表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

「ざまぁ」のために死に戻った公爵令嬢ですが、忠実な従者に溺愛されるしかなさそうです。

作者: 三歩ミチ

「許せないわ。私を虚仮にしたあいつらに目にもの見せてやらないと、死んでも死にきれないの!」


 目の奥に暗い炎を燃やしたユリーシア・ヴェルダン公爵令嬢は、恨みのこもった低い声を絞り出した。窓から射し込む月明かりしかない部屋は、骨の髄まで沁みるほどに寒い。

 庶民が使うのと大差ない文机の上に、乱雑に散らかった細かい品々。その中でなにやら文字を書き込んでいた彼女は、ペンを勢い良く叩きつけた。


「おーっほっほ! これで復讐が叶うわ! 見なさいルーカス、これが『死に戻りの秘術』よ!」

「ついに完成させたのですね、ユリーシア様」

「ええ。長かったわ。歴史書の片隅で見かけた『死に戻りの秘術』という言葉から資料を探して……ついに、できたのよ! これで十年前に戻って、私は、あのいけすかない奴らをこてんぱんに叩きのめしてやるの!」


 ルーカスは、背後からユリーシアの手元を覗き込む。

 すっかり痩せこけた震える手が握りしめるのは、とある植物の葉を薄く伸ばした紙に、古代語で魔法陣を描き込んだもの。


「蛙の生き血と共にこの紙を飲んで、自分の血で描いた魔法陣の中で死ぬのよ。そうすれば、思いのままの時間へ戻って、生き直すことができるんだわ!」


 爛々と輝く目は、常軌を逸しているとしか思えないものだ。復讐心で化け物のようになってしまった主人を、ルーカスは目を細めて見つめる。


「いいわねルーカス、前にも言った通り、あんたには最期まで私の体を守ってもらうから。死んで確実に命を落とすまで、決して魔法陣から動かさないでちょうだい」

「勿論です」


 ルーカスは、ユリーシアには決して逆らわない。従順に頷くと、敬愛する主人の手のひらが、ルーカスの頬に添えられた。


「今の私には何にもないけれど、追放されても私に付き従ってくれたあんたには、戻った後は一番の信を置くと約束するわ。それを、褒美と思ってちょうだい」

「……ええ。ありがたきお言葉です」


 ルーカスが頷くと、ユリーシアは微笑む。


「それじゃ、始めるわよ」


 ユリーシアは、長い幽閉生活で、貴族としての嗜みもまるで忘れてしまったらしい。スカートの裾をたくし上げ、病的なまでに白い脚を晒して木の床に蹲る。握っていた紙をごくんと飲み込み、懐から取り出した小刀で、躊躇なく指先を切り付けていく。

 滴る血液で、秘術のための魔法陣を寸分違わず塗り込める。その指先がぼろぼろになっていくのを、ルーカスは静かに見つめた。

 美しい人だ。きらびやかな装いを失い、正気を失い、復讐しか見えなくなっても尚、ルーカスの主人は美しかった。


 魔法陣が完成し、ユリーシアは顔を上げる。くすんだ銀の髪の隙間から、ぎらりと光る橙の瞳が覗く。


「できたわ、ルーカス。……あんたとは、これでさよならよ」

「はい。……俺が最期まで、お守りいたします」

「成功した喜びをあんたと共有できないのは、少し寂しいわねーー」


 ユリーシアは、そう言って表情をくもらせる。

 自分のために、そんなことを言ってくれるのだ。彼女の物憂げな表情を、ルーカスは目に焼き付けた。

 ユリーシアの憂いは、一瞬であった。きりりと眉を吊り上げ、小刀を首元に当てる。


「……行ってくるわ」

「いってらっしゃいませ、ユリーシア様」


 最も忠実な従者に見送られ、ユリーシアの体は力を失い、魔法陣の上に横たわった。


***


 瞬きをする。眩しい。目を開く。天井には、瀟洒な天蓋の布。


「懐かしい……」


 思わず呟いた声は、若々しく、いつになく潤っていて、ユリーシアは飛び起きた。体が軽い。見下ろす手のひらは、程よくふっくらとして、健康的だ。


「上手く行ったわ」


 新台横の鏡に映る自分は、美しく整った銀糸の髪に、つややかな色白の肌、透き通った橙の瞳をしている。苦労を知らない、健やかな顔だ。その瞳の奥に、ユリーシアは、暗い炎を灯らせた。


 記憶は、鮮明である。憎い名前は、ヘイゼル。公爵令嬢であるユリーシアの、婚約者であった侯爵家令息。幼い頃から決められた婚約で、それなりに上手く関係を作っていたはずだったのに、直前になって奴は裏切った。「本当の愛を知った」のなんだのと言って、妹のエリスと手を組み、ユリーシアはひどい淫売だという根も葉もない噂を流したのだ。

