幸田先生のフルスコア
幸田唄子がパンと手を合わせて合図をすると、少女たちはそれぞれに楽器を下ろし、曲は完奏することなく中断される。少女たちの吹き残した音色の余韻が、開いたカーテンからそよぐ夏風にぱらぱらとかき消されてゆく。
音楽室の外では野球部とサッカー部の雄叫びがこだましていた。休みの空気がちっともしない夏休み、どこの中学校でも見られる光景だ。
まだ序盤なのに、との不服の顔はまあいつものこととして、幸田は12小節目からのクラリネットのソロ部分について指摘する。
「クラが聞こえない。テナー、バリトン、ユーフォはもう少し音を絞る」
はい、と前述のパート担当の3名が返事をする。ただ幸田のバンド指導における重要点は、必ずしも気持ちのいい返事にあるわけではない。
「ボールペンね」
幸田が自前の極太の四色ボールペンを持ち上げてみせ、3名は観念したように楽譜に書き込みを入れていく。
3年前にこの学校に来て最初の頃は、少女たちはいくら言って聞かせてもなかなか筆記用具を部室に持ってこなかった。仕方なくペン立てを常備するようになったんだっけ、と幸田は回想する。ただそのペン立ても今となってはお役御免だ。
彼女達と一緒になって、幸田も自らのフルスコアに書き込みを入れていった。テナー、バリトン、ユーフォニウムの行に、クラを引き立てる役割を忘れがち。私も指揮の際には押さえめに降ることにする――と。
ここは三ツ和第三中学校吹奏楽部。部員は15名、顧問の幸田は今年で定年退職となる。
幸田はこれまでに数多くの学校で音楽を教えてきた生粋の音楽教師で、それと同時に生粋の吹奏楽顧問でもある。
本人も学生時代にはクラリネットを持ち、吹奏楽に青春を掲げてきた。高度経済成長期を、ひたすら音楽に恋してかけ抜けた少女だった、と思う。
コンクールの地区予選でよくて銀賞止まりが通例のような弱小吹奏楽部を、学校史で初めて東北大会進出に導いたこともある。幸田は熱意にあふれた教師だった。
ただ、さすがにこの頃では自分の歌声に衰えを感じるし、ピアノの鍵盤をたたく指にも疲労感を感じることがままある。更年期を過ぎて久しい59歳なのだ、当然のことだ。
家に帰れば娘夫婦といくつか町を跨いで暮らす、ふつうのお婆ちゃんへと戻ってしまうわけだ。
そして教師生活最後の指導となるこの第三中リトル・バンドは、表彰状が時代を追うごとに減っていくような、名実ともに弱小吹奏楽部であった。
「コーダ先生、さよならっ」
「ありがとうございましたー、コーダ先生」
彼女たちは幸田をコーダ、と間延びした呼び方をする。音楽記号で終結部を意味するコーダからきているのだが、言われてみれば自分は名前からして音楽を想起させるような名なのだった。
まこと、光栄でよろこばしいことだ。
「はい、さようなら」
目じりに小じわを浮かばせながら少女たちを見送る。幸田は時折、セーラー服のスカーフをひるがえす彼女たちを娘か孫のように感じる。歳をとったという証拠なのかもしれないが、それよりもこうして若い彼女たちに音楽を教える嬉しさの方が幸田の中では何倍も勝る。
幸田が指導を始めてから3年目、ようやくコンクール地区予選突破を果たした15人になんとか報いてやりたい。そう誓う幸田は、実年齢より10年や20年は若返って見えたことだろう。
第三中の少女たちは県内のとはいえ他市、他町の見慣れない制服にきょろきょろしながら公会堂に入ってきて、高校生の姿もあったことでそうとう緊張してしまっている様子だった。
ただ、人一倍明るい1stトランペットの3年生が、よその学校の楽器がきらきらしてて高そうだとか、ミントグリーンのリボンなんてありえないだとか、そういった他愛もないおしゃべりを始めたことでなんとか緊張は解けつつあるようだ。
幸田はといえば、長いことバスに揺られ六十路前の体がさすがに苦痛感を訴えているのを実感したが、そんなことでくじけてもいられない。
