32.寝返ってもいいんだよ?
「……」
「……」
空気がとても重たい。
仕方がないことだけど、正直この場にいたくない。
けど、私も当事者だ。
話がつくまではこの場から離れられない。
神妙な表情で、リクル君は尋ねる。
「それで、どこの国のビーストマスターに仕えているんだ?」
「……」
「黙っていても仕方がないだろ? もう確定しているんだぞ? お前が他国からうちに送り込まれたスパイだってことは」
「……まぁそうですよね」
彼は視線を逸らしながら答える。
私が会場で話していた男性は、どうやら他国から私たちの国を調べに来た人だったらしい。
同じ力を持つ者の雰囲気はあったから、もしかしてとは思ったけど。
予想外ではあった。
まさか彼の口から、私以外のビーストマスターについて語られるとは。
沈黙が長くなる。
しびれを切らすように、リクル君は口を開く。
「世界にいるビーストマスターは三人。各国を転々とする傭兵、現在はソーズ王国に雇われているレグルス・バーミリオン。ウエスタン王国の女ビーストマスター、イルミナ・ヴァンティリア。そして最後の一人が、隣にいる彼女だ」
リクル君と視線が合う。
私は自分以外のビーストマスターに会ったことがない。
どんな人物なのだろう。
「その中で女は二人、つまりお前が仕えているのはウエスタン王国だな」
「……わかってるなら聞かないでくださいよ」
「確認だよ。念のためにな」
「……」
「で、目的はなんだ?」
リクル君が低い声で尋ねる。
男性は小さくため息をこぼし、諦めたように笑う。
「それこそ聞くまでもないでしょ? 俺に与えられた任務は、この国に移ったビーストマスターの調査ですよ。同じビーストマスターを擁する国としては、把握しておきたい情報ですから」
「それだけか?」
「ええ、まぁ……一応は可能なら、攫って来いとは言われてましたよ。実際は隙がなくて絶対に無理でしたけどね」
リクル君がピクリと反応する。
隣にいて、怒りの感情が感じ取れる。
しかしすぐに落ち着いて、彼は冷静に尋ねる。
「情報を持ち帰ってどうするつもりだったんだ?」
「さぁ? そこまでは俺も教えてもらってませんよ。あくまで俺の任務は調査なんで、その後のことは上がやることですよ」
「そうか」
リクル君はじっと彼を見つめる。
「お前、急に口が軽くなったな」
「そりゃ諦めますよ。この状況、どうしたって任務は失敗ですからね。仮に戻っても減点食らってこっぴどく怒られるだけ。行けど戻れど地獄確定ですよ」
彼は完全に諦めてしまっている様子だった。
全身から諦めの感情がにじみ出ている。
「ほら、もう俺に話せることはないですよ。さっさと拘束して牢屋にでも入れてください。こっちの国は甘いですね。普通スパイなんて見つけたらその場でぼこぼこにして拷問ですよ」
「お前が危害を加えていたらそうなっていたかもな」
「怖いなぁ……じゃあまだ、俺は運がよかったな」
そう呟きながら悲しい目をしている。
彼は敵国のスパイだ。
けど、なんだか可哀想そうに思えてしまう。
会場で話したことを思い出して。
「そちらの宮廷もひどかったんですか?」
「え?」
「セルビア?」
「ごめんリクル君、なんだか気になって」
私がそう言うと、リクル君は呆れたように笑う。
彼は道を譲るように口を閉じ、視線を男の人に向ける。
「まぁ酷かったですよ。パワハラばっかりで休みもないし、無茶な依頼も多いし、これだってそうでしょ? 重要な任務を俺一人に任せて、失敗したら全部俺の責任ですからね。そりゃ、信頼してもらってるってのはあるんですけど、うちの上司は俺のことを道具としか見てませんから」
「上司……ビーストマスターさんですか?」
「ええ、直属の上司があの女です。ホント強情でプライドが高くて面倒で、自分以外を見下してるのが丸わかりでしたよ。同じビーストマスターでも、あんたとは雰囲気がまったく違いますね」
そんなに違うのだろうか?
尚更どんな人物なのか興味は湧いてくる。
ただ、仲良くはなれそうにないな。
それにしてもこの人……。
「似てますね」
「全然似てませんよ。あんたとあの女は、見た目から違う」
「そうじゃなくて、私たちがです」
「え?」
彼はキョトンとした顔を見せる。
意味はわからないだろう。
彼は事情を知らないのだから。
「リクル君」
「話してもいいぞ」
「まだ何も言ってないよ? というかいいの?」
「ああ。どうせこの様子なら、自国に戻るって選択肢はなさそうだからな」
私の意図を察したリクル君はそう言ってくれた。
だから私はまっすぐ彼に視線を合わせて、自分のことを話す。
何度目かわからない不幸な話を。
「実は私も、前の国でいろいろあったんですよ」
話を聞いている最中、彼は目を丸くしていた。
驚いた理由を口に出す。
「そんなこと……ビーストマスターが? 立場弱すぎじゃないですか」
「はい。でも事実ですから」
「……だから似てるって」
私はこくりと頷く。
似ている。
上司に、職場に振り回されてきたこと。
休みなく仕事に追われて、それ以外のことを考える余裕すらなかった。
あの頃の私と、今の彼はよく似ている。
だから放っておけないと思ったのかもしれない。
「私がこの国に来たのは、リクル君と再会できたからです。おかげで今はとっても幸せですよ」
「……羨ましいな」
「だったらお前もうちで働くか?」
「え……ええ!?」
リクル君の提案に彼は盛大に驚く。
ビックリするのも当然だろう。
でも私は、彼ならそう言ってくれる気がして。
密かに期待していた。






