表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/7

第3話 始まりの風が吹く町③

 塔の石段を降りきると、町の空気がひときわ熱を帯びて感じられた。


 陽はすでに傾き、西の空は深い橙色に染まっている。山の端に沈みかけた太陽が、最後の力で家々の屋根を金色に輝かせ、その光が石畳の道にも、風に揺れる垂れ幕にも、やわらかな陰影を落としていた。


 人々の歓声が、風と共に舞っていた。


 賑やかな笛の音。太鼓のリズム。湯気の立つ屋台の奥で響く、呼び声と笑い声。香ばしい焼き菓子や果実酒の甘い香りが混ざり合って、空気に溶け込んでいる。


 紙でできた仮面をつけた子どもたちが、羽根を手にして駆け回っていた。振り返れば、彼らの笑い声は風鈴のように軽やかで、どこか遠い記憶の底に触れてくるようだった。


 ぼくは人混みに身を溶かすようにして、ゆっくりと通りを歩いた。どこかに急ぐわけでもなく、ただ、祭りの残り香のような熱気に身を委ねながら。


 大通りの先では、羽根送りの式が終わったばかりなのか、空にはまだいくつもの紙の羽根がふわり、ふわりと舞っていた。上昇気流に乗って高く昇るものもあれば、建物の陰に吸い込まれるように舞い降りるものもあって、そのひとつひとつに、誰かの祈りが込められていることを思うと、胸の奥がふっと温かくなった。




 ふと、見知った顔が視界に入った。


 ──あの少女だ。


 今朝、ぼくの話を聞いてくれた、小さな聞き手。


 人混みの中で一生懸命に背伸びしながら、両手を広げて風を感じていた。ちいさな足で踏ん張りながら、まるで空そのものを抱きしめようとしているみたいだった。


 その手には、紙の羽根がひとつ。


 風が通り過ぎるたびに、その羽根はぱたぱたと揺れて、少女の髪も、袖も、いっしょにゆれていた。


 見上げるその視線の先には、たくさんの羽根が舞っていた。


 ふわり、ふわりと、まるで空に還っていくかのように。


 少女は、ぽかんと口を開けたまま、それをじっと見つめていた。目を瞬かせるその表情に、言葉では言い表せないような、まっすぐな気持ちが滲んでいた。


 やがて、ほんの少しだけ背伸びをしながら、彼女は羽根を放った。


 風に乗った羽根は、ゆるやかに舞い、いくつもの羽根の群れに混ざって、夕空へと消えていった。


 その横顔を見ているだけで、ぼくの胸の奥に、またひとつ灯りがともるような気がした。


 ──願いが、誰かに届きますように。


 それは、ただの祈りかもしれない。


 だけど、その祈りが集まり、積もって、かたちになったのが夢片だ。


 ならば、今ここにある風景そのものが、どれほど豊かなものか、ぼくにはわかる。


 ぼくたちは、見えないものに手を伸ばす。


 手のひらの中で壊れてしまうものもあるけれど、それでもぼくは、届けたいと願う。どこかにいる誰かにとって、その祈りが救いになるかもしれないから。


 ……名残惜しさは、ある。


 どんな町でも、最後の夜はすこしだけ胸が痛む。灯りのにじむ窓辺。はしゃぎ疲れて眠る子どもたち。手をつないで歩く人々。そうしたすべてに、別れを告げるのは簡単じゃない。


 だけど、配達人の旅に終わりはない。


 届けるべき夢片は、世界のどこかにまだきっとあって、ぼくはそれを追いかける。


 空はすっかり群青に変わりつつあった。提灯の灯りが赤く揺れ、笛と太鼓の音が、今は遠くからでも聞こえる。


 坂をひとつ下りたところで、ぼくは足を止め、もう一度、町を振り返った。


 風が、吹いた。


 ほんの少し前までの熱気は和らぎ、かわりに夜の気配を帯びた風が、裾をそっと揺らしていく。


 いつか誰かが言った。


 「風は、見えないけれど、確かに触れられる」と。


 その通りだと思う。


 ぼくはこの町で、確かに触れたのだ。


 祈りに。願いに。そして、ほんの少しの、やさしさに。


 ──ありがとう。


 心の中でそう呟くと、ぼくは再び歩き出した。


 この町に吹く風が、ぼくの背をそっと押す。


 はじまりの風は、もう遠くに。


 けれど、ぼくの旅は、これからも続いていく。




 さて次は、どこへ行こうかな。






*****


始まりの風が吹く町について


 一年を通して緩やかな風が吹く小さな町。規模は小さいものの活気にあふれ、時折訪れる旅人にも友好。


 町の中心には石造りの塔が建っているが、それがどういった理由で建てられたのかは不明。現在では町のシンボルや待ち合わせの為の目印となっている。


 一年に一度開かれる風祭りは、知る人ぞ知る催し。時期を合わせて町を訪れる旅人も多い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