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英雄なんてしらない

作者: 西野和歌

 私は走る。

 幼い命を胸に抱えて、わき目もふらずに私室を目指す。

 この教会で保護されて、ささやかに私たちは暮らしていた。

 抱きしめるわが子が泣く。


「ローズ、俺は君だけを思って生きて帰ったんだ」


 私だって彼の生還を祈っていた。

 なのに、どうして?

 どうして運命は、私と彼を引き裂いてしまったんだろう?


 追いかけてくる足音、バタンと閉まると同時に鍵をかけた。

 激しく叩かれる扉の音が聞こえぬように、私は息子を強く抱きしめた。



 *****


「必ず生きて帰るから、だから待っててローズ」

「私の事はいいから、ともかく無事に帰ってきてね」


 私は幼馴染を抱きしめて、彼を戦場に送った。

 こんな田舎の村にすら徴兵が来るほどに、この国の戦況は悪化していたそうだ。

 私たちの住む村は、本当にささやかな村で、そんな都会の情報は一切入って来なかった。

 だからこそ、村の青年たちが国王によって戦場に駆り出されたときは、皆で泣いて見送った。


 そんな中に、バックもいたのだ。

 物心ついた時から共にいた幼馴染の彼とは、いつかは結婚するのだと自然に思っていた。

 年頃になり互いに意識しあうようになり、そして私たちは親に隠れて結ばれたのだ。


 赤い髪に深い緑の目、体格もスラリと背が高く顔立ちも穏やかに整っている。

 いつも太い眉を下に向けた優し気な顔は、村のみんなにも人気のバック。

 憎まれ口をたたく私と、互いに相思相愛になったばかりだったのに……。


 彼が出陣する前夜も、私たちは愛を交わした。


 迷信だと言われても、私はバックに自らの金の髪を入れたお守りを手渡した。

 小さな首から下げる小袋を、彼は嬉し気に首にかけてくれた。


「帰ったら結婚しような? ローズ」

「うん、うん!」


 言葉になんかできない。

 こうして彼は村から旅立った。


 *****


 村から若者たちがいなくなり、村には年寄りと女子供だけになる。

 農作業や、狩りの人手が足りなくなり、村は貧しくなっていく。


「このままじゃ皆が飢え死にしてしまうわ」


 そう誰が言ったのか。残った村人たちは相談して、若い女を出稼ぎに出す事にした。

 いくら戦時中でも、まだ人の多い都会のほうが稼げるだろうという判断だ。

 そして選ばれた何人かの中に、私が含まれていた。


 本音は村を離れたくなかった。

 バックに待っていると約束したのだ。

 けれど、村の惨状をしれば否という言葉は出てこない。

 こうして私は数人の女性たちと、王都に向かったのだった。


