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悪の芽  作者: 鶴永大也
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第五章・取り調べ〜2〜

    第五章・取り調べ〜2〜


 三人目は容疑者の中で唯一の女性、ウェンディ・キニーだ。これまでと同じくジェームズ・リードが連れて来ることになっている。

 その間に、アシュトンは清水真由美に尋ねてみた。あなたは、花山院と長い付き合いなのですか、と。

 彼女の答えはこうだった。

「そうね、もう六年くらいになるかしら。彼がまだ二十歳の頃に出会ったの」

「へぇ、そんなに長いのですね」

 ということは、意外にも同い年なのかと、アシュトンは花山院の横顔を見た。日本人は年齢が外見からわかりにくい。

「何がきっかけで?」

「コロラド州で起きた一家殺人事件で、彼に助けてもらったの」


 その事件をアシュトンは知らなかったが、清水がかいつまんで教えてくれた。六年前、コロラド州の小さな町で一家心中が流行したのだという。もちろん、それはファッションの流行とは違って恐ろしいもので、問題を重大と考えたアメリカはCIAとFBIを派遣した。その中に、清水もいたのだ。

 捜査を進めはするものの、清水たちはまったく手掛かりを掴めないでいた。捜査員の中には、もうこれは、ウイルスの流行と同じで、人間が原因と見るべきではない。そう考えた者までいた。


「およそ三週間、その町で捜査をしたのだけど、やはり原因はつかめなかった。そんなとき、どこからともなく花山院が現れたの」

「どこからともなくではありません。国防省から話が来たんです」

「ええ、そうね。あのとき、私たちの前に立って、国防省から依頼を受けて来ました、捜査の指揮は私が執ります。といきなり言って、私たちを困惑させたものね」


 上からの指示もあり、清水は花山院の下で働くことになったのだが、その時間は長くはなかった。花山院が、現場に到着して一時間ほどで事件を解決してしまったからだ。

「当然、ウイルスではないのですよね?」

「もちろんよ。誰かが、一家心中に見せかけていたの。犯人は、ウイルスの流行を主張したCIA捜査官だった」

 すると花山院が横から付け加えた。

「そもそもトリックが雑過ぎましたし、ウイルスの流行を主張するのなら、その場の捜査官たちが何ともない理由を説明するべきでしたから。そういえば、今、我々が捜査している暴動に関しても、あの人ならウイルスが、なんて言うかもしれませんね。とにかく、CIA捜査官とは思えない方でした」


 彼は当時の捜査を簡単そうに話してはいるが、清水からするとそんなことはない。CIA捜査官は全力で原因の究明にあたり、清水は何度も遺体を確認して、不自然なところがないと確認していた。一家心中と推理するに充分な証拠があまりにも多かった。

 清水はアシュトンだけに聞こえるように、部屋の隅に寄って話した。


「あのときまで私は、自分の推理力に自信があったのよ。人よりも物事の本質を見る力があると思っていたの。日本人でCIA捜査官を名乗れる人なんて少ないし、ましてや女性は滅多にいない。そして私は他の誰も解明できないような事件を解決してきたし、凶悪犯罪を未然に防いできた。そう自負していた。だけど彼を前にしてしまえば、私の推理力がいかに矮小なものだったのか思い知らされた。だから私は、彼に少しでも近づくために、彼と一緒に行動しているの。CIAに彼から協力要請が来たと知ったとき、私は真っ先に手を挙げた」


 子育てでどうしても現場を離れることもあったが、その間も花山院の話はCIAを通して聞いていた。負けていられない。私だって捜査官なのだから。

 その思いで早期に現場復帰を果たし、今、ここにいるのだ。

 清水とアシュトンが部屋の隅で話しているのを、実は花山院も聞いていた。いや、聞こえてしまっていた。


(……少し違いますね。私は彼女が現場復帰をしたと知ったから、CIAに協力を求めたんだ。彼女なら立候補してくるだろうと思って。彼女とジェームズ以外の人が来ても、追い返していた)


 そのとき、部屋のロックが外れる音がした。ジェームズと、容疑者の到着だ。さぁ、取り調べに集中しよう。

 ウェンディ・キニー。写真を見たときからアシュトンは思っていたのだが、彼女は完璧すぎるくらい美人だ。多くの利権者たちの集会に忍び込んだことがあるので、お金があって、容姿に一般人の何倍もお金を使っていて、美しい人というのは、何人も見たことがあるが、彼女は一線を画していた。


