ネトゲ 前
「おっさんさー。ずっと部屋に居てよく飽きないよねー」
ノーナがベッドで寝転がりながら、漫画を読みつつ毒突く。
「おまえもな」
俺の適当な返しにノーナは「ニヘへー」と嬉しそうに笑い、
また漫画に集中しだした。
まあ、確かに部屋に居ることが仕事みたいな、最近の俺の人生だ。
以前は身体を鍛えていたり、バイトをしたり、恋愛に勤しんだり
バンドをやっていたりとそれなりに頑張っていた気もするのだが、
……うむ、そんなことは気のせいであろう。
どんな人生でもしょせん夢うつつである。
死ぬまでの暇つぶしなのだ。
そんな俺の今の暇つぶしのお供はこれだ。
「ドラゴニアンファンタジア7」
国内最強の売り上げを誇るオフラインシリーズである
ドラゴニアンファンタジアがとうとう7作目にして
ネットゲームとしてリリースされたという曰くつきのもので
なんだかんだですでに運営5年目である。
元々このシリーズは、渋山田剛氏という伝説的なゲームクリエイターが、
週間乙女座ニャンプという当時最大部数を誇った少女雑誌で
看板作品「ネコ太と君と宇宙と」を連載していた
津軽恵子さんという売れっ子マンガ家にイメージイラストを頼み、
さらに伊藤五郎さんという70~80年代の伝説的なバンド
「ばっとえんだー」と「BBA」の主要メンバーだった人に
音楽を一任したというとんでもなく豪華な経緯から始まった。
(伊藤さんは元々ベーシストだったのもあり、
俺は彼のことをベースプレイヤーの端くれとして深く尊敬している)
1作目こそ出荷に慎重だったために商機を逃し、60万しか売れなかったが
口コミで面白さが広まり、3年後に発売された
ドラゴニアンファンタジア2は一気に790万という国内最高売上本数を達成し
機種の変わった3はさらに販売本数を伸ばし国内のみで1250万枚という
でたらめな売上を達成し、大RPG時代の幕開けになった。
俺は小学生だった当時、ドラゴニアンファンタジア4を初めて買い
その面白さの洗礼を受けてからはドラファ(こう略される)一筋だ。
ドラファ4までは2Dだったのだが
5と6はフル3Dになりゲームハードも変わり、世界でも売れるようになり
なんと売上は5が2790万、6が3570万本だ!!
ジャパニーズヲタク文化の世界拡散の一端を担ったのは間違いない。
ちなみに俺がはまった4はシリーズ唯一の失敗作として
売上が980万本に落ちたという汚点をもつ作品であるが
それでもドッター達の技術の極みのグラフィックと
(彼らが点で描いた夕日や朝日、水たまりの美しさときたら!)
津軽先生のなんとも魅惑的なキャラクター、
そして伊藤氏のポピュラーミュージックへの造詣が深い音楽、
渋山田氏の書く、一見単純なようで深く切ないストーリーは
小学生だった俺の心を掴んで離さなかった。
余談だが、津軽先生は今ニャンプ誌上で「にゃんたあ+ニュンター」
というとてつもなく面白い猫冒険ファンタジー作品を連載しているが
最近は腰を痛めて休みがちで
「恵子仕事しろ」とよくネット上でネタにされている。
ああ、説明が長くなりすぎたな。
すまない。感受性の豊かな思春期を
たくさんの名作ゲームと共に過ごした俺にとって
ドラファシリーズに始まる、当時のオフラインゲームシーン黄金期は
思い入れが深すぎるのだ。
そして……問題作のドラゴニアンファンタジア7である。