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その2




「誰かいるのか」

 そういうと同時に、河東が書庫の電気をつける。

 途端に二百㎡以上はあろうかという資料室の中が昼間のように明るくなった。

「高城さん」

 十メートルほど先の壁際、河東が指さす場所に黒っぽいかたまりが見えた。

 本人は隠れているつもりらしいが、大きな背中がまるわかりだ。

「出てこい、見えてるぞ」

 本来それが賊である可能性を考慮すれば、このような対応は好ましくない。

 だが不思議とそんな心配はしなかった。

 なんとなくそう感じていたのだ。

 俺も河東も。

 するとその影の主はぬうっと立ち上がり、俺達の方に歩いてきた。

「職員の者か」

 河東がそうたずねると、それは観念したように口を開いた。

「福祉長寿課の吉村です。すみません、勝手に入ってしまって……」

 図体は俺達よりでかいが、顔を見るとかなり若い。まだ入りたての新人か。

 彼の手にはスマートホンが握られていた。さっき見えた明かりはこれのものだろう。

「何をしていたんだ。こんな時間に」

「ちょっと調べものをしていました」

「日曜の夜だぞ」

 すると自分でもしらじらしいとわかったのか、顔をゆがめながらぼそぼそと本当のことを語り出した。

「自分は今年採用された者ですが、自分の同期の人と連絡がとれなくなって、……探していたんです」

「探すって、どうして……」

 そこまで言いかけて、河東が口をつぐむ。

 自分達がここにいる理由とまったく無関係ではないと、直感的に察してしまったからだろう。

「何課のなんていう人なんだ」

「こども支援課の諏訪辺さんっていう女の子です」

 俺の問いかけに吉村はそう答えた。

 それをきっかけに、堰を切ったように彼の感情があふれだした。

「同期の人間達とで何回か飲みにいったりしていたんです。僕はそれほど仲がよかったわけではないけど、僕のつまらない話もちゃんと聞いてくれて、すごくいい人だったんです。それで仲のいい奴らとまた飲み会しようかって話になった時に、諏訪辺さんも呼ぼうっていったら、誰だそれってなって。ふざけているわけでもなくて、本当に知らないみたいで。それでこども支援課の名簿を調べたら、諏訪辺さんの名前がなくなってて」

「辞めたのか」

「いえ、そんな話は聞いていません。なんだかわからないけど、最初からいなかったことになっているみたいなんです」

「いなかったことになっているだと。それはいつごろの話なんだ」

「一ヶ月くらい前からです」

「その子、何かやったのか」

 河東の何気ない一言に、また吉村が反応した。

「そんな人じゃないです。すごく頭もよくて仕事もできる人だって聞いてました。優しくて明るくて思いやりがあって、決して誰かとケンカするとか自分からトラブルを起こすような人じゃないです。……意地の悪い先輩に目をつけられたんじゃないかっていううわさは聞いたことがあります……」

 こぼれ出た感情に吉村が勝手に気まずさを覚えて下を向く。

「プライベートな理由かもしれないぞ。他人にいえないような家庭の事情とか、ストーカー被害にあっていたとか」

 俺の考察にまた吉村がはっとなって顔を上げた。真っ赤な顔で俺を睨みつける。

「……そんなことはないにしても、かくしておきたい何がしかが彼女にはあったとも考えられる。密かに結婚をしていたのをあまりまわりに知られたくなくてこっそり辞めたとか。身内に犯罪者がいたことが露呈して、黙っていたことを咎められたケースもあるしな」

「でも……、おかしくないですか、誰に聞いてもそんな人は知らないって……。存在自体がなかったことになってるのなんて変ですよ。何か意図があって、わざとそうしているとしか思えない。何かに巻き込まれたとしか思えない。誰も触れたくないような、やっかいなことに巻き込まれているのかもしれない。他の人はあまり関心がないようですが、人ごとじゃないですよ。これって僕達全員の問題だと思うんです。前に少しだけ聞いた話ですが、他にもこういったことがけっこうあるんだって。だったらそんなのほうっておいちゃいけない。困ってる人達をなんとかしてあげなくちゃいけない。……でも僕なんかの力じゃ何もできない。わかってるけどどうしようもないんです。悔しいけど、これが現実なんですよね……。僕ももうこんなところいやだなって思ってたところです。でも辞めるまえに諏訪辺さんのことだけは確認しておきたくて……」

