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第1節『怪奇の病棟』

 『全学魔法模擬戦大会』も終わり、アカデミーは秋の健康増進週間に至っていた。それは、看護学部を中核とする衛生部門の全体で、学徒および教職員の健康増進のために種々の取り組みを行う期間である。健康診断から、孤児や学徒への予防接種の実施に至るまで、実に様々の施策が取られることになっていた。かつては、『天使の秘薬』なる曰く付きの禁忌の魔法薬を無差別に投与して、かの『天使の卵』事件の引き金を引いたりしたこともある行事であったが、いまでは、薬は『万能薬』と『エリクサー』の組み合わせに変更されており、文字通りに、孤児や学徒の疾病治療と病気予防を純粋に図るものとなっている。

 今日も看護学部の教職員と学徒らによって、孤児たちへの『万能薬』と『エリクサー』の摂取処置が実施されていた。現在、何らかの疾病を抱えている孤児には両方を投与し、そうでない健康な者には、予防薬として『エリクサー』を処方することになっている。今日も、かのネクロマンサーは医務室に出勤して、孤児たちへの薬剤の投与に勤しんでいた。

 カレンをはじめ、看護学部の学徒たちがそれを様々の側面から手伝っている。


「先生、薬瓶はこちらに置きますね。」

 カレンが、ネクロマンサーに言った。

「カレンさん、ありがとう。重いから無理をしないようにしてくださいね。」

「はい、ありがとうございます。先生もご無理ありませんように。」

 そんな言葉を交わす二人。

 ネクロマンサーは列をなす孤児たちに次々と薬瓶の中の薬剤を注射していく。かつて、『天使の卵』の影響を確かめるためにこの作業にあたっていた時には、周囲に気取られぬよう秘密裏に術式を行使して、卵の体内形成の有無を確かめていたものであるが、今となってはそうした特異な緊張と負担からはすっかり解放されて、のびのびと職務にあたることができるようになっていた。

「いい子だから、一列に並んでくださいね。痛くないですよ。」

 そう言って、シリンジから薬液を注射していく。幼い孤児たちの顔が痛みと恐怖にゆがむが、その不快さを拭い去るように笑顔を向けて、次々に注射を続けて行った。


* * *


 かれこれ、2時間もそれを続けたであろうか、ようやく午前の作業が一区切りして休憩ということになった。ネクロマンサーとカレンは共に器具や薬剤の片づけを行っている。

「カレンさん。」

「はい、先生。」

 言葉を交わす二人。

「ギルドからの依頼というわけではないのですが、私の個人的な仕事を手伝ってもらえませんか?」

「どのようなことでしょう?私でお役に立てるなら。」

「実は、今ある企業からの依頼を受けて魂魄の魔術記録を作成しているのですが、召喚しながら魔術記録装置を操るのは思いのほか難しくて。それで、魔術記録装置を操作して私が召喚した魂魄を記録に収めていって欲しいのです。」

 ネクロマンサーは依頼の中身をかいつまんで説明した。

「私は、魔術記録装置にそんなに詳しくないのですが、大丈夫でしょうか?」

 カレンは少し心配そうだ。

「大丈夫ですよ。カレンさんたちがよく使っている携帯式魔術記録装置と基本的に仕組みは同じです。光の瞳が大きかったり照明の瞳の数が多かったりするだけなので、慣れればすぐにできますよ。それにもちろん、作業前にはきちんと手ほどきします。どうでしょう?お願いできませんか?」

「わかりました。どこまでお役に立てるかわかりませんが、ぜひお手伝いさせてください。」

「ありがとう。とても助かります。それじゃあ、午後の作業が終わったら、医務室の奥にある私の私室を尋ねてくださいね。そこで作業に取り掛かりたいと思います。」

「かしこまりました。それでは、午後の作業後にお訪ねします。」

 そう約束をしてふたりはそれぞれに昼食に出かけた。


 午後も午前中と同様の作業が続く。ネクロマンサーは、孤児たちを並べて順次薬剤の投与を行い、カレンたち学徒は、それに必要な薬剤や注射器、注射針や消毒用の綿布などを切らすことのないように補充している。泣き止まない幼子の面倒を見るのも看護学部の学徒の務めだった。彼女たちは午後も3時間ばかり忙しい時間を過ごしていった。


