ナノとお菓子の地図
エレジー先生は診療時間外に、たまに友達の相談を無料で聞いてあげたりする。無料といっても、エレジー先生の友達はみんな親切なので、何かしら差し入れを持ってきてくれる。
ナノは、白い猫のクッキーをエレジー先生に渡し、別のお菓子と交換してほしいと言った。なんともシンプルな相談内容だ。
「ポテトチップでも羊羹でも、うさぎせんべいでもいいです。どうせたくさん余ってるでしょうから」
エレジー先生はむっとした。確かに、エレジー先生の戸棚にはお菓子の買い置きがたくさんある。でもそれは仕事の疲れを癒すために必要なもので、友達といえど簡単にあげられるものではないのだ。もっとも、エレジー先生が仕事で疲れることはめったにないのだが。
「猫のクッキーはもう十分あるんですけど、他のお菓子が足りないんです。さっきすれ違った子どもから、お菓子の袋をひったくってみたんですけど、大したものが入っていなくて」
ロングヘアに清楚な青いワンピース、そして穏やかな笑顔。外見からは想像もつかないことだが、エレジー先生は驚かない。その子どもを刺叉で襲ってさらい、身代金代わりに高級チョコレート三十箱を巻き上げたとしても驚かない。
「なんでそんなにお菓子がいるの? 太るよ」
「太りません。食べないので」
ナノは服と揃いの青いバッグの中から、折りたたんだ地図のようなものを取り出した。机の上に広げると、それは絵本のような色合いで、海はきらきらと光り、島は綺麗に盛り上がり、その中に小さな町がいくつもあり、赤や黄色やピンクの屋根が並び、その一つ一つに猫のクッキーがついていた。
顔を近づけてみると、地図はとてもいいにおいがする。
「これ、ナノが作ったの?」
「はい。海はゼリーで、島はスコーンで、家は三角のチョコで作りました。お菓子の地図です」
「大きいね。こんなに食べたら太るよ」
だから食べません、とナノは言った。
「猫のクッキーがたくさんあったので、家を作ってあげようと思ったんです。でも家だけじゃ、猫の縄張りや行動範囲を考えると不便ですから、地図を作ることにしました」
「それで足りなくなった、と」
「お菓子屋さんとスーパーでだいたいは間に合ったんですけど、途中で警報装置が鳴ってしまって、全部は取ってこられなかったんです」
なるほどね、とエレジー先生は腕組みをした。今ごろ、友達のテディやプリズムが、必死で支払いを済ませていることだろう。
診療室の棚には、とっておきのパウンドケーキとバウムクーヘンが一つずつ、あとはビスケットの缶とチョコレートが一袋、それにスナック菓子が入っている。手を付けないまま古くなってしまったものもいくつかあった。
「いいよ。へなへなスコーンとぶたっこキャンディは全部あげる。食べかけのゼンマイスナックも全部使って」
エレジー先生が言い終わらないうちに、ナノはどこから出してきたのか、巨大な刺叉で棚を刺し貫いた。そして中を無造作にかき回し、落ちてきたお菓子をあっという間に全部開けてしまった。
「すごいですね。こんなに高級なバウムクーヘンの家ができたら、猫たちもきっと喜びます」
「ちょっと、それはだめだって言ったじゃん」
「そうですね、猫にはもったいないです。私が住みましょう」
ナノは素早くお菓子をちぎって並べ、地図を拡大した。でこぼこしたスナックの土地に、色とりどりのキャンディの家がいくつも並び、猫のクッキーたちは吸い寄せられるようにそこへくっついた。
そして、地図の真ん中にできた宮殿のようなバウムクーヘンの家には、どの猫も遠慮して近づかなかった。
「それじゃ、行ってきますね」
ナノは机の上に飛び乗り、できたばかりの地図をぐしゃりと踏みつぶしたように見えた。
しかしそうはならず、足先から地図に吸い込まれ、青いゼリーの海に服がなびいて溶け、髪がふわりと揺れた時にはもう、バウムクーヘンの家に収まってしまっていた。
「エレジーさん、ありがとうございます。もう片付けていいですよ」
小さな人形が手を振っているように見えるが、確かにナノだった。
エレジー先生は迷ったが、もうすぐ午後の診療時間が来てしまう。
「食べちゃってもいい?」
「だめです」
ナノはきっぱりと言った。エレジー先生は仕方なく、地図の四隅を持ち上げてたたんだ。こんなものをしまっておいたらアリがたかってしまうと思ったが、たたむと普通の地図と変わらなくなった。バウムクーヘンの甘いにおいがかすかに残っていて、エレジー先生は何ともいえない気持ちになったが、医学書と薬事典の間にはさんでおいた。
もっと丁寧にたたんでください、とナノが言ったような気がしたが、エレジー先生は白衣を着て、休憩中の札をドアから外した。
その日の午後は、お菓子をとられた子どもたちの相談で大忙しだった。