第七章・ボディガードと過去〜2〜
〜2〜
「クルーズですか。ウェンディ・キニーと……まぁ、いいんじゃないですか。どのみち、乗客としてではなく、ボディガードとして行くことになっていたでしょうし、彼女が一緒に来てくれと言うのなら、都合がいいです」
花山院は説得も何も必要なく、アシュトンの長期離脱を認めてくれた。色々と彼を納得させる言葉を考えていたのだが、全部無駄だった。
「本当にいいのか? 十日間のクルーズだぞ」
「構いません。休暇も必要ですから。もっとも、報告はちゃんとしてもらいますけどね」
海の上といっても、連絡手段は何かしらあるはずだ。それに着岸するタイミングだってあるはず。そこでウェンディの行動を細かく、これまでどおりに報告してもらう。
(まぁ、近づきすぎて、彼女に情を抱きでもしたら厄介ですが。アシュトンさんなら、おそらく大丈夫だろう)
「ところで、カフェにいた男が誰なのかは、つかめたのか?」
「それがまだなんですよね。まさかこんなに時間がかかるとは思っていませんでした。そうなるとなおさら怪しいので、実は密かに、五人目の容疑者だと思っています」
「名前もまだわからないのか?」
「はい。まだです。私は写真さえあれば、すぐに名前はわかると思っていたのですが。こういう、透明人間みたいな人もいるにはいるんですね」
花山院はその男のこと以外にも、四人の容疑者の報告がジェームズたちから送られてきて、そこに少しでもおかしなことがないかを、細かくチェックしている。そしてそれぞれに合った指示を出している。
寝る間もなく、男のことも調べている。目に隈もできている。どうしてここまで、本気で捜査ができるのだろう。
「なぁ、以前聞きそびれたんだが、どうして花山院は探偵になったんだ?」
「唐突ですね」
「その他多くの探偵と違って、世界の名探偵となると、大変だろう。花山院なら、他の仕事がいくらでもあるはずだ」
花山院はカフェで撮影した男の写真を置いて、ペットボトルの水を取った。今日の銘柄はボルビックというフランスの水だ。フランス……ちょっと見直したフランスである。
「私が探偵をやっている理由はもちろんありますよ。何と言うか、意地みたいなものもあります」
「へぇ、教えてくれよ」
すると花山院が珍しく考えていた「あー、そうですね~」とまったく話す気のなさそうな考え方だったので、半ば諦めようとした。
が、彼の場合の「あー、そうですね~」は本気で考えているときの反応だったようだ。
「いいですよ。私もたまには思い出す必要がありますか。私が高校生の頃の話です」
「……唐突だな」
「話さなくていいんですか?」
「いや、話してくれ」
「なら黙って聞いていてください。それで、高校生の頃なんですが、私が探偵をやろうと決意した出来事がありました。いえ、その前に修学旅行の話も必要ですね……」
……
花山院葵衣が高校三年生の頃。紅葉が色づき始める季節。日が短くなり、肌寒くなる頃。夏に昇った人の心を、暗い冷気の底へと導こうとする季節。
花山院たちの学校はこの時期に修学旅行に行った。本来は二年生の行事なのだが、どうしてもその年は開催できない事情があったので、一年先送りになっていたのだ。
さて、その京都修学旅行は、花山院にとって忘れられないものになった。小学生の頃から付き合いのある小島杏奈という女子に告白したからだ。
花山院が告白なんて似合わないと思うかもしれないが、彼も人並みの恋はしていた。むしろその経験があったから名探偵になったとも考えられる。
お相手の小島杏奈がどんな人なのかと言うと、花山院に匹敵する頭脳を持つ女性だ。
花山院と二人で、警察から捜査の依頼を受けて、高校生ながらにいくつもの事件を解決に導いていた。高校生の頃から、花山院は名探偵としての頭角を現していたのだ。杏奈は花山院に勝手に勝負を持ち掛け、どちらが先に事件を解決できるか競っていた。勝敗は五分五分といったところだ。
告白をした理由は、彼女と話をしていると楽しいということ。一緒に推理をしていると、頭がよく回る気がした、等々様々な理由があるが、やはり最大の理由は、小学生頃から一緒に居て様々な難事件を共に越えたことで、好きという気持ちが芽生えたということだろう。
杏奈がとある事件で、「女性はどれだけ大人びて見えても、どこかでロマンチックを期待しちゃうものだから」と言っていたことから、京都の渡月橋という場所で、それなりに雰囲気を作って告白した。清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちが必要だった。
しかし、そんな幸せな時間は長続きしなかった。事件は、修学旅行が終わった瞬間から始まっていた。
正確には、小島杏奈が修学旅行を終えて帰宅したときに事件の幕は上がった。
ようやく好きな人に告白された。明日からは、推理以外にも楽しいことが待っている。そんな、浮かれた心と、疲れた体。ある意味満身創痍の杏奈に、追い打ちをかけるようにやって来た事件。
家の玄関を開けたとき、鼻をツンと刺激した。鉄らしき匂い。事件現場で、何度も嗅いだことのある匂い。血だ。
「ただいま」と言うのと同時に理解した。殺人事件があった。そして犯人は父だった。
殺人事件などを解明する、一課の刑事が、包丁を持ち、誰かの首を掻き切っていた。
「何をしているの、お父さん」
「すまない。こうするしか、なかったんだ」
父の瞳は、冷徹に、動脈が切れて失血死に至った元同僚を見下ろしていた。そこに後悔の様子はない。
そして、それを見る杏奈にも、動揺する仕草はない。むしろ、疲れた体も恋心も全部を押しのけて、この状況を利用する最善手を見つけるために脳が活性化していた。
(……ごめん、葵衣、私たち、もうお終いかも)
