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婚約者と乙女

婚約者と騎士

作者: 千鶴

 アルフレッド=リグタードは侯爵子息である。王国騎士団の副団長を務め、その佇まいから「氷の騎士」と評され老若男女問わず人気がある。実力と才能を兼ね備え努力も怠らない彼は多少の嫉妬ややっかみはあっても順調に騎士としての務めを果たしていた。

 だが当人からしてみればぶっちゃけ騎士としての評価とか人気とかどうでもよかった。何故なら彼の関心はすべて婚約者であるリーデシア=アルミアに向いているからである。

 

「そんなわけで帰らせてください団長。いや帰ります。リディが不足しています。今すぐリディを補給しないと死にます。リディに会いたい会わなければならない俺のリディが俺の帰りを待っている」

「煩えぞアルフレッド! 来たばっかりで何言ってやがる!」

「来たばかりではありませんリディから離れて三十分と四十五秒が経ちました! こんなに離れていたらリディ成分が足りなくて呼吸が止まりエネルギーは枯渇し俺は死にます。それにあんなにかわいくて可憐で華奢で清楚で麗しく美しく優しくて清廉で誠実で聖女のような彼女が他の男に声をかけられて困り果てていたらどうするんですか! 俺が傍にいるときならともかく今はこんなにも離れているのにああ心配だ俺のリディに声をかけてくる奴らがいたら指を一本一本切り落として目を潰して舌を抜き鼻をへし折ってもまだ足りないのにリディに会えないなんてリディ俺のリディ待っててねすぐ帰るから」

「帰らせねえよ馬鹿」


団長ことジャスパーは深く重いため息を吐き出しながらアルフレッドの首根っこを掴む。そのまま訓練場の端に建設されている事務所に連れていくと、有無を言わさず椅子にくくりつけた。もちろんアルフレッドは抵抗したがまだ十八歳の少年が騎士団長を務める働き盛りの三十前半の大男に敵うはずもなくそのままくくりつけられてしまった。一応抵抗した際の拳は団長の顔面にクリーンヒットし盛大な青痣を残しているがそんなことで怯んでいては団長は務まらない。年々激しくなっていく抵抗に若干戦々恐々しつつも大人しくならないアルフレッドを無視し、その場に集まっていた魔術師団の団長や薬物研究部門の面々と共に月一で開催される会議を始めようと口を開いた。


「毎回毎回すまねえな。この馬鹿どんどん強くなっていきやがって抑えるのにも一苦労だ」

「お疲れだねぇジャスパー団長。それならいっそうちに頂戴な。アルフレッドくんって思考はあれだけど優秀だし、うちも人手不足なんだよねぇ」


 労いと勧誘をかけてきた魔術師団長のキースをジャスパーは鼻で笑う。同期で同年代のキースは一見すると紳士然とした優男だが、変わり者の魔術師団の中でも群を抜いての変人である。才能があるものはさらなる才能あるものを求めようとするのか、アルフレッドの魔力で試したい魔法があるらしく何かと彼を勧誘してくることが多かった。

 その隣でこめかみを揉み胃を押さえているのが副師団長を務めるアビストだ。変わり者の軍団の中で数少ない常識人の彼は日々師団長のストッパーとして駆り出されている。才能があるのにその大半を師団長の暴走を抑えるために使わざるを得ないのだからまったくもって可哀想な男である。

 同じく常識人の部類に入るジャスパーはアビストに同情の視線を送り、彼がキースに説教をかましているのを聞き流しながら再びため息をつく。


「あの……始めても、宜しいでしょうか……」

「ああ、すまんな。うちの馬鹿もそこの馬鹿も無視していい。進めてくれ」

「ひえっ……はいぃ……」


 気弱な態度をとりながらも司会を務めるのは薬物研究部門の部門長ジオである。こんなにおどおどしていて大丈夫なのかと思うが研究のことになると狂気を抱くのが彼である。対人が恐ろしく不得意なだけで研究は有用なものばかりなのだ。試験と称した実験で毎回阿鼻叫喚の地獄絵図が体現されるが今のところ死人は出ていない。どいつもこいつも異常である。副部門長も方向性は別だが似たり寄ったりの性格なため被害は一向に止まるところを知らない。むしろ副部門長は対人が優れている分口が回るので厄介だ。数年くらい黙っていてほしい。


