現実逃避
「ボーカルってすごいんだな……」
「ああ、最近、久しぶりに宅録を始めてみたはいいが
クソみたいな自分の声に絶望していると」
ベッドでノーナが漫画を読みながら、どうでもよさそうにのたまう。
俺はついさっきまで、ネット通販で五千円で買った録音機に
弦が錆びているベースとネックが半分腐っているギターをつなげて、
雰囲気だけで即興で作ったスリーコードっぽい適当な曲を録音していた。
しかし、ボーカルの録音で行き詰っているのだ。
「うん……三十代半ばの無職ではあるけど
心は清らかだから、もっと天使ヴォイスが聞けると
思ってたんだが……」
ナチュラルに歌えばこの天使ヴォイスならいけるだろと思ったのだが
ただの力の入っていないキモイおっさんの呟き声だった。
「死ねばいいのに……」
「いいすぎーいいすぎー」
二人ともずっと相手を見ていない。
「玉川さんに歌って貰いなさいよ」
「いやだよ、めんどくさい」
「そもそも、何で曲作りなんか始めたのよ?
ロックとかポップスは大目に見積もっても
三十以下の若者のものでしょ?おっさんみたいな
汚い無職のものじゃないのよ?」
「……ふっ。お前も大したことないな。
六十のホームレスでも、八十の要介護者でも
ロック魂があればロッカーなんだよ。舐めんなよロックの長い歴史」
「……まあね。悲惨な人生で獲得した数少ないものの一つだもんね。
大事にしてくださいねー」
「悲惨言うな。俺の人生はこれから大いに輝くんだよ!」
とは言え、ボーカルだけは録音できない。
どんな歌い方をしても絶対にキモイおっさんの声が吹き込まれてしまう。
クソッ……二十五の頃の俺なら……もっとこう勢いが……。
いや、ダメだ。過去は振り返らないのだ。
振り返っても意味が無い。なぜなら明日の無い無職の俺には常に今しかない。
つまり、今歌うしかないんだよ!
よし、やる気になってきた。歌うか。
マイクを古臭い録音機に繋ぎ、五つ目のトラックの赤ランプを点灯させる。
そして録音ボタンを押して、マイクを手に持つが
どうしても、声が出ない。クソッ……あんな、キモイ声が
俺の歌声……ダメだ……どうして神様は、せめて俺を濁声や、低音ヴォイスに
生んでくれなかったのか……。
「酒と煙草で、声を潰せばいいんじゃないの?」
ノーナが漫画を読みながらボソッと言う。
「アルコールは無職の敵だぞ!
煙草もダメだ。身体を悪くして、煙草代と医療費ばかりかかるだけだろ」
「無暗に健康志向よねー。早く死んだ方がいいのに」
「死なないよ!あくまでポジティブに生きていくぞ!」
お前らもせっかく生まれたからには
悲観ばかりしてないで、楽しいことするんだぞ。
無職でも何でも人生は短いぞ、気付いたら
年取ってるマジで。
何度もマイクにボーカルを吹き込んでいると
ベッドからノーナが
「ウン何とかマンが最近、芳しくないんでしょ?」
小さな声で尋ねてくる。
というか、今ヘッドフォンをしているので
聞こえるのはおかしい。つまり
「……頭に、直接話しかけてくんなよ」
「いや、だって現実逃避しすぎだから。
おっさんベースがちょっと弾けるくらいで
ギターはその辺の小学生より下手だし
リズムトラックの作り方も下手すぎて
ちゃんと繋げてないんだけど」
「お前はプロか。アマチュアにごちゃごちゃ言うな。
俺に金払ってから、文句は言え」
「アマチュアリズムに拘泥してるからいつまで経っても
色んなことが、上手くならないのよ」
痛い所を突かれて
「……ウンコマンがやばいのは確かだよ……」
つい本音が漏れてしまう。
そうなのだ。
長くなりすぎて、最近、色んな設定を忘れだしていて
感想欄に「下手なのはいいが、設定間違うな死ね」とか
「文章が痩せ細り過ぎじゃボケ。シンプルと貧弱を間違うな」とか
「クソ作者、せめてキャラを大事にしろ」や
「展開が適当すぎやろが、クソ作者、ラノベ舐めてんのか?」などの
わりと、鋭い煽りが入るようになってきた。
小説家になるおは、荒らしにわりと寛容なので
それらのコメントがさらに鋭い知能を持つ荒らしを呼んで
作者の俺としては、非常にやりづらくなってきている。
ノーナが同情するように
「おっさんさぁ、もう歳なんだから
諦めて普通にはたらこ?まだ仕事あるわよ?」
「……い、いやダメだ。どうしても俺の中の
創作欲が燃え尽きてくれないんだ……」
「だって、例えばバンドとかは、
おっさんの趣味としてやるならいいけど
とっくに真面目にやる歳じゃないでしょ?」
「……うぅ」
「それに、ラノベみたいなジャンルは
若い子たちが読んで書くべきで
そうじゃなくて高齢でラノベ書いてるプロは、正直、かなり文章技術と教養あるわよ?
一般小説からはみ出た規格外の才能でしょあれらは」
「ま、まあ……確かに教養も技術も無い」
「つまり、ラノベでプロになる芽なんて
おっさんには無いわけ。諦めなさいよ」
ノーナはため息を吐いて、また漫画を読みだした。
俺はヘッドフォンを置いて
鬱になりそうになってしまう。
いや、しかし待てよ。
こんなに煽られる作品は、たぶん
小説家になるおでは、俺だけだ……逆に考えれば……
「はーい、ダメー。そんな理由では
逃げるのを許しませーん」
思考を勝手に読んだノーナがニヤリとベッドからこちらを見てくる。
「あのねぇ?作品として不満を持たれてるのと
作品が壊れてて、バカにされてるのは違うのよ?
