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【短編】ゆうやけ荘は今日も平和に   【シリーズ】

畠山さんは鏡に映りません。

作者: FRIDAY

 

「ユーヤさん、ちょっといいですか」


 某日の田中さん。

 今回は珍しく、いつもの豆知識トークからではないようだ。妙に改まった雰囲気。

 顔はいつもの無表情だけれど。


「なんでしょう」

「ちょっと困ったことがありまして。ユーヤさんに相談したいのです」

「のですか」

「ののです」

 のが増えた。それはともかく、田中さんが相談事か……お金かな。

 まあ聞きましょう。

 他ならぬ田中さんの御話です。聞き逃すわけにはいきません。


「さあなんでしょう」

「まず先に断わっておくと、困っているのは私ではありません」

「……のですか」

「です」

 のが消えた。それはともかく、田中さんの相談事じゃないのか……それじゃあちょっと、やる気出ないな……


「おや、どうしてそんなに態度が悪くなりましたか」

「いえいえ、別段そんなこともないですよ」

「いえいえいえいえ、特段そんなことこそありますよ。背もたれに深く上体を預けて、両手を後頭部に組んだりして、あまつさえ両足を机の上に投げ出すだなんて」

「的確な描写を有り難う――って、いや、さすがにそこまであからさまに態度悪くはしてないよ。ちょっと悪くしてみたことは認めるけど、そこまでじゃないってことを強く主張するよ」

「まあそれは別にいいのですが」

 流された。


「これはまず私が私の友人にされた相談事であるのですが」

「……!」

「おや、どうしてそんなに驚いた顔をしていますか。まるで鳩がギャリック砲を喰らったような顔を」

「そこまで派手な顔はしていない……田中さん、友達いたんですね」

「いましたよ。失礼ですね。私にだって友人のひとりやふたり。数えてみるなら、そうですね、まずユーヤさんと」

 淡々と主張しながら、指を立てていく田中さん。

 その指はまず人差し指、次いで親指を立てたところで止まり、田中さんはそれを数秒見つめてから、親指を畳んで中指を立て直すと、その手を僕に堂々と示し、

「ほら、ふたりも」

 どうです、と田中さんは控えめな胸を張ってその二指を僕に見せつける。

 目潰し。

 鼻フック。

 あるいは平和のピース。

「…………」

 まあ僕も人のことを言えるクチでは全くないのだけれど。

 とりあえず、田中さんが僕を友人のひとりにカウントしてくれていることを素直に喜んでおくとしよう。


「その友人は、畠山さんというのですが」


 何事もなかったかのように田中さんは話を再開した。

 まあ、そうだね。


「その畠山さんが、どうかしたんですか?」

「なんでも近々、アルバイトを始めようというらしいのです」

 成程。アルバイト。建設的だね。僕もときどき、アルバイトと称してまつげさんや前島さんの手伝いをして(させられて)いる。

 でもそれで僕にできることなんてあるのかな。まさかそのアルバイトの斡旋とか?

 ……まつげさんの方はともかく、前島さんの方のアルバイトは、あんまりお勧めできないかなあ。少なくとも田中さんにはしないかなあ。


「あ、いえ、斡旋ではありません。既に目星はつけているのだそうです」

 なんだ、そうなのか。

「それじゃあ、僕は一体何を?」

「ここからが相談なのです。相談事であり、頼み事なのです。いいですか?」

「引き受けましょう」

 内容も聞くことなく僕は快諾した。

 例え田中さん本人の依頼でなくとも、田中さんを経由した依頼だ。僕にとってマイナスがあろうはずがない。――まあ、田中さんが望むなら、僕は大概のことは引き受けるだろう。

 田中さんが椅子になれというのなら、僕は喜んで身を呈して快適なソファになってみせよう。


「有り難うございます。――では、口の堅いユーヤさんを信用して、ここから先は他言無用でお願いします」

 ……信用されていることは喜ぼう。

 でも僕、田中さんに口の堅さをアピールしたことがあっただろうか? まあ軽いとは言わないけれど。

 それにしても、どうして口が重いとは言わないのだろう。いや言うのだけれど、口が軽いの対義ではない。

「鉄壁の口をもつユーヤさんを信頼して、これから畠山さんの個人情報をひとつ開示します」

 ハードルが上がった。いやまあ、いいんだけどね? 言わないからね?

