第21章:透過する痕跡、虚ろな回廊の先
特異点へと近づく足取りが、さらに重くなった。
RainLilacたちは狭い梁の上を渡るような不安定な通路を行き、数列が浮かぶ光の壁を潜り抜けている。背後で軋むような音が続き、前方で蜃気楼じみた映像がちらつく。宇宙少女や紀久子といった、これまで関わりを持った異世界起源の存在たちの痕跡が、淡い影のように断続的に浮かんでは消えるが、彼女たちは姿を見せない。
「ここまで来ると、現実と裏側、仮想が混ざったことが当たり前に感じてしまうな」伊吹は苦い声で呟いた。
「記録の書き換えを感じる。その裏に誰がいるのかは分からないが、我々は導かれ、観察されている気がする。」
彼は頬に汗を滲ませ、ARデバイスから得られる情報を何度も再計算しているが、成果は乏しい。「これでは推測しかできない。だが、今さら後戻りできないことは確かだ。」
ノクターンは崩れそうな空間を辛うじて安定させ、「進むしかない」と短く促す。
その声には焦燥よりも淡い期待が混じる。彼が何を期待しているのか、RainLilacには明言できないが、裏側の観測者だった彼が、ここまで付き合ってくれている事実が不思議な安らぎを与えていた。
ノクターン自身も、自らが抱く感情の輪郭を探っているのかもしれない。行為の一つ一つが、かつて無機質だった彼に微かな揺らぎを刻んでいる。
アリーゼ(AI生命体)は静かに計算を続ける。「人間たちが非合理な方法で世界を救おうとする現象は、未だ解析困難。もしこれが成功するなら、私のデータバンクに奇異な法則が追加されることになる。」
彼女は淡々と語るが、その言葉の端々に、再び世界が正常化した際に自分が得る優位性や知見について思いを馳せているかのような示唆がある。
RainLilacはそれを聞いて、不安を飲み込む。アリーゼが何かを狙っているかもしれないが、今は協力を得ている以上、警戒しつつ進むしかない。
「特異点まで残りわずか…のはずだが、何度計算しても空間の位相が変動して定まらない」伊吹が声を詰まらせる。
今いる場所は、半透明な回廊で、床には何らかの記号が刻まれている。それはRainLilacのかつての配信で使われたエモートや、ファンが残した短いメッセージの断片を思わせるような形を取っていた。
彼女は足を止めて、床に映る小さな文字列を覗き込む。「頑張れ」「待ってる」「君の声に救われた」――そういった言葉が透過的な印で残っている。それはファンが不安定な通信で残したメッセージの残響か、あるいは虚ろな記録だろうか。
RainLilacは目を伏せる。(この世界崩壊の混乱の中、一般の人々はどうしているのだろう?避難所で苦しんでいる人々、私の名をささやいてくれるファンたち、日常を失い震えている家族、混線する通信に必死でしがみつく者たち…私がVTuberとして得た影響力が、今、どう感じられているのか。)
もし、RainLilacの名が都市伝説めいて語られ、救いを託す者たちがいるなら、その想いもまた目に見えぬエネルギーとなって漂っているかもしれない。彼女はそれを確かめる術はないが、迷いそうな心を励ますには十分だ。(私の行為が、苦しむ人々に光を落とすことになるなら、たとえ誰かが私たちを利用しようとしていても、前進する価値はある。)
翔はRainLilacの足元に注目している。「その文字列、懐かしい印象があるのか?」
RainLilacははにかむように笑みを浮かべ、「昔、配信でよく見た言葉に似てるわ。ファンが送ってくれた励ましの言葉…今となってはどれが本物か分からないけど、少なくとも私が歩んできた道の痕跡を思い出させる。」
翔は頷くだけで余計な言葉は付けない。だがその頷きには「君は自分が歩んできた道を誇っていい」という共感が込められているように感じられ、RainLilacはそれだけで少し気が楽になる。
ノクターンが微かに息を詰め、「行こう。時間が過ぎれば過ぎるほど、情勢は不利になる」と促す。
そう、この世界の崩壊は止まっていない。各存在が何を狙っているか知る前に、行動しなければ何も生み出せない。後から知ることができるなら、まずは事態の収拾を試みるべきだ。
アリーゼは手を翳し、数列を空間に写し取る。「この先に位相の乱れが集中している地点がある。そこを抜ければ特異点が見える可能性が高い。私は精度保証ができないが、それでも行くのか?」
RainLilacは迷わず頷く。「行くわ。選択肢は他になく、立ち止まれば世界は確実に崩れる。愛を媒介にする行為がどれほど非合理でも、私は信じる。」
この言葉には静かな決意が響いている。躊躇や甘い夢ではなく、苦境の中で鍛えられた鋼の意思だ。
伊吹はARデバイスを再度叩く。「進もう。もう得られる情報は少ないが、前進すれば何かしらの手掛かりが見える。俺たちが遅れれば、誰かが状況をより悪く転がすかもしれない。誰が情報を書き換え、私たちを誘導しているのかを知るには、特異点に到達するしかないだろう。」
こうしてRainLilacたちは、揺らぐ記録と光の粒子が乱舞する回廊を抜けようと、慎重に足を運び始める。
世界の人々が混乱に陥り、ファンがわずかな希望を胸に抱き、異界存在がそれぞれの謀略を練っている可能性がある。RainLilacはその全てを断じない。ただ、ここで立ち止まれば全てが終わる。それだけは分かっている。
前方で、小さな立方体が宙を漂い、その内部でかすかな残響が聞こえたような気がする。「いつか、あなたの歌がまた聞きたい」という懐かしいメッセージのような音色。
RainLilacは瞳を閉じて、その響きを胸に刻む。(私がVTuberだった日々、築いたコミュニティは、こんなところにも痕跡を残す。これらの断片が、どんな未来で活きるかは分からないが、私はこの思いを裏切りたくない。)
こうして第21章は幕を下ろす。
特異点に近づく路上で、人知れず紡がれた過去の想いが漂い、複数の勢力が情報を操作し導こうとしている気配が濃くなる中、RainLilacたちは進み続ける。何が本当で、誰が何を企んでいるのかは依然不明瞭だが、彼女は自ら選んだ道を信じて前を向くしかなかった。