 しかし、そんな理由で彼女を甘く見てはいけない。花山院が言っていたように、誰が犯罪者になってもおかしくないのだ。善悪の境界線はとても曖昧で、いつだって飛び越えられるものだと思え。むしろ、飛び越える必要すらないものだと思え。

 例によって花山院の正面に座ってもらい、取り調べが始まった。


「ウェンディ・キニーさん。イギリス出身」

 最初の容疑者、マーク・ドイルと一緒だ。

「ええ。普段はロンドンにおります」

「普段はロンドンですか。失礼ながら、少し調べさせていただいたのですが、現在キニーさんは仕事をされていないのですか?」

 花山院は少ない資料を読みながら話した。

「ええ。資産があまりに余っているので。しばらく仕事はいいかと」

「そうでしょうね。全世界探しても、これほどの資産を持っているのは五人といないでしょうね」


 アシュトンはその資料を見せてもらった。なるほど、これまでお金に困ったことなんて絶対になさそうな桁数だ。わざわざ、普段はロンドンに居ると言ったのは、あちこちに別邸があるということだろう。

「……落ち着いていますね。異国の地の警察に呼ばれたというのに」

 質問なのか、ただの感想とも取れることを花山院が突然言った。確かに彼女は部屋に入って来たときから、マーク・ドイルのように余計なことも言わないし、アルデルト・ロバーツのように縮こまってもいない。

 おそらくこれが普段の彼女なのだろうと、わかるくらいに堂々としている。


「だって私、色んな言いがかりをつけられて、警察のお世話になることが多いもの」

 お金持ちというのも、時に大変だったりする。あの土地がどうの、私の土地を返して、あなたから借りたお金なのだけど……プールを増設するための立ち退き要求はまだ通らないし。

「色々、察しますよ。先ほど、普段はロンドンとおしゃいましたが、それほどロンドンに居る時間は長くないのでは? あなたは大の旅行好きのように思えます」

「旅行好きと言うよりも、旅をするのが好きなの。知らない場所に行くことが、私の趣味なのです」


 お金も余っていると、どんな場所にでも行けるのでしょうね。羨ましい限りです。と、アシュトンは言ってしまいそうだったが、その前に花山院が言った。

「ドイツのブレーメンや、バグダッドにも?」

「本当によく調べていらっしゃるのね。そうね、そういえば行ったわね。でも私はそんな誰でも知っているようなところではなくて、誰も知らないような場所に行くのも好きなんですよ」


 そう言ってウェンディ・キニーは微笑んだ。ずるい顔だな、女性から批判を受けそうではあるが、美人は必ずそれを武器にしているとアシュトンは思っている。仮にその気がなくても、人生で絶対に役に立っている。

 一方で花山院はそんな笑顔には惑わされず、思考を続けていた。


(ここまで話して、まだ自分が何のために取り調べを受けているのか気にならないのか。彼女は心理学の博士課程を卒業するような頭脳の持ち主だ。気になって然るべきだと思うのは私の考え過ぎか? よっぽど警察を相手にしても、何かの自信があるのだろうか。そういうのは、むしろ怪しいと思うが。まぁいい。心理学博士に関する話もするとして、先に言うか)


 花山院が水を飲もうとしたとき、ペットボトルが空になっていたので、少し顔をしかめた。

「ところで、どうしてここに呼ばれたのか、何のための取り調べを受けているのか、気になりはしないのですか?」

 ウェンディ・キニーは微笑みを崩すことなく話した。

「たしかに、何のための取り調べなのか、私は知りませんでしたね。だけど私、世の中で起こる犯罪に興味がないの。私は犯罪から身を守るだけの力があるもの」

「興味がない、ですか。たしかに、あなたに何一つ隠すことがなくて、潔白だと言うのなら、興味がないでしょうね」


 花山院がわざと彼女の機嫌を損ねるようなことを言うので、アシュトンが止めようとした。「それは言わなければいけないことなのか」、と。

(ああ、やはりウェンディ・キニーは厄介だな。ここまで美人だと男も、いや女でも簡単に彼女の味方になる)

「はい、失礼しました。ただの所感ですので、お気になさらず。では、心理学についてお尋ねします。素晴らしい論文を提出して、博士課程を卒業されたようですね。どんな論文でしたか?」

