が知性の国と言われるのに対し、日本は精神の国と言われるのも、すべてこの全体主義の体制に原因がある。日本の最大の過ちは、歴史の過ちから学ばなかったことであり、日本がすべきことは、なぜこの国があのような狂った戦争を肯定し続けたのか、その本当の原因を国民一人一人が考え直すことである。先進国で国民がこのような人権状況に置かれているのは、おそらく日本だけである(強いて言うなら中国と北朝鮮ぐらいだ)。
人から自由を奪うことは何より罪深い事であり、そんな国は存在しないほうがいい。もし日本が今の状況を改めないまま突き進むのであれば、いずれ近い将来、この国はまた戦争に突入するだろうと拓真は思った。今も警察や検察は明治時代の時から変わっていないし、特高警察などの負の遺産を継承し続けている。
こういった、この国の絶望的な状況を知るに及んでも、彼はまだ完全には日本を諦めていなかった。彼も冤罪で収監されて、何十年も耐えた後に無罪になり、社会的に広く活躍している人のことを知っていたからだ。その人たちの声こそ、今の日本がもっとも耳を傾けるべきものであり、この国の狂った政治を立て直す最後の希望である。人の命を軍国主義のように、かくも無残に扱うことは決して許されてはならない。しかし残念ながら、多くの日本人はそのことに気付いていながらも、黙認している。おそらく彼らにも、どうすれば日本が民主化することが出来るのか分からないのだろう。
彼は日本が民主主義の国になる一番、手っ取り早い方法は欧米の植民地として支配され続ける事だと思った。そうすれば、いやでも欧米の民主主義に従わざるおえなくなるからだ。そもそも戦後、GHQが自らの負担を減らすために、日本を間接統治したことが間違いだった。この時にもし、GHQが徹底的に日本の統治機構を解散し、一からこの国を築き上げていたならば、あるいは先の権威主義の負の遺産を継承せずに済んだかもしれない。いずれにせよ、日本は一度、数百年間に渡って欧米の植民地として統治されなくてはならない。だが、もしそれが実現できそうにないなら、せめて法務省の下に新たに弁護士庁を設立し、そことの合議の上で刑法、刑事訴訟法を作らせるようにしなければならない。法務省の人事を検察と弁護士が半々になるようにするのだ。法務省に派遣される弁護士も、日弁連から選出されたものが勤めるようにする。現状は法務省は検察の支配下にある。法務省の課長以上の管理職の七、八割は検察官出身である。それを日弁連の弁護士が務めるようになれば、今よりもっと平等で公平な社会が築かれ、国民も警察や検察に怯えて暮らす必要がなくなるのだ。そうすれば例えば在宅捜査にしても、捜査を終える前に一度、なるべく早い段階で被疑者に罪状について告知、聴聞の機会を与えるなどの改正がなされる可能性が高い。再審法の改正も然りである。
この考えは何も彼だけの独断ではない。多くの法曹も同じような考えを共有しており、今の警察、検察独裁国家の状態を憂いているのだ。
さすがに多くの時間を勉強と読書に費やすことが出来ただけあって、彼はその辺の弁護士と同等か、それ以上の教養を身に着けることに成功した。これだけの持論を組み立てるのも、一年や二年といった歳月ではなく、何年もの努力の結果である。彼は時間があれば本を読み、勉強して自分の教養に磨きをかけていった。同時に彼自身も自分が若い内しか、勉強に集中できないことを予見していたので、より一層必死になって勉強していた。
そんな獄中生活の中で、彼にも知り合いが出来た。その男は詐欺の罪で4年服役しているものだった。彼は非常に饒舌で、さすが詐欺師だと拓真が感嘆するほど話がうまかった。彼らはざっくばらんに自分たちの生い立ちのことや、現在の状況などを語り合った。彼は詐欺の罪の他にもこれまでに薬物違反でも実刑を受けており、いわゆる刑務所の常連で、半ぐれと呼ばれる人間だった。この半ぐれは自分がいかに甘やかされて育てられてきたかを自慢げに語った。そのことには拓真も同調できたのだが、彼と自分との決定的な違いは彼の場合、本当に罪を犯したのであり、自分は罪を犯していない冤罪だということである。そのことを拓真も彼に伝えたが、その詐欺師の男はふーんと言ったきり、大して関心もなさそうに受け流すだけであった。そんな溝があったから、彼らは話をすることはあったものの、心の底から打ち解け合うことはついになかった。
