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第2章:蒼き記憶の回廊

 夜の都市は、無数の光粒子を巻き込みながら、高層ビルの合間に情報の川を流している。上空を横切る透明な歩道をARドローンが走り回り、ホログラム広告が世界各国の言語で宙に描かれ続ける。その片隅で、春木翔は昨日と同じVR空間「BlueArcadia」へログインした。


 前夜、RainLilacレインライラックとの出会いで判明したことは、世界的人気を博す彼女のVR公演が、謎の存在「AzureRiddle」に狙われているということだった。

 単なる公演妨害ではなく、彼らはRainLilacの創り出す青い幻想世界を通じて、「世界の裏側」に干渉しようとしているらしい。その目的も手段も曖昧だが、手掛かりを得るには、RainLilacの初期公演にまつわるログやファンコミュニティの記録が必要だ。


 海岸には、昨日と同じようにRainLilacが立っていた。初期モデルの素朴なアバター姿は、ステージ上の華麗な魔女衣装とは違い、彼女の内面の繊細な光を際立たせる。瞳に不安を宿しながらも、逃げないという強い意志が見える。その佇まいには、人間らしい弱さと不可思議な清らかさが同居し、見守るだけで胸が締め付けられるような感覚を翔は覚えた。


 「戻ってきてくれたのね」

 RainLilacは穏やかな声で言う。その声は、かすかに震えているが、優しさと決意を帯びている。


 翔は手掛かり探しについて切り出す。「AzureRiddleは、あなたの初期公演ログが関係する場所にヒントを残している可能性が高いようです。聞いた話だと、ファンコミュニティが独自に構築した‘アーカイブワールド’というVR空間があるらしく、そこに初期公演の記録が蓄積されているそうですが……」


 RainLilacは少し目を見開き、首を傾げる。

 「アーカイブワールド……そういえば、ファンの間で噂になっていたことがあったわ。私が名もなき新人だった頃から応援してくれた熱心なファンたちが、非公式に公演ログや感想、解析メモを集めて一種のデータ空間を作ったって聞いたことがある。でも、それが本当に存在するか確かめたことはなかった。ファンが勝手にやっていることだったから、あまり深くは関わらなかったの」


 つまり、RainLilac自身も詳しく知らない場所だ。

 アーカイブワールドは、彼女が用意した空間ではなく、初期ファンたちの情熱から生まれた非公式コミュニティプロジェクト。そこには、彼女が初舞台を踏んだ頃のログ、成功と失敗の記録、そしてファンが勝手に行った分析や考察が散乱しているという。

 「もしAzureRiddleがこのアーカイブワールドを利用しているなら、そこに足を踏み入れるしかないわね」

 RainLilacは不安そうに、だが逃げずに唇を結ぶ。


 「ただ、噂ではアーカイブワールドは普通のVR空間とは違って、記録や想念が複雑に絡み合っているらしいです。人によっては何度アクセスしてもたどり着けないとも聞きました」

 翔はそう付け加える。

 RainLilacは小さく息をつき、瞳を伏せる。その仕草には迷いと覚悟が宿っていた。

 「怖いわ、正直。私自身が関わらずに育った場所だから、何があるか分からない。でも……もしそこにAzureRiddleの手掛かりがあるなら、行くしかないわね。何としてもこの状況を打開しなきゃ」


 初期公演時代、彼女はまだ無名だった。下手なパフォーマンスや手探りの演出、それを支えてくれた少数のファン。アーカイブワールドは、そうした“青い原点”を内包する生きた記憶の庭とも言えるかもしれない。


 「じゃあ、どうやってそこへアクセスするんです?」

 翔が問うと、RainLilacは少し頬を染めて視線を逸らす。

 「実は、その方法も私はよく知らないの。ただ、聞いたことがあるわ。私と特別な“リンク”を結んだ相手なら、アーカイブワールドへのゲートを開ける可能性があるって。ファンが密かに開発したプロトコルで、私を‘鍵’にすることで潜るらしいの」


 翔は意外そうな顔をする。「あなたを鍵に?」

 RainLilacは恥ずかしそうに肩をすくめる。

 「公式には認められていない裏技みたいなものらしいけど……ごめんなさい、変な話よね。でも、あなたがいればできるかもしれないわ。あなたは私を助けたいと言ってくれたし、私はあなたに信頼を預けられる気がするの」


 その瞳は、弱々しい光を帯びながらも真剣だ。奇妙な認証手順に戸惑いはあるが、翔は頷く。

 「わかりました。試してみましょう」


 RainLilacが小さなウィンドウを呼び出し、翔に提示する。それは特殊なアクセス要求を伴う対面接続。彼女が“本人”であることを示し、翔がその存在を肯定することで、生じる相互承認のようなものらしい。

 少し儀式めいていて、微妙に後ろめたい気持ちもするが、今はそれを言っていられない。

 翔が了承ボタンを押すと、淡い光が二人を包み込み、かすかな振動が起きる。


 刹那の後、視界が揺れた。

 周囲には青いグリッド状の通路が現れ、さっきまでいた海岸風景は消えている。

 「ここ…? これがアーカイブワールドへの入口なのかしら」

 RainLilacは困惑した表情を浮かべる。彼女も初めて見る光景なのだ。


 目の前には、さまざまなファンコメントらしきテキストが、キラキラした微粒子として宙に漂っている。それらがくっついたり離れたりして、空間を形づくっているようにも見える。成功も失敗もひっくるめて、昔の公演が結晶化したような不思議な世界。

 「これが、ファンたちが独自に作った記録の庭……」

 RainLilacは息をのむ。


 だが、良いことばかりではない。

 遠くで、ノイズ混じりの不協和音が響く。微かに歪んだ扉が宙に浮かび、禍々しい影がちらつく。

 「AzureRiddleがいるのか、それとも彼らが仕掛けた罠なのか……」

 翔は警戒する。RainLilacは唇を引き結んで、その瞳に再び決意を灯す。

 「行くしかないわね。たとえ私がよく知らない場所でも、ここには私の過去が詰まってる。逃げたくない」


 こうして第2章は幕を下ろす。

 RainLilacと翔は、ファンたちが独自に築いたアーカイブワールドの入口に立ち、AzureRiddleの謎を追うことになる。

 次章、二人はこの記憶の庭を探索し、世界の裏側へ続く“鍵”を求めて、さらなる試練に挑むことになるだろう。

 蒼い原点が、今まさに再び呼吸を始めていた。

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