「ふふ、ありがとうございます。論文の内容ですか、少し専門的なことになりますが」


 そう前置きを言ってから彼女は話してくれた。

 人間がほとんど、どんなときでも抱いているホープ。学術的には肯定的な目標指向的計画や目標指向的意志から基づく認知的傾向と言われることが多いが、「希望」と認識しておいて構わない。ホープは心理療法におけるとても重要な要素だと考えられている。

「私はそのホープを、大雑把に言うと操る研究をしていました。例えば、人を自殺に追い込むにはどうすればいいと思いますか?」

 ウェンディ・キニーはアシュトンを見て言った。何だか、物々しい会話になってきたなと思いながらも、ありきたりな返答をした。


「絶望させる」

「そう、半分正解ね。ホープには二種類あって、まず一つ目は常に一定の線を描くホープ。生きていれば存在するホープです。もう一つは、その時々、状況によって変化するホープ。基本的に人の感情は後者によるものです」


 落ち込むとき、そのホープは下降する。楽しいとき、未来に輝かしい展望を感じたとき、上昇する。では本題に戻り、自殺させるには?

「一方のホープにダメージを与えても、生きていれば常にあるホープが何とか人を支える。それすらも壊すには、ダメージを与える前に、まるで未来予知をするように、一つ目のホープにダメージを与えることを伝えておくのです」

 そうすると、人の心は簡単に折れる。ポキッと、そんな音が聞こえるくらいに。

「あなたはそれを、試したのですか?」


「まさか私が人を自殺に追い込んだと思っていらっしゃるの? 馬鹿なことは考えないで頂戴。もちろん絶望させるときの対策はしていましたもの。その逆のときは、対策は必要なかったのだけど」

「未来予知。まるで超能力者ですね」

 その瞬間だけ、花山院とウェンディ・キニーの間の時が止まったかのように、彼女は黙りこくった。それこそ、魔術的な時間だった。

「ふふ。花山院さんは、心理学者を催眠術師や占い師の真似事をする連中だと思っているのかしら」

「意外ですね。催眠術師や占い師が心理学者の真似事をする。心理学者ならそう言うと思っていました」

 そして再び静寂の時に支配されそうになったのだが、ここはウェンディ・キニーが微笑みながら言葉を繋いだ。


「どうやら心理学や私の研究を怪しいものだと勘違いされているようですが、私は心理学を科学の一種だと思っているのです。医療は科学の一つでしょう? 人を救うという点で、心理カウンセリングも同じです。先日のワシントンD.C.での学会でも、そういえば同じようなことが取り上げられていましたね」

 花山院は黙っていた。これまでの容疑者の前では見せなかったが、片膝をソファに乗せて、行儀が悪かった。


 そのため、清水が取り調べの続きを行った。

「ワシントンD.C.での学会に参加されていたのですか。それは我々も知りませんでした」

「はい。元々、参加するつもりなんてなかったのですが、どうしてもと言われまして」

「その学会で、アルデルト・ロバーツという方を見ませんでしたか?」


 ウェンディ・キニーは少し間を置いた。頭の中で、様々な顔と名前に検索をかけていた。言い寄って来る多くの男たちから、アルデルト・ロバーツという名前はあっただろうか。

「ああ、あのオランダの方ですね。一度だけ話しましたが、どうも彼、生徒の発表があるらしいとかで、あまり話せなかったの。どうして彼の名前が出てくるのかしら?」

 花山院はそれまで働かせていた想像を消して、たった今、ウェンディ・キニーが言ったことも合わせて考えた。


(一度だけ話した、か。彼女の場合、多くの人が話しかけてきて大変だろう。それでよく名前まで覚えているな。印象的な会話をしたのか? いや、彼女はそもそも学会に参加したくなかったと言った。それで印象的な会話が生まれるものだろうか。アルデルト・ロバ―ツが、何かしたか。彼女の記憶力が単に良いだけか。そして、最も怪しい点は、まるでアルデルト・ロバーツという名前から、我々がどんな捜査をしているのかわかる。彼女はそう確信を持っている、そんな気がする。まぁ、気がするだけだ)


 花山院はジェームズが新たに用意したペットボトルの水を飲んでから話した。

「現在、その男性とあなたが、同じ容疑で取り調べを受けているからです。容疑は、世界各地で起きている暴動、および紛争について。その扇動者は誰なのか。ということです」

「暴動? いったい何を……」


 ウェンディ・キニーは半信半疑という様子で、花山院に言われたようにネット検索をかけてみた。そして、それが真実なのだと確信した。

「よくこんなものを、ひた隠しにできるのね」

「そうですね。メディアを使って隠したり、騙したりするのは、アメリカや国連が得意とする分野ですから。いずれ大きく報道されるとは思いますが、それまでは他言しないようにおねがいします」