 秋の陽が、天頂から大きく西に傾いて、その光線にほのかに茜色の輝きが乗り始めた頃、午後の勤めがようやく終わった。ネクロマンサーは、薬瓶と使用済みシリンジ、そして針の数を慎重に合わせてから記録簿に記録し、残りを鍵のかかった棚へと戻した。カレンらは、医務室の整理整頓と清掃を行っている。棚を施錠したネクロマンサーがカレンに声をかけた。

「カレンさん、それじゃあこの後お願いします。私は、一足先に私室に戻って準備していますから。」

「はい、先生。私もここが終わったらお部屋にお伺いします。」

 そう言って、ネクロマンサーは執務室の中に消えて行った。


 まだ日暮れには早いが、それでも秋の陽はせっかちで、あたりはすっかり橙色の光に包まれている。教室の窓枠が長く影を落としていた。掃除道具を片付けてから、カレンは医務室の奥にあるネクロマンサーの私室のドアをノックする。


* * *


「どうぞ、入ってください。」

 ネクロマンサーの声に促されて、カレンはドアを開けて入室した。

「失礼します。」

 そう言って室内を見渡すと、ネクロマンサーの私室は一般的な事務室ではあったが、その一角にはかなり本格的な撮影ブースが設置されており、大ぶりの背景布の周りを大きな複数の照明が取り囲んでいた。その手前には、高級そうな本格的かつ大型の魔術記録装置が据えられている。どうやらここで魂魄の撮影を行おうということらしい。

「手狭でごめんなさいね。」

 しわを取るようにして背景布をまっすぐに直しながら、ネクロマンサーが言った。

「いえ。」

「本当は、どこかにスタジオを借りられるといいのだけれど。この仕事をしているとなかなか医務室を離れるということもできないので。」

 そう言いながら、照明の設定にはじめ魔術記録装置の各種調整まで様々なことをネクロマンサーは手早く行っていく。

「その撮影はお仕事でいらっしゃるのですか?」

 カレンが訊ねた。

「ええ、そうなのです。あなたもよく知っている『ハルトマン・マギックス』社のカリーナ社長さんからの直々のご依頼で。お友達の、アイラさんのお店ね。なんでも、私の召喚する魂魄の姿がとてもかわいらしいとかで、新しい魔術グッズのデザインになさりたいんですって。それで、魂魄の写真を何枚か撮って送ってほしいとそういうことなんです…。」

 話しながらも、その手はどんどんと動いていく。やがて、撮影ブースの準備がすっかり整った。


挿絵(By みてみん)

*ネクロマンサーが執務室の脇に設えた撮影スペース。これからここで魂魄の撮影をするそうだ。


「でも、先生、魂魄って魔術記録に映るのですか?」

 不思議そうに訊ねるカレン。

「そうね、そのままでは映らないのだけれど、召喚時に魂魄の外形に不純物を混ぜて実体化させると、その姿かたちを魔術記録に収められることがわかったのです。でもね、その召喚の処理をしながら魔術記録装置を操作するというのがなかなか難しくて…。死霊を使う手も考えたのだけど、死霊はこの照明の明るさを極度に嫌うのです。だから、あなたにお願いしたというわけ。よろしくね、カレンさん。」

 ネクロマンサーは事情を説明した。

「そうだったのですね。わかりました。お手伝いさせてください。」

「ありがとう。本当に助かります。」

 それから、二人は魔術記録装置のところに集まった。

「これが、今回の撮影に使う魔術記録装置よ。微粒子からできた液体の『因果の素子』を使っているから装置としては大がかりだけど、搭載している『魔術回路』がピントや明るさをほとんどオートマチックで調整してくれるから、携帯式魔術記録装置と同じ感覚で撮影できます。だから、気負わないで、気軽にやってくださいね。」

「ここから覗けばいいのですか?」

 カレンが訊ねた。

「ええ。ここから覗くと、光の瞳がとらえた情景を見ることができます。先ほどもお話ししたようにピントと明るさは『魔術回路』が自動で調整してくれます。なので、あなたは、召喚した魂魄がちょうど真ん中に来たところ撮影してくれれば、それで大丈夫です。」

「わかりました。それならできそうです。」

 そう言うと、カレンは大型の魔術記録装置の小窓を覗き込んだ。携帯式のものとは異なり、そこを通して見える景色は非常に高解像で、明るく世界が切り取られている。

「位置が決まれば、これを押すのですね?」

「はい、そうです。さすがですね。若い方は飲み込みが早いです。」

 ネクロマンサーのその言葉に、機材に向かったまま恥ずかしそうにしてカレンははにかんでいた。


* * *


「それでは、試しに何枚か撮ってみましょう。部屋を暗くしますね。」

 そう言うと、ネクロマンサーは室内の照明をほとんどすべて落としてしまった。あらかじめ暗幕で窓を遮蔽していたその執務室はほぼ真っ暗という状態になる。ぼんやりと漏れてくる光で、かろうじて魔術記録装置の各所を確認することができるばかりだ。