「オリハルコン製の口をもつユーヤさんに全幅の信頼を置いて、畠山さんの秘密をお教えします」

 さらに上がった。何だろう、フリだろうか。いやまさか。田中さんは至極真面目な表情だ。

 ていうかいつもの無表情だ。

「実は畠山さんは」

 淡々と、田中さんは言った。


「畠山さんは鏡に映らないのです」



 ●



「成程」

 僕はそう言って頷いた。そう言って頷いただけだ。

 まじまじと田中さんの顔を見る。冗談を言っている風ではない。至極真面目な表情だ。

 ていうかいつもの無表情なんだってば。


「鏡に映らない……透明人間ということですか?」

「いいえ。目には見えます。見えなかったら私は畠山さんと友人になることはできませんし」

 ですよね。

「それじゃあ……なんだろう。鏡に映らないんですよね。鏡が映すことを拒否するとか? 『かくも美しき女性なればこそ映すことでその美を穢すことになりかねない』とか、みたいな」

「いえ、畠山さんの容姿はそこまでのものではありません」

 冗談は通じなかった。淡々と返された。

「えー……じゃあ、何でだろう」

「不明です。けれども、今回ユーヤさんに頼みたいのは、その原因の究明ではありません」

 なんだ、それはよかった。

 僕は、僕自身は一般人だからね。

 全人類平凡代表を自称している。


「それじゃあ、なにを?」

「順に説明します」

 はい、と僕は従順に待つ。

 待ての姿勢。


「まず……そうですね。アルバイト。アルバイトを始めるには、まず何が必要でしょう」

 順に、と田中さんは言ったけれど、一体どこから始まっているのだろう。

 それにしても、まず最初に必要なもの……か。

「やる気」

「それは前提条件とします」

 田中さんって、案外冗談の通じない人らしい。

「えー……じゃあ、仕事探し」

「それももう終わっています」

 ……それじゃあ、まず初めに、じゃあないのでは?

「面接かな」

「そうです。面接。では面接では何が必要でしょう」

 お話がひとつ進んだ。

「えーっと、書類?」

「そうです。書類。履歴書ですね」

 さすがにもう冗談は挟まない。

 僕だって学習する。

「では」

 一拍おいて、田中さんは問うた。

「履歴書には何が必要でしょう」


 これが本命だ、と僕は直感した。

 というほどのものでもないけれど、まあ多分、そうなのだろう。多分。

 となると、さて。何だろう。

 履歴書において必要なもの。

 必要事項の記入。

 でもこれは多分前提条件として、というか、黙契として破棄。

 ではでははてさて、一体何か。


 そもそものお話は何だったのか。

 畠山さんは鏡に映らない。

 それは聞くからに、結構いろんなところで困りそうな話だ。けれど、わけても今回特段に困っているという。

 アルバイト。

 履歴書。

 で、鏡。

 ……あー。


「もしかして畠山さんって、写真にも写らないとか?」

「正解です」

 正解した。いえーいやったぜ。……って、

「それって、結構致命的なんじゃ」

「そうです。結構致命的です」

 誰も信じませんからね、そんなもの、と田中さんは言う。

「悪い冗談、悪ふざけとして流されてしまいます。実際に映らないことを見せても、手品か何かだと決めつけられるでしょう」

 ああ、確かに。そうだろうなあ……そんな超常現象、大概の人にとっては許容量を超えてしまう。自分に理解できないのは自分が間違っているからではなく、その現象が間違っているからだと決めつける。幽霊なんかと同じだ。幽霊という存在を理解できない。だから実在非在を問うことなく、一択で否定する。

 現実を否定する。

 世界を否定する。

「……え、いや、でも、写真が必要になることだって、今までにもあったんじゃ? 受験とか、学生証とか」

 もっともな疑問だと思うんだけれど。田中さんは首を振った。

「今までは何とかなっていたのだそうです。受験のときどうしたかは聞いていませんが……学生証については問題ありませんでした。高校のときは顔写真の入らないものだったそうですし、この大学の学生証もそうです」