「えっと、今期の騎士団及び魔術師団の効率良い訓練方法とポーションの使用による薬物耐性の上昇率なんですけど……手元の資料を見たらわかると思うので、持ち帰ってください……以上です」


 以上もくそもあるか。

 本当に帰り支度を始めるジオを眺めながらジャスパーはアビストと同時にため息をはいた。ジオが司会を務める時は毎回資料を見て終わらせようとするのだ。しかも話し合いをしたくないのか資料にくるであろう質問とそれに対応する答えすら載っているのだから何のための会議なのか意味がわからない。その内資料だけが配られて終わるんじゃないだろうか。あり得る。

 すぐに資料へ目を通し載っていない疑問を質問すればたどたどしくも納得できる答えが返ってくる。こんなに準備しなくても口頭で答えた方が早いのではないかとジャスパーは思うのだが、ジオからすれば数秒で済む話し合いより資料の準備に時間がかかる方が遥かにマシらしい。コミュ障はかくも生きにくい世に生きているのであった。


 その後常識人のジャスパーは同じく常識人のアビストと今後の合同訓練について話し合い解散した。何故団長のキースでないのかというとキースが訓練方法を考えると訓練場が二、三日使い物にならなくなるからである。自重しろ。

 現実逃避をしつつふと大人しくなった隣を見るといつの間に縄脱けしたのか、アルフレッドの姿が忽然と消えていた。ぶるぶると震える拳を握り締めジャスパーは地を這うような低い唸り声を絞り出した。


「……あの野郎、ッッ!!」


そんな騎士団長をアビストは同情の籠った視線で眺めていた。


 一方会議が終わるまで一応我慢していたがジオが帰ると同時に縄脱けし会議室から退出したアルフレッドは一目散に王立学園を目指していた。婚約者であるリーデシアに会いたいからである。

 騎士として鍛え上げられた脚力を駆使し周りに被害を及ぼさない程度の疾走で砂埃を巻き上げつつアルフレッドは目的地まで突き進んでいく。途中ぴたりと止まると顔を上げて目を閉じ、全身の感覚を研ぎ澄ませると再び走り出す。

 なんとこの男、婚約者の微量の魔力と匂いを辿って居場所を割り出していたのである。気持ち悪いストーカーだ。さらに言えばリーデシアに迎えに行くと伝えていないので彼女は別にアルフレッドを待っていない。でもいいのだ。だって彼女は「待たせたな」と言うと「待っていたわ」と微笑んで返してくれるから。「会いたかった」と伝えれば「私もよ」と抱き締めてくれるから。

 実を言えば伝えていなくても毎回迎えに来るのでリーデシアからしてみれば迎えに行かないと言わない=迎えに来るだろうという認識なのだがアルフレッドにその自覚はない。でもどうせ迎えに行かないことがないので何ら問題はない。

 ここまで婚約者と離れて六十分と二十六秒が経過した。一時間も過ぎているのである。くだらない会議に時間を盗られたと舌打ちしながらアルフレッドは歩を進める。その表情は冷たく凍り、彼を見かけた者は口々に「氷の騎士だ」「この冷気は魔力か」「本当に凍えるほど冷たい無表情と魔力だ」などと怯えていたが、本人は毛ほども気にせず走り抜けた。


 たどり着いた先はテラスであった。暖かな陽光が差し込む先にいたのは愛してやまない婚約者であるリーデシア。栗色のウェーブがかった髪は彼女の柔らかな輪郭をたどり薄くも魅惑的な鎖骨を隠し、琥珀に輝く瞳は楽しげな光を宿していた。化粧を施していないにも関わらず薄紅色の頬はハリがあり、赤く色付く唇は緩く弧を描いていて思わずむしゃぶりつきたくなる。我慢できずに彼女に駆け寄りながらアルフレッドは弾んだ声を出した。


「リディ、待たせた」

「アル! 待っていたわ。普段貴方と離れている時間はとても長く感じるけれどハンナとお茶をご一緒していたからあっという間だったの。でもやっぱり貴方がいない時間は寂しかったわ」

「寂しい思いをさせてすまない。俺もリディと離れている時間は苦痛で何度団長を殴り倒そうと思ったか。愛しているよ俺の可愛いリディ」

「アル……私も愛しているわ」


 ああああリディ可愛いリディ可愛い俺の天使俺の愛しい婚約者マジ可愛い尊い俺の方が愛しているよもう一度愛していると言ってほしい笑ってほしい甘い声で何度でも好きだと言ってほしい抱き締めたい柔らかい頬を撫で回したいキスしたい顔中舐め回したいその先まで進みたい愛している俺の可愛いリーデシア!!