拓真が収監されている間、両親は足繁く拓真との面会に訪れた。彼らは拓真の話に耳を傾け、差し入れをあげたり、熱心に支えてくれた。そのことが拓真の数少ない救いであった。一方、兄弟の方はというと昭仁も治樹も面会にはほとんど訪れなかった。一つには彼らにはすでに家族があったからかもしれない。昭仁は父と同じ内科医になっており、結婚もして二人の娘の父でもあった。治樹は生物学者になり、こちらも結婚して娘が一人いた。だから二人ともそれぞれの家庭のことで手一杯で、拓真に気をかけてやる余裕がなかったのかもしれない。しかし一方で、拓真はどこか自分が二人から見放されたような孤独感も感じていた。
彼も長期に渡る獄中生活に飽き始めていた。毎日、同じ時間に起き、同じ作業に従事し、同じ部屋で勉強に励む。息を抜ける時間もなかったので、フラストレーションは溜まる一方だった。部屋の暗がりに差し込む光を見ては、まるで必死に自由の世界へ戻ろうとしている自分のようだと思った。一方で彼は冤罪で何十年も刑務所に入れられた人々のことを知っていたので、自分はまだましな方だと感じてもいた。この理不尽な権力の横暴も7年が過ぎれば終わる。だから彼は自分の人生を彼ら、警察や検察に奪われないためにも必死で勉強した。
そうこうしている内に月日は過ぎていき、いよいよ出獄の日がまじかに迫ってきた。彼は28歳になっていた。出獄する日が近づく頃には、彼は自分が日本人の中でも、もっとも賢い人間の一人であることを自覚していた。彼は昔の彼ではなかった。警察や検察の横暴も、彼の知識欲を止めることはできなかった。彼は自分に自信を感じていた。これから自分は新たな、警察にも検察にも奪えない、新たな人生を歩むのだという期待を胸に膨らませていた。
そして出獄の日。彼は刑務官に頭を下げることなく、刑務所を後にした。両親と兄弟2人が出迎えてくれた。彼らは抱擁した。何も言葉はいらなかった。すべての出来事は過去のものとなり、前途にはまだ誰にも手を付けられていない広大な海が広がっていた。彼は歩みだした。最初の一歩は大きく重く感じられた。これから私は誰よりも誇り高く、立派な人間になってやるのだ。彼は自分自身にそう誓った。
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その後、勝俣久常は順調に出世していった。彼は三十代で警部補に昇進し、刑事課長も務めた。その中で彼は様々な事件を扱った。強盗や窃盗、詐欺、痴漢など実に様々な事件を扱った。その際、彼の中で一貫していた思想が信賞必罰、秋霜烈日、勧善懲悪、一罰百戒といったものである。一人の悪を叩くことで、より多くの教訓とするというものだ。そのためには多少、手荒なマネをしても構わない。警察や検察には国家の治安を維持するという大義名分があり、そのための権力も付与されている。だから警察、検察の行動はすなわち国民の行動であり、それに逆らうものはすべて憎むべき犯罪者なのである。
久常はその後、定年まで刑事を務めた。彼が担当した事件の中には殺人事件もあった。この事件は無期懲役が確定、服役した後、四十年の時を経て再審で無罪になった。再審の場で裁判長は自白は刑事による暴行、脅迫によってなされたもので、証拠として採用できない旨を告げた。この裁判が行われた時には、久常はすでに警察を引退していた。だがこの事件について彼が責任を問われることは一切なかった。
彼は六十九歳の時、自宅で脳溢血で死んだ。彼が自らの捜査に反省や謝意を述べたり、感じたりすることはついぞなかった。
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それからの物語を私はすべてここで説明する気はない。高宮拓真は実に立派な大人になった。その後、彼は自分が高校時代に迷惑をかけた交響楽団に謝りに行った。担当の方は分かりましたと答えるだけで何も言わなかったが、なんとなく空気が変わったのを感じて、拓真自身も心が軽くなるのを感じた。彼は事件のあったスーパーにも謝りにいった。本当は謝る必要はなかったのかもしれないが、自分が不審な行動をしたのは事実だったので、そのことだけ謝ってさっさと帰ってきた。彼は地元の不動産会社に勤め、熱心に仕事に打ち込んだ。元々、能力はあった方だから、仕事もよく覚えたし、順調に出世していった。彼は仕事で知り合った女性と結婚した。彼らは子供を二人授かり、幸せな日々を過ごした。彼ら夫妻は二人で海外旅行にもよく出かけた。色んな世界を見る中で、拓真の視野も広がっていったし、同時に今までは気付かなかった日本の良い面も見えてきた。食事は日本の方が海外よりうまく、治安も良かった。また町にゴミが落ちていないことも、日本ならではのことなのだと改めて気づかされた。
