第2話 俺の恩恵は、コーヒーだった
柴田は深く息をつき、まず自分の身に何が起きたのか確認した。
着ているのは現代のスーツではなく、灰色のチュニックに厚手のズボン、革のブーツと外套を備えた旅装束だった。右手にはよく削られた木の杖を握り、腰には刃こぼれのある短剣、背中には重みのあるズタ袋が掛かっている。
袋の中には着替えや道具、保存食が一通り揃い、奥から金貨や銀貨の小袋も出てきた。水の入った袋も腰に下がっており、自分が旅人として用意された存在であることが分かる。
さらに腕を見ると、五十代の肌ではなく、若々しく張りのある皮膚があった。顔に触れても衰えはなく、鏡があれば確認したいと思った。
柴田は身の回りを確認し終えると腰を下ろしかけた。しかし、静寂を切り裂く女性の悲鳴が耳に飛び込む。思わず体を強張らせ、周囲を見回した。
「なんだ!?今の……!」
見知らぬ森で何が起きているのか全く分からず、助けに行くべきか身を潜めるべきか迷う。その迷いを断ち切るように、悲鳴の中で自分の名前が呼ばれた。
「柴田さーん!助けてー!」
耳を疑いながらも、柴田は杖を握り、腰の剣に手を添えて声のする方向へ一歩を踏み出した。
慎重に進むと、視界の先に小さな開けた空間が現れた。小柄な緑色の魔物たちが、一人の若い女性を取り囲む。長い黒髪の美少女は、棍棒や刃物を手に必死に距離を取ろうとしていた。転びかけながらも立ち上がり、逃げ道を探す表情には恐怖と焦りがはっきりと浮かんでいた。
柴田は茂みの影から息を詰め、助けに入るか身を潜めるか逡巡する。その時、少女と目が合い、彼女は必死に叫んだ。
「早く助けてください、柴田さん!」
迷っている暇はなかった。柴田は杖を握りしめ、腰の剣に手を添えながら飛び出す。
彼の接近に気付いたゴブリンが振り向き、短剣を抜いて喉を震わせる。
「カボバコ!」
威嚇する声と刃先に、柴田は足を止め杖を正面に突き出す。ゴブリンは半身を引き、短剣を振り回しながら再び叫ぶ。
「うぉ~~~」
負けじと柴田も叫び、杖を回転させて仁王立ちに構える。ゴブリンは驚き止まるが、すぐに片足を踏み出し逆足をクロスさせ、上下に剣を振る。「カボバコ!カボバコ!」まるでダンスのステップのようだ。
柴田も足元から体を滑らかに揺らし、杖先を蛇のように振る。「カボバコ!」「うっしゃぁ~」
二人の威嚇は、まるで高度なダンスバトルに見えた。それを見た少女は思わず叫ぶ。
「あんた達、何ダンスバトルやってんのよ!」
彼女は、上に乗っかっていたゴブリンを蹴り飛ばす。そのゴブリンは倒れないように手を空中で掻きながら後退し、柴田の目の前にいたゴブリンの尻にぶつかり転倒、それに巻き込まれたゴブリンもうつ伏せに倒れる。
柴田は目の前に差し出された無防備なゴブリンの頭に一瞬躊躇するが、思い切って杖を振り下ろした。ドン!鈍い音が響き、ゴブリンはそのまま動かなくなる。
「クルッカ!」
それを見たもう一匹のゴブリンは、痛そうな声をあげながら自分の頭を両手で抱え込む。その時、柴田たちの背後では、襲われていた少女が残ったゴブリンを押し倒して馬乗りになっていた。
「乙女にこんな事をして、覚悟はできてるんでしょうね!」
少女はゴブリンの腰から短剣を奪い取ると逆手に構え、怒りを込めて何度も振り下ろした。少女の服は裂けてところどころがほつれ、激しい動きのせいでひどく汚れていたが、その姿は恐怖と必死さを強く印象づけるものだった。
「クルッカ!」
柴田の前で転がっていた最後のゴブリンは、仲間が倒された光景を目にして、恐怖に慄いたように頭を抱えたまま逃げ出した。そこでやっと緊張が解けたのか、柴田の体から力が抜けて座り込んだ。
「あの、大丈夫?」柴田は声を掛ける。
「大丈夫です……でも、ちょっと待ってて下さい。荷物を探してきますから」
