第18話 この瞬間が――
アヤナは、対峙するシュウとバルドを見つめていた。バルドにはどこか拭いきれない不信があったが、まさかこの場で刃を向けられるとは思っていなかった。
シュウがコーヒーの召喚でコボルトたちの隙を生み出していたのは確かだ。だが、バルドとシュウの戦闘経験には決定的な差がある。例えるなら、名の知れたプロ選手と、部活に入って間もない新人ほどの開きだろう。常識的に考えれば、召喚一つで覆せる差ではない。
それでも生き延びるには、バルドに致命的な隙を作らせ、そこを突くしかない。シュウが無謀に突撃しないのは、わずかな勝機を待っているからではないか。違うかもしれないが、もはやそれに賭けるほかなかった。
彼女には、まだ確証のない推測があった。コボルトに斬られ打たれ、服は破れたが、身体に傷はない。小剣も棍棒も、衝撃は驚くほど軽かった。
この世界に来る前、女神からバリアを授かったはずだ。最初に遭遇したゴブリンに服を裂かれ、加護はないものと思い込んでいた。だが振り返れば、身体がき傷付いたことはない。
もし肉体だけは加護で守られているなら、捨て身でバルドに隙を作れるかもしれない。確証はない。それでも、この世界に来てから幾度もシュウに救われてきた。次は自分が応える番だ。
アヤナは覚悟を固める。だが隙を作っても、シュウに伝わらなければ意味がない。彼にだけ通じる合図はないか。短く思案し、一つの言葉を思いつく。彼女はコボルトに突き立ったままのピックフォークへ駆け出した。
シュウは、決まれば必殺となり得る一撃を思いついていた。だが相手はバルドだ。確実に仕留めるには、絶対に防がれない間合いと瞬間を選ばねばならない。今、手にしているのはグールを刺した長剣。しかし村での鍛錬で、自分の剣がバルドに通じないことは思い知らされている。
隙を作りたい。だが自分の技量では崩せない。それでも方法を見つけねばならない。必死に思考を巡らせた、その時――視界の端で何かが動いた。アヤナだ。
バルドも一瞬だけ彼女に目を向けたが、脅威ではないと判断したのだろう。すぐに意識はシュウへ戻る。決定的な隙にはならない。アヤナはピックフォークのもとへ駆け寄り、それを引き抜くと、構えたままバルドへ突進した。
無防備に突っ込んでいく彼女を見て、馬鹿な、殺されるぞ、と肝を冷やすシュウ。その時、アヤナが叫んだ。
「この瞬間が!」
その言葉で、シュウは彼女に考えがあること、隙を作るタイミングを自分に教えていることを理解する。無謀な特攻ではないと信じ、動きを合わせる。
バルドは鼻を鳴らし、大斧を横薙ぎに払う。ピックフォークごとアヤナを弾き飛ばし、得物は彼女の手を離れ、彼女自身も激しく吹き飛んだ。
その反対側から、シュウは剣を切り上げる。だがバルドは即座に反応し、斧を斜めに振り下ろして叩き落とす。長剣はあっけなく手を離れ、斧は勢いのまま洞窟の床を打つ。両腕が地面近くまで落ちた、その刹那――シュウは叫んだ。
「世界を名作にする!」
バルドの頭上に、コーヒーカップが出現する。だがそれは片手で扱える代物ではなかった。風呂桶ほどもある分厚い陶製のカップで、縁まで黒い液体が満ちている。
背後の気配に気づいたバルドは身をかわそうとする。だが、わずかに遅れた。毒で動きが鈍っていた、その分だけ。数百キロはあろう重量が、頭上から叩きつけられる。鈍い衝撃音とともに、バルドは崩れ落ちた。
地を転がって巻き込まれるのを避けたシュウは、すぐに起き上がり長剣を拾う。常人なら首の骨が折れている。だが巨人殺しを侮れない。意識を取り戻せば、次はない。生死を確かめることなく、シュウは切っ先を首筋に当て、そのまま深く押し込んだ。
「アヤナーっ!」
シュウは吹き飛ばされた彼女のもとへ駆け寄る。
「大丈夫。怪我などはありません」
アヤナは落ち着いた声で答えた。無事だと分かり、張り詰めていた緊張がようやくほどける。生き残った――その実感が胸に広がった瞬間、背後から声がかかった。
