第10章:青い楔、交錯する意志
RainLilacを偶発的かつ奇跡的に取り戻した春木翔。しかし、彼らを取り巻く世界はすでに混沌の極みに達していた。
現実と裏側、仮想世界が溶け合い、歪んだ街並みが宙を浮き、ビル群は逆さまに並び、ホログラム広告が異形の生物と交じり合う。人々の悲鳴とSNSの断片的な声が風に混じり、ファンアートやメタ情報が粒子化して漂っている。
RainLilacは疲弊しきった体を翔に支えられ、震える声で問いかける。
「この世界、一体どうなってるの……私が戻ったのに、まだ混線が進んでいるわ」
翔は苦悔に眉を寄せる。
「恐らく、裏側から顕現した第三の影やAzureRiddleの存在が、既に世界に爪痕を刻んでしまったんだ。もうRainLilacだけでは正せない状況なのかもしれない」
ふと、背後で瓦礫が転がる音がした。振り返ると、そこにはスーツ姿の青年が息を切らしながら立っていた。短い髪にインカム型のARデバイスを装着し、胸元にはIDカードらしきものが揺れている。
「あなたたち……RainLilacだな? 翔君もいる……よかった、見つけた」
RainLilacは警戒しながらも、その青年を見つめる。
「誰……あなたは?」
青年は苦笑し、身なりを正す。
「僕は伊吹。一応、公式のVRプラットフォーム運営側のスタッフだ。この事態は、運営チームにとっても想定外だった。RainLilacさん、あなたが裏側と関わっている疑いが浮上してから、僕たちは密かに調査を進めていたんだ」
「運営側……!」
翔は目を見開く。確かに、VR公演プラットフォームの運営チームがこの異常事態に対処しようとしているのは自然な流れだ。
伊吹は切迫した表情で続ける。
「裏側、AzureRiddle、そして第三の影……すべてが予想外だ。プラットフォームは世界中の視聴者と繋がっている。今、現実と仮想が混線して人々が混乱に陥っている。僕たちスタッフは緊急事態対応プロトコルを発動したが、何も通用しなかった」
RainLilacは苦々しく瞳を伏せる。
「私のせいでこんなことになったの? もし私が器として最初から仕組まれていて、それがトリガーになったとしたら……」
伊吹は首を振る。
「あなたを責めるために来たんじゃない。実際、この異常事態を止められるのは、裏側と直接対峙したあなたたちしかいないと考えている。運営側も、解析チームが裏側の特異点を割り出し、そこを封鎖する計画を立てた」
翔は力強く頷く。
「俺たちが協力する。その特異点さえ抑えれば、この世界は正せるかもしれない。RainLilac、やろう。君だけじゃない、もう俺たちだけの問題じゃないんだ」
RainLilacは唇を噛むが、伊吹の必死な眼差しと翔の揺るぎない意志に触れ、再び決意を固める。
「うん……私も逃げない。ファンを、世界を守りたいから」
その時、突然、上空で閃光が奔った。
見上げると、AzureRiddleのシルエットと第三の影が、ビルの逆さまの塔を舞台に激突し、藍色の炎と紫色の稲妻が空を引き裂いている。
「くっ、あれが特異点の方向かもしれない……」
伊吹はデバイスを操作し、スクリーンを投影する。そこにはデータ解析された座標が表示され、どうやらあの方向に裏側の中核があるらしい。
突如、RainLilacの手首が微かに光る。ファンが紡いだ青い花弁の粒子が舞い降り、彼女の指先を包み込む。その感触は穏やかで、まるでファンたちが「頑張れ」と背中を押してくれているようだ。
「ありがとう、みんな……」
RainLilacは微笑む。その笑顔は初期公演時からは想像もつかないほど強く、優しく、魅力的な輝きを放っている。器であろうと、影に狙われようと、彼女は自分で選び、戦う道を歩む存在だ。
「行こう、あそこへ。決着をつけるんだ」
翔はツールを握り、伊吹と共に走り出す。RainLilacも後に続く。
だが、彼らが数歩進んだその瞬間、地面が大きく波打ち、巨大な裂け目が走る。
裂け目の奥から覗くのは、既知の何物でもない異界的な風景――巨木のようなコード構造物が蠢き、そこに人間らしき影がぶら下がっている。
「嘘……さっき裂け目から出てきたあの人があんな場所に……」
RainLilacが息を呑む。
「あの人……運営内部の古いログには、その者を示唆する記録があった。それによると名はノクターン、裏側の動向を観測していた謎の存在らしい」
伊吹はデバイスを操作しながら言葉を吐き出す。
「確証はなかったが、さっきの裂け目で姿を見せたあの人物こそノクターンだ。だが、なぜこんな風に囚われている?」
RainLilacは恐れと決意が混ざった声で言う。
「わからない。でも行くしかない。ノクターンがこの世界を正す手がかりを持っている可能性があるわ」
ノクターンが巨木状の構造物に囚われた光景は、まるで世界そのものを養分にしようとする植物が、人間を吊るし上げているかのような残酷なビジョンだ。
紫色の電光が走り、ノクターンが苦悶の表情を浮かべる。声は聞こえないが、必死に訴えているように見えた。
「急ごう! あそこへ!」
翔は叫び、伊吹も頷く。RainLilacは青い花弁の粒子をまとい、視線を先へ向ける。
こうして第10章は幕を下ろす。
RainLilacと翔は伊吹の協力を得て、特異点へ向かう決意を固めた。その途中で見かけたノクターン――その名と存在が、さらに深い謎を呼び起こす。
誰が敵で、何が希望なのか、次の一歩がさらなる驚愕へと誘う。




