第3章:青い迷宮、歪む境界
アーカイブワールド――それはRainLilacの初期公演を愛したファンたちが非公式に構築した、記憶と感情が交錯する幻想空間。
RainLilacと春木翔は、この不確定な迷宮の中でAzureRiddleの残したコード片を探していた。深淵の言葉を求め、世界の裏側へ通じる扉を開く手掛かりを集めるために。
細い通路を抜けるたび、二人は時折、人型に歪んだノイズや奇怪な映像断片に遭遇したが、何とか凌ぎ、少しずつコード片を集めていた。漂うコメント群には、昔のファンの純粋な声が詰まっている。「初めての公演、ぎこちないけど応援したい!」「青い世界、なんだか不思議で好き」……そんな言葉を目にするたび、RainLilacはこそばゆそうに笑い、懐かしさと感謝を噛みしめていた。
しかし、その笑顔は、次の瞬間、一気に凍りつくことになる。
ある小部屋に差し掛かったとき、突如として空間が激しく揺れ、無数のホログラムパネルが弾け飛ぶように散った。
「な、何!?」
翔が驚愕する中、RainLilacは胸を押さえてうずくまる。彼女のアバターが微妙に乱れ、色味が瞬間的にノイズ混じりになった。
「痛い……頭が…」
彼女は苦しげにうめく。
何が起きたのか?
翔は焦り、ツールを起動して周囲をスキャンする。すると目の前に、無数の記憶ログが燃え上がるように乱反射し、奇妙なシルエットが浮かんだ。それはAzureRiddleの干渉体とは異なる、もっと根源的な“裂け目”のようなものだ。
「気をつけて、ここ……」
RainLilacは苦痛に耐えながら、低く叫ぶ。
裂け目の向こうには、初期公演前後の“記録されていない記憶”のようなものが揺らめいていた。ファンたちの間でさえ知る者はいない、RainLilac自身ですら思い出せないほど古い断片――その中で、微かに声が聞こえる。
「……RainLilac、君は覚えているか? 蒼い世界が生まれる前に交わした約束を……」
その声は、低く響く不気味な音調で、まるでRainLilacに直接問いかけているかのようだった。
「約束……?」
RainLilacは困惑と恐怖が入り混じった表情で、痛みに耐えつつ顔を上げる。
「私、知らない……そんなこと、一度も……」
だが、その声は容赦なく続く。
「AzureRiddleは、お前と世界を繋ぐための媒介なのだ。初期公演を始めるより前、まだ誰もお前を知らぬ頃、我々はこの裏側で種を蒔いた。その結果がお前の青い幻想、そしてファンたちが育てたこの庭だ。今こそ扉を開け、我々が望む裏側へ導く時が来た……」
この衝撃的なメッセージは、RainLilacも翔も全く予期していなかった。
「そんな……私は初めから一人で始めたと思っていたのに」
RainLilacの声は震え、瞳には動揺が走る。記憶になかった何者かとの“約束”、自分の世界の根底を揺るがす秘密が、ここで暴かれようとしている。
翔は愕然として周囲を見回す。
「あなたがこの世界を生む前から、AzureRiddleは存在していて、あなたと世界の裏側を繋げようとしていた……? どういうことなんですか?」
だが、問いかけても答えは得られない。
裂け目が混乱するように揺れ、強烈なノイズが発生する。
RainLilacは必死に立ち上がり、唇を噛んで叫ぶ。
「何を言ってるの!? 私は、初めは何も分からなくて、ただ小さな公演を開いただけ。誰もいない観客席に向けて、何度も失敗して、ファンが少しずつ集まってくれたから今があるのに……!」
しかし、裂け目は容赦なく追い打ちをかけるように淡い光の破片を飛ばす。翔が腕で庇うと、その破片は不可解なデータノイズとなって散る。二人は大きく身を引いて体勢を整える。
この空間で発生する現象は、ただの記録や思い出ではない。何者かが意図的に潜ませた“真実”が、今になって牙を剥き、RainLilacの心を追い詰めているようだ。
「落ち着いてください! ここはアーカイブワールド、ファンたちの気持ちが生んだ庭なんです。もしAzureRiddleが裏側に関わっているとしても、あなたが築いた世界は本物です。ファンの声がそれを証明している!」
翔は力強く叫ぶ。
RainLilacは苦悶の表情を浮かべながらもうなずく。
「そ、そうよね……たとえ何か最初から仕組まれていたとしても、ファンたちが私を支えた事実まで変えられない。私は絶対にこの世界を裏切らないわ!」
その瞬間、裂け目がバチンと弾けるような音を立てて消失する。代わりに、粉々に砕けた記憶の欠片が、青白く輝くコード片となって宙に留まった。これまで集めた断片よりもはるかに強い光を放つそれは、おそらく深淵の言葉への鍵となる重要な要素に違いない。
「やっと、手に入れた……」
RainLilacは震える声で言う。この断片が裏側の秘密に迫る鍵なのか。そしてAzureRiddleは何者で、なぜ自分と裏側を繋げようとしているのか?
翔はRainLilacの肩に手を置き、励ますように微笑む。
「これでまた一歩真実に近づきました。大丈夫、僕たちは一緒です」
RainLilacは揺れる瞳で彼を見つめ、かすかな微笑みを返す。苦しさと不安は残るが、少なくとも彼女は一人ではない。
「行きましょう、さらに奥へ。この謎が解けるまで、私は負けない」
こうして第三章は幕を閉じる。
ただの記録の集合体だと思われたアーカイブワールドには、RainLilacが知らない“原初の約束”が潜んでいた。世界の裏側、AzureRiddleの真意、そして蒼い幻想の起源――物語はさらに揺さぶられ、読者を引き込む新たな衝撃を残しつつ、深みへ進もうとしている。