玉川さん
「うう……」
「地雷か……くっそ、ちょっと待った、たんまたんま!!
あー……やられた……」
珍しくゲーム機のコントローラーを握っているノーナは
最近流行のプレイヤー同士が戦う、
バトルロワイヤル式のアクションゲームに熱中している。
「だめだ……。全然だめだ……こんな大スランプに陥るとは……」
「元々クソゴミしか書けないんだから
別にスランプでも一緒でしょ。さ、もう一回……今度は一位とるわよー」
こちらを見ずにノーナは酷い言葉を投げかける。
俺は机に突っ伏した。
ノーナはああ言うが、ここ一ヶ月ほどまともな文章が書けないのだ。
どうしても俺の書き続けて居るウンコマンが
望んでも居ない方向に話が進んでいって
そして、その結果、何か面白い展開があるとまだいいのだが
さして、盛り上がることも無く次の章に進むという
酷いものになっている。
「スランプとか初めてだ……何が悪いんだろうか……」
「よっし、1キル。ここで木陰に隠れて……。
よしよし罠に寄ってきた。はーい地雷で2キルー楽勝ー」
「歳かな……次の表現活動に向かうべきか……漫画とか……」
「……三十代半ばの無職が、いきなりやったことのない漫画描き始めるとか
それこそ笑えないわよ。げっ、後ろ取られた。退避退避」
ノーナはコントローラーを操作しながら適当に答えてくる。
「脳の血行をよくするために、筋トレすべきか……サボってたからなぁ」
「ダメな時は、どうせ何やってもダメだから
ダメなりにやりなさいよ。悩んだらもっと酷くなるわよ。
見苦しく悩むより、とっとと寝たらいいじゃない」
「……そうだな……」
ノーナが座っていないので、ベッドが開いている。
早めに寝ることにした。
……
「ふぁあ……よく寝た。
なんじゃこりゃあああああああああああ」
硬い床の上で起きると、周囲はどこかの教会の中だった。
立てられた蝋燭で、神像が厳かに照らされている。
「ふーん、インナースペースね。
おっさんの、内的宇宙ってやつよこれ」
隣に立っているノーナが教会内を見回しながら言う。
「おおっ……居たのか、脅かすなよ……」
「おっさんって、仏教徒よね。なのに教会かー」
「仏教徒だぞ一応。熱心じゃないけどな」
「おっさんの内部に棲まう何かが、おっさんに話がしたいみたいよ」
「お、おう。なんでそれが分かるんだ……」
「もう一人居るの気付かないの?気配があるでしょ」
慌てて、教会内を見回すと
隅の扉がガチャリと開いて、背の低いシスターが入ってきた。
小柄、丸眼鏡で、ショートヘアー、そして若干ふくよかな体型は……。
「お、おお、玉川さん、玉川さんじゃないか……」
「ふーん……おっさんの中学の初恋の子か。
ぽっちゃりしてて、イモっぽいわねー」
「失礼なこと言うな。玉川さん、なんでここに……」
「……私は、玉川さんではありません……。
あなたの心の中に棲まう、良心の顕在化したものです」
「こいつ……神に近い何かだわ。
よく、汚れたおっさんの心で生き残っていたわね」
「……で、何でそれが俺に会いに来たんですか?」
「……お別れを告げに来ました。
昔は、もっと広い世界があったのですが
私が棲める領域も、とうとう、この教会だけとなりまして……」
「ああ、おっさんが薄汚れた青年から、きったない中年に
クラスチェンジしつつあるから、純粋な善意の塊みたいな
あなたが消えていってるわけだ。よきかなよきかな。
あとは、私にぜーんぶ任せてねーあっはっは」
ノーナは高笑いしているが、冗談ではない。
「ど、どうしたら、玉川さんじゃなかった、
あなたを守れるんですか?」
「私を守るためですか……」
玉川さんの顔をしたシスターは
首を横に振る。
「良いのです。青年期の思い出は、みんな忘れていくものですから……」
ノーナはシスターを見つめて
「……ふむふむ。わっかりました。
現実の玉川さんを見に行きましょう。
おっさんと同じ、中年のおばさんになった玉川さんを
見てみるのよ。そしたら色々と決着つくかもねー」
「い、いや、っていうても、俺同級生とは
もうまったく交友無いからな……みんな、もういい大人だし……」
「ほほう、無職なので引け目があると?