 何日もかけて初めて訪れた王都は、まったくの別世界だった。

 沢山の人でにぎわい、見たこともない食料や店舗が並ぶ。

 本当に、今は戦時中なのか疑うほどだ。


 私たちは村長を介した商人によって、就職先を振り分けられた。

 私は同じ村の娘たち数人と、まとめて大貴族の下級使用人として雇われた。


 豪華な屋敷に綺麗なドレス。

 同じ年頃の貴族の娘は、化粧もドレスも特別で、毎晩のようにパーティーを開いていた。

 庶民たちが、物資不足で苦しんでいても無関係だったようだ。

 そして、ここに来て知ったのだ。

 戦場に出ているのは平民と騎士のみで、貴族は徴兵などない事を。


 王都にきて三か月目、バックと別れて半年目……私に変化が訪れていた。


「体調悪いなら、はやく奥にいきなよ」


 仲間が私を気遣ってくれる。

 その優しさに感謝しながら、私は食器運びを任せて、奥の部屋でシーツを畳む。

 こちらは座り作業で、まだ体を労わる事ができたからだ。


 口元に手をあてて、吐き気を我慢するのも慣れたものだ。

 匂いもつらいので、できる作業が限られてきていた。

 このままではいけない。

 いつまでも仲間たちに負担をかけられない、何より私は原因を理解していた。


 ――どうしよう、どうすれば


 日に日に隠すことのできない腹部を撫でて、私は不安に押しつぶされそうだった。

 村で受けた説明と違い、給金はわずかでロクに仕送りもできない状態だ。

 あの商人に村ごと騙されたと知ったのは後の祭りで、契約により最低三年は違約金が発生してしまう。


 誰の子かわかっている、ただ一人だけだ。

 その人はいま、戦場にいる。


 そして、まもなく臨月を迎えるというその時に、とうとう主に見つかってしまう。

 普段なら、下級使用人は主の前に姿を現さない。

 たまたま庭の隅で、座り込んでいた姿を見られてしまったのだ。

 そして、私はみっともないと屋敷を叩き出されたのだった。


「違約金はなしにしてやる、消えろ」


 見送る仲間たちも何もできず、ひそかに銅貨の入った袋を手渡してくれた。

 彼女たちに頭を下げて、私は来た時と同じささやかな荷物だけを持って屋敷を去った。


 *****


 最初は村に戻ろうと思ったのだ。

 だが路銀も少なく、たどり着けそうにない。

 何より、いつ生まれてもおかしくないのだ。


 雨降る王都をずぶ濡れで、あてもなく歩く。

 浮かぶのは、懐かしいバックの笑顔だけ。

 何一つ、彼の情報はわからない。

 王都では毎日のように、戦場で勝利したと騎士たちが鼓舞したが、それが真実でないのも知っていた。

 以前の屋敷で知った真実、国民を騙すために不利な情報は流さない。


 彼は生きて帰れないかもしれない。

 頬を伝うのは雨なのか、それとも?