「君がバルドを倒すとはね。ハーブティーも妙だと思っていたが、魔法で出していたとは。しかも、あの大きさとは驚きだ」
振り返ると、長剣を手にしたロレンツィオが立っている。シュウは先ほどの裏切りを思い出し、とっさに身構えた。
ロレンツィオは値踏みするように、足先から頭頂までゆっくりと視線を走らせる。彼のシャツは肩口が血に染まっていた。グールにやられたのだろう。
だが肩を押さえていた手を下ろした時、破れた布の奥に傷は見当たらなかった。
「ロレンツィオさん。その肩、グールにやられたのでは?」
「ああ、君に切り札があったように、私にも回復魔法があるのだよ。麻痺がある程度引けば、自分で回復できる」
なら、なぜ加勢に来てくれなかったのか。不安になったシュウが確認しようとする。
「財宝は山分けでいいんですよね」
ロレンツィオの目は一瞬細められ、口の端を吊り上げる。低い笑い声が漏れた。
「クックックックッ」
「ロレンツィオさん?」「フハハハハハ」
不安そうに聞き返すシュウに、ロレンツィオの笑い声が次第に大きくなる。
「ロレンツィオさん!」
焦ったシュウが大声を出すが、そこで彼の笑い声が止まる。
「いいとも。私の目的は財宝そのものよりも、ここにジルバータール王朝があったという事実そのものだからな」
「は~、脅かさないで下さいよ」
「私は財宝自体よりも、遺跡に興味があるのだ」
張り詰めていた空気が、ようやく緩む。だが、その直後だった。
「シュウ」
今度はアヤナだ。彼女は、背中を斬られたフィオの横にしゃがみ込んでいる。
「アヤナ、フィオはどう?」「それが……」
言葉を濁す様子に、不穏な気配が走る。シュウも駆け寄った。その瞬間、フィオの手が伸び、シュウの足を掴む。
「ひゃあっ」
シュウは驚き、変な悲鳴を上げる。
「あはははは、シュウのビビり!って、痛った~っ」
笑った直後、フィオは背中の傷みに顔をしかめた。
「バッサリいってますが、骨には達していません。クルルボーは面の皮が厚いんでしょうか。いえ、背中の皮ですか」
フィオの背中を見たアヤナが説明する。彼女は手ぬぐいを裂いて、フィオの背中を縛っていった。
「ビックリさせるなよ」
そこにロレンツィオが割り込む。
「クルルボーのことなど、どうでもいい。それよりグールが最後に何か言っていなかったか?」
そう聞かれたシュウはしどろもどろに答える。
「ええと、ラ=ジルベルなんとか・・・」
「ラ=ジルヴェルタール・エルナイアス・ヴァル=ハルディム、マル=カナス・バルバロイですよ」
フィオの手当てを続けながら、アヤナが補足する。それを聞いたロレンツィオは目を見開いた。
「なんだと、それは古代語ではないか!」
「どういう意味なんです?」
興味を引かれ、シュウが問う。
「ジルバータールに仇なす蛮族どもめ、という意味だ。それにしても、グールは古代王朝に作られたのか? それとも、古代人が変異した? ……まさか、古代人はグールだった?」
説明しながら、ロレンツィオの思考は次第に内へ沈んでいく。やがて、はっとしたように声を荒らした。
「おい、シュウ!なぜグールを殺した。生け捕りにすれば、貴重な証言が取れたかもしれないんだぞ」
「いや、死ぬところだったんだから、無茶言わないで下さいよ」
シュウが困惑気味に弁明していると、手当てを終えたフィオが勢いよく立ち上がった。
「よし、もう大丈夫。クルルボーは頑丈なのよ。じゃ、私は宝物を見て来るから。シュウ達はここでのんびりお話ししてるといいよ」
クルルボーはひょこひょこスキップしながら奥へと向かっていった。
「考えるのは後にして、私達も行きませんか?」
アヤナがその背を目で追いながら促す。
「まあ、それもやぶさかでない」
ロレンツィオは平然と応じたが、片目がちらりと奥をうかがうのをシュウは見逃さなかった。思わず口元が緩む。
「じゃ、みんなで行きますか」
戦いは終わった。あとは戦利品を確かめ、無事に外へ出るだけだ。薄暗い洞窟の中でも、シュウの胸には陽光のような明るさが満ちていた。