いつもの極太四色ペンを右手、この日のために新調した指揮棒を左手に、楽屋で最後まで最終調整をする。15人も最後までそれぞれのペンを走らせ、楽譜の記号がつぶれてしまうほどの書き込みを行う。
チューニングではチューナーは使わずに、幸田の音感のみが基準だ。防音設備のなされた公会堂の楽屋内に、Bフラットの音色が響き渡る。たった15人、バンドというよりアンサンブルと呼んだ方がそれらしい、第三中のリトル・バンド。
やがて出番が近づき、舞台袖への移動中、少女たちはこんなことを言ってきた。
「コーダ先生のかっこ、気合入ってますね」
「お化粧もね」
「茶化すんじゃないの」
言葉ではそう言いつつも、幸田はしてやられた、と思う。数えきれないほど踏んだコンクールの舞台なのに、娘か孫みたいな彼女たちに緊張をほぐされた気分がしたからだ。
「40代で通りますよ!」
「はいはい」
前の学校が演奏を終え、第三中の名前が呼ばれる。
「いきましょうか」
おそらく今回出ている学校の中で最年長の指揮者と、最少人数の吹奏楽部だろう。それが、暗闇の中から、ライトに照らされた舞台上へと歩いていく。
1人のフルート、3人のクラリネット、1人ずつのアルト、テナー、バリトンサックス。1人のホルン、2人のトランペット、2人のトロンボーン、1人のユーフォニウム、2人のパーカッション――。
全員がそろい、檀上の幸田を一斉に仰ぎ見る。そう、重要なのは楽譜に書き込んだ内容を見ながら演奏することではなく、書き込んだことによってついた自信だ。彼女たちの頭には、もう楽譜なんて見なくとも幸田の教えはすべて入り込んでいる。
幸田が指揮棒を構えた刹那、全員の息を吸う音がそろい、軽快なブラスセクションが始まった。
アマチュア吹奏楽では、定番中の定番だ。昭和期は特に流行り、幸田も何度も吹いたし、振った、思い出の曲といえるだろう。ゲーム好きなトロンボーンの2年生コンビに言わせれば、有名RPGのBGMにありそうな壮大な一曲、だそうだ。
スネアドラムの刻む風のようなリズムと、テナー、バリトン、ユーフォのつくり出す静かながらも豊かな土台。それにあわせ、叙情にあふれたクラリネットによるソロが流れるような主旋律を聞かせる。
幸田は指揮をしながらも、鳥肌が立つのを実感した。自分も一緒に演奏している錯覚がした。これがたった15人の演奏だと思えて?と、背中じゅうで審査員に語りかけた。
――私は何度だって若返ってみんなと青春をしたくて、音楽の先生になったのかもしれない。
教師生活最後の年にふさわしい、吹奏楽のための民話が完奏された。
熱心なお婆ちゃん先生のコーダ先生と3年生が去ったばかりの第三中吹奏楽部は、たった9人ぽっちで新入生歓迎の行進曲を演奏し終わった。こんなさびれたマーチもあったものだ、新入生の中には吹奏楽部ってなんだかなあ、そう思ってしまった子もいることだろう。
そんな吹奏楽部をさっき指揮したのは、なんだかとっても若くてきれいな新任の女の先生だった。
「この学校のフルスコアは、何でもたくさんの書き込みがしてあるんですね」
「前の先生がそうやって書くの、好きだったんです」
少女たちは追憶するように説明する。
「とっても素敵な先生だったのね」
新任の先生はそう言って優雅に微笑む。
「何しろ、県大会で金賞ですものね」
「えへへ、まあ、ダメ金でしたけどね」
少女たちは昨日のことのように思い出しながら笑いあった。ダメ金、というのは東北大会の2代表には選ばれなかった3番目の金賞、という意味だ。それでも、我が部活にとって10年20年ぶりのできごとには違いなかった。
「私も負けてられないな。次は本物の金を取りましょう!」
美人な先生はそう意気込み、少女たちはまず部員集めからだね、と口々に言いあった。