あまり良い空気ではないが、思い切り深呼吸をし、杏奈は覚悟を決めた。善悪の境界線は不明瞭。そして、いざ境界を飛び越えるタイミングは、例えば不良の先輩が持ってきた話しだったり、悪質な会社に入社したりと、様々なのだろうが、杏奈にとっては今なのだ。
父がした殺し、これが、杏奈が悪に足を踏み入れるタイミングだった。
(女はロマンチックがどうのと言ったけど、私は違うかも。いや、むしろロマンチック? 葵衣、カップルらしく、勝負といきましょう)
****
季節は変わらず、高校最後の秋。生憎の雨。修学旅行が終わり、振替休日の後、学校が再開されてから教師が最初に言ったことは、いよいよ受験だから気合を入れていけ、だった。
まぁそのとおりなのだろう。現にほとんどの生徒が休憩時間も何かしらの勉強をしている。何もしていないのは花山院と杏奈くらいだ。
二人はカップルになったものの、過ごし方に大きな変化はなかった。思い返せば、元々カップルみたいに一緒に居たので、周囲も二人のことには気づかなかった。
修学旅行以降、変わったことは一つだけだ。杏奈の出席率が低下した、くらいだ。元々警察に呼ばれるなどして出席率が悪かったので、大した変化ではないが、最近は目立っている気がする。メッセージを送っても、ちょっとした風邪、としか返ってこない。
五限目の授業中、外を眺めているときだった。教室の扉が開いた。杏奈かと思い、花山院はすぐに確認したのだが、残念ながら学年主任の教員だった。ただその教員は、花山院に用事があったようだ。
「花山院君、少しこっちに来てください」
どうせ入試問題を解いているだけの退屈な授業なので、花山院はむしろ暇つぶしになると思い、すぐに席を立った。しかしこのとき、教員が持ってきた話は、そんな軽い気持ちで聞いていい内容ではなかった。
教室から歩き、誰もいないような廊下で立ち止まり、教員がこう言った。
「落ち着いて聞いてください……小島杏奈さんが、殺人事件の容疑者として勾留されることになりました」
校内に植えられた木々がざわめき、紅葉が舞い上がった。紅葉を見ると京都の思い出が嫌でも脳裏に浮かぶ。浮かんで嫌なものはないので、むしろ嬉しいのだが、今回の風は思い出を吹き飛ばすような風だった。
「は? 今、なんと?」
「……小島杏奈さんが、殺人事件の容疑者になったんです。最近起きている警察官の連続死を、君なら知っているでしょう? その容疑をかけられて……」
「そんなわけあるか!」
警察官の連続死。花山院は嫌な言葉を思い出していた。杏奈は以前から、警察のことを嫌っていた。杏奈の父、小島啓介は捜査一課の敏腕刑事だ。杏奈は警察のことを話すとき、自分の父のことなんて忘れているのかと思うほど、悪く言う。
「ろくに仕事もしないくせに、常に名誉と、昇進と、保身のために頭を回しているお馬鹿さんたちよ。ねぇ、警察内部でどれほどの不正なやり取りが行われているか知ってる?」
「知りたくありませんね。興味ありませんし。しかし、警察が日本の治安に貢献していることは疑いようのない事実です。そう悪く言わないであげてください。杏奈の言う警察は、きっと一部なんですよ」
「いい? 上層部が腐っていたら、当然その下に着く人間も腐るの。いや、最初から腐っているのかもしれない。似た者同士が好きだから」
こんなことを言うほどだ。それでも、彼女が人殺しなんて、とても考えられない。
優秀で、いつも静かな部類の生徒である花山院が、珍しく声を大きくしたので、経験豊富な学年主任の教員といえど、一度口を閉じ、間を取る必要があった。
「私も、信じられません。ただ、面会ができるそうです。行きますか?」
「もちろんです」
警察署の留置所。何度も警察署には出入りしていたが、その場所に行くのは初めてだった。もっとも、面会なので、檻の中にいる彼女を見るわけではないのだが。
もしも、檻の中にいる小島杏奈を見たら、どんな反応をしてしまうだろうか。
強化ガラスで区切られた部屋でしばらく待っていると、杏奈が向かいの扉から入って来た。
「葵衣、少し痩せた?」
「それはお互い様ですよ。驚きました。まさか杏奈が、こんな場所にいるなんて。もちろん、無実なのですよね?」
「当たり前でしょう。まぁ警察は、偶然現場に私がいて、偶然私が殺しているように見えた
から、捕まえただけで、証拠はないと思うから、起訴はできないと思うけど」
最近立て続けに起こっている警察官の死。花山院は自ら調査に乗り出すタイプではなく、依頼を受けたら動くタイプなので、まだ詳しくは知らないが、最初のうち、テレビでは自殺と報道していたはずだ。
しかし五名も連続して警察官が死ぬとなると、自殺と見せかけた他殺、という線が出て来る。現場にはまったく、他殺の痕跡がないみたいではあるが。
「杏奈はどうして現場にいたのですか? 誰の現場にいましたか?」
「父から話を聞いて、私も調査しようと思ったの。警視正の小出将司さんだった。警察手帳を見たからわかったわ。場所は港区の海沿いにある薄暗い倉庫街」
「君の目から見て、自殺に見えましたか? それとも他殺ですか?」
「私は現場に到着してすぐに逮捕されちゃったからね。ぱっと見は、自殺としか思えなかったよ」
そうなると本当に犯人は用意周到で、犯罪捜査のことを熟知している人物だと予想できる。杏奈でも自殺と思うのは、そういうことだ。
「警察も、身内が殺されたとなれば本気になるでしょう。勾留期間は最大まで延長されるかもしれません。そうならないように尽力しますが。お父さんは何と言っていますか」
警視庁の捜査一課に配属される敏腕刑事は何と言っている。身内が勾留されたとなれば、捜査からは外されるのだろうが。
「犯人じゃないんだ。堂々としていればいい。だって」
「そうですね。私もそう思います……私はこれから、警察と協力して真犯人を暴こうと思います。少し、待っていてください」
花山院は柄にもなく、熱い眼差しを向けていた。彼が、珍しく本気になっている。それを見た杏奈は、小さく微笑んだ。