 あ、そういえば確かに。ちなみに、と田中さんは続けて、

「集合写真などでは、やはり写っていないのですが、だれも畠山さんが写っていないことに気付かなかったそうです」

 ……それは。

 僕は何とも言えなかった。


「えーっと……詰まる所、僕はどうすればいいのかな?」

 畠山さんが鏡に映らない、写真にも写らない、という話はわかったけれど、それで僕はどうすればいいんだろう。

 畠山さんが写真に写るようにする、とか? いやいや、そんな高等技術、僕にできるわけもない。

「ですから、先に言った通り、鏡に映らない、写真に写らない原因を究明して、解決してほしいわけではありません。そんな期待は初めからしていません」

「ああ、うん」

 あれ、何だか、軽く痛いような。

「ユーヤさんに相談したいのは、単純に、畠山さんがこの状況をうまく切り抜ける方法を考えてほしいのです」

「うまく……?」

 裏ワザとか抜け道とか、そういうもの?

「そうです。そう言う感じ」

「成程」

 ……え、それはそれで、ハードル高くないかな?


「とりあえずは、今回だけでいいのです。今回が何とかなれば、今後も同様な方法を考えられるでしょうし」

「成程……でも、それで、どうして僕に?」

 正直に言って、僕はそれほど頼りになるタイプではないと思うんだけれど。

「そんなことは決まっています」

 田中さんは、飾りなくきっぱりと言った。

「他に友達がいませんので」

「……おお……」

 何て言うか、もう、かっこいい。

「んー……でも……あー……」

 残念ながら、あんまり力にはなれそうにないかなあ……

「やっぱり無理ですか? やっぱり」

「うん……僕自身ではなんとも……あれ、“やっぱり”が多くない? ちょっと意味合いが変わってこない?」

 気のせい? 気のせい?

「まあ、僕よりもっと頼れる知り合いがいるから、その人に相談してみることにしよう。次の日曜日、空いてます?」



 ●



「――成程。それで、私のところに相談に来た、と」


 日曜日、前島さんはソファに咥え煙草でふんぞり返りつつ、対面する僕らを睥睨した。

 もの凄く機嫌が悪そうだ。

 まあさもありなん、無理言って起きてもらったのだから仕方がない。

 午後1時。

 前島さんは日曜日は一度も目覚めない人だった。


「まあ間違っちゃあいないけどもな。しっかし、鏡に映らない、ねえ……」

 言って、前島さんはまじまじと畠山さんを見る。

 畠山さんは、いつでも淡々とした田中さんと違って、率直に言うと気弱そうな人だった。赤いアンダーリムの良く似合う、黒髪ロング女子。

 いや、それにしても、それをおいても。


 田中さんがゆうやけ荘にいる!

 田中さんがゆうやけ荘にいる!

 田中さんがゆうやけ荘にいる!


 これを叫ばずしていられようか。

 いや叫んでないけど。叫ばないけど。

 内心でガッツポーズをとることはやぶさかではないわけで。

「こうして見るだけじゃあよくわかんないなあ。写真にも写らない。へえ。つまり存在が光を反射しない、いや、目には見えてるんだからな、二度反射しない、とか……さて」

 ぶつぶつと口の中で僕らにはよくわからないことを呟いた後で、ぶは、と前島さんは煙草の煙を派手に吐いた。畠山さんはますます泣きそうな目になり、僕は噎せ、田中さんは平然としている。

 ずい、っと身を乗り出して、前島さんは正面から畠山さんを見据えた。

「……あー、ん、駄目だなこりゃ。これじゃあ私でも一朝一夕にどうにかできるものでもないな」

 あっさりと、前島さんはそう言った。

 え、駄目なんですか。それじゃあここにふたりを連れてきた僕の立場は、とか僕がそんなことを言い出す前に、すかさず前島さんは、

「まあ今回のその、バイトの履歴書に付ける証明写真? それくらいなら何とかなるな」

「え、なるんですか」

「おお、なるぞ。でもやるのは私じゃないけどな――あ、最上って今日は非番だったか?」

「え、まあ、確かそうですね。……ああ、成程」

 僕は得心いった。そして、それは僕が思いつきたかったなあ、と思ったけど、でも僕じゃあ思いついても頼めないなあ、とも思った。

「それじゃあ、僕呼んできます?」

「いや、私も一緒に行く。借りたい漫画あるしなー」

「そうですか……そう言えばこの間、前島さんに貸してる漫画がひとつも返ってこないって最上さんが嘆いてましたけど」

「あん? ……あー、そう言えばそうかもな。まー返す。返す返す。そのうち返すって」

「いや、僕に言い訳されても……」

 しかも、そのうち、って。返す気ないですね。



 ●



 前島さんは畠山さんを連れて上階に上がって行った。去り間際、畠山さんは田中さんを、ドナドナされていく子牛のような目で見たけれども、田中さんはアパートを見回すのに忙しくて畠山さんを見てすらいなかった。