 公爵令嬢の醜聞を、面白がる者も多かった。噂の広がりようがあまりにも酷かったので、婚約は破棄され、ユリーシアは辺境の別荘に幽閉された。

 ユリーシアは、別荘で陰鬱な暮らしを送りながら、ずっとヘイゼルとエリスを恨んでいた。奴らがいたから、ユリーシアは惨めな思いをすることになったのだ。


 死に戻ったのは、復讐のため。自分の命だって惜しくはない。ヘイゼルとエリスが絶望する顔を見られれば、それで満足だ。


「ルーカス! ルーカスはいる?」


 目覚めたユリーシアは、最も忠実な従者を呼びつけた。幽閉生活では、彼に身の回りの世話を全て任せていたから、起床してすぐ彼を呼ぶのは当然の行いだった。


 淡いノックの音がする。入室を許す。入ってきたルーカスは、記憶にある姿よりも若々しかった。張りのある肌、整った髪。何よりも皺一つない制服は、幽閉当時とは見違えるようだった。


「おや……お嬢様。はしたないお姿で私を呼びつけて、どうなされたのですか」

「ん……? ああ、そうよね」


 妙にかしこまった物言いに、困ったように垂れた眉尻。それでユリーシアは、自分の粗相に気がついた。ユリーシアはまだ寝巻きである。薄いネグリジェ姿で異性の従者を呼びつけるのは、公爵令嬢のすることではない。「公爵令嬢らしい振る舞い」なんて、久しく忘れていた。さっさと感覚を取り戻さないと、またヘイゼル達に足元をすくわれてしまう。


「ルーカス。着替えるから、侍女を呼んでちょうだい」


 そうそう、身の回りの世話は侍女に頼むのだった。思い出しながら指示を出すユリーシアの顔に、影がかかる。視線を上げると、背の高いルーカスが、寝台脇からこちらを見下ろしていた。


「なにかしら」

「……成功なされたのですね、お嬢様」

「ルーカス?」


 彼の灰色の瞳は、妙にぎらりと輝く。若い頃の彼は、こんな不穏な目をする人だっただろうか。


「この頃のお嬢様は、俺のことを『ルーカス』とはお呼びにならなかった。そうでしょう? ユリーシア様……おかえりなさいませ」


 まさか。

 びりり、と胸が震えた。


「あんた、もしかして」

「『死に戻りの秘術』で、ユリーシア様の後を追わせていただきました。成功した喜びを共有したいとおっしゃったのでーー」

「そんなこと……言ったわね」


 死ぬ間際の自身の言動を思い返し、ユリーシアは頷く。


「そのために、自ら命を絶ったというの?」

「ええ。ユリーシア様の一番の信が、たとえ俺だとしても、『俺ではない俺』に注がれるのは我慢なりません」

「相変わらずの忠誠心ね」


 ふ、と口元を緩めるユリーシア。ルーカスはどんな状況でも、自分の忠実な従者であった。そんな彼が共にいると思うと。


「あんたがいると安心だわ」


 復讐は、きっとうまく行く。そう思えるのだった。


「ルーカスがいるなら、話が早いわ。ヘイゼルとエリスに復讐してやるのよ。まずは今度のお茶会の時に、ヘイゼルをーー」


 練りに練った復讐案を話し出すと、ルーカスが「そのことですが」と遮った。


「なあに?」

「ヘイゼルは、既に侯爵家を追放され、路頭に迷っているようですよ」

「え? どうして?」


 ユリーシアの疑問には答えず、ルーカスは薄く笑う。


「エリスは、幼いながらに男性に媚を売る淫売との噂が流れ、別荘に幽閉されております」

「……嘘でしょう、ルーカス。そんなはずないわ。鏡を見なさい、ほら。この顔は、どう見ても十五の時の私よ。エリスとヘイゼルが、隠れて付き合い出したばかりの頃よ。それがどうして、エリスが幽閉されて……あっ。まさか、あんた、何かしたわね?」


