むちゅうになりすぎるときけん
くらい洞窟のつうろをぬけ、あかるい洞窟に行って劇を見つつ、またつぎへ。
つぎへ。つぎへ。出口へと。観劇の旅はつづきます。
こんかいもまたちょうちょの子供はオオトリさんといっしょにあかるい洞窟へたどりつきました。
するとそれを待ちかまえていたかのように、洞窟にかかった幕があがり、劇がはじまりました。
今回の劇は、どこかの部屋のようです。たくさんの本が壁代わりになり、床にも本がちらばったり、つみあげられていたり、やまになっていたり。そんな部屋の真ん中にはおおきなおおきな机があって、舞台から見てみぎがわとひだりがわにそれぞれ白いぬのを着た男の人が2人、向かいあっています。
そしてなにやらはげしく言い争っているようです。「お前は間違っている」とか「こっちが正論だ」という声が、両方からなんかいもなんかいもあいてに向かってあびせられます。
ののしりあいの応酬はえんえんとつづきました。部屋のそとの背景があさとよるをくりかえしてもおわりません。それどころかはる、なつ、あき、ふゆのしきおりおりをなんどもなんどもくりかえしてもです。ふたりの男もだんだんと髪の毛が白くなったりはげたりと老けていきました。それでも言い争いをやめません。
そしてさらに背景がうつりかわり、歳月のけいかをしめす中、とうとう机のひだりがわにいた男が胸をかかえてよろめき、たおれました。部屋にそとからお医者さんがやってきて手当てをしたようですが、お医者さんは「残念ですが」といいました。どうやら男は死んでしまったようです。
すると討論していたもうひとりの男は、からだをぶるぶる震わせて、その場でわらいだしました。「やった、俺の勝ちだ!」とさけんでいます。人が目の前で死んだのにかなしむどころかわらっている様は、狂っているように見えます。ですがその直後です。勝ったといっていたみぎがわの男も足をくずしてその床にたおれこみました。お医者さんが机のひだりからみぎへと走り男の手当てをしますが、出たことばは「残念ですが」。勝ったと思ったのもつかの間、ながいあいだ言い争いをしていたふたりの男はあっけなく死んでしまったのでした。
その日の内にお医者さんたちが死体をはこんで部屋からさり、背景がよるになりさらにあさへと一日すすみました。秋のもみじがきれいな季節、部屋に白いぬのを着たわかものが10人くらいはいってきました。わかものたちはせっせとちらかった本をかたづけはじめました。てぎわよく、みんなできょうりょくして、てきぱきと。
そのわかものたちがかたづけをしながら話をしています。ちょうちょの子供がみみをかたむけると、こんなことを言っていました。
「この先生たちってバカだよね。どっちの理論が正しいかで50年も討論をつづけるなんて」
「そうよね。わたしたちが生まれるまえから同じことばっかり言いつづけてきたみたいですし。だいたい正しいと証明もしないで主張だけしていたんですからね、あたまの使い方をまちがえてますわ」
「こんな先生たちが学者だったなんて、なんだかなさけないよ」
「もっとそとに目を向ければ、ちがう生き方があったでしょうにねえ……」
わかものたちがそう言いながらかたづけを続けるところで舞台の幕がおりました。
こんかいは舞台の中にはいらず、オオトリさんの横で劇を聞いて、見ていたちょうちょの子供。なんだかとってももの悲しい気持ちになります。でもそれをことばでつたえるだけのちからが、今のちょうちょの子供にはないのです。そしたらとなりのオオトリさんがこっちを向いていいました。
「なにかに夢中になると周りが見えなくなることってないかな?」
「あ、あります」
「そう、夢中になるとそれしか見えなくなる。生命の力を集中させれば凄い結果を出すことも可能だろう。でも忘れちゃいけないのは、世界は自分だけじゃないってこと。見えてなくても自分の周りには他の生命があって、自然があって、抗えない天命もある。夢中になったままそこから目を背けたら最後、待っているのは死という孤独だ。この劇の男二人はそれに気づかなかったんだ。何かに夢中になるなとは言わない。常に周りに合わせろとも言わない。お天道様に恥じない自分であることだね。人の世の中なんて、お天道様からしてみればまだまだ小さいものなんだ」
「オオトリさん……」
ちょうちょの子供はオオトリさんの言葉にあったかいものを感じました。しゃべり終わったオオトリさんは翼をひろげ、また飛びさっていきます。ちょうちょの子供もそれにつづき、羽根をうごかします。次の舞台へそして出口へ、たどりつくためにです。