「……そんなに気になります? このアパート」

 そうですね、と田中さんは頷いた。

「アパート、と聞いたのですが……変わった構造をしていますね」

「あー、そうかも」

 言われてみれば、と僕も改めて見回してみる。

 普通に考えるアパートやマンションというのは、完全に個室に別れているものなんだけれども……何と説明したものか。そう、イメージするなら部屋の多い大きな一軒家、みたいな感じか。下宿、といった方が近いかも。一階は大きな居間があって、テレビやソファがある。キッチンもあるから、皆でパーティなんかもできる。そう、この間の花笑ちゃんの歓迎会もここでやった。それから、二階以上がそれぞれの個室になっている。

 住人間の関係がかなり濃いから、人見知りの僕は入居直後はかなりブルッたものだけれど、蓋を開けてみれば過ごしやすいところだった。

 何と言うか、同族が多くて。


 ふーん、と田中さんは頷きながら一通り見回して、それから僕の方を向いた。

「で、あの方は何の御仕事をしている方なんですか?」

「あの方って?」

「その……前島さんです」

 ああ、と僕は頷いた。前島さんの仕事か……何だろう、何て言えばいいんだろう。まあ、平たく言うと、

「ゆうやけ荘の大家さん」

「……成程、大家さん。しかしどうして、大家さんに相談することにしたのです?」

「あー、何だろう、何ていうか……」

 ちょっと、いや結構違うか。

「大家さんっていうのも本当なんだけど……そっちは副業で。本業は、何だろう、ゴーストバスター?」

「ゴーストバスター……Bustするのですか?」

「やっぱり上手く言えないなあ……まあ、霊媒師とか、霊能力者とか、そんな感じ。そう言うと結構胡散臭いんだけど」

「確かに……有名な方なのですか?」

「んー、いや、多分、田中さんの思うような意味では有名ではないかな。でも、本気で頼りたい人にとっては有名な人」

 メディアによく出てくる、って言う意味でなら、有名ではないし……それに、これは前島さんの持論なんだけれど。

 メディアによく出てくる人っていうのは十中八九が眉唾らしい。むしろ、偽物であるからこそメディアに出られる。

 大々的に、自分が“見える”人間であることを公表していれば、自然、“気付かれる”。

 気付かれれば必然、“集まる”。

 それを本当の意味で分かっているのならば、大っぴらに名乗り上げたりはしない。

 成程なあ、と前島さんに聞いたとき思った。

 まあ、さらにもとをただそうとすると、前島さんも受け売りらしいんだけれど。なんでも、高校のときの同級生で、変人で有名だった女子が言っていた、とか……


「だからまあ、大丈夫だよ」

 総括してそう言うと、はあ、と田中さんは頷いた。

 ザ・生返事。

「まあ、大丈夫だよ。前島さんは本物だから。……それに、このゆうやけ荘、結構そういう人が集まりやすいみたいでねえ……」

 まつげさんが大学院で専攻しているのは民俗学で、そういうオカルト系? を研究してるし、何よりも佐々木さんは神様だしなあ。後で聞いたところによると、花笑ちゃんも天然で“集める”体質らしいし。

「でも、実際のところ、どうするんでしょう。その、最上さん、ですか? その方は何を?」

「んー、僕らの先輩だよ。三年生。で、何をやってるかというと」


 と僕が言いかけたところで、居間に人が入って来た。

「あ、お帰りなさいです、水戸さん」

「た……ただいまです、ユーヤさん……あ」

 入ってきた水戸さんはまず僕を見てはにかみながら返答して、それから僕の隣に座る田中さんを見て固まった。

「え」

 まじまじと田中さんを見て、

「あ」

 僕と田中さんを見比べて、

「う」

 なぜだか一瞬泣き出しそうな顔になった気がしたけれど、すぐに俯いてしまったので定かでない。そしてすすすっとやってくると、なぜだかさっきまで前島さんが座っていた向かい側ではなく、僕の隣に座った。