 さて、あまり長く話してもこちらが不利になりそうなので。

「今日はこれで最後の質問にします。あなたは学会に参加するつもりはなかった。それなのに参加している。その理由は?」


 博士課程を卒業し、大金持ち。人脈に関しても何も不自由がない。学会に参加する理由は、せいぜい知的好奇心しか思いつかない。

(知的好奇心。そう言ってくれたら、あなたへの疑いは減りますよ)

 ウェンディ・キニーはやはり堂々と言った。

「本当に、頼まれたからです。私は博士課程を修了しているわけですし、もう学会に出る必要なんてありません。日本に来て、会いたい人もいたものですから。問い合わせてもらっても、結構ですよ」

「……そうですか。本当なのでしょうね。あなたは、人のことを気にするような人には、見えなかったので。いえ、失礼しました。では、ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」

 ウェンディ・キニーとジェームズ・リードが部屋から出ると、アシュトンはすぐに聞いた。彼女がXだと思うかと。


「そんなにすぐ、結論は出せませんが、少なくともこれまでの容疑者の中では、一番可能性を感じました」

「どうして、そう思うんだ?」

 花山院は答える前に、アシュトンと目を合わせた。普段の捜査ならば、皆から意見を募るために、すぐに考えを話すところではあるが、このときは躊躇った。

 破分隊という特殊部隊に所属し、数々の極秘任務をこなしてきたアシュトンだ。加えて、彼はどうやら頭もなかなか切れる。自分がなぜウェンディ・キニーを怪しいと思ったのか、話しても損はないはずだ。しかし、今回のターゲットであるXは、得体のしれない相手だ。各地で暴動を引き起こす計画性も感じる。これまでと同じ考え方では、たどり着けないかもしれない。


「……探偵の勘です。いやぁ、彼女はすごいですよ。富と魅力の結びついた素晴らしい女性です。金で買えないものはきっと、微笑みで買い取ってしまうのでしょうね」

「……嫌味を感じる言い方だな。まさか彼女が美人で金持ちだから、怪しいと思っているのか?」

「そんなまさか。言ったでしょう、探偵の勘だと」

「彼女は花山院も認めるほど美人だ。だがそれと同時に才能ある人に思えた」


 花山院はアシュトンの言葉に、才能というものを考えてみた。ウェンディ・キニーは確かに美しいだけの女性ではない。その美しさの使い方を理解してもいるし、それだけでなく心理学の博士ときた。おそらく何か得意の楽器もあるのだろうと花山院の目には映っていた。

 それらすべて才能なのかというと、どうなのだろう。それとも、美しいというのが、才能なのか。

「清水さんはどう思う?」

 アシュトンが訊いてみると、彼女は短く答えた。

「苦労もしているのでしょうけれど、それを超える裕福な環境が想像できたわね」

「ああ、そうさ。彼女はきっと苦労をしている」


 そこで花山院がようやく言った。

「たしかに、彼女には何かしら才能があるのでしょう。しかしそれだけでない。彼女は努力家でもある。学生の頃は、心理学と真摯に向き合っていたことが想像つきます。それは、先のアルデルト・ロバーツよりも、私は感じました。彼女は、その容姿や元からある資産だけで生きていくような人ではない」


 熱心に勉強したおかげで、心理学の限界に気づいて、研究から退いたのかもしれない。


「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが神童だったのは誰もが認めるところです、六歳で作曲しているくらいですから。しかし忘れてはいけないのは三歳から徹底的な教育を受けていたといことです。天賦の才さえあれば、努力は不要という分野はむしろ稀です」

 せいぜい、ヘアカットモデルやオーディション番組に出るくらいだろう。ウェンディ・キニーは違う。彼女は努力を惜しむタイプではない。


(だからこそ、彼女が何の職にもつかず、様々な場所を旅行するだけで満足しているという状況に、違和感を覚えるのですが)

 そのことは言わないようにした。ウェンディ・キニーと話をして、花山院が第一に思ったことは、彼女は敵にすると厄介だなということだった。

 彼女は、赤の他人にも自分のことを信じ込ませる不思議な力がある。現に、アシュトンはそれに少々、毒されているように思える。

(……いや、私でさえも、かもしれないのか)