あんな人類の反知性主義と醜いところを満載した
思考へのテロみたいなラノベとも言えないおぞましい何かを
堂々と衆目に晒して毎日連載しているのに
たかが同級生には会えないと……?」
ノーナは俺の顔を下から不思議そうに覗き込んでくる。
「いや、ネットの連載は大したこと無いだろ……字だろあれ……
いくらなんでも言いすぎじゃないのか……」
「そうとも言えないのよねー。
歪んだ思想が、若者の純粋さを歪める様に
歪んだ著作物も、それなりに人を歪めるんですよー?
知りませんでしたかー?」
「だとしても、それと同級生に会いに行くことはだな……」
二人でごちゃごちゃと話していると
玉川さんの顔をしたシスターは、悲しそうな表情をして
再び元の扉を開いて、中の部屋の戻っていってしまった。
「ほらーおっさんが情けないこと言ってるから
数少ない善意の塊が引きこもっちゃったじゃないー」
「うう……行かなければダメか……」
「……悪魔の私が言うのもなんだけどさー。
中途半端って、色々と禍根を残すのよ。
別に話しかけなくてもいいから、玉川さんが
今、何をしてるか遠目で見るくらいはしましょうよ」
「……分かった。遠めだぞ……」
「片思いで、何もやってないんでしょ?会ったとしても、相手もおっさんのことなんか
ぜーんぜん覚えてないって」
「初恋は叶わないもんなんだよ……」
愚痴ったところで、意識が途切れた。
……
「もう朝か……なんか寝た気がしないな」
時計は九時を指している。
ノーナはコントローラーをもったまま寝ている。
あの後、一晩中同じゲームをしていたようだ。
朝飯を食べに一階に降りて、家族と話して
そして二階へとあがると、ノースリーブの夏服に着替えたノーナが
「じゃーいきましょーかー」
といきなり言ってくる。起きたらしい。
「い、いや……早く無いか……」
焦って着替えていると
「時は金なりですよー。とっとと玉川さんの所に連れて行ってあげるわ」
「ば、場所は知ってるのか……」
「悪魔ですよ?二秒で経歴から現在位置まで把握したわ」
ノーナは、俺の手を引いて強引に外へと連れ出す。
そのまま自宅の周囲の住宅街を手を引かれて歩いて行き
三十分くらい歩いて、住宅街の端にノーナは俺を連れてくる。
「ここ?」
「うん。そうね。ここですよー」
「まだ実家に居るの?」
「うん。えーと、働いたりとかしてたけど
いろいろあって、心を病んで実家に帰ってきたみたいですね」
ノーナはニコニコしながら、俺にそう言う。
「帰ろうか……」
なんか、拍子抜けである。
こんな近くに居たのか。お互い歳だけ取って。
「いーや、あと、二十四秒後に彼女が
日課の散歩のために出てくるから
近くの家の陰に隠れて見ますよー」
慌てて、ノーナと共に近くの家の壁の陰へ隠れる。
コソコソと玉川さんの家の玄関を眺めると
ぽっちゃりした小柄な女性が家から出てきた。
驚く、全然変わっていない。
背も伸びなかったのか……。子供のころと比べると少し疲れた顔をしているが
それは俺だって同じだろう。
呆然と眺めていると、いきなりノーナが背中をキックして
俺を隠れていた壁から飛び出させる。
「お、おい、ちょっと、なにすんだ……」