「以前あなたは、探偵なんて好きじゃないと言っていたけど、やっぱりあなたは探偵よ。私を助けてくれるもの」
高校二年生の頃だったか、放課後に、一緒にラーメンを食べに行ったときの会話だ。杏奈に、探偵や刑事になるの? と聞かれたのだ。
「どうでしょうね。私はそもそも、探偵というのをあまり好きではないので。正直ミステリー小説も最近は好きではありません」
水をごくごくと二杯続けて飲んだ。ラーメン店の、水を自由に飲めるというシステムが花山院は好きだった。店員に頼むのではなく、自分で水を注げるというのも良い。
「いえ、読みますよ。癖でね。しかし読んだところで、最近は何も思わなくなってしまいました」
作中の探偵と言われる人は皆、頭脳明晰で、できる男や女だった。この世のことで、わからないことなんてないと言わんばかりに、その場その場で適した知識や閃きが彼らの脳に注ぎ込まれている。
奇抜なトリックがあり、それを探偵が解決していく。花山院はその物語を読んでも、何とも思わなかった。
「私は数理や事実や犯罪や、その他様々なものより、人の心が好きです。どんなに濁っていようとね。それこそ氷のような心でも。解明したくない、解明するべきでない事実や犯罪があってもいいと思います。何でも解決して自分の手柄にしようとする探偵は嫌いです」
花山院はそのときの会話を思い出した。探偵が嫌い、今でもそれは変わらない。しかし今回ばかりは、そうも言っていられない。
「私はまだ、探偵があまり好きじゃないです。それでも、本気で挑みます」
杏奈を犯人になんてさせない。真犯人は、必ず捕まえる。
そろそろ面会が終わる。時間制限があるのは悲しいな。
「もしも、犯人が氷の心を持っていたら?」
その問いの真意は、その場で花山院にしかわからなかった。アガサ・クリスティーが言っていたことだ。完全な犯罪をするのには、氷の心が必要。言い換えれば、氷の心の持ち主は完全な犯罪ができる。
隙があってはいけない。不純物を限界まで取り除き、透明でいることを極める。実際に触らない限りわからないほどきれいに。それは見えないから存在しないものになる。触った者の中にしか存在しない現実を生み出す。
「完全な氷の心なんてありません。いえ、私が否定します」
そうして面会が終了した。
面会室を後にすると、花山院はその足で事件の捜査本部に向かった。入念な現場検証と聞き込みのためにほとんどの警察官が外出しているようで、捜査本部にいたのは赤尾当真という巡査部長だけだった。良かった、見知った顔だ。
小島杏奈の父、小島啓介の弟子のような存在だ。捜査本部に入ると彼がすぐに気づいてくれた。
「花山院君じゃないか! まさか協力してくれるのかい? いやぁ、助かるなぁ」
「杏奈に容疑がかけられたとあっては、黙っていられませんから」
「そうなんだよね。僕もあり得ないと言っているんだけど。おかげで大戦力の小島さんも捜査から外されるし。でも君が来てくれたのなら、心強いよ」
「そう簡単な事件とは思えませんけどね。これまでの資料を拝見させてください」
花山院が言うと赤尾当真はすぐにすべての資料を見せてくれた。一人目の被害者は赤尾や小島啓介と同じく捜査一課に勤めていた刑事、伊藤大樹だった。死因はナイフによる失血死。首を割いて自殺したそうだ。
二人目は高橋正樹。この人は杏奈が見た小出将司と同じく警視正だ。拳銃によって頭を撃ち抜いて自殺。場所は江東区の倉庫街。
三人目は熊田博。なんと警視監だ。それほどのキャリアの人間が、これまた拳銃で自殺。場所は自宅マンション。
四人目、五人目と同等のキャリアを持つ男性がナイフと拳銃をそれぞれ使い、自殺をしている。
現場周辺は鑑識も含めて何度も調べたそうだが、他殺であるという証拠は何一つ出てこなかったそうだ。
花山院は資料を見ながら呟いた。
「この人たちは、自殺をするような理由があったのですか?」
「いいや。そんな理由がある人はいないと思うよ。遺族の話も聞いたけど、とても自分で命を断つような人ではない。そう言うばかりなんだ。一人目の伊藤大樹は、俺の先輩の一人でもあるんだけど、最近結婚したばかりだったんだ」
警察は現在、そういった、自殺をするなんてあり得ない、という曖昧な理由から、他殺だと考えているそうだ。そこは、花山院も同じである。
「例えば、恨みを買っている、ということは?」
「警視監だったり、上のキャリアの人となるとね。それなりに恨まれるようなことがあっても、おかしくないよ。賄賂や贈収とか、嫌な噂もたくさん聞くし」
「そうですよね……そもそも上のイスに座って腐った人間が、自殺をするとは考え辛いです。憎まれっ子世に憚る、というのは失礼ですね」
赤尾は特に意味もなく資料を確かめながら話した。それではだめだ、資料を見るときは、一つひとつに裏がないかを確かめるようにしなければ。そうして洞察していかなければ、事件解決には至らない。
「花山院君も、他殺だと思うんだね」
「間違いなく他殺ですね。亡くなった人に傾向があることからも、他殺であるとわかります。ただし、いまいち、犯人の狙いが見えません。透明人間のごとく、証拠をまったく残さない。これだけの準備をするということは、犯人は細部にまで気を配れる賢い人です。そんな人は、そもそも犯罪をしません。そんな人が犯罪をするなら、相当な理由があるはずです。しかし、今のところ、理由がわからない。こういう犯人は、恨みだけで人を殺しません。それに五人も六人も、同時に人を恨んだりしますかね」
つまり怨恨の類による殺人ではない。そうなってくると、犯人の追跡はさらに難しいものになる。
(理由をこじつけるのなら、腐った警察組織の……私はどれだけ腐っているのか知らないが、それを正すためか? だったらそれをアピールする必要があるだろう。では最初の一人はどうして殺された。ただの捜査一課の刑事ではないのか?)
