第弐話 水死
俄雨が止み、湿気った空気が辺りに立ちこめていた。夕陽が眩く輝き、木々の葉に付いた水滴と川の水流をきらきらと輝かせている。
壮年の男、本島忠晴は川辺を歩きながら幼少の頃を思い返していた。
この川は本島が小学生の頃から少しばかり変わっていた。
昔は大雨が降ると、どこからともなく木片やらゴミやらが流れ着き、それらが積もって一週間ほど同じ場所に留まっていた。川の流れは穏やかになり板のような木片が飛び石のように川に並ぶ。反対側の岸まで並ぶと宛然橋のようで、子供たちがそこを飛び跳ねて遊びだすようになる。
湿った木片の橋をを片足ずつ踏み込んで跳ねていく。本島は、子供の時分、友達と共にこの自然の橋を渡って遊んでいた。ただこちら側と向こう岸とを渡るだけのことであるが、その当時は何故だかそれが楽しいことのように思えた。
近所に一人、友達の輪に入れないトモミちゃんという子供がいた。その子は足に軽い障害があって、歩くことはできても、走ることができなかった。だから、輪に入ることはできず、いつも本島や本島の友達が川で遊ぶのを遠くで眺めていた。
ある日、三日ほど大雨が降り、川にいつものように流木が溜まりだしていた。
本島は友だちを連れて、それから二、三日流木を跳ねて渡る遊びをした。それもいつもと同じことだった。そして、トモミちゃんがそれを遠くから眺めていたのもいつも通りだった。
この遊びにはルールがあった。流木や木片は四日目にはすっかり片付けられてしまうのが普通だが、もしそれ以上の期間それらが片されない場合は、この遊びはしないというものだ。
これは、単に危険だったからだ。子供でもその辺りは弁えていた。流木や木片は水を多分に含んでおり、四日も経ちと腐って脆くなるのだ。だからどちらにせよ遊びには使えなくなる。
余程の大雨だったのか、その時は四日以上が経ってもそれらは片付けられなかった。川のそこら中でゴミが溜まっていて、片付けに時間がかかっていたのだろう。
大雨が止んで五日後のことだった。
トモミちゃんが亡くなった。
死因は水死だった。
幼い頃の僕らは、川の近くで遊んでいて溺れたのだろうと伝えられた。そして、それを何も考えずに受け入れた。別段仲が良かったわけでもなければ、虐めていたわけでもなかった。だから悲しみも特になかったのだろう。
しかし、今になって、そんな昔の事故が頻繁に思い出される。こうやって川辺を歩いていると、本島の脳裏に彼女の姿が浮かぶのだ。
友達の輪に入れなかったトモミちゃんは、本島たちが川で遊ばなくなった四日目に一人でその「流木の橋での遊び」をしたのかもしれない。そんな気がしていた。上手く動かない足で、腐ったそれらを踏み込み、誤って川に流された。
本島やその友人たちに、何か非があるわけではない。それも解っていた。
しかし本島は、川を見ると思うのだ。
彼女が自分たちを恨んでいるのではないか……と。
十年ほど前、僕がまだ子供の頃に誰だか忘れてしまったのですが、たまに話す機会があったどこかのおじさんに、こんな話を聞かされたことがありました。
そのおじさんは「雨の後に川で遊んじゃいけないよ」と言いたかったのかもしれませんが、僕にはそれとは別の印象があって……
言いようもないもやもやした何かを子供ながらに感じ取ったのを覚えています。