背後のノーナに文句を言おうとするよりも早く、玉川さんが俺に気付いて
「あ、もしかして……」
とこちらを指差してきた。
それからは根掘り葉掘り、色々と聞かれて大変だった。
仕事のことはフリーランスのもの書きをしていると誤魔化すと
特に疑いもせずに「すごいねー」と褒めてくれる。
人を疑わない性格は昔と変わっていないらしい。
「私は実家に帰ってきてから、全然ダメでねー何したらいいかも分からなくて……」
と自分の状況も隠さずに、話してくれた。
結局アドレス交換をして、立ち話もなんだということで別れる。
何度もこちらを振り返る玉川さんに手を振って
逃げるように、近くの道を横に曲がるとノーナが待っていた。
「こんなもんですよ。現実なんてね」
「そうだな……みんな、色々大変なんだな」
「で、三分後にメールがきまーす。
改めて夕方に会わないかって、お誘いなんですけど
どうしますかー」
ノーナが家に向かって歩きながらニヤニヤと俺に言ってくる。
「どうなんだ?なんかやばいのか?」
「ちょっと面白そうだし会ってみたら?」
「……わかった」
久しぶりの同年代の異性との再会に、色気を出してしまった俺は
玉川さんに了解のメールを出してしまった。
だが、それがいけなかった。
夕方、市内のファミレスで俺と玉川さんは
再び会っていた。
「でね。このアクセサリーをつけてから
なんか運気が上がったような気がするの」
「う、うん……」
「こっちの水は、宇宙水と言ってね。
今のアクセサリーを創った人と同じ人が
霊的な力を込めたものなんだけど……」
「そ、そう……あ、ごめん……もう帰るわ……」
熱心に霊感商法のグッズを買わせようとしてくる彼女に
幻滅して席を立とうとすると
手を握って引きとめられる。
「だめ……帰らないで……」
潤んだ瞳で懇願してくる、初恋の人の表情に負けて
俺はそこからさらに三時間ほど
霊感商法グッズの売込みをくらい続け
深夜になるころに、何とか解放された。
ちなみに二千円のミニチュアツボを買わされて
紙袋に提げて、もたされている。
いますぐ袋ごと遠くへと投げ捨てたいが、恐らく背後の店内から
窓越しに玉川さんが
俺を見ているのでそれはできない。
ヘロヘロになりながら、駐車場へと歩いていると
ノーナがニヤニヤ笑いながら立っていた。
「面白かったでしょ?さ、どう料理しましょうか」
「ほっといてやってくれ……」
車のドアロックを解除して、運転席に乗り込むと
助手席ににノーナも乗ってくる。
「でも、おっさんツボ買っちゃったし、ほっといたら、延々売込みに来るわよー?
あの手のはウザいですよー?」
「悪魔に願い事はしない……」
車のエンジンをかける力が出ない。
俺は少しハンドルに突っ伏して泣く。
そりゃ、それだけ時間が経ったんだし、
皆、汚れていくんだよな。それは初恋の人だって同じだ。
歳をとって、目先の金に目がくらんだり
救いを求めて、マルチ商法とか、霊感商法にひっかかったりはありうる。
涙目を拭いながら
スマホを取り出して、玉川さんのアドレスをブラックリストに入れようとすると
ノーナがスマホを俺の手からもぎ取って止める。
「無償でやりますってー。こんな美味しいエサ
滅多にないじゃんか。あの子、本気で信じてたのよ?