 薄れいく意識の中、最後の救いを求めて、私は王都の貧しいエリアの教会前で意識を失った。


 そこからの意識は曖昧だ。

 疲労と高熱で、私は生死の境を彷徨ったらしい。

 そして気づけば、私の腕に小さな命が誕生していた。


 赤い髪と私に似た青い瞳、ああ紛れもなく私たちの愛の証だ。

 弱っていた私を励ますように、この子は大きな声で泣いた。

 こうして私は、生きる意味を与えられた。


 教会は貧しくとも、哀れな私たち親子を守ってくれた。

 小さな個室に貧しい食事、せめてもと私は仲間から貰った銅貨を差し出してもシスター達は受け取らなかった。


「あなたは未来の希望を生むという、偉大な仕事をしたのです。今はただ体を休めなさい」


 心から感謝をして、私は息子と共にしばらく過ごす事になる。

 初めての育児もシスター達に助けられ、感謝してもしきれなかった。

 母乳がとまらないようにと、優先して食事を私に与えてくれたし、古着をもらってきて赤子のために肌着を縫ってくれた。

 勿論、私も体調の良い日は手伝いができるまで回復したのは、出産から半年程度たってからだった。


 何度も彼の姿が目に浮かぶ。

 せめて村に手紙の一つも出そうかと迷ったが、元雇用主が気分を変えて違約金を請求する危険を想像し、せめてあと少しは居場所を隠そうと決意した。


 午前の教会の開放時には、少なからず人々が祈りに訪れた。

 噂はいつも戦争の話だ。

 嘘か本当か、まもなく戦争が終わりそうだという事だった。

 村を出て二年近くがたった頃、その噂通りに戦争は突然終結した。


 人々はわきあがり、凱旋パレードに群がった。

 一人の英雄が誕生し、その若者が相手側の将軍を次々と弓で倒したお陰で、不利だった戦況が覆ったそうだ。

 国を救った英雄を一目見ようと、王都のメイン通りは人だかりで進めぬほどだ。


 たまたま買い出しを頼まれた私は、そのパレードにぶち当たってしまい、教会に戻るのに苦労していた。

 人込みの中に紛れた私の耳に、周囲の人たちの噂話が耳に入った。


「一兵卒の時から、頭角を現していたらしいじゃない。なんでも狙えば百発百中だって」

「試しに指揮官が、特殊な鉄の弓矢を渡しても簡単に使いこなしたとか」


 他人事のように聞きつつ、バックのように狩りの腕に優れた者はいるのだと感心していた。

 やっとできた人の隙間に入り込み、なんとか前に進んで教会への迂回路を目指す。


「剣は習ったことはなかったらしいけど、小型ナイフの扱いは既に会得していたって……」

「美青年だって言うじゃない、炎の鷹なんて言われて……」

「あっ来たわ!」


 反射的に私は振り返ってしまった。

 道の向こうから、武装したままの大勢の兵士や、馬に乗った指揮官の騎士たちがこちらに向かってくる。


(この中にバックはいるかしら? どうか、どうか生きていて。あなたにぜひあの子を抱いて欲しいの)


 いるはずがない……そう思っていても、ついパレードを見続けてしまった。

 やがて噂の英雄が現れると同時に、皆の歓声が最高潮にあがる。

 そして……


 ――私は硬直した ――


 見覚えのある姿、優しかった眼差しは鋭くなり、微笑みを絶やさなかった口元は引き締まっている。

 人々は英雄を歓迎する。


「今から、王城で表彰されるのよね?」

「素敵、爵位を与えられてもおかしくないわ」


 目の前を通り過ぎる懐かしい姿、これは夢なのか?

 一瞬目が合った気がしたが、私は急いで後ろに駆け出した。

 混乱のままに教会に駆け込み、息を整える。


「どうかしましたか? ローズ」


 言えるはずがない、まさか、何がどうして?

 息子の泣き声が聞こえて、急いで私は部屋に飛び込んだ。


「まだカロンは、お母さんのおっぱいが恋しいみたいなのよ」


 やっと潰した麦がゆで離乳食を始めたばかりで、お腹がすいたのだろう。

 急いで乳を与え、気持ちが落ち着いてきた。


 ――彼には息子を知る権利があるだろう


 英雄となった彼とは立場も変わってしまった。

 村に戻ったらなんて口約束など、もう無効になっているかもしれない。

 それでも、せめてこの子の存在だけは報せるべきだろうか?