 邪な妄想を笑顔に隠して綺麗に微笑むアルフレッド。実に気持ち悪い。

 実際には殴ろうと思ったではなく本当に殴り痣まで作っているのだが愛しい婚約者の前では些細なことだった。騎士団のトップに君臨する団長を殴りつけておいて些細なことだと断じている思考は常識外だが残念ながらすべて心の声であるので指摘できる者はいない。恋する男は恐ろしい。

 こんなに可愛い婚約者を独り占めしていた相手に思わず殺気を向けてしまったアルフレッドだったが、それが前にリーデシアが話をしていた同性の友人だと気付き一応殺気を引っ込めた。彼女が友人が少ないことを寂しいと言っていたことを思い出したのだ。

 本当なら自分がいれば寂しくないだろうと言いたい所だが、残念ながらアルフレッドは学生でありながら騎士団の副団長を務める身の上。常にリーデシアの傍にいるわけではないため寂しい思いをさせるくらいならと、彼女が友人を作っても友人について楽しそうに語っても我慢しているのだ。その際掌に爪が食い込むほど握り締めながら話を聞いているのだが、そんなアルフレッドに気付かずふわふわ笑っているリーデシアは大物である。だからアルフレッドと付き合えるのだろう。


「そうだわ、アル。貴方どうして私が好きなの?」


直球過ぎるリーデシアの言葉にアルフレッドは目を丸くしたが、次の瞬間蕩ける笑顔を浮かべてリーデシアの頬を撫でた。


「俺が君を愛している理由? それはどんなに言葉を尽くしても語りきれないけれど、そうだな。まず」

「時間来たから私帰るわ。さよならリーデシア」

「まあ、そうなの? ご機嫌ようハンナ。また明日も話しましょうね、大好きよ」


 長くなりそうなのろけにさっさと席を外した彼女の友人にリーデシアが声をかける。おっとりと微笑まれて照れながら手を振った女をアルフレッドは全力の殺気で睨み付けた。

 この女俺のリディから大好きなんて言葉をもらいやがって何様のつもりだ!

 何様も何も数少ないリーデシアの友人様であるのだが嫉妬に狂ったアルフレッドはそんなことお構いなしで凄んでいた。ハンナは一瞬表情を強張らせたものの、勝ち誇った笑みを浮かべ横目でちらりと彼を見て鼻で笑った。そうして意気揚々と帰っていった友人様をアルフレッドは睨み付けていたが、姿が見えなくなる前にリーデシアへ向き直る。

 いけないいけない。あんなやつに時間を割いていては俺のリディと過ごす時間が潰れてしまう。只でさえ無駄な会議で一時間以上潰えたのにこれ以上なんて耐えられない。

 アルフレッドはリーデシアの頬に触れていた手を顎に滑らし、口付けを交わすと答え途中だった問いを思い出した。


「リディ、続きは部屋に戻ってからにしようか」


 愛しい婚約者の甘い笑顔に頬を紅く染めたリーデシアはこくこくと首肯する。そのまま彼女を横抱きにしたアルフレッドはリーデシアに口付けを落としながら馬車に乗り込み帰宅すると、言葉に尽くしても語りきれない愛を態度で表現するべく、人払いをして彼女と二人部屋に閉じ籠った。


 朝が来てもすやすやと眠る愛しいリディにキスを贈りながら、アルフレッドは昨夜の艶かしい彼女の姿を思い出しだらしなく表情を崩れさせた。そこに氷の騎士と呼ばれる面影は微塵もなく、何も知らない人間が見たら驚天動地吃驚仰天震天動地のてんやわんやな訳だが幸いにも人払いも済ませているのでここにはアルフレッドとリーデシアしかいない。

 ちゃっかり休みをとっていたアルフレッドはリーデシアの休みも申請し、その日一日を幸福で穏やかで安らかで不健全に過ごした。

 

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