ありえる?今の時代、ああいうのを本気で信じてるだなんて……くくく」
ノーナは含み笑いををしている。
「洗脳とかするんだろ……」
「するかもしれないけどー。殺したりとか、怪我させたりとか酷いことになりませんよー」
「……救ってあげられるなら、止めない」
「もっちろんー。じゃーいってきまーす」
ノーナは助手席から消えた。
俺はそのまま、エンジンをかけて
なんとか自宅まで帰る。
二階の自室へと戻ると
「うん。終わりましたよ」
先に戻っていたノーナが、ゲームのコントローラーを握りながら
こちらを見ずに言ってくる。
「そうか……良かったな……二度と会わない……」
まだ寝る気になれない俺は机に座り、パソコンを開いてウンコマンを書き始める。
……ああ、やっぱりダメだ。
全然話がコントロールできない。こんなのでは
俺の超傑作ウンコマンシリーズが駄作になってしまう……。
頭を抱えていると、ノーナが
「心の汚れってねー。
汚れてる心のやつが、他の誰かを汚すからできるのよ」
と言ってくる。
「そうか……ポエムおつ」
「あの子も汚されてきたわけ。おっさんは何も考えてない
無職歴が長いからわりと澄んでるけど、あの子は無職になっても
その汚れが取れないほど、汚されてきたのね」
「だからなんだよ……俺も汚されたわ……」
「おっさんのは淡い期待が折られた超軽症よ。明日には笑い話になってるわ。
でも玉川ちゃんのは、全力で期待して折られて
期待して折られて、人に沢山裏切られて、小さく騙され続けて
その末にああなっちゃったわけでね」
「……苦労してきたとしても、ああ、ならなくてもいいじゃないか……」
「それだけ根が純粋ってこと。
だからねー、そういうおばさんにはー
おじさんのナイトが必要だとは思いませんかー?」
「……付き合えと……」
「もっさんにあげちゃってもいいんだけどー」
「……もっさんか……それなら俺が……」
「じゃ決まりねー。外に呼んでるから」
「は!?」
ノーナから手を引っ張られて
外へと連れ出される。
玄関の外には、玉川さんが眼を輝かせて待っていた。
ノーナは俺を置いて、素早く玄関の中へと入る。
「あ、さっきはどうも……」
「私こそ、ごめんね……でも分かったの……」
「……何を?」
嫌な予感がする。
「私、さっき急に神様の声がして、そして自分の本当の使命を思い出したの!!
あなたと付き合う事だって!!」
「……う、うん」
絶対ノーナは今頃、家の中で大爆笑しているはずだ。
あとでハリセンで叩きまくらないと……。
こうして無職で悪魔に憑かれた俺に
無職で悪魔から操られた玉川さんという
彼女ができてしまった。
その後、玉川さんは家に帰ってもらい
呆然としながら、自室で書き始めたウンコマンは
二時間でなんと一万字、しかも結構良いものが書けてしまい、うん、そうか……これが
メンタルに衝撃的な何かがあると、それが創作活動に刺激を与えるってやつか
ということはあれか、最近ずっと刺激もなく家に篭っていたから
ウンコマンの出来が悪かったのか……。
と理解する。
「そういうことねー。いい刺激だったでしょ?」
俺の思考を読んだノーナはコントローラーを握りながら
分け知り顔で言ってきたので
無心で後ろに回りこみ、ハリセンを後ろ頭にぶち込んだ末に
座布団で視界を塞いでやった。
「ちょ、やめて、やめてって……あー私、どん勝ちできそうだったのに……」
とうな垂れたノーナの後ろ頭にに、もう一発ハリセンをぶち込んで
俺はベッドに飛び込んで、寝ることにした。
……
青空と太陽が照らしている、綺麗な農地で目覚める。
鍬を振って農作業をしていた玉川さんが
俺に気付いて
「あ、ありがとう、ございます。
少し、生きていける場所が広がりました」
と近くの教会を指差す。
どうやら俺の内的宇宙の中らしい。
「あんなんでいいんですかね……」
「私たちは、正しい希望があれば
いつまでも人の心の中に棲むことができます」
「そうですか……ならいいんですけど」
あれが正しい希望なのだろうか。
邪な何かが混ざった行為の結果のような気がするが。
「ノーナさんは、良い方ですね」
「いやークソ悪魔ですよ。困らせてくるだけです」
「ふふ……」
俺は青空を見上げる。




