39.俺はここがいいんだ
「大丈夫っすか? 姉さん」
「わからない。だが……」
「今は彼女を信じるしかない。俺たちは自分たちのことを優先するんだ。狙われているのは彼女だけじゃないぞ」
ハエはまだ周囲にいる。
すでに半数の人間が退避したことでスペースも生まれた。
俺が予想した通り、逃げた人たちをハエは追っていない。
やはり間違いなく狙いは俺たちだ。
「今のうちに護衛を呼べ」
「わかってるっすよ! おいでケルベロスちゃん!」
彼女の最大戦力にして相棒、三つ首の獣ケルベロス。
戦力としては十二分。
その隣のメガネの先輩は召喚陣を展開させる。
「サモン――アクアドルフィン」
召喚されたのは水の聖霊。
大気の水を操ることができる。
ハエを捕えて退けるなら効果は抜群だろう。
これで二人の守りは万全……と言いたいところだが足りない。
なにせ相手は……。
「ホントにそっちのビーストマスターなんすか?」
「にわかに信じられないな。これは侵略戦争と変わらないぞ」
「そういう女なんですよ……あれは」
合理性、理屈は通じない。
圧倒的な力を持っているが故の余裕と傲慢さ。
彼女は国を救った英雄だと言われている。
だけど実際は少し違う。
侵略をしかけたのは彼女からだった。
彼女は国を守るためではなく、他国を蹂躙して手に入れるために戦った。
結果的に敵対していた他国を打破し、国を大きくすることに繋がっただけだ。
彼女は英雄なんかじゃない。
いかれた破壊者だ。
(破壊者とは心外だわ)
「――!?」
今の声……まさか。
「イルミナ様?」
(そうよ。あなたにだけ直接話しかけているわ)
「……そういう悪魔もいましたね」
(周りの子には聞こえていないわ。貴方も聞かれたくはないでしょう?)
「ちょっと後輩! どうしたんすか? なにぼーっとしてるんすか?」
「……」
俺はリリンから一度視線を逸らし、目を瞑る。
「俺を殺しにきたんですか?」
(そんなことしないわ。貴方は優秀なポゼッシャーよ。今までよく働いてくれたわ。裏で何を考えているかは別としてね……)
俺の不満には気づいていたのか。
だから余計に強く当たっていたのだとしたら……。
「性格悪いですよ、あんたは」
(ふふっ、その発言も聞かなかったことにしてあげる。今ならまだ、許してあげるわ)
「どういう意味です?」
(わかっているでしょう? 貴方は優秀だもの。私が何を求めているか)
そうだ。
簡単にわかる。
彼女の狙いは、この国にいる調教師を誘拐することだろう。
その手助けを俺にしろと言っているんだ。
すぐ隣では群がるハエとケルベロスが戦っている。
アクアドルフィンも水の膜を作り、ルイボス先輩を守っていた。
(悩む必要なんてないわ。どちらがより優秀か……どっちの国につくほうが安全か、賢い貴方なら理解しているでしょう?)
「……」
召喚術のメリットは、姿をさらす必要がないこと。
これほど目立つ動きをしても、犯人を断定することができない。
自分ではないと言い張れば、絶対に違うとは言えない。
彼女もそれを理解して、姿を見せず俺に接触してきたんだ。
確かに今なら、国に戻るという選択もある。
ここで二人を捕まえて、ビーストマスターも確保できれば、俺の裏切りも帳消しになってボーナスくらいはもらえるだろう。
「いつまでぼーっとして、うわ!」
「リリン!」
ハエを操っているのは彼女だ。
瞬時に防御が手薄な相手を理解し、攻撃をリリンに集中させる。
ケルベロスは強力だが大きすぎる。
ハエほど小さい的だと、全てを退けることは難しい。
必然、リリンの周りにハエが数匹届く。
そのハエはただのハエではなく、ベルゼブブによって強化されている。
彼女の元へたどり着いた直後、巨大化して襲い掛かる。
テイマーである彼女は戦えない。
ったく、何考えてるんだ俺は。
「ポゼッション――サルガタナス」
「……へ?」
「世話の焼ける先輩だな」
俺は彼女を抱きかかえてハエから救った。
ポゼッションを発動した影響で、瞳の色は紫色に変化しているだろう。
俺を見上げる彼女の瞳に、俺の紫の瞳が映っている。
「どうやって……助けたんすか?」
「こうやって」
迫るハエ。
俺は視線の先に転移して躱す。
悪魔の旅団長サルガタナス。
有する能力は多彩。
うち一つが、この瞬間移動能力だ。
(裏切るつもりかしら?)
「あいにくですけど、もうとっくに裏切ってるんですよ。あんたの誘惑は巧みだけど、俺はもう知ってる。ここが天国で、そっちが地獄だってことを」
(……いいのね?)
「もちろん。俺はもう、この国の宮廷調教師……つまり、あんたの敵だ」
◇◇◇
……下が騒がしい。
この感じ、たぶんアトラスが憑依を使ったんだ。
だったら大丈夫。
私はこっちに集中しよう。
「ハエの王……初めて見る」
すごい迫力だ。
みなぎる魔力も、普通の魔物とは桁が違う。
一緒にいるアルゲンたちじゃ……勝てない。
「運んでくれてありがとう。もう大丈夫だよ」
元より彼らで戦おうなんて思ってはいない。
これほどの相手なら、私も使うべきだ。
テイム、サモンに連なる第三の使役術、ポゼッションを。
「ポゼッション――」
相手は王。
なら、私が憑依させる相手も決まっている。
お願いします――
「サタン」
私の身体に悪魔が取り憑く。
魔界を統べるもう一人の王。
悪魔の中の悪魔が。
『余を呼び出すか……人間』