 そんな思いも、数日後には霧散した。

 教会の人々は、新たな英雄の話でもちきりだった。


 バックは新たな領地と爵位を与えられ、そして名門貴族の令嬢と婚約を交わしたらしい。

 その貴族は、かつて私が追い出された、あの屋敷だった。


「英雄様の村の娘たちを雇用して、保護してあげていた縁らしい」

「へー、貴族様の中にも優しい人がいるんだな」


 違う。彼らは賃金を騙して、私たちを契約で縛ってこき使っていた。

 そんな真実よりも、あの屋敷の娘と元恋人の婚約の事実に私は打ちのめされた。


「名門と結婚すれば、英雄様の未来も安泰だな」

「王様の覚えも目出度く、今後は将軍にでもなるんだろうし」


 ガクガクと震える私の袖をつかみ、息子はケラケラと笑っていた。

 何も知らない息子を抱きしめて、私は決意した。


 ――きっとこの子の存在は邪魔になる、だから知られてはいけない


 村に帰ることもできなくなった。

 帰れば彼に知られるだろう。

 幸いにも、両親に手紙の一つも出せていない。

 私が追い出された事までは掴めても、ここにいる事は誰も知らない。


 身元についても。シスターは詮索せずにいてくれた。

 今になって、その有難みを噛み締める。


 この王都で、人に紛れて生きていこう。

 ここならば息子と自分の二人くらいは、静かに生きていけるだろう。


 貴族となって別世界で生きるバック、そんな彼と近くて遠い距離で生きる。

 ざわつく私の心さえ耐えきれば、村に戻るより息子との未来にほのかな光が輝いた。


 それから数か月が経過する。

 私たちの周囲は相変わらず平穏だ。

 この教会でかくまわれた私は、シスター見習いだと思われているそうだ。

 訳アリの女が教会で出産するのは、よくある事らしく、息子カロンもヨチヨチと歩く姿は参拝客の笑顔を誘った。


 いつまでも客人でいられないと、私は私のできることをする。

 掃除や料理、何より村で培われた細工刺繍は人気があり、月に一度のバザーで出品して欲しいと頼まれるようになる。

 眠る息子のかたわらで、目をこすりながら私は小さな布のコースターに刺繍を入れていく。

 素朴な飾りつけに、村独自のクロスステッチを重ねた細工をいくつも施した。


 眠る息子の姿に、その父親の姿が重なる。

 出陣する最後の夜に、同じベットで眠った彼は、息子と同じ顔で私を抱きしめてくれた。

 今になって、良い思い出だったと思えばいい。

 チクチクと痛む胸を押さえて、この子さえいればいい。

 むしろ彼が生きてくれた事への感謝と、新しい人生の門出を祝福しなければと思いなおす。

 だがいつまで待っても、彼の婚姻の話は進まなかった。

 その理由すら知らず、あえて毎日の忙しさに没頭して、私は息子との生活に励んでいたのだ。


 *****


「ああ、可愛いわね。息子さん?」

「はい、カロンと申します」


 教会前のささやかな広場にて、私は声をかけられた。

 バザーの日に、私のコースターを気に入って、全て買い上げてくれた婦人が息子に微笑んでくれた。

 嬉しそうに、敷いた敷物の上で愛想をふりまく息子カロンは、父親似で人見知りはしないらしい。

 来る人々が、基本的に慈善に溢れた人が多いためか、息子や私に対しても好意的で優しく接してくれた。


 一歳を過ぎた息子は、目を離すとトテトテと歩いていき、知らない人に片言でしゃべりかけたりする。

 その愛らしさに人々は笑って対応してくれた。

 最初は気遅れしたバザーの出品の手伝いも、今は息子に支えられて楽しみにすらなっている。


 王都でも外れの貧しい地域の小さな教会、こんな所に来てくれるのは似たような貧しい平民ばかりだ。

 なので油断していた。

 突然あらわれた、懐かしい姿に私は息をのむ。

 目の錯覚かと疑ったが、彼は立派な騎士服を着てまっすぐにこちらに向かって来た。

 息子を抱いて教会内に逃げようとしたが、息子は笑って彼にまで愛想を振った。


