第9章:蒼い逆流、救済と崩壊の序曲
裏側の異界で、春木翔は絶望的な戦いに足を突っ込んでいた。
目の前には三つ巴とも言える奇怪な情景――RainLilacを取り込む反転RainLilac、そして新たに出現した第三の影。複数の影が交差し、空間は異形の魔手により捻じ曲げられ、現実世界の街並みがねじ込まれるようにして混線している。
「RainLilac、どうすれば……」
翔は必死に思考を巡らせるが、この世界には常識的な理屈が通用しない。守り手の言葉通り、法則が逆転し、意思や想いが形を成すこの裏側で、何が武器になり、何が障害になるのか予測困難だ。
その時、膜に閉じ込められたRainLilacが再び小さく声を上げた。
「翔……私のファンが、想いで作ってくれた青い花、覚えてる?」
声はかすかだが、確かな意志がこもっている。膜内部の彼女は痛みに耐えながら、まるで出口を探すかのような視線を巡らせている。
「青い花……アーカイブワールドで具現化した、ファンの想いが結晶化した花びらか!」
翔は思い出す。あの時、RainLilacが内面から力を発揮し、ファンアートの青い花が散りばめられた瞬間を。
反転RainLilacは焦ったように剣を振りかざし、第三の影も不気味な笑いを立体的なコーラスで響かせる。二つの怪物的存在が凌ぎ合う中、翔は藍色の裂け目を通して外界を垣間見た。そこには現実のビル群が逆さまに揺れ、VRホログラムが錯乱し、人々の悲鳴や驚愕が遠くに聞こえる。現実と仮想の境界が崩壊し、混合世界が形成されつつあるのだ。
「今しかない!」
翔はツールを発動し、ファンアートの花弁を想起する。これまでの道中で記録されたファンのコメントログ、アーカイブワールドの解析結果、そしてRainLilacが紡いできた音楽や映像――それらを再構築し、花弁の形を再び出現させようと試みる。
すると不思議なことが起こる。
第三の影が歪ませていた空間の一部が薄れ、ファンたちの声が淡く響き始めた。「RainLilac、大丈夫!」「頑張れ、負けないで!」そんな応援が、微粒子となって膜表面に降り注ぐ。
青い花弁がふわりと舞い降り、膜を包み込むように貼り付き、反転RainLilacが咆哮を上げる。
「やめろ! そんな雑音など!」
RainLilacは苦痛に耐え、目を強く閉じる。すると花弁が光を増し、膜に亀裂が走る。その亀裂から、RainLilacの手が、偶然にも外へ滑り出てくる。
「RainLilac!」
翔は迷わずその手を掴む。膜は軋み、第三の影が焦ったように触手を伸ばすが、反転RainLilacと衝突し、二つの闇が小競り合いを始めた。
奇妙な相殺が起き、藍色の稲妻が弾ける。
この衝突は予期していなかったようで、第三の影と反転RainLilacが争い、RainLilacを抑える力がほんの一瞬だけ弱まる。その偶発的な隙を翔は見逃さず、思い切り引っ張る。
バリバリと裂ける音と共に、RainLilacが膜を破って外へ転げ出た。
「痛っ……でも、出られた!」
彼女は息を荒げながらも、瞳に決意の光を取り戻している。偶然の産物かもしれないが、ファンの想いと翔の行動が噛み合い、奇跡的にRainLilacは取り戻された。
反転RainLilacは悲鳴を上げ、「馬鹿な、ありえない!」と叫ぶが、第三の影がその腕を掴み、ねじり合うように空間を歪めている。
「離せ、貴様こそ余計な存在だ!」
「ククク……もはや誰が主かなど関係ない。この場で新たな秩序を作るのは私だ!」
翔はRainLilacを抱きかかえるように支え、安堵の涙をこらえる。
「RainLilac、大丈夫か? よかった、本当によかった……」
RainLilacは微笑む。その笑顔は弱々しいが、確かな生気が戻っている。
「ありがとう、翔。私、もう絶対負けない。ファンの声が私を守ったわ」
だが、二人が再会を喜ぶ暇はなかった。
現実世界と仮想世界が混ざり合い、ビル群が逆さまに立方体の森へ突き刺さり、道路が青く発光し、空には無数のホログラム広告が踊っている。遠くで人々の悲鳴や混乱が起こり、VRストリーマーたちの配信が空に散らばるような異様な情景が広がっていた。
「な、何これ……」
RainLilacは言葉を失う。
「この世界、現実と裏側と仮想がごちゃ混ぜになってる!」
翔は唇を噛む。
「融合が進んでるんだ。裏側での戦いが、現実の秩序も崩したんだろう。AzureRiddleか、第三の影か……誰が仕組んだかは分からないけど、このままじゃ大変なことになる!」
反転RainLilacと第三の影は今も衝突し、蒼い粒子を撒き散らす。二つの闇が互いの存在を侵食するように絡み合い、その衝撃が幾何学的な衝撃波となって世界を揺るがす。
RainLilacは歯を食いしばり、翔の手を強く握る。
「翔、行こう。この混沌を止めなきゃ。ファンが築いた世界を、私が愛する人々の日常を、全部守るために」
翔は頷き、ツールを構える。
「ええ、絶対止めてみせる。君が戻ってきたんだ。もう何も怖くない」
だが、その直後、衝撃的な光景が二人を襲う。
背後に出現した裂け目から、誰かが歩み出てきた。その人物はフードを被り、手にはRainLilacの初期衣装によく似た意匠が施された奇怪な道具を持っている。表情は見えないが、発するオーラは桁外れだ。
「何者……?」
RainLilacは瞳を見張る。今さら新たな存在が登場するとは予想外だ。
謎の人物は静かにフードを外し、その顔を晒す。驚くべきことに、その顔はRainLilacにも翔にも見覚えがあった――しかし、それは“RainLilacや反転RainLilac”とはまったく異なる第三の存在。まるで今までの対立を一蹴する、さらなる“本命”を思わせる。
「やあ、会いたかったよ。ようやく全てが揃ったようだね」
その声は優しく、深みがあり、まるで長い物語を見届けてきた語り部のように響く。
こうして第9章は幕を下ろす。
RainLilacは偶発的な奇跡によって取り戻され、現実と仮想が混ざり合うカオスな世界で再び翔と共に戦う決意を固める。しかし、新たに現れた謎の人物が、さらなる衝撃と謎を巻き起こそうとしている。
混沌とする世界で、彼らはどんな運命に飲み込まれていくのか。