 ジェームズ・リードが帰ってきた。次の容疑者がひとまず最後だ。気を抜かずに行こう。



****


 休憩の後、最後の容疑者を部屋に迎え入れた。真野庄助。高校三年生だ。

「初めまして。刑事課長の花山院葵衣と申します。簡単に自己紹介をお願いします」

 今回の取り調べはこのような始まり方だった。

 真野庄助は一度部屋にいる捜査官全員の目を見てから答えた。

「はい。青山学院高等部、三年の真野庄助です」


 新卒入社を目指す学生のようだ。そういえば、日本では就職活動を集団でするのだとアシュトンは思い出した。リクルート等の大きな、いわゆる橋繋ぎ企業に登録するそうだ。

 それは、リクルートが得をしているだけではないのか? 実際に人を雇う側の企業にそれほど大きなメリットはあるのだろうか。

 そんなことを考えている間にも取り調べは進んでいく。とはいえ、今回の取り調べはウェンディ・キニーまでと違って、花山院も何を聞くか考えていなかった。というのも、真野庄助が犯人とはどうしても思えないので、やる気があまりでなかったのだ。


(さて、何から聞いていこうか。彼、意外と警戒心が強そうだし、少し何でもない話をするべきだろうか。高校か、私は高校にあまり良い思い出がありませんからね……まぁ、てきとうに話していくか)

「青山学院高等部、青山学院大学の附属高校ですか。たしか、けっこう偏差値が高かったような気がします」

「ほどほどです」


 真野庄助は即答した。あまり高校の話題は良くないのかもしれない。花山院が山本に視線を送ったので、山本が代わりに詳しく話すことになった。

「渋谷区にある私立高校です。偏差値は、たしか七十付近だったはず」


 アシュトンには詳しくはわからなかったが、どうやらそれはかなり高いらしい。清水も驚いてた。

「あの、僕、どうして警察に呼ばれているのでしょうか。遺産のことは、もう専任の弁護士を雇ったと聞いていますが」

「遺産……」聞くべきか、遺産というのはおそらく遺産協議が上手くいっていないことを指すのだろう。都内の私立に通っているのだ、家がお金持ちというのは充分想像つく。それが、暴動と何か関係が? さすがに、あるはずがない。「まぁ、遺産のことはまた今度聞くとして、今回真野君を呼んだのは、世界各地の暴動を扇動している容疑が、君にかかっているからです」

「はぁ、暴動ですか」


 この髪の長い男は急に何を言い出すのだと、明らかに訝しい目をした真野だったが、これまでと同じく花山院が(とても面倒そうに)説明すると納得した様子だった。

「いやいや、僕が暴動を扇動するなんて。こんな高校生が? まさか本気でお考えではありませんよね」

「ええ。一割は容疑者、九割は参考人という形で呼んでいます」


 わずかながら、あなたを疑っていますという体を作った。そうすることで、仮に彼がXだとしたら、プレッシャーを与えることもできる。

 真野はため息に似た仕草をした。


「でしたら、どうして疑われているのか、教えてもらってもいいですか?」

 アシュトンは目の前の学生に感心した。この子は自分がちゃんと疑われており、安心できる立場ではないことを花山院の言葉から理解し、それでいて冷静でいるのだ。

「暴動が起きた各地域に、あなたが居たことが確認されているからです」

「そんな……ただの旅行ですよ。それで疑われるんじゃあ、自由に旅行もできないじゃないですか」

「気になったのですが、お一人で旅行されていたのですか?」


 高校生が一人で旅行、考えられないことではない。むしろ様々な交通手段がある現代において、経済力さえあれば難しいことではない。しかしそれが高校生となると、一概には言えない。

「僕の親は、色んな場所に行くようにいつも言っているんです。なので、何もおかしなことはないと思いますが」


 この受け答えに対しては、捜査員たち全員が同じことを思った。まぁ、そういう考え方の家庭も、もちろんあるのだろう。

「そうですか。良いご両親だ」まったく、心のこもっていない声音だった。

「さてと、先に言いましたが、君は参考人が九割です。なのでこういう質問ができます。世界二十の地点を超える場所での暴動。その黒幕は、どうやって暴動を扇動していると思いますか?」


 これまでの容疑者にはしてこなかった質問だ。これは、心理学者に対して質問すべきだと思うのだが。

(つまり花山院は、三人共、本当に怪しいと思っているのか)