引き続き資料に目を通しながら、直近の捜査情報を聞こうとしたときだった。
捜査本部の電話が鳴った。赤尾がすぐに取ると、花山院にまで聞こえる大きな声がした。テレビをつけろ! 今すぐに!
言われたとおりにつけると、そこにはたった今資料で見た被害者たちが映っていた。写真ではない。動画だ。
ニュースキャスターが言った。「これは、匿名で送られて来たビデオです」
そう言って、警視正の小出将司が話し始めた。場所はどこだ、暗い、おそらく倉庫の中。そんなところで撮影、誰が? カメラを持っているのは誰だ。
「警察内部で行われている、汚職、あらゆる不正について、私が知っている限りのことを話します」
そうして小出将司警視正は、次々と警察上層部の闇を話していった。
「昇進のためには、賄賂というのは必ず必要だと思います。私は高いお金で女性を用意して接待したこともありますし、されたこともあります。そうして気に入られないと、昇進できないからです」
誰か犯人を捕まえたとき、その人が警察上層部の家族や知り合いだったら、無条件で解放します。政治家のときも同じです。不正は当然、上層部だけではありません。税金から給料を貰っているにも関わらず……。
その動画はかなり長かった。小出将司の動画が終わると、次に熊田博の動画に移り、同様に罪を自白していた。
「何か、とんでもないことになって来たな」
赤尾は青ざめた様子で動画を見ていた。今後、警察という組織はどうなってしまうのだろうか。風当たりはどうなる、今すぐに辞めるべきか。
「これが犯人の狙いというわけですね。殺す前に、この動画を撮影。なかなか、正義感がある人ですね。いや、ちょっと曲がった正義感ですかね」
それとも、曲げるしかなかった正義感なのか。いずれにしても、この動画があることは大きなヒントになる。それに他殺だという絶対の証拠ともいえるだろう。
「それでは私たちは、被害者遺族の自宅に行きましょうか。直接話を伺ってみたいです。それと、被害者の警察内部における交友関係を細かく洗っておいていただけますか」
「警察内部って、まさか犯人は警察官だと思っているのかい?」
「はい。まだ五割程度ですが。警察の悪事を知っているのは、やはり警察でしょう。というわけでお願いします」
その調査は誰でもできるので、他の調査員に任せ、花山院と赤尾は遺族の元へと車を走らせた。
残された遺族は皆、当たり前なのかもしれないが悲しんでいた。自殺なのか他殺なのかもわからない。警察からは何度も聞き込みを受ける。精神的にも疲れているはずだ。
まともに話を聞くことができたのは小出将司の妻、小出智子だった。彼女はなかなかタフな人だ。ついさっき、夫の汚職の話をテレビで報道されたばかりだというのに、花山院たちを迎え入れてくれた。
「あの人が自殺なんて、到底信じられません」
「はい。私もそう思います。小出将司さんは港区、芝浦ふ頭駅から歩いて遠くない倉庫街で見つかりました。あの夜、彼はどうして倉庫街に行ったのか。何か聞いてはいませんか」
何度もされた質問だと思うが、花山院が丁寧に訊くと小出智子も丁寧に返してくれた。
「申し訳ありません。何も聞いていないんです」
「そうですか。では、この五人の中で、誰か見たことのある人はいますか?」
「……この方、高橋さんですよね。夫と同じく、警視正だった。他の方は初めて見ると思います」
花山院はここで、踏み込んだ質問をした。先ほどのテレビを見て、あなたはどう思われましたか、と。
小出智子は正直に答えてくれた。何か、やってはいけないことを、夫がやっていることは、知っていた、と。
そしてこう付け加えた。それでも、私にとっては、大切な人でした。私は生涯、あの人と一緒に居ようと、心に決めていました、と。
(やってはいけないこと……止めなかったのだな。生涯一緒に居ようというのは、ただの愛ではないのだろう? 自分もその恩恵を受けていたと、知っていれば……)
さすがにそのことを、今、小出智子の前で言う必要はないなと思い、花山院は帰ることにした。
「また何か、思い出したことがあれば、いつでも連絡をください」
「はい。わざわざありがとうございました」
車に乗り込むと、赤尾が早速言った。
「いやぁ、僕もあれくらい愛してくれる奥さんが欲しいな」
「そうですか。いったん署に戻り、もう一度資料に目を通します。たしか防犯カメラもありましたよね。今度はそれも見ます」
「了解。花山院君は既に、何か掴んでいるのかい?」
「いいえ。ここまで他殺の証拠が出ない事件は珍しいです。これは本腰を入れないと、いつまでも解決できそうにありませんね」
杏奈のために、少しでも早く犯人を見つけたかったのだが、難しそうだ。
捜査本部に戻るとすぐに防犯カメラ映像の確認を始めた。今日は徹夜になりそうだと思っていた矢先、事態はさらに動いた。
赤尾が慌てた顔で駆けてきて、こう言った。
「六人目の犠牲者が出たそうだ。現場には?」
「もちろん、すぐに行きましょう」
……
六人目の被害者は神崎颯。警視長だ。死因は最初の被害者、伊藤大樹と同じくナイフによるもので、首を刺されていた。
場所は新宿にある彼の自宅マンション。リビングのイスに座り、死んでいるのを彼の奥さんが見つけている。
そして神崎颯が死んだ数時間後、深夜一時に、動画投稿サイトに罪を告白するメッセージが投稿され、一部のネットユーザーたちは賑やかになった。
亡くなった神崎颯の自宅マンションは建てられたばかりで、とても高級感が漂っていた。現場にいた警察官に、マンションの管理人はしつこく、事故物件になりませんか、いわくつきにならないでしょうか、と尋ねていた。神崎颯が死んだことについては、べつに悲しくもないという様子だった。
