The door of angel's eye
一.日本とヨネ国、マゴニとドゥーム、地球に住む人たちと地球外へ移住した人たち
時代は平成から上道、共栄へと移っていた。
共栄8年10月18日3時未明、東京と神奈川にまたがる地中約80メートルで爆発が起き、そのほとんどは海にのまれた。
麻布電力(株)は日本国内でこの計画を知らされていた唯一の組織だ。麻布電力は省エネのコンサルタント会社だが、その内実は経営者の土岐衣坐薙とその家族による情報収集組織だった。情報は新聞社やテレビ局、政府諜報機関に販売をしており、その利益の計上を省エネのコンサルタント料として計上していたのだ。爆発の情報を衣坐薙に伝えたのはアメリカの投資銀行に勤める人間で、衣坐薙の投資コンサルを請け負っていた。
「晴れて間もなくヒポクラシーを見ることができるねぇ。」
衣坐薙は車中、衣坐涛にそう言った。衣坐涛は衣坐薙の11歳年下の妹で麻布電力の役員だ。
「にーさんはヒポクラシーがセレェシャルに対して決定的なものになると思ぅ?」
セレェシャルは爆発後に地球外から地球に来るようになった人間達だ。彼らの祖先はもともと地球の人間だが、地球外移住をして地球外で繁栄した人たちの子孫だ。
「うーん。わからないね、実際始まってみないと。」
コラナ研究所ヒポクラシー室。インドと日本の民間企業で共同設立した研究所。ヒポクラシー室は戦闘機体ヒポクラシーの開発を行う部署だ。衣坐薙と衣坐涛はヒポクラシーの見学に施設を訪れた。応接室の机にはヒポクラシー室室長・DR.愛新覚羅の燃やしたハバナス葉巻の吸い残りが直径30cm程度の器にたくさん残っている。
「愛新覚羅先生、今日はよろしくお願いします。彼女はうちの本部長の土岐です。」
部屋にあるカメラ映像がliveで映し出されたディスプレイの1枚にはヒポクラシーの頭部が生々しく映っていた。ヒポクラシーはロボットだが生き物のような印象を人に与える。
「社長、よろしくお願いします。本部長とはお電話をしたことがあるので知っています。」
愛新覚羅はそう応えた。
「社長、ヒポクラシーはもういつでも飛び立てます。あとは・・・お金と・・決断と・・・愛でしょうか(笑)」
衣坐涛は大きな笑い声をあげた。衣坐薙はよく意味がわからなかったが付いていくように笑った。3人の笑い声が部屋に響いた。
ヒポクラシー室・第一ターミナル。ヒポクラシーはその美麗さ、巨大さに反して小さく鎮座していた。
「わー、きれい。」
衣坐涛の声を聞いた愛新覚羅は満面の笑みを浮かべた。
「私の最高傑作ですよ。過去に色々発明してきましたが、これは本当に特別な・・・。」
愛新覚羅の言葉半ば、衣坐涛はヒポクラシーから振り返って愛新覚羅に大きくさせた目を向けて
「わかるぅ!」
と叫んだ。二人の会話が続きそうだったが、衣坐薙が冷静な声でそれを遮った。
「まあ僕なんて僕が生きてる最中にこんなに地球がやばい状態になるとは思ってなかったからな。なる可能性なんていうのはいつでもあるわけだけど、実際こういう状況になるとなるようになるとしか思えないですね。」
愛新覚羅はさっきまでの子供のような表情をガラリと変えて真面目な顔になって口を開ける。
「私は生き残る計画は持っていますが、意外にいざその計画を実行しようとする段階に入った場合、わざわざそこまでして生き残るのかわからないですね(笑)さて、じゃあコーヒーでも飲みましょう。今ちょうどパイロットを選考しているんですよ。社長と本部長にも見ていただきたいのです。」
応接室に戻った3人は愛新覚羅の助手・ヤヌシが持ってきたコーヒーとパイロット候補者の資料が置かれた机を挟んで座っていた。
ヤヌシは3本の腕と手があり、その3本目の手がパー(手が開かれた状態)になっていた。これは「次はどうしましょうか?」という合図だ。
「ありがとうヤヌシ。えーと今この二人でいこうと思ってます。」
ヤヌシが部屋から出ていくと同時に衣坐涛は目をまんまるにして驚いた。
「滝君だぁ!!この人は私とイデア校の体育課で一緒だった人だよ!!」
「確かに滝君の話をよく昔してたなお前は。へー、しかし優秀だな。」
「そうなんですか!彼とは何度か会っているんですが、まさにヒポクラシーのパイロットに適任な人で。
今は日本軍のYS-G隊の隊長をやっています。」