 田中さんと反対側。

 詰まる所、両側を挟まれた。

 これは、どうだろう、女子ふたりに挟まれたのだから、黒が白になるように僕も女子になるべきだろうか。

 まあ無理だけど。

 わぁお、両手に花。

 なんちゃって。

「えっと……水戸さん?」

「ユーヤさん、そちらの方は……?」

 か細くて弱々しいのに有無を言わさないという離れ業を演じる水戸さん。

 そちらの方というと、まあ、田中さんのことだよねえ。

「こちら僕の大学の友人の田中さん。今日は田中さんの御友人の相談事を前島さんに聞いてもらおうと」

 で、

「こちらゆうやけ荘にお住いの水戸さん。僕の友人です。お料理の専門学校に通っています」

 と、言ってはみるものの、やりにくいことこの上ない。だって右手に田中さん、左手に水戸さん。

 お互いを紹介するフォーメーションじゃないですのよ?


「成程、ゆうやけ荘の御友人」

「あ、大学の御友人……」

 田中さんはまじまじと水戸さんを見て、水戸さんはちらっとだけ上目遣いに田中さんを見て、

「よろしくお願いします」

「よ、よろしくお願い、します……」

 ……細かいことは別に、いいんだけれど。何をよろしくお願いしているんだろう、このふたりは。


 と、水戸さんが僕の耳元にそっと唇を寄せてきた。

 ぞくぞくする。

「大学の、御友人……それだけ、ですか?」

「え、はい。そう……です、ね?」

 語尾が上がってしまった。でもそれ以外って、何かあるかな……

 そうですか、と水戸さんはもとの姿勢に戻った。もとの姿勢で、小動物が警戒するように田中さんを窺っている。

 と、今度は田中さんが僕の耳元にそっと唇を、

「ふぅ」

「ほぅわっ」

 ぞくぞくした。

「成程、ゆうやけ荘の御友人……本当に、それだけですか?」

「え、はい。それだけですけど」

 そうですか、と田中さんは戻った。

 沈黙。

 ……あれ、何だろう。何でこんなに気まずいんだろう。

 あー……僕、こういうときに困るようなあ、人見知りで。

 いや、人見知りだからというより、コミュ障……っていうんだったかな、最近で言うと。

 間が持たない……んだよねえ。

 あー……こういうとき、加賀さんか、花笑ちゃんがいればなあ……佐々木さんでもいい。気遣いさんの加賀さんか、ひとりでもどんどん喋ってくれる花笑ちゃんや佐々木さんがいれば、こういう重い空気にはならないだろうに。

 田中さんはマイペースで、水戸さんはどっちかっていうと僕側だからなあ。



 ●



 そのまま一時間ほど経過した。

 驚くなかれ、一時間だ。

 沈黙の一時間。

 全身の手のひらという手のひらから汗が噴き出した。

「いや、それ、要は手のひらだけだろ」

「まあそうなんですけどね」

 戻ってきた前島さんに半眼で突っ込まれた。


「三日だ」

「はあ、三日。何がです?」

「最上のが完成するまでの時間。それだけあれば、あの程度の大きさの写真くらいはできる」

 横で聞いていた田中さんが、前島さんの言葉に反応した。

「写真……撮れたのですか? 畠山さんの写真が」

「いや、写真は撮れてない。それについてはまた、おいおい調べて行くさ」

「調べると言うのも気になりますが……詰まる所、写真の方は解決したんですよね。どうやって? それに、畠山さんは今?」

「そう矢継ぎ早に訊かれてもな……田中さん、だったか。友達を心配するのはまあわかるが、落ち着け。先に後の方質問に答えると、畠山さんはまだ最上のところだ。もう十分くらいかかるかな」