(オートロック。いちおう関係者以外は入れない。壁によじ登った後がないかを確かめてもらうつもりだが、神崎颯の自宅は地上五階。そこまでよじ登る超人がいるのだろうか。超人だったら、これまでの殺人で、まったく痕跡を残していないことにも合点がいくか? 強引か。郵便受けの下の宅配ボックス。かなり大きい。まさか段ボールの中に入って、被害者に家まで運んでもらった。これも強引。重くて運べたものじゃない)
何やら騒いでいるマンションの持ち主と話して、防犯カメラを見せてもらった。神崎颯は夜九時にオートロックのエントランスを解錠し、帰宅している。
「死亡推定時刻はわかりましたか?」
「夜九時三十分から十時の間みたいだよ」
つまり帰って、ほどなくして殺されているということになる。神崎颯の自宅玄関を映す防犯カメラもチェックしたが、死亡推定時刻の周り五時間、神崎颯以外の人物は出入りしていない。
「すごいですね。これじゃあ本当に自殺か透明人間による殺人としか思えませんよ。カメラに顔が映っていないのは気になりますが……奥さんは家に居なかったのですよね。どこで何をしていたか、わかりますか?」
神崎颯の妻はたしかに事件当時自宅に居なかった。仕事というわけでもない。夫と喧嘩をし、実家に帰っていたのだ。
「そうですか。奥さんは、颯さんの死を受け止めていらっしゃいましたか?」
神崎颯の妻はこう言っていた。面白いことに、小出智子と似たようなことを言っていた。
「動画を公開されてしまったので、この際話しますが、いつも悪巧みをしている、警察の風上にも置けない人でした。しかし、私はあの人のことを恨んだりはしていません……」
防犯カメラの映像を一通り見た花山院は、赤尾と共に警察署に帰ることにした。花山院はパトカーの中で思案に耽っていた。
(今回の殺人でわかったことといえば、どうやら杏奈が犯行に及ぶことはできないだろうということ。それくらいだ。仮に、この一連の出来事が殺人だとしたら、証拠があまりにもない。ナイフの持ち手には、被害者の指紋があり、信じられないくらい強く握っていた跡がある。拳銃自殺にしても、調べるほど、自殺という結論に近づいているようだ。被害者が、自殺であることを、わざわざ強調しているかのようだ。防犯カメラの映像に誰も映っていないのはなぜだ。しかし、すぐに思いつきそうな飛び降り自殺を誰も実施していないというのが怪しい。飛び降り自殺に見せかけることができないということだ)
神崎颯の場合、犯人は殺害後、五階からどのように逃げたのかという謎がある。もっともこの謎は、ベランダの避難梯子などを利用すれば解決するのかもしれない。あの梯子は一度下ろすと戻すのが面倒だが。
警察署に戻ると、捜査本部は深夜にも関わらず忙しく動いていた。また、花山院が依頼しておいた被害者の交友関係をまとめた資料が赤尾宛に届けられていた。
「ありがとうございます。では、明日からはそこに載っている人を一人ひとり、聞き取り調査をしていきます。ひとまず今日は他の現場のカメラのチェックです」
赤尾は交友関係リストを面白そうに見ながら言った。
「そうだ、言い忘れていたのだけど、今のところ被害者は全員、長期休暇の後に死んでいるんだ」
「……そういう重要なことは、ちゃんと資料に書いておいてください」
パソコンの電源を入れて早速カメラのチェックを始めた。長期休暇の後に、自殺をしている。もちろんその可能性はゼロではないが、注目すべきは、休暇ということは同僚の警察官に会っていないということだ。
警察の中に犯人がいるとすれば、休暇というのはどのように利用できるのか。花山院はそのことを考えながら、カメラのチェックを続けた。
……
二十日後。
被害者は六人から十三名に昇った。捜査本部も花山院も、手掛かりと言えるものはつかめていなかった。被害者と交友関係のあった人物を一人ひとり調べてはいるが、今のところ全員にアリバイがある。
また、この日は小島杏奈の勾留期間が満了する日だ。起訴する証拠は当然ないので、警察も検察も大人しく解放するしかなかった。
「久しぶりですね。結局、犯人を見つけることができず、申し訳ありません。かなり、行き詰っていまして」
「葵衣が苦戦するなんて、犯人は相当のやり手だね」
まったくそのとおりだ。少しも証拠を残さない手腕は言わずもがな、おそらく犯人が目標としていると思われる警察への復讐も見事に果たしている。
現在、日本の警察は凄まじい非難を受けている。電話はひっきりなしに鳴り、場所によっては交番に市民が押し寄せて、警察官が怪我をすることもあった。
警察は現在、国民から最も嫌われる組織になってしまった。人の心は本当に変わりやすい。まだ事件が明るみになってから、一ヶ月と経っていないのに、警察はすっかり悪者だ。
「私も手伝おうか?」
「いいえ。この事件に関しては、何もしない方がいいと思いますよ。今でも一部の刑事たちはあなたを疑っていますから」
それに、明日、話を聞くのは杏奈のお父さんだ。杏奈を連れて行きたくない。
「そう……この後も捜査に行くの?」
「はい。昨日も、十三人目の被害者が出ましたから。休んでなんかいられません」
「ねぇ、留置場に居る間に考えたのだけど、犯罪って社会の病気だと思うの」
勾留されている間、まるで哲学者のように、犯罪とは何なのか、心理学者のように、何が人を犯罪に走らせるのか。杏奈はそのことを考えていた。というより、それくらいしか、することがなかった。
「病気ですか。なら、なくすのは難しそうですね」
「そうだね。そもそも私たちのしていることは対症療法。本当に必要なのは原因療法よ」
「社会を変えますか。どうやって?」
