第6話 星空を分け合う夜②
予備のシャツを船内から引っ張り出し、いそいそと着込んだ後。
再び向き合ったぼくに、改めまして、と彼女──リアンは言った。
「“風読みのルア”さん、お会いできて光栄です」
微笑みながら、ぺこりと軽く頭を下げる。
──なんというか、生真面目な人だなあという印象だ。
「そんなに畏まられる謂れはないよ。顔を上げてほしい」
「ご謙遜を。“郵便局”の職員であれば、あなたの名前を知らないのはモグリでしょうに」
「......あんまり良くない方向で広まってない、それ?」
例えば、滅多にギルドに顔を出さない奴、とか、協調性のない問題児、とか。まあ、自覚はあるんだけども。
リアンは穏やかな微笑みを浮かべたまま、ぼくを、いや──正確にはエアリアル号の方を見つめる。
「世界に唯一の常在顕現型である夢舟を駆り、世界中を巡る“渡り鳥”。行動範囲が広すぎて滅多に遭遇できないが、もし会えたら良いことがあるという意味で有名ですよ」
うーむ、褒められているのかどうか微妙である。というかそれ、ツチノコか何かと一緒にされていないだろうか?
ただまあ、ぼくの夢舟“エアリアル号”の特異性は、配達人たちの中でも有名なのは確かである。
そもそも夢舟とは、ぼくら配達人が仕事の際に用いる走行術式だ。
昔、始まりの配達人“方舟のノア”が乗っていた舟を解析し、配達人であれば誰でも使用可能な術式に落とし込んだもの。それが夢舟だ。そもそも見習いが一人前と認められる最終試験こそが、この夢舟の召喚なのだ。逆に言えば、どんなに健脚で、誰よりも人格者であろうとも、この最終試験をパスしない限りは、独り立ちすることは許されない。そのくらい重要なものだったりする。
夢舟は、召喚した者の能力の属性によって、性能が変わる。例えばぼくのような“風”だったら、風の流れを捉えることで空中を進むことが出来る反面、その扱いは難しい。ぼくの親友兼同期のような“水”であれば、水上での航行は非常に安定し、(技量にもよるが)少々の高波でも問題なく進むことが出来るだろう。
そんな中、ぼくの召喚したエアリアル号は、風の特性である空の航行が可能なばかりでなく、その航行になんのリソースも必要とせず、それ故に“消えない”のが特徴だ。
通常、夢舟の召喚と走行には、微力ながらもリソースを消費する。このリソースというのは、魔力とかマナとか、そういう精神的エネルギーに相当するものと思ってもらえればいい。それを一切消費せず、しかもその大きさも普通の夢舟の倍はある。イメージ的には、エアリアル号が小型の船舶で、他の夢舟がイカダとかそんなところか。
見習いとして師匠のもとで過ごし、ある程度経った頃。まだ先ではあるが、最終試験の内容として、夢舟の召喚を行うと言われ、その場で試しにやってみたところ、一発でエアリアル号を呼び出してしまったのには、ぼくも驚いた。何せ当時のぼくは、まだ駆け出しから一歩前進したような頃だったのだから。尚、その時の師匠の顔は、鳩が豆鉄砲を食らったような、という表現が実にぴったりなものだったことは、今でもお笑い草である。
そんな、まだ見習いでありながら、最終試験をクリアしてしまったぼくの扱いについては、ギルド内部でもかなり紛糾したらしく、まだ駆け出しだろう派と、いやいやもう一人前派で、しばらく論争が起きたのだとか。まあ、ぼく自身の、もう少し修行するという意見が通ったことで、すぐに沈静化することになったのは、懐かしい思い出である。
ちなみにこの夢舟だが、人間の目に映ることはない。
詳しい原理は知らない(覚えてないとも言う)が、半分人間、半分精霊のぼくたち配達人が、夢舟という術式を介することで、肉体的な視覚からは消えるということらしい。まあ、よく分からないよね。ぼくもだ。
ただ、一部の“素養”のある人間。例えば人の身でありながら不思議な力に目覚めてしまったような者や、人間よりも気配を読み取る力のある野生動物なんかには、感知されることもあるようだ。ちなみにぼくなんかも、配達人になる前から見えたクチだが、この辺の話は過去編とかで語ることがあるかも?
少し脱線してしまったが、そんな感じで、かなり珍しい夢舟を召喚した新人配達人として、結構悪目立ちしてしまったぼくだったが、あれから20年は経った今では、いっぱしの配達人として活躍しているのだった。
......ただ、ぼくに会ったところで、何かが変わるようなことはないと思うんだけどなあ。招き猫でもあるまいし、そんな噂、誰が広めたんだか。
ため息をつくぼくに、リアンは悪戯っぽく、ふふ、と笑った。
「ごめんなさい、困らせるつもりはなかったの」
「いや、いいんだ。気にしちゃいないよ」
同業者と会わないのも、本当のことだし。
「それより、きみはここら辺を回ってるの?」
「はい。普段はこの辺りを定期的に巡回しています。わたしの夢舟は山岳地帯を進むのに適していますから」
山や丘に適した夢舟となると、さしあたって彼女の属性は“地”だろう。速度は出ないものの、航行の安定性は抜群だ。風の舟とは真逆の性能と言える。
「今回は先を越されてしまいましたが、ここにはわたしも、たまに訪れるのですよ」
リアンはそう言って大きく伸びをした。豊かな双丘が呼吸に合わせて上下する。......その属性に違わぬ、母なる大地のような、中々立派なものをお持ちのようで()
「ルアさんは水の補給ですか?」
しまった。露骨に見すぎたか?
「ああうん、そう。上を通り掛かった時に、偶然ここを発見してね。水も綺麗だし、補給がてら少し休憩してたとこ」
「そうでしたか」
納得したらしく頷くリアン。少し声が上擦ったのはバレなかっただろうか。いや、別に同性なんだし、変に焦る必要がないっていうのは分かってはいるんだけども。
しかし、成る程、ここは彼女のお気に入りスポットだったようだ。
別に彼女が所有する私有地ということではないのだろうが、隠れ家を暴いてしまったようで、なんだか申し訳ない気分だ。その詫びというわけではないが、
「あのさ」
──まあ、ここで会ったのも、何かの縁である。
「もし良ければ、一緒に休んでいかない?」
問い掛けると彼女は少しぽかんとして、しかし、すぐに、「喜んで」と頷いた。
*****
配達人ギルドのとある職員
「
“渡り鳥”について、か。実際に会ったことはないが、彼女──彼女でいいんだよな? とにかくその配達人は有名だよ。色んな意味でね。
彼女の夢舟が特殊なのは知っているだろう? 現存する唯一の常在顕現する夢舟だ。あれに関しては我々“管理局”の方でも色々調べてはみたんだが、さっぱりでね。分かったことと言えば、常に出ていて、浮いていて、大きいってことくらいだ。
......見たまんまじゃないかって? ああ、その通りだ。分かったのは以上の三つのみ。何故維持や航行にリソースを使わないのか、何故他の夢舟と比べて大きいのか、理由については一切不明のままだ。過去の記録にもまったく存在しない。
ああいや、正確には唯一、似てなくもないものもあるんだが、これは仮説でしかない上に、何よりお伽噺の存在だ。彼女自身は何の変哲もない生まれであることも調べはついているし、八割──いや、九割は関係ないだろうさ。十割でないのは、こじつけみたいなものだ。
気になるかい? まあ、別に守秘義務があるわけでもない、妄想や空想のような話さ。
あの夢舟に唯一似ているものを挙げるならば、
──それは、“ノアの方舟”くらいだということだ。
」