「何をしているんです?」

「記憶と、デッサン」

「……は?」

 訝しげな表情になった田中さんに、僕は最上さんが何者なのかを言いそびれていたことを思い出した。

「最上さんはね、何て言うのかな、絵描きさんなんだね」

「絵描き?」

「うん」

 しかもそれがもう神懸かり的に上手でね。

 本当に写真みたいな絵も描けるのです。


 つまり、このたび前島さんがとった対処法は、そういうこと。

 写真はまだ撮れないけれど、絵なら描けるはず、と。

「試しに描かせてみたら。いけそうだったんでな。大丈夫だろう。サイズが小さいのと、描かなきゃいけない台紙がやや特殊だから、もう少し時間がかかるけどな」

 すぱーっと煙を吐きながら、前島さんは言う。

「鏡とか写真云々は、またときどき来てもらって調べていくしかないな。思ってたよりちょっと複雑みたいだ。――大丈夫、ユーヤの友達の友達だ。割安にしておいてやる」

「あ、お金取るんですか」

「当ったり前だろ。タダで日曜の昼間っから起きてられっか。しっかり元は取るさね――ユーヤからな」

「昼間に起きなかったらいつ起きるんですか……って、え? 僕から? 僕からって言いました?」

「成程……わかりました」

 田中さんは頷いた。無表情だから何を思っているのかはわからない、けれども、多分安心したんじゃないか、な?

 っていうかそれ、料金は僕から徴収されるっていうことも了承したの……?

「では、その際は私も同伴してもいいでしょうか」

「んー? おう、いいぞ」

「え……!?」

「あれ、なんで水戸ちゃんが驚く……お、ああ、そうかそうか、それもそうだなあ。っはっはっは、まあ頑張れよ水戸っちゃん!」

 実に楽しそうに大笑しながら、前島さんは水戸さんの肩を叩く。水戸さんは、「いや、その」などと目を泳がせている。

 んー……?

 まあ、何はともあれ、一件落着、かな?

 僕の財布、大丈夫だろうか……



 ●



「それでは皆さん、今日はお世話になりました」

 戻ってきた畠山さんと一緒に、玄関でぺこりと頭を下げる田中さん。

「またの機会にも、よろしくお願いします」

「おう。追加料金は取らないから、好きな時に好きなだけ来るといいさ。私は大体ここにいるし」

「いや、料金って、それ僕持ちなんですよね……?」

「了解しました。有り難うございます」

「あ、了解しちゃうんだ……」

 ではまた、と一礼して、田中さんと畠山さんは帰って行った。


「あー、たりぃ……」

 肩をトントンと叩きながら、前島さんは離れに戻っていこうとする。

「え、ここからまた寝るんですか?」

「たりめーだろ。私は日曜は一瞬も目覚めないのが自慢だったんだ。ったく、起きてられっかつーの、日曜に……」それは自慢できるようなことではないのでは。


 あー……まあ、ひとまずこれで解決、かな。よかったよかった。

 この後は僕も用事はないし……どうしようかな。いっそ僕も寝ちゃおうか。

 そう思って横を見ると、まだ水戸さんが立っていてびっくりした。

「あ……ユーヤさん、その」

「え、なに?」

「お昼って、もう食べました?」

 お昼? あー……そういえば、食べてないかも。

 前島さん起こすのに三時間かかったからな……

「でしたら、よければ何か作りましょうか? 実は私もまだなので……」

「え、いいの? それじゃあお願いしようかな」

 言いながら、ふたりで連れ立って居間に戻る。

「ちなみに、メニューは?」

「何がいいでしょうね。親子丼なんかいかがでしょうか」

「おお、親子丼。いいですねえ」

 こんなことなら、田中さんと畠山さんももうちょっと引き留めていればよかったかな、と思った。けれども、まあ今から呼びに行くわけにもいかない。

 僕に出来ることはないので、水戸さんがキッチンに入ってからは僕は居間で待機。

 そうしてソファでぼけっとしていると、すぐに水戸さんの立てる料理の音と、いい匂いまでやって来た。それで今更ながら空腹を思い出し、お腹が鳴る。

「あ、匂いにつられて他の人たちも来るかもー」

「そうですね。佐々木さんなんかはきっと来るでしょうね――多めに作っておきます」

 笑みを含んだ返答を聞いて、僕はソファに深く身を沈める。

 外は天気がよく、差し込む陽光も麗らかです。

 耳には包丁とまな板の鳴る音。鼻腔には料理のいい香り。

 あー……いいねえ。

 ゆうやけ荘は今日も穏やかに平和です。



 あ、ちなみに畠山さんの相談料は後で前島さんにしっかりと徴収されました。勿論僕の財布から。

 えー。


 

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