『現世に漂う哀れな霊の残滓よ。我と契約せよ。我が呼び声に応えるならばその彷徨える魂に仮初の影を与えん!魂魄召喚:Summon of Ghost(s)!』


 ネクロマンサーが詠唱を行うと、死霊とは思えない非常に愛らしいシルエットの魂魄が召し出され、その外形が形成されていった。それは、頭から白いシーツをかぶったようなシルエットで、目は丸くてくりんとしており、頬を赤らめて笑顔を浮かべている。ちょっとしたマスコット・キャラクターといった面持ちだ。

 真剣に魔術記録装置の小窓を覗き込むカレン。その愛らしい魂魄の姿がフレームのちょうど真ん中に収まった時、記録用のスイッチを押した。刹那、照明機器から、不思議な色のぼんやりとした魔法光が輝き出て、撮影ブースの中心を照らした。おそらくその光が、魂魄の外形に混ぜる不純物ということなのだろう。どうやら、魔術記録装置は、魂魄それ自体ではなく、その姿をかたどるこの不思議な魔法光を記録しているのであろう。液体状の印画の素子を用いた魔術記録では、固体状のそれを使う場合よりも解像度の高い鮮明な魔術記録を得ることができる。その代わり、撮影後すぐに画像を確認することはできず、『記録の書』や『魔術記録再生の水鏡』に素子を注ぎかけて現像する必要があった。

 カレンは、うまく撮影できたのかどうか気がかりであったが、ネクロマンサーは次々に召喚を行うので、記録機会を逃さないように懸命に撮影をしていった。10枚ほどの魔術記録を生成したところで、ネクロマンサーが言った。

「いいですね。やっぱり二人だとはかどります。一度、『記録の書』に『印画の素子』を流しかけて画像を確認してみましょう。」

 その言葉に、カレンは少し緊張する。うまく撮れているといいのだけれど…。

 ネクロマンサーは、魔術記録装置から大ぶりな光の瞳を外し、その下に繋がるゴブレットに注がれている『因果の素子』を、開いた『記録の書』のページにゆっくりと注ぎかけていく。やがて、そこには記録された画像が姿を現した。実に様々の姿かたちの魂魄が撮影されている。ネクロマンサーはそのどれもが気に入ったようで、複数枚を手に取って、選ぶようにしてそれらを眺めている。

「カレンさんには魔術記録の才能がありますね。どれもいい出来ですが、今回はこれにしましょう。」

 そう言って、1枚の画像を見せてくれた。


挿絵(By みてみん)

*ネクロマンサーが見せてくれた魂魄の魔術記録。


 それは、カレンが最初に撮影したものだった。現像された魂魄の画像は、文字通り「愛らしいゴースト」といった感じであり、ネクロマンサーはどうもそれを求めていたようである。

「これが魔術グッズになるのですか?」

 そう訊くカレンの声は少し興奮で上ずっていた。

「ええ、なんでも携帯式魔術記録装置用の保護カバーのデザインになるそうですよ。他にもぬいぐるみやマスコットなど、いろいろな商品展開が予定されているそうです。」

 カレンは、自分の記録した魔術記録が商品化されるかもしれないというその事実に興奮を隠しきれないようであった。

「そうえば。」

 ネクロマンサーが話し始める。

「カレンさんは、召喚術式を使ったことがないと言っていましたね?」

「はい。以前にもお話したことがあるかもしれませんが、私はもともとが看護科正科の僧侶志望で、死霊科併科になったのは中等部に上がってからでしたから、基礎的な召喚術式を学ぶ機会を逸してしまったのです。」

「そういえば、そうでしたね。」

 頷くネクロマンサー。

「もしよかったら、やってみませんか?カレンさんの信仰心の強さとガブリエルからの加護があれば、『魂魄召喚:Summon of Ghost(s)』くらいならすぐにできると思いますよ。興味はありませんか?」

 彼女はそう提案した。

「私にできるでしょうか?」

 突然のことに少し当惑するカレン。

「大丈夫ですよ。この際ですから、法具の力も借りてみましょう。あなたの得意は、確か短刀でしたね?」

 そう言うと、ネクロマンサーは人為のロードクロサイト製の短刀を取り出してカレンの前に差し出した。


挿絵(By みてみん)