「ローズ」


 私は驚きすぎて声も出ない。

 周囲も彼が何者かわかり、人の波が割れていく。

 固唾をのんで見守る人々の視線の中でも、彼は怯むことなく私の前に立つ。


 販売用の小さな机を挟んで、久しぶりの対面を私たちは果たす。

 だが、私はそれを望んでいない、今更どうして現れたのか……。


 苦し気な私と違い、彼は心底嬉しそうに昔の笑顔でほほ笑んだ。


「やっと、やっと見つけたローズ」


 心なしか肩を震わせ、伸ばしてきた彼の手を私は反射的に払いのけた。

 一瞬、驚いたあとに傷ついた瞳……、それでも私は突き放すために言葉のナイフを口ばしる。


「帰って、あなたみたいな英雄なんか知らないわ」

「ローズ、俺は君だけを思って生きて帰ったんだ」

「御冗談を、無事にご帰還され新たな婚姻にも恵まれ、祝福致しますわ」


 あえて涙をこらえる為に、私は背を向けて抱きしめていたカロンを胸元に隠す。


「待ってくれ、その子は!」

「私の息子です。あなたと別れた後に産みました。父親は別の人です」

「ローズ、話を聞いてくれ、俺はっ!」

「さようなら、ご活躍を遠くよりお祈り申し上げます。二度と関わらないで!」


 ふり絞るように私は叫び、人をかきわけ教会の私室に飛び込んだ。

 後ろで騒がしく何か聞こえたが、心をふさいで聞かずに逃げ込んだ。


 ドンドンと激しく扉は叩かれたが、抱きしめたカロンの泣き声と、外に集まったシスター達の声。

 激しい動悸の中で、必死に息子をあやしているうちに、やがて物音は静かになった。

 自分がみじめで仕方なかった。


 彼が生きていた事の嬉しさ、私を忘れずに探してくれていた事を知り、複雑な思いで息苦しくなる。

 息をひそめて抱きしめた息子がグズると、頭を撫でて誤魔化すばかり。

 やがて小さなノック音がした。


「一度帰っていただきました。出ていらっしゃいローズ」


 優しい聞きなれた声にすら、私は動けない。


「ほら、カロンの食事もあるでしょう。もうバザーも終わりました。今日はともかく食事をして体を温めて、休みなさい」


 ノロノロと扉に向かい、古びた鍵をガチャリと開けた。

 シスター長の後ろには、心配そうな数人のシスター達もいた。


「さあ今日はみんな疲れたでしょう。食事に致しましょう」

「すいません、私……あの」

「今日はバザーを誰よりも頑張ってくれましたから、食事当番は免除ですよ」


 ふふっと笑ったシスター長につられて、私も緊張がやっと解けた。

 誰一人として、バックの訪れを話題に出す者はいなかった。

 その心遣いに感謝しながらも、その夜は眠れぬ夜を過ごし朝を迎えたのだった。


 それからの数日間、何事もなく日々は過ぎ去った。

 変化が訪れたのは、シスター長に呼び出されたある日の午後だ。


「カロンはこちらで預かります。ローズ、落ち着いてよく話し合いなさい」

「えっ?」

「あの子の父親なのでしょう? あの方は」


 ドキリと客間の前の扉で足がこわばった。

 動けないローズの背中を撫でながら、優しくシスター長は言う。


「ここに残るならそれでもいいのです。カロンの幸せも、何よりあなたの幸せを私たちは応援します」


 だから一歩踏み出しなさい、そう言われ扉は開け放たれた。

 狭く質素な客間のソファーに、場違いな男が座ってこちらを見つめていた。

 何も言わず、ただ懇願するような目で私を見つめている。

 私だけを部屋に入れて、後ろで静かに扉が閉まった。


 心の準備もできていない私は、その場でたちすくむしかない。

 そんな私の姿を見て、意を決したのか彼が立ち上がる。

 ビクリと私が震えると、より彼の目に陰りがさした。


「たとえ君が否定しても、あの子は俺の子だ」

「と、突然何を言って……」

「君なら、俺の体を誰よりも知っていると思うが?」


 誰よりも知っていた、それはもう過去形じゃないの?