 顔を伏せ、吉村がかすれた声を押し出した。


 彼の訴えかけを一笑に付すことはできなかった。


 何らかの理由で彼女も俺達と同じような境遇に陥ってないともいい切れない。

 もしそうなら、こいつの気持ちを汲み取ってやれるかもしれない。


 河東も同じことを考えていたようだ。

「おまえの気持ちはわかるが、ここには何もないぞ」

 吉村がゆっくりと顔を向ける。

 河東は吉村の顔を見つめ、穏やかな様子で続けた。

「おおよそここに隠し部屋があるって誰かに吹き込まれて、彼女が閉じ込められているんじゃないかとでも考えたんだろうが、ガセもいいところだ。俺達だっておまえと同じような理由でさんざん調べたんだからな。庁舎関係の資料も全部調べた」

「じゃあ、ここで何をしていたんですか」

「いっただろ、おまえと同じだって。実のところ、俺は明日にでも辞職願いを提出しようと思って、身辺整理をしていたところだ。辞める前にいろいろ確認しておこうと思ってな」

 そうだったのか。

「高城さんもそうですよね」

 おいおい……

 まあ、いいか。

 俺がうなずくと、吉村が泣きそうな顔になった。

「そうですか……」

「わかった」

 河東がしっかりとした口調でそういった。

「だが納得いくまで調べたら今日は帰れよ」

「はい」

「あとな、おまえはまだ辞めるな。辞めるのは俺達みたいになってからでも遅くない」

「……はい」

 それじゃ遅いだろ、とも思ったが、こいつは何かをしくじったわけでもないから辞めるのは確かにもったいない。

 それにこの先彼がどう化けるのかだって誰にもわからない。

 入ったばかりでこんなことを考える奴だ。この馬鹿げた体制を変えるような人間に育つかもしれない。

 いや、育ってほしいものだ。

 腐って変な方向にいってしまわなければいいが。


 俺達は三人三様それぞれ動き、時には集まり、その広大な資料室の中を探索していった。

 吉村には悪いが、別段何の期待もしていなかった。

 初登庁して以来十年以上経つのに、まだこんなところがあったのか程度の、ただの興味本位が探検理由のほとんどだった。

 河東も同様のようだった。

 だだっぴろい室内の風体は市営図書館に酷似していたが、無機質な資料の背表紙ばかりなため殺伐として見えた。

 土地関連の資料は廃棄期限がないようで、何十年も前のものが多く見受けられた。


 吉村の動きが気になり、河東とほぼ同時に振り返る。

 吉村は俺達がいる場所の反対側の壁を調べていたようだが、少し前からずっとその場所に御執心の様子だった。

「何かあったのか」

 河東がたずねると、焦ったような吉村の声が返ってきた。

「ここに防火扉があるんです」

 河東と顔を見合わせそこへ向かう。

 そこには奥行き方面の壁一面に広がる、両開きの金属の扉があった。

 通路にあったものと同じ位置の隣か、否、やや深いような気もする。

 防火扉は有事の際に空間と空間を仕切るためのものだが、先の通路のようになんらかの理由でその先が埋まっている可能性もある。

 通路のものと同じならば、これもまた白壁がその先を塞いでいるのだろうが。

 開けて確かめたかったが造りが内開きのため、密接した書庫棚のせいで手前に向けて動かすことができない。

 書庫棚は移動式だが、防火扉に対して平行ではなく垂直に配置されていて、どちらの端に寄せても必ず干渉するため、ほんのわずかにも扉を開けることができない状態だった。

 もともと何かの計画があったにせよ、何故こんな構造にしたのかはなはだ疑問だ。

「変ですね」

 河東が首を傾げる。

「こういう扉って普通さっきみたいに通路にあるものじゃないですか」

 確かにそうだ。


 思考停止に陥りただ眺めることしかできなくなった俺達の前で、何度もロックの解除を試みていた吉村が思いがけない行動に出る。


 扉を押したのだ。


 何も起きないことは誰の目にも明らかだった。

 壁のアウトラインを囲むように金属製の枠が敷き詰められ、枠の内側にはごつい蝶番がいくつも確認できた。

 それは扉が室内に向かって開くことを意味していた。


 だが吉村が扉を押した時、


 それが奥に向かって動いたのである。


「!」

 河東とともに吉村に近寄っていく。

 防火扉は蝶番の部分ではなく、壁に埋まった枠のさらに外側の部分から折れ曲がっていた。

「これは……」

 河東の言葉が途切れる。

 俺同様、生唾を飲み込んだからだ。


 吉村は俺達に振り返ることもなく、ゆっくりと重い扉を開いていった。

 先の通路にあった防火扉より大型のそれは質量からして相当なものだが、吉村はそれとは別の感情を噛みしめながら全身の力を使って押し広げているようだった。


 扉が開ききった後に現れたのは、真っ黒い空間だった。


 奥から流れ込む不穏な冷気に誘われ、思わず身体が吸い込まれそうになる。


「高城さん、危ない」

 一歩を踏み出すと同時に、背中から河東がそう叫ぶ声が聞こえた。





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