*ネクロマンサーが取り出した人為のロードクロサイト製の短刀。


カレンは、おずおずとそれを受け取って、じっと見入っている。

「知っての通り、ロードクロサイトは生命と霊性の均衡の領域にある魔法の特性を高める働きをもっています。これを使えばきっと召喚術式を成功させることができますよ。」

 それを聞いたカレンの瞳は輝いていた。

「やってみます。先生、教えてください。」

「ええ、ぜひやってみましょう。」

 そう言うと、ネクロマンサーは短刀を持つカレンの手を後ろ側から取った。

「術式はわかりますね?」

「はい。」

「では、唱えてみましょう。召喚術式は回復術式で慣れ親しんだガブリエルの加護の下にあります。そんなに難しく考えることはありません。大切なのは、精神、つまり頭の中で具体的な像をしっかりとイメージすることです。そのイメージした像の輪郭をこの世界に彷徨う魂魄に与えるように意識します。いきますよ。」


『現世に漂う哀れな霊の残滓よ。法具を介して我と契約せよ。我が呼び声に応えるならばその彷徨える魂に仮初の影を与えん!魂魄召喚:Summon of Ghost(s)!』


 二人の声を揃えた詠唱が終わると、短刀の刃が桃色の魔法光を放ち、そこから白いもやが現れた。カレンのイメージ化が十分でないのか、明確な輪郭を成してはいないが、それでもこの世に彷徨う魂魄をウィル・オー・ウィスプ(鬼火)の形で召喚することには成功した。初めてにしては上々だ。

「いい感じです。基本はそれでいいんですよ。次は魂魄に明確な輪郭を与えましょう。いきなり複雑な死霊を形成するのは難しいですから、先ほどの画像を参考にして。あれに似た姿かたちの魂魄を召喚してみましょう。」

 ネクロマンサーのその促しを受けて、カレンは再び詠唱を始めた。


『現世に漂う哀れな霊の残滓よ。法具を介して我と契約せよ。我が呼び声に応えるならばその彷徨える魂に仮初の影を与えん!魂魄召喚:Summon of Ghost(s)!』


 先ほどと同じように、短刀が桃色の魔法光を放つが、今度はそこから生み出されるもやがよりはっきりとした輪郭をもっている。短刀を通して魔力が供給されるに従い、その姿は明確となり、やがてひとつの魂魄が召喚された。


挿絵(By みてみん)

*カレンが召喚に成功した魂魄。モデル同様かわいらしい格好をしている。


 それは、丸いあたまに、ふわふわとした雲のような胴体をもっていて、つぶらな瞳に小さな両手を備えた、愛らしいゴーストのシルエットをしている。先ほど魔術記録に捉えた像のイメージを召喚術式に反映することに見事に成功したのだ。

「このまま、続けててくださいね。」

 そう言うと、ネクロマンサーは、魔術記録装置のところに小走りに駆け寄り、ゴブレットに光の瞳を据え付けると、カレンの召喚した魂魄を魔術記録に収めていった。その間も、カレンは召喚した魂魄の姿かたちを保つのに必死であったが、彼女には召喚術式の素養が確かにあるようで、ゴーストが胡散霧消するということはついになかった。

「いいのが撮れましたよ。」

 そう言って、ネクロマンサーが先ほどの魂魄を映した魔術記録を見せてくれた。

「これを私が召喚したのですか?」

 驚きを隠せないカレン。」

「そうですよ、カレンさん。あなたが自分の力で召喚したんです。」

 カレンは興奮を隠しきれない。

「先生、ありがとうございます。まさか、召喚術式を教えていただけるなんて思ってもみませんでした。」

 上ずった声で話すカレン。

「すべてあなたの実力ですよ。召喚術式は実際の場に赴く際には非常に重要なものになることがあります。特にアンデッドの群れを相手にするときには、それが使えるかどうかは死活問題にもなりますね。いきなり上達するのは難しいですが、先ほどの感覚を忘れないように、腕を磨いてくださいね。」

 ネクロマンサーは優しく微笑んでそう言った。カレンの瞳は輝やいている。


* * *


「先生、これ、ありがとうございました。」

 そう言って、カレンは先程預かった短刀をネクロマンサーの前に差し出した。

 しかし、ネクロマンサーは小さく首を横に振って、

「それは今日手伝ってくれたお礼にカレンさんに差し上げます。持っていてください。きっとあなたの力になるでしょう。」

 と、そう言った。

「でも、こんな高価なもの、いただくわけにはいきません。」

 カレンはすっかり恐縮している。

「いいんですよ。若くして実戦に臨む機会の多いあなたたちには、力の強い法具があって困るということはありません。それに、お礼をしなければいけないのは事実ですから。気にしないでください。」

