第二章・ペンタゴン
第二章・ペンタゴン
職業柄、普段見る夢はとても人に話せるような内容ではない。どこかの戦場か、はたまた地獄か。その二つに大きな差はないのかもしれないが、いずれにしても人が住むとは違う悲惨な場所で、そこの看守になったように、人を殺している瞬間だ。
喉を切るでも良し、額に銃弾を与えるでも良かった。これがオーソドックスな夢。しかしここ最近は違う。母が首を吊ったとき、その葬儀をするとき。父を殺すためのサインをするとき。ドクターの優しい説明をBGMにして、サインをする。夢の中ではサインが終わると、また最初から説明が流れ始めて、サインをする。
アシュトン・アンカースが見る夢はつまるところ、幸せなものではない。良い目覚めなんて破分隊に入ってから経験していない。もうとっくに心は離れてしまっているのだろうが、せめてガールフレンドとの夢でも見ることができたら、もう少し休まるのに。
イエメンでデビ・アンシュを殺してから三ヶ月が経過したある日の朝、アシュトンは自宅で一人、静かな時間を過ごしていた。まるで資産を持て余し、妻を失った、一人ぼっちの老人の暮らし方だ。アシュトンはそんなことを思いながら朝のニュースを見ていた。
アメリカでは、世界各地の暴動の話は一切されない。ニュースでも新聞でも、厳格な情報統制があるようで、暴動のことを知る者は限られている。ほとんどの人間にとって知識として世界という広大な大地の存在はあるのだろうが、実際の生活における彼らの世界とは彼らの目の届く範囲の小さなものだ。わざわざ労力を使って、視座を高めて見ようと思わない限り、ニュースや新聞の情報がすべてだ。
一部のネットユーザーが暴動のことをどれだけ発信しようと、テレビには敵わない。信用度という点でも、発信力という点でも。
デビ・アンシュを殺してから三ヶ月の間に、アシュトンはチームで三回の任務をこなし、単身での任務も二回こなした。それはそれだけ人を殺したということ。デビ・アンシュを殺しても、暴動が止まることはなかったのだ。
イエメンのムカッラーでの暴動は結局のところ、過激さを増し、イエメン全土を覆い尽くすほどになった。今、イエメンへの旅行はできなくなっている。あのときの少年たちは、どうなっただろうか。
アシュトンはスマートフォンを取り出して予定を確認した。
(……今日は久しぶりに国防省に行くんだったな。もう少し、ゆっくりさせてくれよ)
人を殺すのは、あなたたちが思っているほど、楽な仕事ではないのだから。
ちょうどキャスターが、「今日も頑張りましょう。それでは、また明日」と言ったタイミングでテレビを消して準備を始めた。
わざわざ国防省に呼ぶということは重要な話があるのだろうと察するが、正直、高官の方々が何を話すのかは予想がついていた。
暴動が終わらない、その理由、現場の君たちの意見を聞かせてくれ。
普段、こちらの意向なんて気にすることなくキルリストを送りつけて来る上は、上手くいかないときだけ意見を求めてくる。
国防省にはタクシーと飛行機を使って移動することにした。飛行機の中、雲を見下ろし、そこに暴動が起こっている町を想像してみた。
(思えば、俺はべつに暴動を止めたいなんて思っていないんだよな。我が国のためなんて愛国心もなければ、カイルのように神の意向なんて信じてもいない)
今すぐにこの仕事を辞めてやろうか。チームリーダーを任されるポジションにはあるが、兵器や兵士というのは替えがあるものだ。
(どうして俺は、人を殺し続ける)
殺しを仕事にすることに、何も良いことなんてない。心の摩耗と、最悪な夢と、ガールフレンドを失うというデメリット三点セットが付きまとうのに。
(……それとも俺は、死を近くに感じていたいと、どこかで思っているのだろうか)
そんなことを考えている間に飛行機は着陸し、トランクケースを持ったビジネスマンや明らかにエリート高官の身なりをした男たちと一緒に飛行機を降りた。
国防省、通称ペンタゴンにタクシーで移動すると、すぐにカイルと合流した。
「ようアシュトン、疲れた顔だな」
「朝は苦手なんだ。それに休暇もない。当然疲れてる」
ペンタゴンの厳重な扉を開け、情報軍の管轄棟へと一直線に向かった。その中にある清掃中の部屋。そこが今回指定された会議室だ。パスコードと指紋を使い扉を開けると、薄暗い部屋で既に会議が始まっていた。モニターが世界地図と各地の暴動をわかりやすく映していた。
「来たかアンカース少将、アパトー少将。席についてくれ」
真ん中に座る、会議室で最も高位の男である大臣に指示をされて、近くのイスに腰掛けると、議論は早速始まった。
「アンカース少将、率直に言ってくれたまえ。どうして暴動は止まらないと思う?」
やはりな、と思いながら答えた。
「これまで殺してきた対象が、真の黒幕ではなかった。暴動の扇動者ではなかったということでは?」
「そう考えるのが素直な考えだよな。報告書にもそう書いてあるしな。では、誰が黒幕だと思う?」
「さぁ。キルリストに載った人間を殺すのが私の仕事なので」
考えるのはそちらの仕事だ。そう言ってやろうと思ったのだが、カイルに肘で突かれたのでやめた。
するとまた別の高官が怒鳴るようにして言った。
「他人事だと思っててきとうなことを言いよって! 少しは考えたらどうだ!」
「まぁ、落ち着きなさい。アンカース少将、アパトー少将、誰がとは言わないが、軍の内部では君たちが対象を逃がしているのではという意見もある。もう少し良い返事をくれないかな」