 あなたには新しい人がいるはずなんだから……。


「シスター達に聞いて確認した。あの子にも同じ痣がある」

「そ、そんなのっ!」

「そして君のいた屋敷に、再度話を聞きに行ったよ」


 やっと会えたんだと、彼は言う。

 泥だらけの戦場で、前線で盾のように扱われた。

 そんな中でも必死で生き延びたのは、ローズに会うためだ。


 仲間たちが倒れていく中で、血と汗にまみれながら空腹で草を噛んだ事すらあった。

 剣も失い、たまたまあった敵方の弓を奪って生き延びた。

 そこから剣ではなく、弓矢の才能を見込まれてバックは活躍していく。


 戦況が悪化する中で、国は英雄を求めた。

 国民を鼓舞するために、ただの村人が有能な騎士のように活躍する舞台劇をバックは演じ続けた。

 村の男たちは、狩りにより弓矢が得意だった。

 バックは権限を与えられていくたびに、そのような村人たちを集めていく。

 そして彼らの結束は強く、ただの騎士たちの盾ではなく強力な戦力となって活躍した。

 その象徴が、たまたまバックだっただけだという。


 死に近づくたびに、浮かぶのはローズの姿だけ。

 手紙も出せず、最後の約束だけを胸に秘めて戦場を駆け抜けた。

 心がすり減るたびに、ローズの笑顔を思い浮かべる。

 そうして、やっと戦争が終わり帰還した。

 馬鹿げた凱旋パレードにも英雄として参加した。

 どうせ奴らは、適当な貴族の爵位と金と領土、それだけ与えて俺を追い出すつもりだ。

 だが、それでいい。

 ともかく君に会いたかった。


 切々と告げられる真実に、私はガクリとソファーに身を沈めた。

 戦場を語る彼の顔は、見たこともない絶望の表情だった。

 彼は地獄を生き抜いたのだ。

 それに比べれば、自分の苦労など些細なものだ。


「俺の村の人間を慈善事業で雇用したという貴族から、ぜひ会いに来てほしいと言われて行ったんだ」


 その言葉に、かつていた屋敷が目に浮かぶ。


「だが、会えたライじいさん家の娘さんは、どうも様子がおかしかった」


 かつての仲間は、どれだけ彼らが素晴らしいかと感謝をのべるばかり。

 その異様な気配に眉をひそめると、その貴族の娘が馴れ馴れしくすり寄ってきたらしい。


「婚約云々とか勝手に話を持ち出されたから、その場でハッキリと断ったよ」


 それでも、しつこく要求する彼らに、世話になった上官を通して警告して貰ったらしい。

 バックは、まさかそこでローズが働いていたとは思わなかった。

 会えたのは、顔見知り程度の村の娘ただ一人。

 ともかく、王都での意味不明な引継ぎの処理を済ませ、村に帰る事で頭がいっぱいだった。


「だけど、村に君はいなかった」


 馬を走らせ、ともかく引き止める人々を振りはらい村に帰還した。

 だが、そこにはローズの姿はなく、村長よりあの貴族の家に数人が出稼ぎに出たのだと伝えられた。


「わしは騙されていた。どうかあの子たちを助けてやってほしい。違約金に足りんかもしれんが、できうる限りの金は用意した」


 どれだけ村から手紙を出して懇願しても、貴族の家からの返事はなかったそうだ。

 行き違ったと気づいたバックは、またもや王都にまい戻った。


 再び突然訪れたバックに、貴族の彼らは歓喜した。

 だが、今回の訪問は彼一人ではなかった。


「人身売買と虐待と詐欺、その疑惑の確認により捜査する!」


 バックの後ろに隠れた衛兵たちがなだれ込んだ。

 村の仲間たちの待遇は、私がいた頃より悪化していたらしい。

 何度も村から懇願の手紙が届くたびに、彼らは自らの仕打ちがバレないように厳重に仲間たちを軟禁した。

 見えない部位を痛めつけ、精神的に支配していったのだ。


「なんて事を……」


 震える私を安心させるように、バックは告げた。


「ちゃんと彼らは罪に問われたよ。そして彼女たちも、俺たちの村にちゃんと帰った」


 ただ、国の恥として内密に処理されたのだけは残念だと彼は言う。

 いいや、彼だからこそ国は動いたのだ。


「そこに君がいなかったのは幸いだった」


 途中で逃げ出したのだ。

 彼らに迷惑がかかるといけないと、私は連絡を絶っていた。


「君が妊娠をして追い出されたと聞いて、頭が真っ白になったよ」