杏奈は悪い顔で笑った。悪知恵が働いたときの子供みたいに。
「この世界の悪習を取り除く。腐敗した組織を解体する。警察、行政、マスコミ、政治家。全部変えてようやく、スタートラインね」
花山院はそれを頭の中でシミュレーションしてみた。一つひとつ、変えていくにはどうするべきか、何を変えるべきなのか。どうも、骨が折れそうだ。
「難しそうですね。せいぜいできそうなのが……」
「政治家。そう思ったでしょう?」
そのとおりだ。やはり彼女とは話が合う。
「まぁいきなりってのは難しいけど、これならできる。選挙は、投票した側にもある程度責任を持たせるの。例えば国の成長率が落ちたら、そのときの与党と、与党に投票した人から少しお金を取るとかね」
それはいい案なのかもしれないと花山院も思った。責任感を持たせれば、自ずとそれは監視の目になるし、政治家は本当に覚悟のある人しか立候補しなくなる。もちろん、投票率が下がるかもしれないという問題は、解決しなければいけない。
会議の場で黙っていて、海外視察という名目で旅行に行っている場合ではなくなるというわけだ。
「なるほど。なかなか考えていますね。もっと短絡的に、独裁国家を作るとか言うと思いました」
「あのね、独裁は一時的な成長しかもたらさないの。私を馬鹿にしないでよね」
「はい。すみません……では私はそろそろ。また今度、事件を解決したら、ゆっくり話しましょう」
ようやくガラスもなく、監視員もいない状況で話せるのだ。もっと彼女と話していたい気持ちもあったが、今は事件が優先だ。惜しみながらも、杏奈と別れ、花山院は捜査に戻った。
翌日。
杏奈の父、小島啓介の取り調べ。交友関係リストに載っている最後の人物だ。
小島啓介は一人目の被害者である伊藤大樹と接点があった。二人はライバル関係だったそうだ。新卒として警察官になり、それ以来、ほとんど同じ歩幅で前進している。
それだけに、特に今回の事件には意欲的になっていたと赤尾は言っている。伊藤の敵は俺が取る。そう言って寝る間も惜しんでいたそうだ。
しかし杏奈が容疑者になってしまったことで捜査から外された。今は魂が抜けたように、事務仕事をこなしているそうだ。
「お久しぶりです」
小島啓介を前にして、花山院はそう言った。幼い頃から知っている相手の取り調べというのは、これが初めてで、花山院も若干緊張していた。
「やぁ。杏奈は元気だったかい?」
「はい。大丈夫です。杏奈は二十日間の勾留で参るような精神力ではないので。杏奈より、啓介さんの方が心配です。かなり痩せたのでは?」
せっかく娘の勾留期間が満了したのだ。会いに行けばいいのに。そして温かいご飯を一緒に食べるべきだ。
「こんなことになっているからね……私も伊藤も、悪を取り締まり、正義を志して警察に入ったんだ。くさい言い方だけど、本当なんだ。だけど今は、警察がすっかり悪になっているからね」
普段、権力を振りかざしているくせに、警察の裏側はこんなにも真っ黒だったのか。許せない。叩けるものを見つけた人間は、群がって叩きたくなる。そういうものだ。
「その伊藤さんについてなのですが、啓介さんは彼が亡くなる前に、会っていたそうですね。何か変わった様子は見られませんでしたか?」
伊藤大樹の家族からの証言だ。伊藤大樹はどうやら、小島啓介に会いに行ったきり、帰ってこなかったそうだ。
「何も、変わった様子なんてなかったよ。今度家族も連れてキャンプに行こうと話していたくらいだ。今も、信じられないよ」
浜松にある紅葉がきれない場所に行こうと思っていたとのこと。キャンピングカーをレンタルし、美味しいものをたくさん買って。
「なぁ、あいつが自殺なんてするわけない。赤尾もそう思うだろう。確実に、悪に染まった犯人がいるんだ」
杏奈の父親らしい言い方だなと思った。昔から、根っからの警察官だった。それは今も、おそらく変わっていないのだろう。
「……では、万が一、この一連の騒動が、本当に自殺だとしらたどう思います?」
「自殺って、君だってそんなこと思っていないだろう?」
「はい。ですが自殺だったとしたら、警察官を連続して殺すような、悪に染まった犯人はいないことになります。それはそれで、良いのでは? むしろ、警察官が自分の悪事を吐露していく。今後の警察組織の改正に繋がります」
赤尾は花山院の話に、「おぉ」と納得している様子だった。たしかにこの一連の出来事で、様々な悪事が減ることは目に見えている。
(まぁそれは、警察内部での話だ。警察は腐っていたとしても、犯罪の抑制に一定の効果を持っていたことは間違いない。おそらく来月辺りから、警察に抑圧されていた凶暴な人間、組織の犯罪が一気に増えるだろう)
小島啓介はしばらく考えていた。本当に自殺で犯人はいない。そんなこと、一度も考えたことがなかったから。
「……もしそうなら、私は伊藤の苦しみを察してあげることができなかった。ということになるね」
そのとき、赤尾の携帯に電話があった。赤尾は手元も見ずに素早く応答した。
「十四人目の被害者が出たぞ。テレビを付けるんだ。吉永美紀議員だ。また自宅で殺されている」
その報告に、水を飲もうとしていた花山院の手が止まった。
(……今、ですか。随分とインターバルが短い気がする。十三人目の被害者は一昨日見つかったばかりだというのに。まさかこのタイミングを狙っていたのか? どんなタイミングだ。私が、小島啓介の取り調べをしているタイミング? 私のことを知っているのか。警察内部の人間ならば、あり得ない話ではない。捜査を混乱させるためか。警察官ではなく、議員を狙ったのは? 政治家だって汚職の温床だろう。正義感のある犯人ならば、不自然なことではない。では、今まで狙ってこなかった理由でもあるのか?)
