第11話:名前のない扉と、記録の墓標
塔の第十階層は、奇妙な静寂に包まれていた。
一歩踏み入れた瞬間、空間全体が“音”を拒絶しているような感覚に襲われる。
「……ここ、なんか変だね」
来夢が足を止め、周囲を見渡す。
建物も樹木も存在するのに、どこか実在感がない。まるで絵の中を歩いているようだった。
アオラが小さくつぶやく。
「ここは“記録の墓標”……記憶が完全に消された者たちの、最後の眠り場所」
「完全に、って……」
「“記録者”の力でも思い出せないくらい、すべてを失った存在だよ。
名前も、過去も、誰かとのつながりも」
中央には巨大な石扉がそびえていた。
その表面はのっぺらぼうで、どこにも鍵穴も模様もない。
その扉の前には、数えきれないほどの墓標が並んでいた。
「……名前が、全部削られてる」
来夢がしゃがみ、墓標を撫でる。
「誰がここにいたかも、わからないのに……こんなにたくさん」
キオクがぽつりと口を開いた。
「……僕、この場所にいた気がする。
けど、思い出せないんだ。何をなくして、ここにいたのか……」
その時、アオラの身体がふるりと震えた。
淡く青い光が滲み、魔法陣が地面に浮かび上がる。
「記録の扉が、開こうとしてる……でも、鍵が足りない!」
来夢が立ち上がり、扉に手を当てた。
「鍵って、何? どうすれば……」
アオラは答える。
「“誰かを想う記憶”だよ。この階層に眠る存在たちの“想い”が扉を開ける。
でも、彼らはもう、自分の名前すら思い出せない」
沈黙の墓標たち。その数だけ、消えた“誰か”の物語があった。
来夢は目を閉じ、深く呼吸した。
「……だったら、私が記録する。思い出せないなら、私が名前をつける。
ここに“確かに存在した”って、私が証明する」
来夢が、ひとつの墓標に手を添えた。
「あなたは……そうだな。“ハル”って名前が似合うよ」
淡い光が、墓標から立ちのぼる。
次に、“スズ”――“レン”――“アオバ”――と、来夢は一つずつ、名前を贈っていく。
そのたびに光が扉に吸い込まれていき、少しずつ、扉に模様が浮かび上がっていく。
そして、最後の一つに手を伸ばしたその時――
「その扉は、開けてはいけない」
低い、威圧的な声が辺りに響いた。
振り返ると、そこに立っていたのは――漆黒のローブをまとう《記録の監視者》だった。
「失われた記憶に、名前を与えることは、禁忌。
“記録者”であるならば、理解しているはずだ」
アオラが来夢の前に立ちふさがる。
「彼女は“想い”を記録している。それが、真実を歪めてるって言いたいの?」
「記録とは、事実でなければならない。感情や願いではない」
監視者の手がゆらりと動き、空間が黒く染まっていく。
来夢は、はっきりと答えた。
「“記録”って、ただの事実を並べることじゃない。
誰かの願いも、痛みも、全部ひっくるめて“生きてた”って証なんだよ!」
次の瞬間、扉が光を放ち――
“カチリ”
鍵が、そっと回る音がした。
(つづく)
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次回予告(第12話)
『記録の監視者と、禁じられた記憶』
“真実”と“願い”が交差する中、来夢たちは記録の扉の奥へ足を踏み入れる。
その先に待っていたのは、世界のルールを書き換える“原初の記憶”だった――。