そうこうするうちに月日は流れ、拓真は60歳になっていた。彼はもう自分を拷問し、陥れた警察官や検察官のことを恨んではいなかった。彼らは確かに自分に不公正に接してきた。だが、いつかマルクス・アウレリウスが言っていたように、それらも存在するべくして生まれてきたのだと思うようになっていた。彼はいまだに日本の政治は中世のまま止まっているし、権威主義の国だとも思っていた。日本は完璧な人間や社会を求めるあまり、逆に不完全で不公平な社会になっている。警察や検察は相変わらず自分たちに都合のいい法律を作り、やりたいように捜査をしている。被疑者の人権は侵害され続けているし、拷問もなくならない。メディアは警察が流す情報をあたかも真実であるかのように報道している。警察、検察独裁国家の状態は一向に改善されていない。もしかしたら日本の発展を妨げている最大の原因はそこにあるのかもしれない。もしかしたら自分が死んだ後も、何十年、何百年もこの国は自らの過ちに気付くことなく、権威主義体制を維持し続けていくのかもしれない。しかし彼は同時に希望を見出そうとしていた。世界は確実にグローバル化が進んでおり、日本の今の政治体制もいずれ立ち行かなくなるのではないか。あるいは勇気ある未来の日本人が、この国の狂った政治を正してくれるのではないか。そうすればいつか、この国が本当の意味で近代化する時が来るのではないか。
彼は自分の思いを本にしたためようと思った。これまでの自分の人生、何を国に奪われ、何を自らの手で勝ち得てきたか。そのすべての思いを本にまとめたいと思った。誰にも理不尽に人の人生を奪っていい権利などない。そうだ、タイトルは「我が人生」にしよう。自分の人生のすべてをその一冊にまとめよう。そしていつか先の未来でこの本を読んだ人たちが、こんな時代もあったんだと思えるようになるだろう。彼にはもはや敵はいなかった。彼は完全に人生の真理に到達しようとしていた。私はやれることはすべてやった。為すべきことを為してきたのだ。国家の不正にも果敢に立ち向かってきた。もうこれ以上、何の未練があろうか。彼はいつしかアメリカの詩人がいった、次の言葉を思い出していた。「未熟とは高貴な目的のために死のうとすることである。成熟とは大義のために卑しくも生きようとすることである。」彼は自らの大義のために人生を全うしようとしているのである。かつて卑怯で卑屈で陋劣なことばかり考えていた青年は、今は完全に克己し、もっとも誇り高く、知識と教養を備えた大賢者となっていた。
もう何も恐れるものはない。すべては運命だったのだ。私が日本に生まれてきたことも運命。家族に甘やかされて育てられたことも運命。その中で冤罪に巻き込まれたことも運命。後に愛と知識を兼ね備える教養人となったことも運命。すべて起こるべくして起こったことなのだ。そもそも世の中というものは、最初から不公平に出来ているものだ。誰も北朝鮮に生まれたいと思う人間などいない。イギリスに生まれる方が絶対に良い。だが、人は生まれてくる場所を選べない。だから人生とは為すべきことを為すだけで、宇宙の摂理にかなうのだ。そこに法律も何も関係ないのだ。運命は最初から決まっているのだから、諦めて開き直って楽観的に生きればいいのだ。それに人生においてもっとも大切なことは、何を成し遂げたか、ではなく、どう生きたか、なのだから。さあ、時は来た。あとはもう歴史家たちの評価に任せよう。私はただ自分に恥じないよう、自分の正義のために生きてきた。あとは自分の人生を舞台から役者が下りるように去るのだ。この美しくも悲しい悲喜劇は見事に完成した。誰に何を言われようと彼は自分の人生を必死に生き抜いたのだ。そしてこれは決して彼一人だけの物語ではない。これは皆の物語なのである。
高宮拓真は七十六歳の時、家族に見守られながら胃がんで亡くなった。葬儀にはじつに多くの人が訪れた。彼の墓には今でも参拝者があとを絶たないという。