おっと、まさか自分たちの仕事を疑われているとは思っていなかった。何でもいいから、暴動が止まらない理由が欲しいわけだ。
「わざわざ証拠写真を撮っています。現地で確認する事後部隊もいます。なんなら、戦国時代の日本みたいに、首を持って帰りましょうか」
そう言うと先ほど怒鳴った高官も黙った。この男が発端なのだろうなと、アシュトンは横目で睨んだ。
防衛大臣は資料に目を通しながら言った。
「うむ。私は信頼している……ではどうやって黒幕を突き止めるのかについてだが、先刻より話していたとおり、我々の情報軍で追えない以上、花山院に任せるしかないと思うのだが、それでいいな?」
すると会議室に落ち着きがなくなった。アシュトンとカイル以外のメンバーが、話を聞かない子供のように勝手に話し始めた。
「しかし、また奴に貸しを作るのはどうかと……」
「そもそも奴は日本人であり、我々アメリカとは……」
高官の中には意外と、人種に強いこだわりを見せる者もいるが、そこを気にはせず、アシュトンが訊いた。
「花山院とは、何者なのですか?」
カイルも知らない様子だった。場を鎮めるために咳払いをしてから、大臣が説明した。
「我々や警察が解決できない問題を解決する、いわゆる探偵だな。その実績は申し分ないものだ。過去、千を超える事件を解決し、戦争に発展しかねない凶悪なテロを事前に防いだという事例もある」
大臣は最後にこう言った。我々が最後に頼るのが彼なのだ、と。それでも渋々頼るしかないという表情は他の高官たちと変わらない。まるで理由もないのに、妙なプライドが邪魔して渋い顔をする頑固な老人だなと思った。この暴動を本当に危機だと捉えているのならば、プライドなんてかなぐり捨てるべきなのに。
「しかし大臣、これでもう我々は何個目の貸しになるのでしょうな。弱みだってたくさん握られているというのに、我々の将来が不安です」
大臣がその高官を汚いものを見るように睨んだ。
「そう思うのなら君は、節度と礼儀と常識を少しは覚えろ」
よほど問題のある男なのだとアシュトンとカイルは覚えておくことにした。今後、彼からの指令を受けるときは気をつけよう。
また別の男が言った。
「大統領に許可は?」
「無論、取ってある。既に事遅しかもしれないが、花山院、彼ならば何とかしてくれると信じている。実は昨日、もう彼には話を通しているんだ」
大統領と話し合ってすぐに連絡を取ったそうだ。少しでも早く、花山院に調査をしてもらうためだと大臣は言った。ならばこの会議の意義は何なのだとなるが、アシュトンは良い判断だと思った。
「花山院は何と言ってましたか?」
「調査には協力してくれるそうだ。しかし、条件を付けられた」
大臣はそう言ってアシュトンとカイルを見た。これまで薄暗い会議室のおかげで気づかなかったのだが、大臣の目元には大変濃い隈ができていた。彼も苦労人なのだ。早起きが辛いなんて思って申し訳ない。
「秘密情報捜査隊破分隊を動かせるようにすること。また、アシュトン・アンカース少将を彼の作る調査チームに加えさせろということだった」
「……私ですか」
つい先ほど、私は何も考えずにキルリストに従っていると言った自分を? いや、その前に、奴はどうして破分隊の存在を知っている。
大臣は左右の指を組み、机に肘を乗せると、低い声で「そうだ」と答えた。
「私にも彼の真意は計りかねるが、我々の事情を知った者が調査メンバーに入ることは間違っていないと思う。アンカース少将、頼めるね」
要するに、常に花山院という男の動向をチェックし、逐一報告してくれたまえ、そういう指令だ。言い方は二重にも三重にもオブラートを使ってはいるが、アメリカも動いているのですよと思っておきたいのだ。
さて、アシュトンがその調査に参加するか否かについてだが、これは考えるまでもなくイエスだ。そもそも命令なのでイエスとしか答えられないが、花山院という男に興味があった。
情報軍が尻尾も掴めない、霧のような男をどうやって捕らえるのか。そして大臣が、何とかしてくれると思うほど信頼を寄せている男だということ。近くで見てみたくなった。
「わかりました。参加します」
「よし。ならばすぐにでも東京に飛んでくれ。正確な場所はまた伝える」
「東京……日本ですね」
花山院という名前からして、日本にいることは予想していたが、調査を始めた今も日本にいるとは。いや、それはもしかしたら、日本に容疑者がいるからということなのか。
(最近のキルリストに日本人の名前はなかったけれど)
それともこの程度の調査、日本でも充分だと思っているのか、いずれにしても彼の顔を見るのが楽しみだ。
「アンカース少将が不在の間、破分隊ドルンチームのリーダーはアパトー少将とする。必要なことがあれば引継ぎを忘れるなよ。それでは、また次回の会議で」
会議はテキパキと終了した。多忙な大臣はすぐに部屋から出たが、その他の大臣は各々、花山院について話しているばかりだった。
アシュトンもしばらく動かずに、東京のことを考えていた。以前、破分隊になったばかりの頃、一度だけ行ったことがある。逃亡したアメリカのマフィアを暗殺するためだ。
「いいな東京。俺も行きたいよ」
「そうか? 俺はあまりいい思い出がないんだけどな。それに、今回はいつもと違う仕事になりそうで不安だよ」
「殺しではなくて、調査だからか? いいじゃないか。そっちの方が徳を積めるというものじゃないか」
「徳は気にしていないんだよ。さてと、早速飛行機を手配しようかな。わからないことがあったら、早めに聞いてくれ」
「はいよ。行ってらっしゃい」






