第10話 ナンデ、クルルボー
岩竜の森は、名の通り竜の頭のような岩山が、木々の上に無数に突き出している。もっとも、実際には蔵王の樹氷を思わせる柱のような形をしており、そのうち幾つかが上部を湾曲させているに過ぎない。木々の高さが十から二十メートルほどだとすれば、岩山はその倍ほどもあり、幻想的な景観を生み出していた。
近くの村を早朝に出た一行は、猟師に案内され、岩竜の森へ足を踏み入れる。
猟師とは森に入る前に案内料の交渉をしていた。コボルトの巣で見つかった財宝の一割を要求したが、アヤナは金貨一枚を上限とし、代わりに最低でも銀貨一枚を支払うことを約束した。猟師は、コボルトを見た場所まで行くことを断固拒否したので、案内はそこが見える丘の上までとなった。
一行は彼に続いて、ほぼ一日原生林のような森の中を進み、夕刻に丘の上までやってきた。そこで猟師が指したのは、ひとつの岩山の根元辺りだった。猟師はここで別れを告げて帰っていき、一行は丘の上で野営した。
ロレンツィオは、この丘の上に古代の境界石を発見して大喜びした。彼によると、どうやらこの丘から岩山の根元に向かって、古代の道があったらしい。彼は、この先にコボルトがいなくても、ジルバータール王朝時代の街か村の跡があるハズだと興奮していた。
湯を沸かし、それぞれに夕食を配った後、シュウはこっそりと二人分のコーヒーを召喚した。それをアヤナに渡してから、夕日に沈む岩山を眺めながら、自分も一口飲む。
「ん~。いい景色だね」シュウがそう言うと、アヤナがクスリと笑った。
「この瞬間が、世界を名作にする、ですか?」
それを聞いたシュウが苦笑いを浮かべる。そのセリフは最初にコーヒーを召喚した時、彼女に感想を求められて、思わず格好つけて言ったものだったからだ。
翌朝、丘を降りた一行は、昼を少し過ぎた頃に、岩山の根元が見える場所まで辿り着いた。そして、そこには洞窟の入り口があった。
どうやらそこがコボルトのすみかで間違いないだろう。その証拠に、入口の前には見たこともない二体の生き物がいた。人型ではあるが、手足は異様に細く、肌は薄い灰色だ。そして何より、鼻と耳が人間ではありえないほど大きく長かった。あれがコボルトなのだろう。
落ち着いて見ると、一方は真面目に立って見張りをしているのに、もう一方は地面に寝転んで気を抜いている。妙に人間臭い光景だった。立っている方は、長い柄の干し草用のフォークを握り、寝ている方の脇には野球バットのような棍棒が転がっている。
さて、どうするのか?そう思ったシュウが一度下がると、一行はバルドの近くに集まっていた。彼は人差し指を舐めて風に立てる。「少なくとも、ここは風上じゃねえな」どうやら匂いで気付かれないか確認していたらしい。
「俺がこっそり近付いて、コイツで仕留めてやる」バルドは担いだ大斧を軽く叩いた。
そのまま行こうとしたバルドを、「待って下さい」とシュウが呼び止めた。皆は視線を交わして、次の彼の言葉を待つ。敵を先に捕捉したんだから、安全な距離から一方的に攻撃したい。飛び道具は……考えをまとめ、シュウは口を開いた。
「二体います。一方が切られている間にもう一方に叫ばれれば、穴の中のコボルト達に気付かれます。全員で石を投げるのはどうでしょうか」
バルドは鼻を鳴らす。「お前らが投石の名手ばかりとは知らなかったぞ。そんな運任せより、俺一人で始末した方が確実だ」
役に立たないと言われたシュウは閉口するが、ロレンツィオやフィオは特に意見がないようだった。そこでアヤナが折衷案を示す。
「こんなのはどうでしょう?もう少し、十メートルくらいまで全員でこっそり近付きます。そこからバルドさんだけ回り込み、横から接近します。バルドさんが一足で飛び込める木陰まで行って合図を出すか、接近がバレたら私たちが投石で先制します。それなら邪魔にはならないでしょう」