「YS-Gか。ナミ、滝君ってどんな人なの?」
「すごくおもしろい人で、でもすごく真剣な人なの!体育でもいっつも一番だったよ!」
「じゃあお前が二番だったわけだ。なるほどぉ4。えーともう一人は?」
「もう一人は白川君といってバイオリバースの人間です。」
バイオリバースとは化学的に作られた人間で、非常に優秀だがその存在は一般的に秘密にされている。
倫理的な観点から世界的には禁止されているが、日本ではDR.愛新覚羅が民間で研究しており、爆発以後政府からも暗黙の了解をもらっている状態だ。
「バイオリバースか。会う必要はないな。」
そう衣坐薙がつぶやいた。
翌日の午過ぎ。麻布電力(株)・5階バルコニー。衣坐薙はシャグ(手巻きのたばこ)を口に挟んでフォンブックを操っている。
フォンブックは今現在一般的になった携帯端末で指が触れると空気中に文字や画像の情報が浮かぶものだ。
衣坐薙はYSの統帥に電話をかけた。
「プップップ・・・プップップッ・・はい三木です。」
「三木君、イザナギです。ヒポクラシーのパイロット、YS-G隊長の滝龍一なんだけど、どうかな?」
「滝君?本当に?へー。うーん・・。滝君なら確かに、という感じはするね。彼はYSの第一試組だし。」
YSの第一試というのは日本軍の特定特別戦力(外交に使用しない戦力)として作られたYS(Yellow Scissor)の試験制度で最も難易度が高いものだ。YSの試験には第八試から第一試まであるが、第三試以上は試験中死亡する可能性が高いものであるため普通は任期中第四試までの受験となる。
「第一試か、懐かしいな。。よし、三木君、今度一緒に久しぶりに銀座に行かないか?」
「うん、行くよ。で、滝にはそれはもう伝えていいのかな?」
「うん、いいよ。あと滝にはうちに一度来てもらって・・・。」
長々と話は続いた。イザナギと三木統帥の電話は衣坐薙が8本目のシャグを吸い終わったとおころで終わった。
YS・統帥室。三木は部屋に飾られた日本刀の刃をじっと見つめながら考えていた。YSは日本軍の一組織として作られたが、ヨネ国からの外交圧力とのせめぎ合いによって、現在は事実上ヨネ国の傀儡軍組織になっている。,
三木はヨネ国代表者・神木スツェの絶対的指令を実行することが任務だった。YSを動かす際は日本軍と形式上の取り交わしがいるが、神木スツェと日本軍の折り合いをつけることが難儀になった時、三木はよく日本刀を見つめた。
それから2ヶ月と少し経ったある日、麻布電力(株)団らん室で話をしていた衣坐涛と衣坐薙のフォンブックが同時に鳴った。
フォンブックは
「地球外から物体接近中。到着は明日12時から15時の間。緯度19経度162ハワイ沖近く。」
と警戒文を報せた。
衣坐薙は総務部長のヒロセに物体接近の連絡をとると、衣坐涛と共に麻布電力(株)BF35に向かった。
麻布電力(株)BF(Basement Floor)35。セレェシャルを含め緊急の際に要所に行けるよう作られたシャトル及びその経路が設置されている。衣坐薙はBF35に降り立つとまず端末に向かい関係者にメールを入れた。衣坐涛は改造した昔のマックブックでワードシーンを起ち上げた。
ワードシーンは仮想会議ソフトでテラフロアというテントのような装置内で場所が異なる人が同じ空間にいるかのように、視覚と聴覚刺激を与えるものだ。
「ナミ、愛新覚羅先生とコロナの所長とワードシーンで会議をするから用意をして。」
「もうできてますよぉ。」
すぐに衣坐涛は応えた。
テラフロア内に衣坐薙、DR.愛新覚羅、コロナ研究所所長マックスウェル・郡司・ジャクソンが立っていた。ジャクソンが紙を一枚イザナギに渡した。紙には小さな文字がたくさん印刷されており、下の方には神木スツェのサインが書かれていた。
「うん、これでいいよ。原本は僕が神木さんからもらう。郡司先生、神木さんから連絡がいくようにしますのでよろしくお願いします。」
イザナギは内容が全て分かっているように言った。
「じゃあ私はこれで。連絡がある場合はフォンブックかメールでお願いします。」
郡司所長の像が消えた。
「イザナギさん、あとはもう私たちは見るしかできないです。2ヶ月と少し滝の訓練経過はみましたが、どれくらいヒポクラシーを操れるかはわかりません。今回は滝と衣坐涛室長とバイオリバース群、YS-G部長の斉木、ヤヌシでコントロールします。」