 真野はしばらく考えた。青山学院高等部にあるのかは知らないが、考える像によく似た姿勢だった。

 それから、少し時間が経った。小鳥がホテルの窓を横切った。カラスと違って見ていて心が和む。そろそろ海を渡るのだろうか。頑張って、また帰って来てほしいものだ。


「扇動というよりも、火種を投下していると僕は思います。例えば、元々対立している民族の、どちらかの子供をもう一方の大人に成りすまして殺す」

「ほう、なかなか現実的な方法ですね。私も、それが一番いいと思っていました」

 花山院がそう言うので、ついアシュトンは待ったをかけた。後になって思ったのだが、もしかしたら花山院は今のように話すことで、何かを聞き出すつもりだったのかもしれない。アシュトンはおそらく邪魔をしてしまったのだ。


「さっきはプロパガンダとか言っていなかったか?」

「そうですね。あまりに広範囲なので。しかしプロパガンダというのは成功するか、正直わからない不確定なものです。確実性という面では、真野君の案が適しています。あなたも言っていたではありませんか。では、少し踏み込んだ質問をしますが、どうしてそう考えたのですか?」

 花山院に認められたことに満足したのか、彼は得意な顔で話した。


「紛争や暴動って、何か些細なことの積み重ねがあって、その後に何か、ダムが決壊するかのように大問題が起こることで発展すると思うので。子供を殺すことって、大問題だと思いますから」

 花山院の目は悪い意味ではなく輝いていた。真野には興味がなかったのだが、どうやら今は違うようだ。

(高校生にしては、なかなかいい考え方をする。それとも日本の優秀な高校生はこういう考えをするものだったか? 随分、戦争のことを知っているように思える。彼、なかなか面白いな)


 アシュトンは花山院の右の口角が少々上がったことに気づいた。

「次の質問です。そもそも、暴動や紛争を誰かが引き起こしているとしたら、あなたはどう思いますか? また、その犯人は、どんな想いで引き起こしていると思いますか?」


 どんな想い。これもまた、これまではしてこなかった質問だ。しかし、その答えは想像できる。マーク・ドイルならば、「知らない、考えたくもない」と答える。アルデルト・ロバーツならば、「心理学的に見て、とても心が不安定な状態にあり……」と長々と答える。ウェンディ・キニーならば、「言ったでしょう。犯罪に興味はないの」と答えるだろう。


 さて、高校生の真野庄助はどう答える。

「引き起こしている誰かがいるのなら、その方法を教えて欲しいですね。そして、たぶん犯人は、悪いことをしているという認識すら、ないと思います」

 なかなか思い切ったことを言う。わざわざ、並の捜査官ならば犯人だと疑いを深めるようなことを言った。それは自分が犯人ではないという絶対の自信からか。同時に、花山院ならば絶対に真犯人にたどり着いてくれるという謎の信頼からなのか。いずれにしても真野は堂々としていた。

「悪いことをしている認識がない、ですか。どうしてそう思うのですか?」

「一人、二人だけじゃなく、何百万という単位の人が死んでいるのに、まだまだ続けているからです。むしろ正義感を持っているのかもしれないですね。それとも屁理屈野郎か。人を殺してはいけないなんて、刑法には書かれていない。なんて言い出すかもしれませんね」


 最近の高校生は法律の勉強をするのだろうか。アメリカではまずやらない。というより勉強をあまりしない。

「ふふ。いいですね。では、その調子で、想像で構いませんので、犯人がどんな人なのか話してみてください」

 花山院が笑ったのをアシュトンと山本は初めて見た。意外と、変な笑い方ではなかった。

「あまり、良い生活をしてこなかった、優秀で、カリスマ性のある人間、ですかね」


(ほう、良い生活をしてこなかったか。私もその意見には賛成だ。しかし彼が言うと、自分の境遇と反対の人間を言うことで、疑いの目を逸らそうとしている。私にはそうも見える。いや、彼の場合逆か? 裕福な温室育ちで優秀な人間。大胆不敵に自分のことを言う。彼は肝の座った人間だ。充分に考えられる。もしくは、私がこう考えることすら織り込みずみか? Xが何かにつけて優秀な人間であることは間違いない。先読みされていても、驚きはない)