おっさんの作品は後者よ?創作舐めてんの?」
「破綻した設定から、新しい展開が生まれてくることも
あるんだぞ?試しに、矛盾を抱えたまま
二百日その話を逃げずに書いてみろ。
良い感じに、その矛盾が謎として熟成されていくぞ?
知らんだろ?」
実体験である。わりと辛いので他人にはお勧めしない。
「あのさぁ……誰がそんなフンコロガシが二百日転がし続けた
動物の糞の塊読むのよ……」
ちょっとノーナの例えが面白いと思ってしまった。
「……分かった。分かったわ。
分かったから、お前歌えよ。それで今の暴言は許してやる」
「なっ、まっまさかこのタイミングで悪魔に願い事?」
驚いて立ち上がったノーナに
「ちがうわボケ。友人としてだ。
友人として協力を頼んでるだけだ。
悪魔に願い事なんかするかよ」
ノーナはベッドの上で明らかに迷い始めた。
「いいから歌えよ。お前が、自主的にな。
俺が頼んだからじゃないってことにしてな」
「そんな、ローファイロックが三回転んで
骨折したみたいなゴミトラックで……私の美声が使われるとか……」
「メロディラインは音に合わせて適当に作って構わんぞ。
そもそもコード進行すら怪しいからな。
それっぽかったら、音が外れても全然いいし」
「どっ、どうせ、アップしても再生数5とかでしょ?」
「ああ、サウンディクラウディとかにアップした曲は
大抵1~3再生とかだな。ムカつくから俺が自分で
毎日聞いて、再生数伸ばしてるわ。
ちなみに不正じゃないぞ。公認されたやり方だ」
「小説家になるおでは、出来ないやり方ね……」
そもそもなるおは、不正する必要が無いくらい
ユーザーが多いので、そんなことは必要ない。
何を書いても十人くらいには見られるのは実は幸せなことなのである。
「そんなことはいいから、さっさと歌えよ。
ほらマイクとヘッドフォン」
ベッドにマイクとヘッドフォンを投げ渡して
録音再生ボタンを押す。
慌ててノーナは歌い始めた。
曲が終わる、四分間待って、そして停止ボタンを押すと
「う、歌い切ってしまった……な、何か
おっさんに、耳から入られて体の隅々まで犯された気分……」
ノーナは呆然として、ベッドの中に倒れ込む。
「気色悪いこと言うな。ふんふん。まあいいな。
しかし、お前思ったより音痴だな。音痴だけどロックっぽい音痴だわ。
オルタナとかによくある音の外し方だわ。これはいけるな」
聞いてみたら中々良かった。
あり得ない感じで全ての要素がダメすぎて、もはや逆に輝いている。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
待てと言われて待つやつはいない。
録音機からデータを吸いだして、パソコンに入れ
そして、さっそく拡張子を選んで、音楽ファイルを作る。
ノーナは背後でギャアギャア騒いでいるが
もう遅い。作った音楽ファイルをさっそく
音楽サイトにアップである。
自分の歌じゃないので、受けそうなタグを付けまくれる。
よし、終わった。
「ちょ、ちょっと!」
ノーナは顔を真っ赤にして、ベッドに逃げていってしまった。
「よし、ノーナちゃんの世界デビューでーす。
じゃ、結果はまた明日ということで」
俺はパソコンを閉じて、床に敷いた寝袋で寝ることにする。
翌朝。
パソコンを開けてサイトを立ち上げると
なんとあの曲が六千再生もされているではないか。
ベッドを振り向くとノーナは居ない。
よしよし、曲に対するコメントは……。
"讃えよ……"
"天界の真の主は……"
"苦しいよぉ……"
"そろそろ昇天したいです……"
などの気持ち悪い信者コメントが並んでいる。
「……なんだこれ……」
唖然としていると、
ちょうど窓を開けて帰ってきたワンワンオが
「バゥワ?(どしたんよ)」
とパソコンのモニターを覗き込んで
キリっとした顔になる。
「これ、どういうことか分かるか?」
ワンワンオは真面目な顔で
「バワワウ、ワウバウ
(つまりこれは電子世界に漂う亡者たちを呼び寄せたんよ)」
「も、亡者?なんで?」
「バゥワ。ワバ(そりゃ悪魔のノーナが歌っとるからに決まっとるがな)」
「の、ノーナの歌声がネットの悪霊たちを
呼び寄せたのか……」
ワンワンオは頷いて、サイトを消すと
ドラファを立ち上げて、そのままパソコンを床に持って行き
ヘッドフォンを付けてやり始めた。
「……」
このまま追及すると、色々とややこしいことに巻き込まれそうなので
俺はそこで、考えるのをやめて
今度はベッドで二度寝することにする。
夢の中では、ロックスター兼作家と言う
二重生活を見事に成し遂げた数年後の四十歳の俺が
華麗に歌っていた。
「いや、そのオチはなんかおかしいでしょ!?」
そう言いながら、窓を開けて入ってきたノーナが
ハリセンで俺の頭を思いっきり叩いて、また去って行く。
一瞬驚いて起きたが、また寝ることにする。
今度はウンコマンたち、俺が造った登場人物から囲まれて
ウンコマンのコメント欄と全く同じ鋭い指摘で説教される夢だった。
しかも中々覚めない。最悪である。