 その言葉を聞いて、カレンはまだ思い定まらないような表情を浮かべながらも、

「それではお預かりします。ありがとうございます。」

 深々と頭を下げた。

「そんな、いいんですよ。それより…。」

 そう言うと、ネクロマンサーは自分の杖を取り出した。

「死霊召喚術式にはこんな使い方もあるんですよ。」


『現世に彷徨う哀れな死霊たちよ。法具を介して我と契約せよ。我がもとに集い、その身を刃となせ。怨念と怨嗟に形を与え、その恨みを存分にはらすがよい!武具憑依:Possessed Weapons!』


挿絵(By みてみん)

*ネクロマンサーが行使した死霊術の武具強化への応用術式。


 詠唱に従って、彼女が持つ杖の先端部に死霊が群れなしていき、それらが刃を形作っていった。つい先刻まで杖であったものは、死霊の力によってたちまち強力な対霊武具として、剣の形を成したのである。

「私たちは普段、杖や鈍器を用いることが多いですが、そうしたものは一般に対霊効果がありません。また普通の刃でも、霊体を損傷することができないのはおなじみですよね。そんな時、この術式を用いると、携えている獲物の種類や形状に関わらず、対霊用の剣を生み出すことができます。召喚術式にはこんな応用もあるので、きっと楽しいですよ。これからのあなたの成長に期待しています。」

 ネクロマンサーはそう言って、カレンに微笑みかけた。高度な召喚術式の応用を目にして、カレンは驚きと興奮を隠せないでいる。


 秋の陽がすっかりと地平線近くまで落ちていた。暗幕を開けると、あたりは茜色に焼けていて、太陽は地平線の際でゆらゆらとその残光を輝かせている。

「今日はありがとうございました。カレンさんのおかげでとてもいい魔術記録がとれましたよ。カレンさんの召喚した魂魄も素敵です。こちらも商品化できるように働きかけてみますね。」

 執務室の撮影ブースを手早く片付けながら、嬉しそうに言うネクロマンサーの言葉を聞いて、カレンは照れくさそうにしていた。

「また、医務室で会いましょう。それでは。」

「今日はいろいろ教えていただいて本当にありがとうございました。」

 そう言葉を交わして、カレンはその場を後にした。


 太陽はいよいよ地平線の裏に顔を隠し、橙色の残光を揺らしながら、天頂から覆いかぶさる濃紺の帳に覆われていく。過行く風には秋の涼しさと寂寥が感じられた。その日も静かに暮れていく。


* * *


 その二日後のことである。ネクロマンサーとカレン、そしてリアンの3人は、『全学職務・時短就労斡旋局』を通じて、ウィザードから呼び出しを受けた。3人は今、同局の面談室でウィザードを待っている。

 ドアをノックする音がした。

「どうぞ、揃っていますよ。」

 そう応じるネクロマンサー。

「遅くなってすまねぇ。教授会が長引いてな。申し訳ないことをしたよ。」

 会議場から走ってきたのか、ウィザードは肩で大きな息をしていた。

「それで、今日はどうしたのですか?」

「実は、頼みたいことがあって。」

 息を整えながら、ウィザードが話を切り出す。

「実は、中央市街区のはずれにある『シメン&シアノウェル病院』なんだが、どうにも悪いうわさが絶えない。」

「どんな噂なのですか?」

 訊ねるネクロマンサー。

「ここ最近、次々と患者が失踪しているんだ。失踪という表現が正しいのかどうか分からないが、とにかく忽然と姿を消す者、病状の推移と脈絡なく突然に命を落とす者など、異変が絶えない。病院側の説明では、医師と看護師の不足が深刻で、転院を積極的に進めているだけで、超過死亡は誤差の範囲だということになっている。しかし、こちらで調べた限りでは、この3か月で、病院から姿を消した患者、それから死亡した患者の数は明らかに異常な数に上っているんだ。転院先とされる病院にも確認をしてみたが、転院受入数より失踪数の方が圧倒的に多い。しかも、失踪は精神科が中心になっている。そこで何事かが起こっているのは間違いないと言うべきだな。」