気になることはたくさんあったが、花山院と赤尾は現場に向かい、近くにあった防犯カメラをチェックすることにした。
過去二日分、チェックしたのだが怪しい者はいなかった。吉永美紀議員とその秘書が出入りしているだけだ。
その映像を見ていたとき、花山院の脳にこの事件でようやく、閃きが舞い降りてきた。稲妻が走り、すべての点が繋がった。それと同時に去来する信じたくないという想い。
(……いちおう筋は通る。だけど、本当にそうなら……いや、まだ確定していないんだ。調べてからだ。全部調べて、違ったらそれでいい。だけど……もしも俺の考えが当たっているとしたらどうする。俺は、この事件を解決してしまっていいのか? 俺は探偵じゃないんだ。そこまでする必要があるか? 考えても仕方ないか……)
花山院はぼんやりと、映像を見ながら話した。
「赤尾さん。お願いしたいことがあります。これは、誰にも言わずに、赤尾さんだけで対応してください」
「え、でも上司の許可を貰わないと……」
「警察内部に犯人がいるかもしれないんです。お願いします」
そうして花山院は赤尾に、とある依頼をした。かなり、赤尾一人には荷が重いかもしれないが、確実に信頼できるのは、赤尾くらいなのだ。彼に頑張ってもらうしかない。
花山院の話を聞いている間、赤尾は目を丸くし、何度も「そんな馬鹿な」と言って、花山院を否定しようとしていた。その気持ちはわかる。花山院も、自分で自分の考えを否定したいのだから。
「否定するためにも、徹底的に調べましょう。お願いします」
その後、しばらく花山院と赤尾の二人は単独で動くことになった。花山院は今、自分の感情に整理を付けられないでいた。
推理の手応えとしては、これまで事件を解決してきたときと同じだ。自信がある。冷静に、考えてみよう。
ここで、花山院が事件を解決しなければ、手の込んだ事件だ、解決までには時間がかかるだろう。いや、もしかしたら解決されないかもしれない。それは、本当に悪か? この犯人のおかげで、警察上層部で後ろめたい過去を持っていたほとんどの人間が辞職しようと考えている。政治家にも手を伸ばすのなら、日本の停滞する政治を変革する起爆剤になるかもしれない。
(それを止める私の方が、なんなら悪かもしれない……いや、今さらになってそう思うのは、おかしいだろ。私の中で犯人が確定し、その犯人が、犯人であって欲しくないから、そう思っているだけじゃないか)
花山院は赤尾からの調査報告を待つ間、ずっと祈っていた。どうか、推理がハズレていてくれ、と。
三日後に、赤尾は調査を終えた。花山院にとって、最悪な証拠を彼は掴んでいた。
……
赤尾が証拠を持って帰って来た日、花山院は決めた。犯人を逮捕する。凶悪犯罪者だ。逮捕するにあたって、多くの警察官を用意するのが定石だろう。
そんなことはわかっていたが、人員は数人。赤尾を含めて、捜査本部の刑事を三人だけだ。推理が正しければ、それで十分に足りる。
花山院たちはとある男を尾行していた。その場にいる捜査官たちは、誰も彼が犯人だと信じてはいなかったが、赤尾が持ってきた動かない証拠があるのだ。納得するしかなかった。
男は、電車に乗り、原宿に向かった。さらに五分ほど歩き、向かった先は、藤堂という表札のある家だった。警視総監、藤堂平助の家だ。
(……遂に警視総監を殺すか。すごいよ、到底、真似できない)
男が警視総監の家に入ったと同時に赤尾たちが取り押さえた。
「確保だ!」
刑事たちはそう言って、一瞬躊躇いながらも、手錠をかけた。その男の名は小島啓介。捜査一課の敏腕刑事だ。
藤堂家の中には、花山院の予想したように藤堂平助がいた。イスに縛られている。現在の小島啓介とまったく同じ服を着ている。
そして、そこには居て欲しくなかった人物までいた。小島杏奈だ。
小島杏奈と花山院の目が合った。そのときの杏奈の目には、とても深い影が落ちているようだった。
「……どうして私たちが犯人だって、わかったの?」
小島杏奈は、もう負けを認めているのか、抵抗をする気配も、言い訳をする気配もなかった。
「まず、怪しいと思ったのは、どの現場でも必ず、そこに向かう被害者がわかりやすく撮影されているということです。家や、倉庫など、そこに入るためには、防犯カメラに映らなければならない。そういう場所ばかりだったということです。もちろん、カメラに映らずに、その場から去ることができるという条件も必要です。そういう場所を、選んでいる、つまり犯人と呼ぶべき人はやはりいる。そう考えました」
花山院の話を、警視総監もしっかりと聞いていた。
「しかしカメラに映っているのは、同時に自殺だという証拠にもなります。ですが、私が小島啓介さんの取り調べをしているときに、吉永美紀議員が殺害されたことで気づきました。カメラに映っているのは、被害者に変装をした加害者なんだ。被害者は何日か前に、その現場に既に入っていたのではないか、と」
防犯カメラは二日前までは確認したが、それ以前はさすがに見なかった。十人以上も殺されているのに、何日も遡って見ている時間はなかったし、それで何か発見できるという目測もなかったから。
「吉永美紀議員を殺すには、女性に変装できる人が必要だった。だから、杏奈が解放されるまで、殺せなかったんですよね」