 その後、花山院は数回、不要にも思える質問をしてから真野庄助を解放することにしたのだが、ここで少々、真野庄助から反撃があった。

「暴動や紛争に関して、秘密にしますが、その代わりに花山院さんの連絡先をください」

「はい。構いませんよ」

 花山院が即答したのは一同驚いたCIAやFBIでも彼の連絡先を知らないというのに、たかが高校生に軽々と教えてしまった。


 真野庄助が部屋から出てから、アシュトンは訊いた。

「いいのか? 連絡先を教えて」

「構いません。私が逆の立場だったら、絶対に要求していますから。彼が正しいです。むしろ今までの人たちの考えが足りていなかったように思えます」

 その連絡先が何かの役に立つか否かの問題ではなく、単純に、あくまで対等なのだと思わせるために、連絡先の交換というのは一定の効果がある。


 アシュトンにはわからなかった。連絡先の交換に、そんな効果があるとは思えなかった。

「ところで、真野君が言っていた人を殺してはいけないという法がないのは、本当のことなのか?」

 アシュトンの素朴な疑問については清水が答えた。日本の法律については、花山院よりも清水に分があるようだ。


「たしかにないです。人を殺したときの規定はありますが、殺してはいけないという文言はありません。ただし、真野君もそうしていたように、それは単なる屁理屈です。では、人を殺してはいけないという文言を加えるべきなのかというと、そうではないですし」

 そんなことをしては、正当防衛で人を殺す場合はどうなる。死刑で人を殺す場合はどうなる。そういう問題にもなってくる。

 ここで花山院にバトンタッチだ。

「そんなことを言えば、窃盗も住居侵入も全部、してはいけないと書かれてはいませんから。そもそも刑法の仕事ではありません。仮にそれを明文にするなら、まだ憲法の方が適しています。いや、道徳や哲学の教科書が適しています」


 さらに法律の話をするのなら、この暴動に関して、刑法を適用しようとする場合、外患誘致罪、もしくは内乱罪だ。


 ジェームズが帰って来てから、花山院は続きを話した。

「それにしても、真野君はなかなか面白い子ですね。Xについて、私とけっこう近い感覚を持っている」

「しかし、暴動についてはまったく知らない様子だったな」

 ジェームズがきっぱりと言った。ここだけの話、ジェームズは人間観察の力が認められてCIA捜査官になった男だ。相手の微弱なサインを見逃さない。嘘を言えばわかる自信がある。そしてそれは、花山院も認めるところだ。


「仮に暴動を引き起こしているのが彼だとしても、ああやってとぼけるのは、簡単だったでしょうね。子供はバカではありませんが、自分が何をしでかしているのか、理解していないことが多いですから。それに、知らない様子だったのは、他の三人も同じです」

 このホテルの部屋は一時的に借りたに過ぎないので、そろそろ帝国ホテルに戻ることにした。荷物の準備をしながら、アシュトンがさらに質問した。


「四人と話してみてどう思ったんだ? 俺はどうにも、誰も犯人とは思えない」

「ええ。ここまで手掛かりがない事件はなかなかありません。せめて四人の中から、明確に疑うに足りる何かが出てきたら良かったのですが、簡単にはいきませんね」

「でも、あなたなら何かしら目星があるんじゃない? できれば私たちにも教えて欲しいのだけど」

 そう言う清水は得意げな顔をしていた。

「どうしてそう思うのですか? 女の勘ですか?」

「勘よ」

「……たしかに、手掛かりは今のところありませんが、手掛かりを得る見当ならあります。あの四人の中で、私はウェンディ・キニーに最も可能性を感じました。彼女にはどこか、納得がいかないところがある。なので彼女を徹底的にマークし……」


 アシュトンが咄嗟に待ったをかけた。

「おいおい、彼女は違うと言っていなかったか?」

「違うとは言っていません。それに、彼女をXとして怪しんでいる、とも言っていません。本当にXなのかもしれませんが。納得いかない部分がはっきりするまで、捜査します……その上で話しますが、私はもしも、あの中にXがいるのなら、その手段が、何か科学的なことで暴動を引き起こしているのならXはウェンディ・キニー。私たちの絶対に知らない、魔法的な何かなら、真野庄助。だと思っています」


 一同は押し黙った。それこそ探偵の勘なのか、それとも根拠があって言っているのか。花山院と長い付き合いの二人は、後者だと信じている様子だ。

 仮に前者だとしても、花山院は考えのないことを話す男ではない。


「では、今後の動きを伝えます。まず、ジェームズはアルデルト・ロバーツさんを監視。清水さんはマーク・ドイルを監視。山本さんは真野庄助を。私とアシュトンさんでウェンディ・キニーを。行動は細かいことでも記録することにします。何時に誰と話したのか、何時にトイレに行ったのか。とにかく、できる限り記録してください。そしてそれを私に報告してください。いいですね?」

