34.ようこそ宮廷へ
「イルミナ様、ノーストリアに潜入中のアトラスから定時報告が来ております」
「ありがとう。確認するわ」
「はっ、失礼いたします!」
男は去り、イルミナはテーブルに置かれた資料に目を通す。
そこに記されていたのは情報。
ノーストリアのビーストマスター、セルビアに関する報告書だった。
「ふぅーん、なるほどね」
記されている内容は、セルビアがノーストリアにやってきた経緯。
なぜ彼女が国を渡ったのか。
セントレイク王国に問題があったことが書かれている。
同じビーストマスターでも、国によってこうも扱いが違うのかと、イルミナは多少の同情心を抱く。
と同時に、彼女が再び国を裏切る可能性があることも理解する。
国の待遇に問題があったのならば、同様のことがノーストリアでも起こりうる。
そこに付けいる隙があると考えた。
「ちゃんと仕事はしているみたいね」
彼女は報告書をテーブルに置く。
事情について書かれているだけで、セルビアの能力に関する記載はなかった。
報告書の結びには、このまま調査を続行すると記されている。
「なら、期待して待ちましょう」
アトラスは今も任務を遂行している。
と、イルミナは信じた。
実際はスパイ活動を見破られ、寝返っているのに。
彼女は気づけない。
なぜなら微塵も思っていないから。
自分が裏切られることなんてありえない。
彼らは従順に、自身の手足となって働いてくれると……心の底から思っているから。
◇◇◇
「――というわけで、新しい宮廷調教師のアトラスだ。お前たち、仲良くしてやってくれ」
「……まじっすか」
「信じられませんね。まさか、他国の間者を引き入れるなんて」
リリンちゃんとルイボスさんの視線がアトラスさんに向けられる。
アトラスさんは小さくため息をこぼす。
「そこは俺も同感ですよ」
と、呆れたように一言漏らす。
リクル君の口から現在に至る事情は説明されている。
だから二人とも唖然としていた。
当然の反応だと思う。
私のことを調査するために送り込まれたウエスタン王国の人間を、あろうことか仲間に引き入れたんだ。
普通に考えたら正気じゃない。
だけど、リクル君にはちゃんとした考えがあって、私やアトラスさんはそれに同意している。
無茶ではあるけど、無茶苦茶ではない。
「念を押しておくが、このことは俺たちしか知らない極秘事項だ。くれぐれもここにいる人間以外には教えるなよ」
「わ、わかってるっすよ。さすがに話せませんって」
「そうですね。むしろ話したところで信じてはもらえないと思いますが……」
「それならそれでいい。とにかく頼むぞ。俺は仕事に戻る」
リクル君は忙しそうに部屋を出て行ってしまった。
きっと私たちには見えないところで頑張ってくれているのだろう。
彼にこれ以上負担をかけないように、私もしっかりしなきゃ。
「アトラスさん、自己紹介をしてもらえますか?」
「そうですね。お二人とも初めまして。先ほど紹介された通り、元ウエスタン王国の宮廷調教師をしていたアトラス・シーベルトです。スパイ活動をしていたら二人にバレて、こっち側に寝返ることになりました」
「……さ、さらっと言うっすね」
「信用しても大丈夫なのか?」
「別に信用してくれなくても大丈夫ですよ。俺もそっちの立場なら疑うでしょうからね」
彼は気さくに話す。
寝返ることを選択してから、彼の雰囲気は変わった。
重しでもとれたかのように軽い口調で話す。
「けど、俺にもうウエスタンへ戻る気はまったくないんで。ここが居心地よければ、ずっと働かせてもらえたらとは思ってますよ」
「そこは私が保証します。きっと元の場所に比べたら天国だって思いますよ」
「ははっ、説得力が違いますね」
「それなりのことを経験してますから」
休みのない過酷な労働の日々。
私とアトラスは仕事という面で、共通の認識を持っている。
だからこそ、私は彼がそこまで怪しいとは思わない。
なぜなら私たちが求めているのは、人並みの余裕と幸福だけなのだから。
「それじゃ、さっそくお仕事を始めましょう。アトラスさんには私が教えます」
「よろしくお願いします。セルビア先輩」
「せ、先輩はやめてください。なんだか恥ずかしいので」
呼ばれ慣れていないとつい恥ずかしくなる。
でも、嫌な気分じゃない。
「お二人は普段通りにお仕事をしていてください」
「了解っす」
「わかった。手が必要になったらいつでも声をかけてくれ。僕たちも手伝おう」
「ありがとうございます」
こうして一日のお仕事が始める。
といっても特別なことをするわけじゃない。
テイムした生き物たちの餌やりに始まり、運動させたり、身体に問題がないかチェックしたり。
どの国も宮廷調教師も同じ仕事をするだろう。
「教えることはなさそうですね」
「まぁこのくらいなら、ウエスタンでもやってたんでね」
器具の場所さえ覚えてしまえば、私が伝えることはなさそうだ。
さすが大国で働いていただけあって仕事も速い。
生き物たちの接し方も心得ている。
「もう馴染んでるっすね。メガネ先輩とは大違いっす」
「くっ……また負けたのか」
という二人のやりとりが聞こえてきた。
ルイボス先輩は頭を後ろからつつかれ遊ばれている。
それをからかうリリンちゃん。
「賑やかですね」
「いつもですよ」
「へぇ……うちとは大違いだな。ウエスタンの宮廷は、なんというか殺伐としてたんで」
「それだけ大変だったんですね」
「……まぁ、みんな出世したくて必死だったんですよ。俺も含めて」
彼は肩の力をすっと抜く。
「ここはいいですね。穏やかで、落ち着く」
「私もそう思います」






