13.マスターはやめてね
「話は以上だ。俺はこのまま仕事がある」
「うん。じゃあ私は行くね」
ここはリクル君の執務室。
彼の前にあるテーブルの上には、山のように書類が積まれていた。
見るだけで嫌になるような量だ。
あれを一人で処理するの?
王族も私に負けず劣らず大変なお仕事だ。
「リクル君、頑張ってね」
「おう、そっちもな」
私は彼に背を向けて立ち去ろうとする。
するとリクル君が。
「あ、待った」
「ん?」
呼び止められて振り返る。
まだ何か話があるのかな?
振り返った先で、リクル君は優しく笑っていた。
「その制服、似合ってるぞ」
意外な一言に驚く。
私が着ているのは、この国の宮廷調教師の制服だった。
デザインはセントレイクで着ていたものと大きく違う。
あちらは豪華に見せるためか、無駄な装飾が多かったし、正直動きにくかった。
こっちはシンプルだ。
白をベースに、スカートの長さもちょうどよくて、生地も伸びるから動きやすい。
派手さはないけど、私にはこっちのほうが合っている。
そう、個人的にも思っていたから。
「ありがとう」
彼の言葉は素直に嬉しかった。
私は再び背を向けて、執務室を出て行く。
頑張ろう、そう思いながら。
◇◇◇
足取りは軽やかに、宮廷調教師の仕事部屋へ向かう。
これから仕事だ。
いつもなら憂鬱で、すぐに帰りのことばかり考えていたのに。
今は楽しみで仕方がない。
しばらく休んでいたからかな?
自分でもありえないことだけど、早く仕事がしたいと思っている。
「ふふっ」
おかしくて笑ってしまう。
私って意外と仕事が好きだったのかな?
それとも、ここが特別なのかな?
あっという間に部屋の前にたどり着く。
私は呼吸を整えて、扉を叩く。
挨拶は昨日済ませた。
二人とも気のよさそうな人だったし、仲良くなれる……はずだ。
「おはようございます」
私は元気よく挨拶をした。
すでに二人は集まっていて、揃ってこちらを向く。
「ああ、おはよう――」
「マスター! おはようございます!」
「ふぇ?」
ルイボスさんの穏やかな挨拶を遮って、横から矢のごとく飛んできたのはリリンさんの謎の挨拶だった。
「ま、マスター?」
困惑する私と、やれやれと首を振るルイボスさん。
リリンさんは目を輝かせている。
「えっと、なんでその呼び方なんですか?」
「当然じゃないっすか! だってビーストマスターっすよ! まじで憧れるっす!」
「昨日とはすごい差だね。疑っていたのに」
「うるさいっすよメガネ」
「先輩すらなくなった!?」
コミカルに罵られたルイボスさんはしょんぼりする。
それを華麗に無視して、リリンさんは私の元へ急接近して、両手をぎゅっと握る。
「昨日のウチは馬鹿だったっす! マスターは間違いなく特別な人っすよ! だってあんなの召喚できちゃうんすから!」
「ウロボロスのことは忘れてほしいなぁ。あれでみんなに迷惑かけちゃったから」
「忘れないっす。あの衝撃がウチの心に火を付けました! ウチ、マスターみたいな調教師になります!」
「いや、君はテイマーなんだから無理だよ? リリンさん?」
「だから童貞メガネは黙っててください」
「はい……」
ついに二人の立場が逆転した!?
「えっと、その、とりあえずマスターはやめてほしいんですけど……恥ずかしいから」
「じゃあなんて呼べばいいんすか? 師匠?」
「そ、それもやめてください」
マスターより恥ずかしいから。
「普通に名前でいいですよ」
「セルビア姉さん!」
「姉さんはいらないんじゃ……たぶん年もそんなに変わらないと思いますし、ここじゃ私のほうが後輩ですから」
「そんなの気にしないっすよ! むしろセルビア姉さんこそが先輩です!」
瞳をキラキラさせて語る彼女を見ていると、何かに似ている気がする。
この感じ……そう!
犬だ!
リリンさんはちょっと犬っぽい。
人懐っこくて可愛らしいところとか。
「ちなみにウチは十六歳っすよ」
「わ、若い!」
「彼女は宮廷でも最年少ですからね」
「ちょっとメガネ、気安く姉さんに話しかけちゃダメっすよ!」
「ぼ、僕のほうが先輩なんだが……」
どんどんルイボスさんの立場が弱くなっていく。
非常に申し訳ない気分だ。
別に私は何も悪くないのだけど。
ひどく落ち込む彼を横目に、リリンさんが尋ねてくる。
「姉さんはおいくつなんすか?」
「私は今十八で、もうすぐ十九歳になります」
「やっぱり姉さんっすね!」
「も、もうそれでいいです」
この子には何を言っても無駄だと悟った。
それに、慕ってくれること自体は悪い気がしなかったから。
「その若さでビーストマスターとして活動していたのですか。やはり凄まじい才能ですね」
「私は九歳のときから宮廷で教育を受けていたので、そのおかげもあると思います」
「なるほど。才能だけではない努力の結果というわけか。僕も見習わなければならないな」
「そうっすよ。見習ってくださいっす」
「君もだよ……」
終始不憫な扱いを受けるルイボスさんと、からかって遊んでいるリリンさん。
面白い二人に挟まれて、賑やかな宮廷での生活がスタートする。