 過去が変わる理由など、ひとつしか思いつかない。ユリーシアが睨んでも、ルーカスは微笑むだけ。否定しないその態度が、全てを物語っていた。


「どうして?」


 行き場を無くした復讐の炎が、一気に燃え上がる。


「どうして、そんなことするの? どうして? 私は、あいつらの惨めな姿を、この目で見て嘲笑ってやりたかったのに!」

「エリスが幽閉された別荘はもちろん、ヘイゼルが寝泊まりしている馬小屋も、俺は確認しております。ユリーシア様が望むのなら、いつでもご案内致しますよ」

「それじゃ駄目! あんただってわかってるでしょ、私は、復讐のために死に戻ったのよ。この手で奴らを壊してやるのが、何よりの楽しみだったのに、どうして奪うの?」

「五体満足で残してありますから、壊してやりたいのならお好きにどうぞ。ユリーシア様は公爵家当主ですから、存在ごと抹消することもできますよ」

「は? 公爵家当主?」


 聞き捨てならない言葉を吐いたルーカスは、にこやかに頷く。


「ヘイゼルとエリスを許したご両親にも、ユリーシア様は腹を立ててらっしゃいましたよね?」

「ええ、それは確かにそうよ。ヘイゼルとエリスが終わったら、次は両親を陥れてやろうと……」

「前当主夫妻は、先月、視察先で強盗によって尊厳を蹂躙され、その命を散らされました。慣例に従い、ユリーシア様が当主となられたのです」

「ねえ、どうして! どうしてルーカスは、私の復讐を奪ってしまうの? 私がしたかったのに、私が両親を嵌めて、酷い目に遭わせたかったのに……」


 握り込んだ拳が、真っ白になるほど力が入る。


 ユリーシアにとって、それはひどい裏切りだった。

 復讐のために死に、復讐のために生きるはずだったのに。復讐心だけを頼りに生きてきたのに。それを勝手に奪い取って、どうせよと言うのか。


「……俺は、ユリーシア様にひどいことをしましたね」

「ええ、そうだわ。わかっているのに、どうして、そんなことをしたの。私は、あんただけは味方だと……あんただけは信じられると、そう思ってたのに!」

「俺を、恨みますか?」

「ええ、恨むわ。だって、復讐する相手が居なくなってしまったんだもの。あいつらにやるつもりだった復讐を、全部、あんたにぶつけてやるわ!」


 それは、癇癪だった。

 前の人生で最期まで忠誠を尽くしてくれたルーカスを、いたぶっても心は晴れない。嫌な目に合わせた奴らに復讐するから意味があるのだ。

 怒りに任せて吐き捨てた発言であるのに、ルーカスが「光栄です」と微笑むものだから、ユリーシアはさらに面食らった。


「光栄って……あんた……」

「ユリーシア様の復讐心は、何より強いお気持ち。その気持ちをこの身にぶつけていただけるなんて、死に戻った甲斐がありました」

「そんなの……おかしいわよ。私に復讐されたいの?」

「されたいですね、それはもう。ユリーシア様が俺に復讐することだけを考えてくださるのなら、本望です」

「……?」


 何を言っているのだ、この従者は。

 理解の追いつかない展開に呆気に取られたユリーシアは、毒気をすっかり抜かれてしまう。


「復讐の参考に、俺が恐れることを教えて差し上げましょうか」

「……聞くわ」


 ルーカスのペースに巻き込まれて、話に乗るしかなかった。


「ユリーシア様に抱きしめられるのが怖いです。髪を撫でられ、キスされることも怖いですね。甘い声で、耳元で『ルーカス』と呼ばれてしまうのも恐ろしいですね」

「……ふざけてるの? ルーカス」

「俺が単なるおふざけで、ここまでするとお思いですか。公爵夫妻の死も、ヘイゼルとエリスの悲惨な生も、本当のことですよ。復讐を奪った俺のことを恨みますよね?」

「……恨むわ」


 そう答えるしかない。ユリーシアが苦々しい表情で頷くと、ルーカスはこの上なく優美に微笑んだ。


「ならば、俺に復讐してください。ちなみに今俺は、ユリーシア様に平手打ちされることが何より怖いです」

「……ああっもう、何なの!」


 べしん。

 かなり強く頬を叩いたが、左頬を赤く染めたルーカスは、嬉しそうに笑顔を浮かべるだけである。


「自分で叩いたくせに、『ごめんね』と謝って抱きしめられるのも悪くないです」

「……本音が出てるわよ。悪くないなら、やるわけないでしょ!」

「おっと、失礼しました。……ああ、左頬が痛い。痛いところにキスでもされたら、辛いだろうなあ」

「しないわよ!」

「おや、復讐はいいんですか? ……ははっ、痛い」


 キスの代わりに平手打ちを飛ばしても、ルーカスはまた嬉しそうに笑う。怒りに任せてドンドンと机を殴れば、「怪我しますよ」と拳を包まれる。彼を殴っても喜ばれるだけだから、そこまでされると、ユリーシアには手も足も出ない。


「なんなのよ……なんなのよ……なんなのよ、馬鹿あ!」

「ええ、私は馬鹿です。馬鹿だから、ユリーシア様の復讐を奪ってしまったのです。恨みますよね? 復讐したいですよね?」

「したいけど……あんたが喜ぶんじゃ、復讐にならないじゃない!」

「ユリーシア様になら、俺は殺されても喜びますよ」

「馬鹿なの?」

「ええ、馬鹿です」


 ああ言えばこう言う。ユリーシアは、髪をぐしゃぐしゃと乱してから、がっくりと肩を落とした。


「こんなつもりじゃなかったのに……」

「俺はずっと、こんなつもりでしたよ」

「あんたのことは知らないわ」


 最も忠実な従者は、最も身近な裏切り者だった。


 復讐対象を勝手にすり替えられたユリーシアは、彼の思惑に飲まれ、意味のない「復讐」をするしかなくなる。


「今の俺は、ユリーシア様に手を握られるのが怖いですよ」

「……うるさい。しないわよ」


 この生活も悪くない、とユリーシアが諦めて迎合し、従者の病んだ愛を受け入れるまでには、まだまだ時間がかかるのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