差し出された小さな手
幼い頃は、獣人じゃなくてもこの状況を救ってくれる”誰か”が現れるのを期待してた。選ばれるたびにこの人間ならちゃんと扱ってくれるかもしれないって、そう信じて。
だが……その期待は何度も裏切られた。
殴られ、捨てられ、また檻の中。
もう、たくさんなんだよ。
だからもう人間には期待しない。信じられるのは同じ痛みを知ってる仲間だけだ。
「違ぇよ! 俺はただ待ちたいわけじゃねぇ! いつか……必ずここから抜け出して、仲間も取り返すんだ!!」
「ふうん、どうやって?」
「っ……わかんねぇよ! ずっと鎖で繋がれてんだ! 逃げる隙なんてあるかよ!!」
……くそ。なに言い負かされてんだ。
顎に指を当てて考えるふりなんかしやがって。ガキになんの策が浮かぶって言うんだよ。
そんな俺の嘲笑う声が聞こえているかのように、こいつは顔を上げてにっこりと子供らしい笑みを浮かべた。
「じゃあさ、僕が君を買っちゃおっかな」
……は?
「なっ……ガキが払える値段じゃねぇぞ!」
「なに? 僕のお財布の心配をしてくれてるの?」
くすりと笑うその姿はまるで俺の反応を楽しんでるかのようだった。
「……俺を買ってどうする気だ? おもちゃにでもするつもりかよ」
「おもちゃになんかしないよ。君にはして欲しいことがあるんだ」
「なんで、お前の頼みを聞かなきゃなんねぇんだよ」
なんなんだこいつは。俺を使って何しようとしてやがる。
「そうだね。僕の頼みを聞いてくれれば、まずここから君を出してあげる。もう一つは、ここにいる獣人さんたちを助けてあげることもできるよ」
ガシャッ……!!
鉄格子を勢いよく握ると大きな音が響き、商人がこちらを睨みつけた。俺は興奮を押し殺し、血走った目でガキを見下ろした。
「……てめぇは、一体何者だ? なにを……企んでやがる?」
「疑り深いなぁ……まあ、その方が都合がいいんだけどね」
小さく何かを呟いた後、目を伏せて悲しそうな表情を浮かべた。
「実はね、最近困ってるんだ……」
「……なんだよ、言えよ」
「僕は伯爵家の次男なんだけど少し事情があってね。一族……いや、家族でさえ僕がいなくなるのを望んでるんだ。家の中にいても落ち着けないんだよ? だってそうでしょ。いつも狙われてるんだからね。それに最近はそれが増えちゃってさ、寝不足になっちゃうくらいなんだ」
曇りない瞳が俺を見据えた。嘘はついていない……ように見えるが。つまりこいつは、消されそうだから助けてくれってことか?それが本当なら物騒な家族だな。血の繋がった連中に命を狙われるガキなんてそうそういないだろ。
「なるほどな。まだ全部信じたわけじゃねぇが……つまり、俺にお前の護衛をしろって言いてぇのか?」
「護衛……うん、まあそんなとこ。でもね、僕が欲しいのはただの護衛じゃないんだ」
ふっと目元の影が落ち、さっきまでの人懐っこさが嘘みたいに消え失せ、口元だけがゆっくりと吊り上がる。
その変わり様に目が離せなかった。
「ねぇ、君は、人を殺せる? いや……殺す覚悟が、ある?」
頭の中が真っ白になる。
人を……殺す……?
俺は今までに人を殺したことなんて一度もない。殺意が芽生えたことなら数え切れないほどあるが、実際に手を下すなんて考えたこともなかった。それを、こいつはサラッと口にした。まるで俺を試しているかのように。
唾をゴクリと飲み込む音が聞こえ、握りしめた手はいつの間にか汗でじっとり湿っていた。
「……ここから出て仲間を取り返せるんなら、俺はどんなことだってやってやる」
俺の言葉に、にっこりと頷いて屈託のない笑みを浮かべた。
「うん、合格! じゃあ約束して。僕の命令は絶対だから甘く考えないでね!」
約束に、命令だと?……ガキの遊びかよ。
「それと……僕を裏切ったら、絶対に許さないよ?」
静かに俺に向けて放たれた言葉。その一言で、胸の奥まで凍りつくような感覚が走った。
こいつを見ていると毛が逆立つほどの違和感を覚える。それなのに、なぜか引き寄せられてしまう。
「ああ、約束してやる。ただし忘れんな。俺がお前の手から離れたら背後に忍び寄って牙を剥くかもしれねぇってことをな」
「わかった! 覚えとくよ」
俺の脅しなんざ、まるで相手にしてねぇみたいだ。
「僕と一緒にくる? それともまだここにいる?」
口調はどこかに遊びに行くみたいに軽い。
目の前に差し出されたこいつの小さな手。救いの手か、それとも悪魔の手か。希望と疑いが胸の奥でぐちゃぐちゃに混ざってやがる。
……けどな、答えはもう決まってんだ。
俺はそっと小さな手に触れた。
――俺を連れて行け。
たとえ悪魔だったとしても俺はこの手を取ってやる。
他に選べるもんなんてどこにもねぇんだからよ。