「わかりました。ではまたあと・・おっ!!」
BF35に警告音が鳴り響いた。
「これはまずいかもしれない。じゃああとで。」
そう衣坐薙は言うとテラフロアから飛び出した。
「ヒロセ部長から連絡が入ってロボットが2階に入ってきているって。要求は私らしいの。」
待ち構えていた衣坐涛がそう衣坐薙に伝えた。
「え!?ナミを?・・・セレェシャルかな。あいつらのやることは本当にわからないから、意図が。」
「行く。2階のカメラ映像を見て。これは交渉用のロボットで厳重防護のみの攻撃武器を持たないやつだから、私も防護ロボに乗って話を聞いてくる!」
2階のカメラ映像には椅子に座ったヒロセ部長と机を挟んで金色の重々しいロボットが立っている。
「違った選択肢をとるよりも、うん、それがいいかもしれない。基本的にセレェシャルが交渉においてむちゃをやったことはないからな。しかしナミを、なんだな。おれじゃないのか。」
2階のカメラ映像が映るディスプレイを見ながら衣坐薙はそう言い、内線の電話をかけた。
「ヒロセ部長、おつかれです。今から本部長がそこに行くので、そのようにセレェシャルのロボに伝えてください。防護ロボの準備があるので20分かかることも。」
麻布電力(株)2階。受話器を置くとヒロセは埃でくすんだ金色のロボに話しかけた。
「すいません、あの土岐衣坐涛はここに来ます。ただ防護のロボを着て来るので20分くらいかかりますが。」
数秒の間を置いてロボットの頭部より少し下にあるディスプレイに
「わかりました。待ちます。」
という文章が現れた。
数分後B35に防護ロボが届き、衣坐涛はそれに体を入れてフィッティングした。
「ナミ、想定問答は見ることができるよね?それはアーカーゲイの高橋さんが作ったものだから。高橋さんとはそれに書いてある番号で話すことができるから。おれとは左にあるinside talkボタンでつながる。内線で社内にいる人とならつなげられる。」
「わかったぁ。」
少し緊張した声で衣坐涛は応えた。衣坐涛はエレベーターへ向かうと1階へ上がり、別のエレベーターに乗って2階へ向かった。
衣坐涛がセレェシャルのロボットの近くまで歩いてきたとき、ロボットは衣坐涛の方へくるりと向いた。ヒロセは少し離れたイスに座りなおした。
「望みの通り来ました。」
そう衣坐涛が防護ロボのマイクに言うと、ロボットのディスプレイに文字が並び始めた。
「来ていただいてありがとうございます
ここ数年のセレェシャルの地球及び地球人への接触は
単一のセレェシャルによるものではなく
一義的なものではありません
今ハワイ沖に来ているセレェシャルによる物体は
私たちドゥームとは関係がありません
ドゥームとは民族のような概念で
セレェシャルによる一つの共同体です
今回ここに来た理由は土岐衣坐涛さんを守ること
そのためです
セレェシャルによる大きな共同体はいくつかありますが
その中でもマゴニという共同体が武力的に地球人を威嚇しています
ハワイ沖のものもマゴニのものです
多くはここで時間がないので語れませんが
今回 土岐衣坐涛さんにドゥームの土地へと来ていただきたいのです
マゴニによる地球への武力行為からアナタを保護したいのです」
想定問答に「来てほしいと言われた場合」というものがあり、それには「断る」とただ書かれていた。衣坐涛は少し考えた。
「断った場合は?」
「その場合はマゴニに対する支援を強めます
話が少しわからないと思いますが
マゴニとドゥームはその思想が大きく異なるとはいえ
同じセレェシャルであり、互恵関係にあります
もし今回土岐衣坐涛さんを保護した場合
マゴニに対するドゥームの外交は大きく変わります
なぜ土岐さんなのかは
申し訳ありませんが
後でわかることです」
「こちらで相談の時間が欲しいです。セレェシャルの土地へはヨネ国は別として日本人で行った方は公式にはいないはず。こうやって来ているからには緊急なのはわかりますが話し合いの時間を」
衣坐薙が話しているとセレェシャルのロボットからジーという音が聞こえ始めた。異変に衣坐涛とヒロセは気付いたが、次の一瞬で緑色の火花のような塊が壁を作りロボットと衣坐薙を囲んで光り輝く箱のような状態になった。