 ウィザードの説明を聞きながら、ネクロマンサーが怪訝そうな表情を浮かべている。

「そんな時にだ。当の病院から、アカデミーの衛生部門に対して、不足する医師と看護師の応援を請いたいという依頼があった。こんな好機を逃す手はない。それで、衛生部門と看護学部を代表して、あんたと、それからカレンに、またどんな危険があるかわからないから応援としてリアンに、アカデミーから派遣された応援医療使節として同病院に出向き、現状を確認するとともに調査にあたってもらいたい。」

「なるほど。状況はわかりました。それで、危険の程度はわかりますか?」

 ウィザードの説明を受けて、ネクロマンサーが訊ねた。

「消えた患者と、増え続ける死者が同病院の中でどう扱われているのかが不明である現状では、危険の程度ははっきりとはわからない。でも、尋常でないことだけは明らかだ。だからこの手の、つまり、生死の専門家であるあんたと、それから看護学部のカレンの特別に頼んだというわけだよ。」

「それはもっともですね。」

「また、リアンには、ふたりのバックアップをしてもらいたい。タイミングの悪いことに、今、シーファとアイラ、それからユイアには別のことをしてもらっていて、サポートはリアンにしか頼めないんだ。引き受けてもらえるか?」

「もちろんなのですよ。」

 リアンは、美しい青色の瞳を輝かせてそう返事をした。

「二人はどうだろう?引き受けてもらえるだろうか?」

「もちろんですよ。それに、あなたの説明を聞いてどうにも嫌な胸騒ぎがします。何か良くないことが起こっているのは間違いないでしょうね。」

「さすがだな。あたしも同感なんだよ。事柄の性質上、医療関係者でないとうまくいかない話だし、その中でいろいろ話せる相手と言えば、あんたしかいなくてな。」

「わかりました。お引き受けします。カレンさんも手伝ってもらえますか?」

 そう訊ねるネクロマンサーに、カレンは力強く頷いて答えた。

「ありがとう。これで話は決まりだな。依頼はお馴染み『南5番街22-3番地ギルド』、責任者はあたしだ。報酬は『全学職務・時短就労斡旋局』経由での支払いになる。すまないが、今回は後払いにさせてくれ。もちろん、必要経費は事前受け取りにしておくから。」

 そう言って、ウィザードは保険関係の書類を3人の前に差し出した。めいめいに書類に必要事項の記入とサインを施していく。

「とんでもないものをひきあてるかもしれねぇから、連絡は密に頼むぜ。」

 書類を受け取りながらウィザードが言った。

「わかりました。学徒達の安全は任せてください。」

「頼りにしてるよ。で、お前らは、頼むから、先生の言うことをよく聞いて、くれぐれも無理はしないでくれよ。まぁ、今回、イノシシガールはいないわけだけど…。」

 そう言って、ウィザードはリアンとカレンに目配せした。イノシシガールというのはきっとシーファのことだろうが、その表現がおかしくて二人は顔を見合わせて笑いをこらえていた。

「病院側には、2日後に人員を派遣すると連絡しておく。当日、直接現地を訪ねて欲しい。とにかく、調査にはくれぐれも用心してあたってくれ。」

 よほど心配なのか、念を押すウィザード。

「わかりました。連絡を密にして、安全最優先で遂行します。」

 ネクロマンサーは、そんなウィザードを気遣うようにして言った。


 『シメン&シアノウェル病院』は、中央市街区にある大きな総合病院で、当該区画の中核病院の機能を果たしている。そこで患者の失踪や急死事件が相次ぐというのは、俄かには信じがたいことであったが、ウィザードの言葉に間違いがあるはずもない。医療スタッフの派遣という名目で赴く以上、当面の間、同病院に泊まり込んでの生活となるだろう。ネクロマンサーは当面の生活に支障のない範囲の着替え、作業服、水薬、手拭いなどの必需品を揃えて持ち寄るようにと、リアンとカレンに言い含めた。また、不測の事態に備えて、使い慣れた武具を術式媒体として持参するようにとも伝えた。


 中央市街区で公共機能の一端を担う総合病院に、いったいどのような秘密が隠されているというのか?また、そこにどのような危険が待っているのか?3人の派遣日は、ゆっくりとせまっていた。

Echoes after the Episode

 今回もお読みいただき、誠にありがとうございました。今回のエピソードを通して、

・お目にとまったキャラクター、

・ご興味を引いた場面、

・そのほか今後へのご要望やご感想、

などなど、コメントでお寄せいただけましたら大変うれしく思います。これからも、愛で紡ぐ現代架空魔術目録シリーズをよろしくお願い申し上げます。

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