 ウェンディ・キニーを尾行することになるのか。かなり申し訳ない気持ちを抱いてしまうのは、既に彼女に肩入れをしているからだろうか。ジェームズと清水が短く「わかった」と言ったのでアシュトンも頷いた。ただ一人、山本がこう言った。

「この配置の根拠はあるのですか?」


「ええ、もちろんです。特に危険と思われるウェンディ・キニーには最も腕っぷしの立つアシュトンさんに。人間観察が得意なジェームズにはアルデルト・ロバーツを。旅行で様々なところに行くと思われるマーク・ドイルには清水さんを。高校に入る必要があるかもしれない真野庄助には日本警察の山本さん。ということです」


 花山院は山本の目を見て、山本が何を思っているのかを察した。この部隊の中で、明らかに自分だけ肩書が不足している。たかが日本警察だ。CIA捜査官でもなければ、破分隊でも、世界の名探偵でもない。それなのに、二番目に怪しいとされる真野庄助の監視を任されても大丈夫なのだろうか。

 大丈夫だ。その世界の名探偵が、山本に任せようと決めたのだ。

「山本さん。大丈夫です。あなたならできます」


 花山院がそう言っても、山本の表情は晴れなかった。山本はまだ若い。大きな事件の経験もないのだろう。もしくは上司に押しつぶされて、何も経験できずにいるのかもしれない。

(大丈夫です。だったら、その上司なんて押し返してしまえ)

 花山院は最後に、こう付け加えた。


「Xは、世界で暴動を引き起こす凶悪犯です。皆さん、監視の際は必ず気づかれないように、注意を払ってください。気づかれたら殺される。最初はそれくらいで挑んでください」

 そうしてホテルを後にした。最後に部屋を出たアシュトンは、これから長い永い捜査が続きそうだなと、覚悟をして扉を閉めた。

……

 ジェームズが運転する車に乗り込み、帝国ホテルに戻る道すがら、花山院は考えていた。四人から聞いた話と、事前に国防省やCIAから聞いた話を照らし合わせながら。


(……そもそも、アメリカの情報軍があれだけ調べていて何も出ないんだ。あの四人を取り調べしていきなりXを発見なんてなるはずがない。それでも、手掛かりの一つくらいは出ると思っていたのだけどな。気になるのはやはり、四人中二人が心理学の博士だったということ。博士なんてそうゴロゴロいるものではない。これはただの偶然と捉えることはできない。しかしその一方で、だったら心理学の何かが暴動や紛争を引き起こしているのかと問われたら? 難しいな。一国ならまだしも、これだけの地点で同時に暴動を引き起こすのは、たかが一学問の力では難しいはずだ。それとも、私のまったく知らない心理学の新しい領域があって、それによると簡単に、それも大勢の人を操れるとでも? いや、新しい領域でなくともいいのか。私も言ったように、プロパガンダを最適化して暴動を引き起こしていると考えられなくもない。

……怪しすぎてむしろ心理学は関係ないと考えたくなるくらいだ。本当に仮に、アメリカ国防省に裏切り者がいて、私が捜査に乗り出していることを、Xが知っているのだとしたら? だから彼らに容疑が向くようにした。それはないか。身分を偽装させるにしても博士なんて、知識を必要とする身分に偽装させたりはしないと、さっき考えたばかりだ)


 水を一気に飲んでから、花山院は思考を続けた。

(もういっそ魔術と考えて、真野庄助を……私の想像しているプロパガンダも、ほとんど魔術のようなものか。結局、取り調べで得られたことを整理するなら、あの四人では暴動を起こすのは難しそうだなと、私が感じたという感覚だけだ。いや、正確に言うなら、あの四人単体では、ということだ。協力者がいたら、話は変わってくるか……うん、やはり、私がXだったらウェンディ・キニーを使うだろう)

 すべて推論に過ぎない。これを警察に話したところで、何も解決に繋がらない。むしろ警察を混乱させるだけ。もしくは相手にされないか。

 しかし、必ず捕まえてみせる。仮に魔術的な力だとしても、罪を認めさせてやる。過去、経験したことのない難敵に挑む花山院の闘志は、無表情の下に隠れはしても、確かに燃えていた。


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