バルドは再び鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。どうやら受け入れたらしい。シュウ達は手ごろな石を拾い、前へ進む。洞窟から十メートルほどのところに、四人が横並びになれる狭い空き地があった。
そこからバルドは一人で森の中へ消えた。入口の周囲は三メートルほど木々や藪が刈り払われており、そこまではさすがに近寄れない。
ほどなくして、木々の隙間からバルドが顔をのぞかせた。洞窟まで五メートルほどの距離だ。彼は顎を軽く突き出し、やれ、と無言の合図を送る。
ロレンツィオが石を振りかぶり、シュウとアヤナもそれに続いた。そのとき、背後から落ち葉を踏む音が聞こえる。振り返ると、フィオが三メートルほど下がって、小さく微笑んでいた。何をするつもりかと気が逸れそうになるが、いまは自分の役目に集中しようとする。
投げられたロレンツィオの石は、コボルトを外れて脇を通り抜ける。石に気を取られたコボルト達が、後ろを向く。急がなければと思った瞬間、後ろでカサ、カサ、ガサと音がして気が逸れる。そのシュウの横を、ホップ、ステップ、ジャンプと跳び出したフィオが、鋭く空中で身体を捻り、オーバースローを放つ。
くの字に曲がった短剣がコボルトの首へ突き立ち、一体が崩れ落ちる。え、フィオってあんなことできたの? クルルボー、スゲー。ナンデ、クルルボー。思わぬ一撃に驚くシュウは、投石のタイミングが僅かに遅れる。アヤナの手からは石が離れた。残ったコボルトが倒れた仲間に振り返る。
しかし、アヤナもフィオの一撃に驚き、姿勢が崩れていた。上体がシュウの側へと傾く。遅れたシュウの腕が彼女に当たりそうになり、彼女はとっさに背をそらす。シュウも、彼女に当てないようにと腕の軌道をわずかにずらした。アヤナの石がコボルトから大きく外れた。そこでコボルトがこちらを向いた。
「やるじゃねぇか」バルドが二人に声を掛ける。
コボルトの後頭部を狙ったシュウの石は、軌道がずれて振り返ったコボルトの額を割っていた。元の軌道で当たったかどうかは、誰にも分からない。
「これがコボルトですか」アヤナはそうつぶやき、美しい眉をきゅっと寄せた。洞窟の入口に立つ一行は、足元に倒れたコボルトを見下ろしている。
身長は百五十センチほど。異様に細い手足に、不釣り合いなほど大きな頭。その顔はフィオが言っていたとおり老人のように皺だらけで、大きすぎる鼻と耳が、さらに異形さを際立たせている。肌は薄灰色で、人のような柔らかさには見えず、まるで石膏か削り出した石のような質感だった。
「うぇ~っ、やっぱりこの爺さん達、気持ち悪いね」フィオがあけすけに言い、シュウも心の中で同意する。
「ふん、こんな奴らが歴史を解き明かす遺跡に住み着いているのか。許せんな」
ロレンツィオが憎々しげに吐き捨てる。その横で、バルドとシュウは松明に火を点け、次の準備に取りかかった。二人は明かりを掲げて洞窟の中を覗き込む。光が届く範囲には、岩をくり抜いたような通路が続いているだけだ。大人二人でも並べる広さだが、武器を振るうことを考えれば一列で進むべきだろう。
一行は短く相談し、バルド、フィオ、ロレンツィオ、アヤナ、シュウの順で進むことに決めた。松明の火をシュウとバルドのものから移し、全員がそれぞれ手にする。シュウは自分の長柄の杖を背負うと、槍代わりに干し草用フォークを持って行くことにした。
全員が洞窟の中へ姿を消したあと、シュウの放った礫に額を撃たれたコボルトが、這いずって草むらへ手を伸ばした。指先がつかんだのは一本のロープの端だ。震える腕で何度か引かれたそれは、岩壁の小さな穴の奥へと延びていた。
闇の中で金属のぶつかり合うような音がガランガランと鳴り響いた。しかし、その音はシュウたちにも、ロープを引いたコボルト自身にも届かない。やがてロープを握ったままコボルトは力尽きた。だが地の底では、何かが動き始めていた。