その様子を見ていた衣坐薙は愛新覚羅に連絡をとったが、火花の塊は動き始め速いスピードで1階に降りて外へと 出て行った。
二.飯塚司
飯塚司は神井カレッジで悪の統計学を修めた後、立ち食いうどん店のバイトで生計を立てていた。
(「悪の」というのは上道から始まった東京都の教育方針に端を発しており、
哲学的な善と悪の議論が隆盛を極めた結果、いくつかの大学では同じ学問でも
「善の」「悪の」という前置きがつくようになった。)
学生時代に風俗店で知り合った編芽ちゃんと一緒に暮らしており、司が普通に就職しなかったのも
彼女と知り合ったためだと思われる。司の給料と編芽ちゃんの給料を合わせるとサラリーマンの平均的月給の5倍以上になったため生活は裕福なものだった。そして、何よりも司はLDNという物質の合成を行っており、これを愛新覚羅に売ろうとしていた。儲けようとしていた。
LDNは司が学生時代に留学したイギリスで知り合った女性の薬剤メーカーに勤務する父親が発見した物質で、自然界にも微量存在するものだ。特徴はごく微量(100マイクログラム程度)を人間が摂取すると五感で感じ取る情報量が増えるというものだ。視覚や聴覚などどの感覚に強く働きかけるか、そしてどのような感覚を引き起こすかは人により大きく異なる。薬剤メーカーでは用途がなかったためその父親が聡明だった司に意見を聞こうとLDNを司に送ってきたのがLDNと司の出会いだった。
LDNを受け取った時すでに司はうどん店店員だったが、2~3日おきに1回LDNを試してその効果を確認しようとした。
政府と民間企業によって秘密裡に開発されたその機体は「ヒポクラシー」と名付けられていた。
戦闘機パイロットであった橋元徹がその任務を任された。
橋元徹は土岐衣坐涛と高校で同じクラスで成績トップのライバルであり恋人でもあった。
ヒポクラシーは頭の部分には操縦士の脳とプラグでつながった通称ブレインと呼ばれる
学習・思考・感情を司る装置が据え付けられている。
ブレインはヒポクラシーの機能の中でもっとも複雑なもので
主に感情をヒポクラシーに持たせ、感情をダイミンに感じさせることで
相手に恐怖や不安を与えるように作られた。
ブレインを搭載する前のポスト・ヒポクラシーは、パイロットの恐怖や不安が操縦桿の操作によって
ダイミン側に伝わり、その隙をつかれ破壊されることが多かった。
そのためパイロットに好戦的な感情や、余裕のある感情が発生した際に
その脳状態をプラグからブレインに送り記録し、パイロットに恐怖や不安が発生した際に
逆にパイロット側にブレインからその記録を返送して、元の好戦的状態に戻す方法がとられた。
ただ負の感情を消して好戦状態に戻すだけであれば、他の方法もあったが
パイロットの記憶が飛んでしまうために、戦闘当初の記憶も同時に送り込むことができる
この方法が開発された。
ヒポクラシーの思考や感情は言語化されモニタすることができる。
今回の暴走時に記述された思考は
人命を守るために生まれた私だが
ダイミンを殺すこと、それが一番多くの人を守る
モニタに映った橋元を土岐衣坐薙は見ていられなかったが
「同時に見なくちゃいけない、見ることがだけが今許された唯一の私の橋元に対してできる行為」という思いが衣坐薙の目を見開かせていた。
巨大な爆発音とともにコクピットに白煙がなだれ込み険しい顔をしたままの橋元の表情は変わらぬまま白煙に飲み込まれた。その後はモニタは黒くなり、音声も途絶えた。
衣坐薙は歯をかちかち鳴らしながら頬そして顎へと何遍も涙をつたわせた。
橋元と初めて会ったときのことが急に衣坐薙の頭に鮮明に蘇ってきた。
高校の入学式が終わって、渡された紙に書かれた自分のクラスに向かって歩いていく衣坐薙。
衣坐薙の机の隣が橋元だった。坐ってペンで何かを書いていた橋元に衣坐薙が話しかける。
笑って自己紹介をしてくれた橋元の顔がただ何度も繰り返し衣坐薙頭の中でリピートされていた。
気付くと衣坐薙はベッドの上だった。カーテンまで白い部屋にぼうっと日の光が射している。
「私は死んだんじゃないのか」と思った衣坐薙は左手首に手をあてて脈を確かめた。
鼓動を感じることができなかったが自分が今いるところが病院だと気づいた。
心電計の音がトゥーッ、トゥーッと聞こえた。スピーカーから貝塚の声で
「イザナギ!起きた?」