第5話 書庫の男、酒場の少女
街に辿り着いたシュウとアヤナは、コーヒーの屋台と写本の仕事を始めた。
屋台の方は、シュウの恩恵――ギフトを使うので原価はゼロだが、情報収集がてら、権力者や悪人に目を付けられないよう細々とやることにした。これは主に午前中から昼まで広場でやっていたが、二週間も続けていると、街の職人や商人、主婦達が来るようになり、この国やこの街の情報を手に入れることができた。
写本の方は、神殿の書庫で記録の写しなどを作るのだが、何故か読み書きができる二人は、識字率の低いこの国では重宝された。とはいえ、インクも紙も現代に比べれば質が悪く、午後半日で一、二ページしか写せないので、大きな稼ぎにはならなかった。
生活自体は成り立つようになっていったが、アヤナは街の文化水準や、余裕のない暮らしぶりに、少なからず不満を抱いている様子でもあった。
そんなある日のこと、シュウは写している羊皮紙に、歴史とも物語ともとれる内容を見つけて読み始めてしまう。それに気づいたアヤナが、不思議そうに首をかしげた。
「シュウ、どうかしましたか?」
声をかけられて、シュウは我に返った。
「ごめん。ちょっと読んでしまって」
彼の前の羊皮紙には、国境沿いの山に築かれた砦の逸話が記されていた。ダリオン・ハートフォードという騎士が四十四人の部下を率いて砦を守り、幾度も敵の侵攻を退けたこと。彼は“誠実なる決断”トゥルナスと呼ばれる剣と、《太陽の印》のアミュレットを携えて戦ったこと。そして、討ち取った敵から得た“カトの心臓”と呼ばれる紅玉が、裏切りを招き、砦を滅ぼしたこと――。
アヤナはシュウと向かい合わせに机につき、別の羊皮紙を写していたのだが、そう言われて彼の手元を覗き込む。
「おや、こんなところにありましたか」
ところが急に声がして、羊皮紙がひょいと持ち上げられた。驚いて顔を上げると、いつの間にか書庫に入ってきていた男がシュウの背後に立っていた。几帳面な服装の細身の男で、整った顔にはどこか気難しそうな色が浮かんでいる。
「ロレンツィオ、それはお二人に写してもらっている写本です」
二人を指導していた神官が注意するように声をかけたが、男――ロレンツィオは内容を一瞥すると、淡々と言った。
「そうですか。でも私の研究に必要なので」
それ以上の説明もなく、彼は羊皮紙を持ったまま書庫を出て行ってしまった。残されたシュウとアヤナは、思わず顔を見合わせるしかなかった。
後に、彼が神官ロレンツィオであり、貴族の出身で研究に専念している人物だと聞かされる。
それから数日後、少しお金の貯まった二人は、宿の食堂以外で夕食を食べにいった。コーヒー屋台に来る夫人達から聞いた店だ。なんでも、時々狩人がやって来て、狩った鹿や猪を直接持ち込むのだという。そういう日に当たれば、分厚いステーキが食べれるらしい。
行ってみると、夫人達に紹介されたにしては女性はおらず、男ばかりの野卑な店だった。それでも、愛想のいい太った店員がいて、厚い鹿肉のステーキを食べることができた。二人が食事をしていると、元気な声とともに、店の扉が騒々しく開いた。
入ってきたのは、背丈の低い少女だった。年齢は測りかねるが、どこか大人びた顔立ちをしている。服は端切れをつなぎ合わせたもので、ボサボサの茶色い髪には甲虫の羽が付いていた。
少女は店に入るなり大きく深呼吸し、「いい匂い」とつぶやく。そして入口近くに座っていたシュウの方へ歩み寄り、屈託なく言った。
「ねぇねぇ、人間さん。コボルトの宝、取りに行こうよ。人間さんなら、コボルトより大きいから簡単だよ」
アヤナはシュウと顔を見合わせてから、少女に声をかけた。
「ねえ、あなたは誰なの? 子供? それとも」
アヤナが柔らかく問いかけると、少女は人懐っこく笑いながら答えた。
「私はフィオ。クルルボーのフィオだよ」
クルルボーという言葉に、シュウは聞き覚えがあった。神殿で書写をしていた時に目にした、小人族の名だったはずだ。かつて日本で観た、指輪を巡る物語に登場する陽気な小人族の姿が、ふと脳裏をよぎる。彼女の特徴は、その物語の小人族とよく似ていた。
そこへ先ほどの給仕の男が、シュウのエールとアヤナの蜂蜜酒を運んでくる。フィオを見ると、近くのテーブルから椅子を一脚つかみ、彼女の横に置いた。
「へぇ、クルルボーの友人とは珍しいな。何を飲むね」
「エール!」
元気よく答えるフィオ。
「なあ、クルルボーってこの辺じゃよくいるのか?」
シュウが尋ねると、給仕はあっさり言い返した。
「珍しいって言ったろ」
「……そうだね」
その間にフィオは椅子に腰掛け、シュウとアヤナのテーブルへぐっと寄る。
「ちょっと、友人って。あなたも何、普通に座ってるのよ」
アヤナが抗議するが、フィオは気にも留めず身を乗り出した。
「友人っていうより、冒険の仲間だよ! 草の絨毯を駆け抜けて、きらめく川を小舟でゆらり。森では獣をひらりとかわして、美味しい木の実を見つけてパクリ。さあ、一緒にコボルトの宝物を探しに行こう!」
歌うように語るフィオに、アヤナは言葉を失う。そこへエールが置かれた。
「ほら、エールだ」
「やったー!」
フィオは嬉しそうに飲み干し、「お~いしぃ~」と声を上げた。
シュウも一口飲み、話を戻す。
「それで、コボルトって魔物なのかな」
「違うよ。妖精だよ。じいさんばっかりで、宝物をいっぱい溜めこんでるの」
フィオの説明を聞きながら、シュウは思案する。害をなす存在でなければ、関わり方は慎重であるべきだ。
アヤナは顎に指を当て、静かに問いを重ねた。
「その宝は、誰かから奪ったものではないの?」
「洞窟に住んでて、地下の宝を掘り出してるって話だよ」
「なるほど。それなら話は聞けそうね。場所はどこ?」
「『岩竜の森』だよ。岩が竜みたいに突き出してる森」
話が逸れそうになるたび、アヤナが要点を押さえて質問する。
「ここから歩いて、どれくらい?」
「三日か、一週間か……歩いてれば着くよ」
そこへ黒パンと塩漬けが運ばれた。シュウはパンを切り、塩気の効いた具と一緒に口に運ぶ。素朴だが、確かな美味しさだった。
「どうして私たちを誘ったの?」
「このお店、いい匂いがしたから。それに人間さんは大きいし」
アヤナは小さく息をついた。
「なるほど、偶然というわけね」
その時、給仕の男が焼いた鹿肉の皿を運んできた。香ばしい匂いが立ちのぼる。
「お、本当に旨そうだ」
シュウがナイフを取るより早く、フィオが短剣で肉を切り取る。
「うわぁ、やっぱり美味しい!」
「ちょっと、勝手に食べないで」
頬を膨らませて味わうフィオ。口の中の物を飲み込むと、シュウに問いかけた。
「それで、一緒に行ってくれるでしょ?」
「考えてみるよ。もし話に乗るなら、どこで会える?」
「私、この街に家がないの」
「それなら、広場のコーヒーの店に来て」
アヤナがそう告げると、フィオは名残惜しそうにうなずいた。
「忘れないでよ、アヤナ、ショー!」
そう言って駆け出す背中を見送り、二人は静けさの戻ったテーブルで残りのパンを口に運んだ。