彼女はそう答え、汚れた服をちらりと見やりながら、森の木陰へ歩き出した。柴田はその背中を見送り、周囲を見回す。電線も舗装された道もない。ここは富士の樹海か、東北の山奥かもしれない、と困惑した。
しばらくして、彼女が戻ってきた。衣服は整っており、先ほどの汚れや血の跡は見えない。森の風が木々を揺らす中、二人は短い沈黙のまま向かい合った。
柴田は彼女の顔に覚えはないが、彼女は名前を呼んで助けを求めたので知っているのだろう。ここがどこか、なぜ自分が連れて来られたのかも、彼女なら知っているかもしれない。迷っていると、彼女の方から声を掛けてきた。
「柴田さん……柴田修介さんですよね?」
彼女は眉をひそめ、じっと柴田の顔を見つめ、視線を全身に移して確かめるように見回した。
「そうだけど……君は?」
「私は佐藤あやな。あなたと同じように日本から転生して来ました。でも……もっとオジサンだと思ってたんですけど。失礼ですけど、今お幾つですか?」
「いや、まあ……50過ぎだから間違いなくオジサンだけど、その転生って、どうしてここにいるのか教えてくれないかな?」
少女は難しい表情で柴田の顔や体を見回し、小さく首をかしげた。
「うーん……柴田さん、今のあなたは50過ぎには見えません。私と同じくらい、せいぜい20代くらいにしか見えませんよ。」
「そんなバカな……」柴田は思わず呟き、自分の手に視線を落とす。手肌が異様に滑らかで、触れた顔もみずみずしい。「……ひょっとして、本当に……?」恐る恐る頬に触れると、やはり弾力があった。「どうなってんだ、これ……」
「柴田さんは女神様からこの世界のことを聞いて無いんですか」
「女神って何だ」頭の片隅に「異世界転生」が浮かぶが、可能性を無視した。肌が綺麗になったのも偶然だと考えればいい。だが少女の声が現実に引き戻す。
「ひょっとして異世界転生の話も聞いてない、女神さまに会っていないんですか」
「異世界転生とか女神って、本気で言ってるのか」
「柴田さんは日本でサラリーマンをしていたと思いますが、ここに来るまでの最後の記憶は何ですか」
柴田は思い出す。会社に行く前から頭痛で体調が悪く、市販の風邪薬を飲んだが昼を過ぎても寒気とぼうっとした頭で上司に早退のメールを出した。電車に乗り、最寄り駅で降りて自宅に向かう途中で何かにぶつかった気がする。その後、ギフトだとか明るい場所で何かを見たような記憶があったが、頭痛の中での夢のようでもあった。
柴田は覚えていることを全て話した。
「私達は死にました。私は道路に飛び出した小さな女の子を助けて歩道に戻そうとしたところ、あなたが入口を塞ぐように立っていて。女の子は助かりましたが、私達は道路側に落ちてトラックにはねられたのです」
「いや、そんな。俺が死んだ?それに俺が歩道を塞いだって」
「本来、私達は死ぬハズでしたが、私が助けた女の子が幼い女神だったようです。神界に呼ばれた私は女神さまから功績で別世界に転生させてもらえると聞きました。あなたはそのオマケです」
「ですがこの世界は中世レベルの文明しかなく、森には魔物が跋扈しています。安全が保証されるまで、あなたと協力したいです」
柴田は信じ切れないまま、話を聞き続けた。
「女神は生き返らせることを褒美と考え、転生はここでしかできないようです。私は恩恵としてバリアを貰ったはずですが、全然使えませんでした」
柴田は彼女の姿を思い返し、確かにバリアがあればあんなにボロボロにならなかっただろうと納得した。
「夢でギフトにコーヒーをもらったと言っていましたが、それが女神さまと会った時のことでは?」
「コーヒーが恩恵?」「ちょっとやってみたらどうですか」
柴田は困惑しつつ言われた通りに試す。
「コーヒー出ろ」
すると目の前に紙コップが現れ、地面に落ちて中の黒茶色の液体が零れた。
「出たな」「出ましたね」