「そう。正解よ。私が一度捕まったのも計画の一つだった。そうすることで、あなたの中から、私が怪しいという考えを排除するために。お父さんの場合も一緒。取り調べ中に誰かが死ねば、それで疑いはなくなる。でも、さすがは葵衣ってところね」
赤尾が証拠として持ってきたのは、小島家にあった被害者と同じ服だ。小島杏奈の部屋からはちゃんと、議員と同じ服が出てきた。最近の鑑識は衣類の繊維も見逃さない。そういう意味でも、同じ衣類を着ることは大切だった。
「犯行方法については見事でしたよ。どの現場も、自殺にしか見えませんでした。まぁ、カメラに映っていたのがあなたたちで、靴も真似ていたので見つけられませんよね。動機は、小島啓介さんの犯罪を隠すためですか?」
「へぇ、そこまでわかっているんだ」
「……はい。小島啓介さんが取り調べのとき、伊藤大樹さんが殺された理由を尋ねてこないので、不思議に思っていたのもあります。まぁそれで、この人もどうして伊藤大樹さんが殺されたのかを、知っているのだと、不審に思ったのもありますが。小島啓介さん、あなたも、被害者が自白されているような悪事を、一緒にしていたのではありませんか?」
それを、伊藤大樹に見られた。それを公にすると言い出したので、殺した。包丁かナイフで喉を斬り裂いたのだろう。そしてそれは、修学旅行の最終日だったはずだ。
小島啓介は頷いている。
「それも正解よ。あなたに、警察の裏事情を話さなければ良かった。どうして私がそのことを知っているのか。お父さんから聞いたから。では、どうしてお父さんは知っているのか。加担しているから、よね」
「はい。それもヒントになりましたね……では杏奈、どうして、あなたはお父さんに協力したのですか」
そこが、花山院にとって最後の謎だ。
杏奈が修学旅行から帰ったとき、父は返り血を浴びていた。同僚の伊藤大樹を殺したのだと、杏奈はすぐに悟った。だがその後に、彼女の胸にやって来た感情は、罰や逮捕といった恐ろしいものではなかった。
これは何か使えるのではないか。
(伊藤大樹さんが死んだというのは、すぐにバレてしまう。そして、その容疑者としてお父さんの名前が挙がるのは避けられない。花山院まで調査に来たらすぐにわかってしまうだろう。そうはさせない。この殺しを土台にして、さらに凶悪な犯罪を重ねる。土台はいつか隠れる。そして、もういっそ、私は父も警察上層部も潰す)
今まで犯罪を暴くために使っていた脳を、杏奈は犯罪と革命のために使い始めた。
杏奈は追い詰められた今、最後に何と言おうかと考えていた。この犯罪に手を染めた理由を、彼氏になんて説明しようか。
「……私は、原因療法が必要だと思っているから」
「そうですか……しかし杏奈には、犯罪は向いていませんよ。あなたが本気になっていれば、私はこうして解決なんてできなかったでしょう。あなたの心は、氷には程遠い」
氷の心を持つ者は、完全な犯罪をするはずだ。
「氷はね、溶けるんだよ。私は、あなたがいなければ、完全な犯罪者になれたと思うよ」
「だったら、私は生まれて来て良かったです」
杏奈の手にも手錠がかけられ、警察署へと連れていかれた。赤尾に家まで送ると言われたが、花山院は断った。しばらくは、この事件を解いてしまったという、後悔というべきか、罪というべきか、名前のない感情の相手をしていたかった。
するとすっかり忘れていたが、警視総監の藤堂平助の声がした。
「君はすごいね。噂の探偵だね、ありがとう。ぜひ警察にこないか、君には特別な地位を与えて……」
警視総監の声を遮るようにして、花山院はやんわりと言った。
「いいえ。必要ありません。私の将来は、今、決めましたので」
……
ペットボトルの水を一口飲んでから、締めの言葉を言った。
「こうして私は、探偵として働いているわけです」
本人は話し切った様子だが、最後がよくわからなかった。どうして、彼女を逮捕することが、探偵になることに繋がるのだ。
わからない、が顔に出ていたのか、花山院は続けて話してくれた。こちらは、しょうがないな、という表情をしている。
「杏奈のしたことは、確かに犯罪行為です。しかし、一般的な、世にゴロゴロと転がっているような犯罪とは格が違います。まず、あの犯罪があったことで、警察は意識改革が行われ、だいぶホワイトな場所になりました。政治家にも、多少の影響があったでしょう。なにより、私が捜査したにも関わらず、十四人もの被害者が出ました。解決の難しさという点でも、彼女は特別な犯罪者なんです……私が他の事件を解き続けている限り、彼女が特別であることが証明されますから」
小島杏奈がいたから、嫌いだった探偵になった。結果としては良かったと思っている。世界の名探偵、そう呼ばれるほどに多くの人を助けることができているから。きっと天職なのだ。
(杏奈はそれに、気づいていたのでしょうね)
するとアシュトンが、こんなことを言った。
「それじゃあ、言い方はおかしいかもしれないが、花山院にとって小島杏奈という女性は、恩人なのかもしれないな」
資料に伸ばした手が止まった。今まで、小島杏奈のことを話したことは何度かあったが、恩人、というワードが出てきたのは初めてだ。
(……あるべき私を、教えてくれた恩人だ……)
花山院はこのとき、珍しく笑いそうになった。それは心の中で抑えた。
「はい。そうかもしれませんね。杏奈は恩人です」