「っ……」


 そろそろ本題に入りそうだ。

 彼は静かに席を立ち、私の横に座る。

 古いソファーが音を立てて軋む。

 逃げないように腰に腕を回され、彼の体温が近づいた。

 その懐かしさと切なさで、涙がこぼれそうになった。


「君を探した。この広い王都の中で、沢山の人の中で、君はなかなか見つからなかった」


 カロンも幼く、貧しい私たちは街に出歩くことも少なかった。

 買い物も近場で済ませていたし、貧しいエリアにいる者たちは、私の存在を黙っていてくれたのだろう。


「せめて病院で出産していてくれれば、記録もあっただろうに……」


 カロンは教会で生まれた。

 医者を呼ぶ暇すらなく、過去に出産を手伝った経験のあるシスター達が助けてくれた。

 そして、カロンは出生届も出していなかった。

 村でなら、届け出すらなくて当たり前だが、この王都においては義務である。

 私は、いつかは村にカロンと共に帰るつもりだった。


 この王都である程度の仕事を見つけ、そして働いたのちにどこかの村でもいい……二人で静かに暮らせるならば、出生届など関係ないのだから。

 けれどそれは本当に、カロンためだけ?

 私が王都に少しでもいたいと願ったその心、今は隠していた本音がジワリと湧き上がる。

 少しでも、あの子を父親のそばに……いいえ、未練がましく私が離れがたかっただけ。


 胸元から彼は私が渡したお守りを差し出した。

 小さな小袋、そこには私が刺繍した村独特の模様が入っている。

 彼の無事を祈った、純粋な気持ち。


「バザーの小物を偶然見かけた。そして、やっと君を見つけた」


 腰に据えられた腕の力が強くなる。

 私はうつむき顔を上げられない。


「約束を果たすために、俺は必死に生き延びたんだよ?」


 あの頃と変わらぬ優しい声、けれどどこか小さく震える語尾は私のせいだ。


「あの子は俺の子だ……頼むから否定しないでくれローズ」

「だ、だって……」

「君が誤解したのも後でわかった。あの貴族どもの下らない噂のせいだ」


 そう、それは間違いだったのだ。

 彼は違った。

 ただ一人、私を愛してくれていた、あの時のままに……。

 なのに、私は拒絶した。


 ホロホロと私の頬に涙が伝う。


「ごめんなさいバック、私……あなたが貴族と結婚するなら、邪魔になると思って」

「不安にさせてごめん。でも、俺にはローズだけなんだ」


 スルリと腰に巻かれた腕が離れる。

 その寂しさにすがろうとした瞬間に、大きな体で真正面から包まれた。

 彼が座る私に合わせて腰を落として抱きしめてくれたから。

 懐かしい彼の匂いが、私の全てを塗り替えていく。


「一人で赤ん坊を育てて大変だっただろ?」

「いいえ、シスター達も手伝ってくれたから」


 ただ静かに涙を流す私の頭を、彼は昔のように撫でてくれた。

 大きな手に安心し、彼の顔が近づいてくる。


「俺の子を、産んでくれてありがとうローズ」

「うっ……ああっ、あーっ」

「うんうん、よく頑張ったなローズ」


 子供のように泣く私は、もう何も偽る事なんかできない。

 この人が好き。

 昔も今も、そして未来もきっと……。


 それから数日後、私たちは家族そろって村に戻っていた。


「本当にいいの? せっかく騎士になれたのに」


 私の問いに夫は笑う。


「騎士ってのは剣が得意じゃないとダメだろ? 俺は弓でたまたま当てただけだしな」

「それでも、引き止められていたじゃない」

「いいんだ。ちゃんとこの村を含めた領土も貰ったし、それを守るだけで十分だ」


 だよなカロン? とバックに抱き上げられたカロンが笑う。

 平和な村に私たちは舞い戻り、そして家族として幸せを重ねていくのだ。

 次は娘がいいと、ローズの耳元に囁いて、愛らしい妻は顔を赤くした。

 二人は愛し合い、そして傷ついたバックの体をみて本当に無事でよかったと改めて嚙みしめた。


 彼はこの村から出るつもりはないらしい。

 貧しい村は、彼が領主となった事で忙しく発展を遂げた。

 彼はおごることなく、私たち家族はそれでも慎ましく暮らしたのだった。


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